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Industry Eye 第16回 マニュファクチャリング(化学セクター)

大手化学企業のROEについて

近年、日本企業の経営指標として、株主資本利益率(ROE:Return On Equity)が以前に比べてより重要視されてきたことを踏まえ、日本の大手化学企業のROE情報を整理し、主要な論点について考察を行います。

Ⅰ. はじめに

近年、日本企業の経営指標として、株主資本利益率(以下ROE:Return On Equity)が以前に比べてより重要視されてきていることは周知のとおりである。この背景は一般に広く議論されているためここでは詳しく述べないが、日本企業の国際競争力の低下への懸念がその根底にある。官民一体で日本企業の競争力の維持・向上について議論が行われた一つの帰結として、株主の満足度を高めることが競争力の強化に繋がるとの認識が広がり、株主価値の代表的な経営指標であるROEが改めて注目を集めているといえるだろう。

これは化学セクターも例外ではない。むしろ、化学セクターはグローバルな経営環境の激変に直面している代表的な業界である。例えば、汎用石化事業は新興国企業の勃興や北米シェール革命の影響を受けて、近い将来に厳しい事業環境になると予想する声が多い。また、既に高い収益性を実現している欧米の大手化学企業も競争力の強化に余念がなく、ダウケミカルとデュポンの経営統合報道に象徴されるように、日本では想像しがたいほどドラスティックな再編を実行している。

本稿は、上記を踏まえて、日本の大手化学企業のROE情報を整理し、主要な論点について考察する。なお、ROEは複数存在する経営指標の一つであるため、企業活動とROEの関連性については、筆者の推察が含まれていることについて、あらかじめお断りする。
 

II. ROEの構成要素と経営課題

大手化学企業のROEについて議論する前提として、ROEの構成要素について簡単におさらいしたい。ROEの構成要素と経営課題は、下記の図1の通りである。ROEの構成要素は比較的複雑であり、単純に比較できるもの(ただ高ければ良いもの)ではないことが分かる。例えば、これまでROEを重視しない理由として、財務健全性の毀損を意味する財務レバレッジの上昇が、結果としてROEを改善することが挙げられていた。日本の化学企業の経営陣の発言等でも、目先のROE改善にこだわらない中長期的な戦略の重要性を示す声が聞かれる。

図1:ROEの構成要素と経営課題 参照

大手化学企業における要因分析

設備産業である大手化学企業に限った議論では、図1のうち、総資産回転率と財務レバレッジは、少なくとも既存事業に関しては、大幅に変動することは想定し難いとの意見が聞かれ、ROE改善の施策は、売上高利益率の改善に依存するとの意見もある。その背景は、総資産回転率については、売上高と総資産という多額の財務数値を基礎とするため変動の余地は少なく、各社のばらつきも大きくないと考えられている(一般に言われる、製造業の総資産回転率1.0近傍(資産=売上高)の法則が、ある程度あてはまることが想定されている)。また、財務レバレッジについては、既に最適資本構成に近い水準を維持していると考えられ、大幅な変化は想定しにくいとの考えもある。

その意見は、総論としてある程度正しいと思われるが、個別企業の議論では、やはりそれぞれの要因ごとに戦略が設定されている。また、実際の総資産回転率や財務レバレッジの安定性は既存事業に関する議論であり、大型のM&Aを実行する場合は、多額ののれんや資金調達方法によっては、総資産回転率や財務レバレッジも著しく変動する可能性は否めない。

そこで、次項では、実際のデータに基づき個別企業のROEを考察したい。さらに大型のM&AがROEへの重要な影響を与えることから、M&AとROEの関係についても考察する。

図1:ROEの構成要素と経営課題

出所:デロイト トーマツ ファイナンシャルアドバイザリー合同会社作成

III. 大手化学企業のROE

大手化学企業のROEと構成要素は、以下のとおりである。

図2: 大手化学企業のROEと構成要素 参照

ROEの要因分析

総資産回転率と財務レバレッジについては、ROEとの相関はみられず、業種特性や最適資本構成を維持するために変動させにくいことを示唆している。よって、ROEを改善するには、まず売上高利益率の改善に取組んでいくことになると考えられる。
 

個別企業の取り組み

しかしながら、個別企業に目を向ければ、総資産回転率や財務レバレッジについても、中長期的に取り組む動きがみられる。2020年の中長期目標にROE目標やその各構成要素まで開示している企業は多くないが、ROE・売上高・当期純利益の2020年目標を開示している三菱ケミカルホールディングスと昭和電工を例に挙げて考察したい。

まず、両社に共通することとして、売上高利益率の重要性が高いことは、図3のとおり、総資産回転率と財務レバレッジを実績値で固定したとしても売上高利益率が目標値を達成すればROEが大幅に改善することからもうかがえる。昭和電工についてはROEが目標値を上回る結果となる。しかし、両社とも売上高利益率だけでROEの目標値を達成する計画ではない。

図3:ROE長期目標の試算 参照

三菱ケミカルホールディングスの中期経営計画の「ROE経営の考え方」では、「不採算事業整理、在庫圧縮、政策保有株削減、運転資金圧縮等」の施策により総資産回転率を上げ、さらに財務体質を強化(レバレッジは低下)したうえでROE向上を目指す考え方が示されている。実際に、同社の財務レバレッジは業界平均に近いものの、業界平均を若干上回っており、日本を代表する化学企業としてさらなる拡大を目指すために、財務の健全性を維持し大型買収余力を維持することは重要であろう。

また、昭和電工は、業界平均に比べて総資産回転率が低く、財務レバレッジが高いことから、売上高利益率の改善だけではなく、資産効率性と財務健全性の向上に対して同時に取り組みながらROE目標の達成を目指すと推察される。同社の中期経営計画では、ROEに関する個別戦略までは記載がないが、「ROIC(投下資本利益率)による事業管理の徹底」などからその意図が読み取れる。

その他の企業は、中期経営計画で明示的にROEの中長期目標を開示している訳ではないが、各要素を業界平均と比較することで、ROE改善への課題が推察できる。例えば、総合化学企業に関しては、住友化学は特に総資産回転率が低いことが目立ち、旭化成は比較的高いROEを実現しているが財務レバレッジには若干の余裕があるようにも見える。また、三井化学は明確に売上高利益率の改善が喫緊の課題であり、ROEの目標数値はないが2020年の売上高利益率として2.8%で安定した黒字化を目指す計画を示している。 

図2:大手化学企業のROEと構成要素

出所:各社有価証券報告書より、デロイト トーマツ ファイナンシャルアドバイザリー合同会社作成
 

図3:ROE長期目標の試算

出所:各社中期経営計画より、デロイト トーマツ ファイナンシャルアドバイザリー合同会社作成

IV.M&Aの活用

M&Aは、ROE向上に向けた有効な施策の一つであり、ROEが向上するためには、これまで議論した構成要素から以下の要件が考えられる。

  1. 売上高利益率:
    買収対象企業の収益性(投資額ベース)が、既存値または目標値を上回る
  2. 総資産回転率:
    買収対象企業の効率性が、連結ベースで既存値または目標値を上回る
  3. 財務レバレッジ:
    買収スキームの財務レバレッジが、既存値または目標値を上回る
     
M&A事例

2010年以降に大手化学企業が実施した大型のM&Aは、図4の通りである。M&Aは、ROE改善のみを目的に実施される訳ではないが、大型の案件となれば、イノベーション分野を中心にROEの改善を視野に入れた案件が多いことがうかがえる。大型のM&Aのような重要な意思決定では、ROEの構成要素を意識せざるを得ないことが推察される。

図4: 大手化学企業の大型M&A(2010年以降) 参照

売上高利益率については、利益率の高い企業を買収対象とするとは論を待たないが、買収対象事業の多くが、LiB(リチウムイオン電池)、ヘルスケア関連、シェールガス関連といったイノベーション分野であることが注目される。大型のM&Aについては、足元の利益率の改善を目的とするよりも、成長領域や川下分野に経営資源を投入し、構造改革を実現することにより中長期的に高い利益率を実現する戦略であると推察される。

総資産回転率については、すべての案件を詳細に検討することは難しいが、大型案件の場合は連結決算上は対象会社の貸借対照表に計上されていない無形資産やのれんが認識されることが予想されるため、一時的には悪化する可能性がある。連結化において会計上無形資産に配分することを、PPA(Purchase Price Allocation)という。近年はPre PPAという用語が定着し、買収前に無形資産の償却インパクトを試算するなどして、事前にROE等への影響を分析する例も増えている。

財務レバレッジについては、大型案件の場合は、外部借入による多額の資金調達を行い財務レバレッジを押し上げる例が多い。例えば、旭化成は、2015年5月の中期経営計画では、2014年度のD/Eレシオが0.25であるのに対して、2015年度はポリポア買収の影響で0.4に増加することが計画されていた。

図4:大手化学企業の大型M&A(2010年以降)

出所:レコフM&Aデータベースより、デロイト トーマツ ファイナンシャルアドバイザリー合同会社作成

V.その他

大型M&Aをみると、短期的にはROEを低下させる傾向がみられることから、大手化学企業各社は、中長期的な成長を達成するためのM&Aと同時に、低・不採算事業に対する再生・再編などに取組むことで、短期的にROEの維持・向上に取組んでいく必要がある。例えば、汎用品事業の強化が挙げられ、本誌では紙面の都合上詳しく論じないが、エチレンプラントの統廃合等(Industry Eye 第2回参照)、化学産業以外も巻き込んだ水平型の事業統合の活発化が予想される。同業他社と事業や設備を共有することで、場合によっては当該事業を連結対象外とすることにより、ROEを改善する動きが生じてくると予想される。

VI.おわりに

ROE経営は、目先のROEを技術的に改善することではなく、「ROEの質」を意識しながら株主価値を向上することである。ROEの注目が集まるなかで、本稿が「ROEの質」を意識するきっかけになれば幸いである。また、デロイト トーマツ ファイナンシャルアドバイザリー合同会社は、さまざまな分野において、企業のROEの質的向上の支援を行っていきたいと考えている。

 

※本文中の意見や見解に関わる部分は私見であることをお断りする。


デロイト トーマツ ファイナンシャルアドバイザリー合同会社
マニュファクチャリング(化学セクター)担当
ヴァイスプレジデント 佐々木智浩

(2016.3.28)
※上記の社名・役職・内容等は、掲載日時点のものとなります。

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