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監査法人業界におけるデジタルトランスフォーメーション(DX)

「インフラ、産業化、イノベーション」産業と技術革新の基盤をつくろう 有限責任監査法人トーマツの視点

本ページは、青山学院大学大学院会計プロフェッション研究センター より転載許可を受け掲載しています。出典:「インフラ、産業化、イノベーション」産業と技術革新の基盤をつくろう/有限責任監査法人トーマツの視点「監査法人業界のおけるデジタルトランスフォーメーション(DX)」、青山アカウンティング・レビュー特別号Vol.11、2022年発行、82頁~85頁

Ⅰ SDGs#9と監査法人業界

SDGs#9の目的は、強靭(レジリエント)なインフラ整備による持続可能な産業化とイノベーションの促進にあり、SDGs#8「雇用の創出」とも相乗効果が期待されていることにも留意が必要である。持続的な経済成長には、「インフラ」「産業」「イノベーション」の3つの要素が必要不可欠であり、相関関係にあるこの3つの要素を満たすことによってSDGs#9の達成が導き出される。

監査法人業界においてもSDGs#9の目標達成は喫緊の課題である。監査法人におけるシステム障害が資本市場の混乱を引き起こすようなことはあってはならず、障害の抑止、防止、予知、発見に万全を期したインフラ整備が必要である。また、監査業務をゼロベースで見直し常に進化を目指すイノベーション文化を醸成し、デジタル環境に適した監査の高度化と効率化(機械代替化による人の役割の進化)を実現することも、今後の監査品質の持続的向上にとって必須の課題である。

 

Ⅱ 経済社会のDXの今後

世界の先端企業のDX/デジタル化は、既に一巡した論点であり、今後はオフラインとオンラインがマージする世界、つまり人間が触れるあらゆるものがIoTを含めあらゆる手法でスキャンされデジタル化されアルゴリズム化されていく世界(ミラーワールド、デジタルツインとも呼ばれる)へ進んでいく

扱うことができる情報量も飛躍的に増加する世界が期待される。現時点において、経済社会や人々が利用できるデータは構造化されたものにほぼ限定されており、全ての情報の20%程度とも言われる。残る80%の非構造化情報から真に価値のあるものを抽出し意思決定に利活用できるようにすることが次のターゲットであり、日本が世界のDXの流れに追いつき、巻き返しを図るチャンスがここにある。

膨大な情報からデータ分析を駆使し真に価値ある洞察を見いだすことに長けた監査法人は、今後より大きな社会貢献が期待される。特にAIを活用したアナリティクスと仮説検証の能力は、更にレベルアップを図っておかねばならない領域である。

Ⅲ 監査法人におけるDX対応の現状

ここ数年、監査法人の業務におけるDX環境とそれに対応するイノベーションは著しく進化している。COVID-19環境下において、さらに拍車がかかった。資本市場の信頼を維持するため、セキュリティの万全なインフラを整備し、高品質の監査をより効果的かつ効率的なやり方で達成するためには何を変えるべきかを常に考えてきた。

グローバルネットワークを有する国際的会計事務所は、デジタル環境対応のための巨額投資を継続的に行ってきており、提携している各国の監査法人は、最先端のメソドロジーやデジタルツールがグローバルからロールアウトされる。

一方、各国においては、厳しい制約条件やマーケット特有のニーズが存在するため、「先進国の常識にとらわれないイノベーション」の推進も必要となってくる。こうしたリバース・イノベーションの発想はグローバルをリードする先進国にも跳ね返り、各国に横展開することでグローバルネットワーク全体にも恩恵を与え、好循環を形成している。

Ⅳ 距離概念の見直し

監査人の業務は、これまで距離という物理的制約により生産性の向上が阻害されてきた。従前、現地に赴く必要がある業務には移動が必要であった。しかし、COVID-19環境下のリモートワークが要請されることで、働き方とともに監査の作業そのものを根本から見直す機運が高まった。移動は本当に必要なのか、他の手段はとれないのか、という発想である。カメラやモビリティデバイスの利活用により、物理的な制約を撤廃することが可能になってきた。

監査に必要な実査、立会(棚卸)、確認(債権や銀行)という作業、経営者面談、検証対象の証票書類の受け渡しなど、多くの局面でデジタルツールや電子化された情報を利活用している。デジタル化におけるセキュリティの脆弱性は情報流出のリスクを高めるため、電子メールへの添付というオールドスタイルの手段は極力避け、セキュアなデジタル環境を整えて共有ネットワークで受け渡しを行い、多要素認証も必要に応じて導入している。また、PDF化された証票書類は偽造される危険性があるため、画像のノイズを検知できる高い性能のデバイスやソフトが求められる。同一物認定における真正性の確認は、デジタルテクノロジーの進化とともに今後益々重要性が増していく。こうした監査法人におけるDXの取組みは、被監査会社の管理・運用面の負担を軽減することにも貢献するものであり、情報セキュリティを確保した上で、更なる推進と高度化が求められる。

Ⅴ デリバリーセンターへの分離移管と機械に転化できる標準業務

監査人が専門領域の中で監査品質に直結する判断業務と価値創出を極大化することに集中するために、ルールに基づいて繰り返す業務の置き換えなどの定型・定常的な業務は、デリバリーセンターへの分離移管が進んでいる。デリバリーセンターに移管する業務としては、証票書類の突き合わせ作業、開示書類のチェックなど、リスクがなく定型的な作業が中心である。

コロナ禍におけるデリバリーセンターの運用もリモート環境に移行しており、物理的な作業環境を確保しなければならないとの制約から解放され、広く人財を募集できるようになった。更に、大規模デリバリーセンターになると雇用創出の効果も高く、SDGs#8的にも、社会に対して大きな貢献となっている。

また、デリバリーセンターが手がけるような定型・定常作業は、ロボティック・プロセス・オートメーション(RPA)によって、既存のシステムを変更することなく作業を自動化することも可能である。

このように、従前、監査人自らが行ってきた業務の一部が、デリバリーセンターへ分離移管され、またRPAによる自動化・機械転化が進むことにより、監査人は判断が必要な領域により多くの時間を費やすことを可能にした。また、監査のプロセスにおいて、経営に資するforward lookingな示唆や洞察提供という側面にも配慮するための“考える時間”を生むことにも貢献している。

Ⅵ 監査における人工知能(AI)利活用の課題

<監査業務におけるAIの意義>

経済社会におけるインダストリ4.0への対応により、単一工場の自動化の枠を超えてサプライチェーン全体のプロセスの自動化や最適化も進んでいる。財務報告全般においても、企業グループ内におけるデータ連携はリアルタイムに管理する方向に動いており、監査プロセスは被監査会社のITの高度化にも連動し、企業データの常時接続、全量データの解析、AIの教師データの提供など、空間や時間を問わずアクセスが可能となる環境が徐々に整う方向に向かいつつある。ユビキタスコンピューティング社会も加速度的に実現に向かっている。

監査人は、AIを利活用することで、監査人の経験則では捉えきれない相関や傾向を識別できるようになり、監査人のスキルを高次元に均一化することを可能にする。

例えば、監査人のスキルを補うタイプのAIとしては文書解析ツールがあげられる。会計処理の基礎となる重要な文言や条件を膨大な契約書から自動抽出しマークアップすることで、監査人の見落とし防止を補完する。また、監査人の経験則を補うタイプのAIとしてはテキストマイニング技法にAIを利活用した検証ツールがあげられる。一例として、銀行渉外担当者のCRM(顧客関係管理)データを用いたデフォルト予測分析があげられる。銀行の渉外担当者が債務者とコンタクトを取った際に記録する CRMデータ(訪問履歴データなど)をもとに、デフォルト債務者の兆候を捉えるべく、機械学習による予測モデルを構築し、デフォルト予測を推測して信用リスク管理の評価に活用するものである。これはポートフォリオにおける過去の貸倒率に依存しない新たなアプローチとなる。

<デジタルツール利用のノウハウの集中>

AIを利用してデータの特徴から、例えば不正に「該当する確率」を出すには「教師あり学習」でAIを育てなければならない。DXに積極的な企業を担当する監査法人は、今後利用できるデータ領域が拡大することで、AIの性能が向上し、利便性が向上し、監査の品質が向上するという好循環を実現していく。一方、DXが進んでいない企業監査においては、AIを育てる土壌が整わない。特定企業の監査で育てたAIを、他企業の監査で利用すれば良いのだが、そこには一定の制限がかかる。特定企業の監査で鍛えられた知見・ノウハウの他企業の監査における利用は、人とAIでは扱いが異なるのである。

今後、AIの発達は革新的に監査業務を一変する領域であり、AIに限らず、アナリティクスやRPAを含めデジタル対応力の監査人間の格差解消は業界全体の大きな課題になるであろう。

監査法人業界は品質と効率性と価値創出を切磋琢磨しながらの自由競争であるが、監査法人の使命は、一企業のためではなく、資本市場全体の信頼を確保するためPublic interestに奉仕することにある。すなわち、監査法人業界全体がデジタル環境においてその組織力の底上げを図っていかねばならず、閉鎖的なモデル開発ではなく、シェアリングエコノミー的な発想が今後は必要になってくるかもしれない。また、構築された学習済みAIモデルの知財の権利帰属がどう整理されるかも、監査法人内での転用や監査法人業界全体での転用においても、大きな論点となるであろう。

<AIによる偏見、差別、バイアス>

ダイバーシティ・エクイティ・インクルージョンは、経営の効率性のためではなく、人間の本源的権利に関わる問題に昇華されている現代において、偏見や差別の存在は知らなかったでは済まされない社会環境にある。

AIの利用においても偏見や差別の問題が取り上げられている。AIの導き出す結果は教師データ次第であり、利用する教師データ自体の選定にバイアスがかかっていると、優秀なはずのAIがとんでもない愚かな回答を出してしまう事例が実際に発生しているのである。

AIは、例えば、司法分野では陪審員の判断に資する情報として被告の再犯予測、企業の人事採用分野における優秀な人財の見極め、医療分野における健康診断など、人間が行う非常に重要な判断業務に深く影響するレベルに至っている。

監査業務においてもAI育成における教師データのバイアスの影響は大きく、今後さらに広く利用されるため、AIに係る倫理やガバナンスを整備し、監査人のスキルを補完するAIに誤ったバイアスがかからないように細心の注意を払う必要がある。

Ⅶ 監査法人業界のインフラ強化

監査意見の価値の源泉は「独立性」を基盤とした客観性にあり、監査業務における企業からの情報提供には「情報セキュリティ」の安全性確保が大前提となる。

監査人は独立性を保持するために、株式の保有に限らず様々な利害について制限が設けられており、求めに応じて証明できるように、継続的にシステムによって監視されている。また、グローバルベースで被監査会社への同時提供禁止業務の制限が遵守されていることを確認するため、ネットワークファームに加入している各国の監査法人は例外なくグローバルの方針に準拠している。

また、監査において被監査会社から預かった情報を外部に漏洩することがなきよう、365日24時間体制の、万全なインフラ整備が必要である。IoTの普及による攻撃対象の増加とともにサイバー攻撃(ランサムウエアなど)が世界中で増えている。監査法人も例外ではない。昨今のサイバー攻撃の増加やクラウド利用によるシステムの高度化などにより、情報セキュリティ機能を維持するためには複雑、高度かつ強靭なシステム体制が必要になっている。そのためセキュリティに対するシステム投資やIT人財投資は持続的に強化を図っている。近時のシステム障害は広範で規模が大きくなる傾向があり、万が一にも障害が発生すると多くの監査業務において監査意見が発行されず資本市場全体が機能不全に陥るというリスクシナリオは、重く捉えておかねばならない。

2021年6月より、その原因の如何を問わず、監査法人が現に使用しているシステム・機器(ハードウエア、ソフトウエア共)に障害が発生した場合や、サイバー攻撃の予告があり障害が発生する可能性が高い場合など、障害等を認識次第直ちに、第一報を金融庁と公認会計士協会に報告する対応が求められているのも、昨今のシステム障害の影響の甚大さに対応したものであると理解している。

 

執筆者:稲垣 浩二(いながき こうじ)

有限責任監査法人トーマツ 包括代表補佐。
公認会計士、公認不正検査士、公認内部監査人。
1984年トーマツ入所。1996年ニューヨーク事務所に赴任。2000年帰任後、2013年執行役、2015年ボードメンバー、2018年包括代表補佐に就任し現在に至る。
著書は、「"企業文化"の監査プログラム」(同文舘出版)、「不正会計防止プログラム」(税務研究会出版局)。

※執筆者の所属・肩書は執筆当時のものです。

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