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病院会計監査人の1年(12話)

今回のテーマ『病院のM&A2』

医療法人トーマス(一般200床)に対して会計監査を行うロイト監査法人の公認会計士 間岩秋吉の視点を通じて、外部の目から見た財務会計上のポイントや留意点をケーススタディの形で解説します。

1.ストーリー:病院のM&A その2

「間岩さん、その『気になるところ』って何なの?」事務長の等松太郎は、ロイト監査法人の間岩秋吉に答えを促した。

「ええ、そもそも医療法人トーマスは200床ですが、多くの救急患者を受け入れており、この地域における中核的な急性期病院ですよね。それに対して今回買収提案をしてきたヤオ・ヘルスケアグループ(YHC)は全国で多くの急性期や療養型の病院を運営しています。このYHCのグループに入ることで、医薬品や診療材料の集中購買などによるコスト削減や人員の安定的な確保といった効果が考えられます。ただ、医療法人トーマスと同じ診療圏においては、YHCの施設は存在していないので、病病連携など直接的なシナジーは考えにくいと思います。それに、このYHCの財務資料を見る限り、財政状況はあまり芳しくないようですね。」間岩は等末太郎が理事長経由で入手したYHCの財務資料に目を通しながら等松太郎の質問に答えた。

「確かにうちの財務内容と比べると、かなり借入金が多く、債務負担が重たいようだね。」事業会社出身の等松太郎も、YHCの厳しい財務内容には気づいていたようである。

「・・・今回の監査で医療法人トーマスの多くの医療スタッフの方にヒアリングを実施させていただきましたが、ほとんどの方がこの地域の急性期医療を支えているという高い意識を持っている印象を受けました。それはまさに医療法人トーマスの理念が現場に浸透しているからだと思います。・・・」そこまで言いかけて、間岩は言葉を続けることを止めた。

「間岩さん、監査法人がクライアントの経営に直接関与できないのは知っているし、だから経営に関する発言に躊躇しているのも理解できる。ただ今回は会計士としてではなく、間岩さん個人としてどうしたらいいか意見を聞かせてくれないか。」

「間岩君、私のローンもかかっているの。お願い!」石上も違う意味で間岩に回答の続きを促した。

「・・・わかりました。あくまで個人的な意見ですが、理事長の事業承継の問題、職員の地域の急性期病院を支えるという意識、YHCの財務状況等から考えると、YHCの買収提案を受け入れるよりはむしろ・・・」

***

「なに?YHCの買収提案を受け入れるのではなく、社会医療法人を目指すべきというのか」理事長は等松太郎の予想外の提案に非常に驚いた様子で声を発した。

「はい、当法人は、もともと社会医療法人への移行要件である救急要件は余裕で満たしているうえ、看護配置基準を7対1に引き上げてDPCへ移行した後は財務内容はかなり安定してきています。また、MS法人との取引も前回の事故後は正常化していますので、これが問題になることはないと考えます。税務上も法人税や住民税の非課税措置、救急医療にかかる固定資産取得税や固定資産税も非課税となるため、財務内容はさらに安定します(解説参照)。

財務内容が不安定なYHCに買収されるよりは、社会医療法人として地域の中核急性期病院として安定的・継続的に医療を行っていくべきです。」等松太郎は事前に間岩秋吉から聞いた内容を理事長に説明した。

「等松君の言うことは理解できる。しかし社会医療法人になると自分の持分も放棄しないといけなんだよなぁ。」

等末太郎と同席していた石上は、これまでのやり取りを黙って見守っていたが、理事長の発言を受けて、一気に爆発したように理事長に詰め寄った。

「なに、なさけないことを言ってるのよ!昔から私に『この病院がこの地域の急性期医療を支えるんだ』って言ってたの、お父さんじゃないの!」

「・・・お父さん?」等松太郎は石上の突然の発言に言葉を失った。

「明子・・・、等松君、君の提案はよく分かった。少し時間をくれないか。ただ、理事会にも説明できるよう資料のほうは準備しておいてくれ。」

***

「事務長から聞きましたよ。石上さんって理事長の娘だったんですね。」間岩は会議室でお茶を持ってきた石上に話を向けた。

「シーッ、あまり大きな声で言わないでくれる。病院内では誰も知らないんだから。こっちもいろいろ複雑な事情があるのよ。」

間岩があまり深入りしないよう話題を変えようとした矢先、『コンコン』とノックとともに、等松太郎と間岩秋吉の上司である青木裕子が入ってきた。

「げ、青木」

露骨に嫌な顔をした石上を気にすることもなく、青木は間岩に話を始めた。「間岩君、等松さんから聞いたわよ。クライアントの役に立っているようじゃない。」

「いえ、あくまで私見を言っただけで、クライアントの意思決定には携わっていません。」間岩はあわてて青木に言い訳を始めた。

「クスッ、間岩さん、今日、理事長が正式にYHCからの買収提案を断ったよ。それと社会医療法人への移行も決まった。」等松太郎は間岩と青木のやり取りをおかしそうに見ながら言った。

「それは大きな意思決定をしましたね!」

「それとね・・・」突然、青木は顔を赤らめて、言葉を切り出した。「医療法人トーマスのM&Aは見送りになったけど、私たちのM&Aが正式に決まったの。」

「・・・青木さん、話が見えてこないんですけど。」

「だから、等松・青木のM&Aよ。」

「青木さん、それじゃ分かりにくいよ。僕から話す。間岩さん、石上さん。今度僕と青木さんは結婚することになったんだ。」

 「えーーーーー!!!」突然の告白に間岩と石上は同じタイミングで驚きの声を放った。

「そういうことで私と医療法人トーマスとは利害関係ができてしまうので、ここの監査に関与できなくなるの。今後は間岩くんが主任として引き続き関与する形になると思うわ。」

「間岩さんなら心強いね。お手柔らかに頼むよ」

妙にテンションの高い二人を尻目に、間岩と石上は声を失ったままだった。

***

「石上さん、行きますよ。お祝い会もう始まってるんですから。」間岩が急かすように石上を促したが、石上は、なかなか動かなかった。

「それにしても、今思うとお二人はお似合いですよね。でも監査はちゃんとやってましたからね。ご心配なく。」

間岩の無神経なコメントにがっかりしながら、石上は聞こえないように言葉を吐いた。「もう、間岩君で我慢するわ・・・」

「何か言いました?」 間岩が言葉を発した瞬間、間岩の携帯が鳴り出した。

「すみません。『・・もしもし、ああ、加奈子?うん、今日はクライアントと食事して帰るから遅くなるよ。うん、よろしく』・・ん?石上さんどうしました?」

「だれ、加奈子って。」

「あれ言ってませんでしたか?僕の嫁です。って石上さん?大丈夫ですか?なんか怒ってません?」

「もう知らない。もうひとつ投資マンション買うことにするわ!」

「石上さん、待ってくださいよ。突然どうしたんですか!石上さーん」

***

数年後。「今日から、会計監査がスタートか・・・」 小川鶏輔は 、そうつぶやきながら、前日の雨でぬかるんだ歩道をぬけて、上司の間岩秋吉と二人、監査先である社会医療法人トーマスへと足を進めた。(終)

 

2.解説:病院のM&A その2(社会医療法人への移行)

今回、医療法人トーマスは事業承継への対応として社会医療法人への移行を選択しました。社会医療法人は、持分放棄により贈与税の課税を受けることなく、持分のある経過措置型医療法人から持分なしの医療法人へ移行するとともに、一定の認定要件を満たすことで法人税、所得税等が非課税となります。そのため、近年では事業承継の選択肢の一つとして社会医療法人への移行を選択するケースも増えてきているようです。また、等松太郎が理事長に説明したように、税務面での恩恵(図表1参照)により、病院経営、特にキャッシュ・フローの面でプラスとなります。ただし、社会医療法人への移行後に社会医療法人の認定を取り消された場合、過去に遡って税金を支払う必要が出てくるため(図表2)、社会医療法人への移行については、将来の医療提供体制等も考慮して慎重に判断する必要があります。

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※本記事はデロイト トーマツ グループ ヘルスケアセクター担当者が執筆し、野村證券㈱のFAX情報として2012年から2013年まで連載されていた「病院会計監査人の一年」を最新の情報を盛り込み再構成したものです。

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