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『日本企業はTPPをどう活用すべきか』 ~経営戦略に与える影響を協定文から読み解く~ 第1回

(物品市場アクセス、原産地規則)

TPP交渉参加国は、現在、個別の条文の精査などの専門的な作業を進めており、2016年2月にも協定本文とその附属書に署名する見通しとされる。世界の国内総生産(GDP)の約4割を占める、人口8億人の巨大な自由貿易圏がその実現に向けた一歩を踏み出した。本シリーズでは、TPP協定文を読み解き、経営戦略に与える影響と具体的な活用方法を紹介する。第1回目となる今回は、物品市場アクセスと原産地規則について解説する。

はじめに

環太平洋パートナーシップ(TPP)協定交渉に参加した12カ国は2015年10月5日、交渉が大筋合意に達したことを発表した。TPP交渉は、2006年に発効したニュージーランド、シンガポール、ブルネイ、チリの4カ国間の環太平洋戦略的経済連携協定(P4協定)をもとに開始された。2010年3月から米国、オーストラリア、ペルー、ベトナムが交渉に参加し、最終的にはこれにマレーシア、カナダ、メキシコそして日本を加えて交渉が重ねられた。米国にとっては交渉に参加してから5年半、そして2013年7月に交渉に参加した日本にとっては2年余りに及んだ交渉は、ようやく実質的な妥結を迎えることとなった。

TPP交渉参加国は、現在、個別の条文の精査などの専門的な作業を進めており、2016年2月にも協定本文とその附属書に署名する見通しとされる。世界の国内総生産(GDP)の約4割を占める、人口8億人の巨大な自由貿易圏がその実現に向けた一歩を踏み出した。

本シリーズでは、TPP協定文を読み解き、経営戦略に与える影響と具体的な活用方法を紹介する。第1回目となる今回は、物品市場アクセスと原産地規則について解説する。

1. TPPの意義(その1)

i. 日米の先進経済圏とアジア新興市場をそれぞれ繋ぐ市場アクセス改善・ルール整備

TPP実現によって日系企業が享受する最も直接的なメリットは、これまで日本との間で自由貿易協定(FTA)・経済連携協定(EPA)(以下、あわせて「FTA」に統一)が無かった国から新規の特恵条件を得ることである。この最たる例が世界最大の経済大国である米国への輸出条件改善であり、他にもカナダ等の大市場へのアクセス改善が挙げられる。

同時に、これまで日本がFTAを締結してきたベトナム等の新興国との間でもTPPによる関税削減で更なる輸出条件改善が得られることになったことに加え、それら日系企業の拠点が多い新興国から米国等の先進経済圏への市場アクセスも改善されることとなる。

TPPに包含されるルールの範囲は、これまでの貿易協定に比し、より包括的であることにも注視する必要がある。関税撤廃による貿易の促進に加え、通関手続きの簡素化やビジネス関係者の入国手続きの円滑化など、国境を越えた経済活動を活発化させる諸種のルールがTPPには埋め込まれている。

 

ii. 巨大自由貿易圏を生み出すTPPは21世紀の通商協定モデルとなる可能性

貿易交渉をめぐる歴史的文脈において、TPPをその先達と比較しておくことが、TPPの意義を正確に理解するために役立つ。周知のとおり、2001年に開始し、160カ国が参加した世界貿易機関(WTO)の多角的通商交渉(ドーハ・ラウンド)は、先進国と新興国の対立などが原因で長期に渡り停滞し、2015年現在、未だにその妥結の目途は立たずにいる。こうした停滞を受け、全世界的な貿易ルールの形成を目指していた各国がWTOに代わって注目しはじめたのは、二国間または地域で個別にルールの取り決めをおこなうFTAであった。FTA交渉への期待が高まった背景としては、限定された交渉参加国の間の議論となることから妥結への道のりがWTOよりも短いことに加え、その国・地域で活動するビジネスの関心にテーラーメイドで応える協定の設計が可能なことが挙げられる。

FTA黎明期の1990~2000年代は、FTAへの期待は所謂「貿易自由化」すなわち関税撤廃・削減に偏重してきたが、各国がFTA交渉の経験を重ねるにつれ、企業の関心はより広範なルール分野にも及ぶようになった。すなわち、関税などの物品貿易障壁の削減に留まらず、通関手続きの簡素化や、サービス・投資の自由化と円滑化、さらには規制・制度の国際的調和を含む広範囲な規制・制度環境の整備が政府間交渉に求められてきた。

アジアにおいては、2005~2010年に連続して締結された所謂「ASEAN+1」FTAと呼ばれる、ASEAN10ヶ国をハブとして「+1」である中国・韓国・日本・インド・オーストラリアおよびニュージーランドがそれぞれASEANとの間でFTAを締結した頃に、各国が二国間・地域のFTA交渉の経験を重ねることとなった。

アジアで各国が次々とFTAを締結することで、次第に交渉の範囲は前述の「交渉分野の広がり」に加え、「地域的な広がり」も見せることとなる。そこで立ち上がったのが、アジア大洋州を広範に連携させるTPP交渉だ。TPP参加国の数は現状では限定的だが、TPPをもとに、アジア大洋州を包括的に対象とする経済協力の枠組みであるアジア太平洋地域協力(APEC)を対象とする統一的なルールを作ることができれば、WTO交渉の停滞を補う大きな成果となり得る。このことからTPPは、旧来の世界統一のルールづくりを目指した国際レジームであるWTOの代替となる「21世紀型の通商協定のモデル」と目されてきた。

1. TPPの意義(その2)

iii. 日本にとって多国間協定推進のための武器となりうるTPP

TPPは「21世紀の世界経済のルール(オバマ大統領)」となることを目指し、これまでアジアが過去の「ASEAN+1」FTA等で実現してきた協定内容に比べると、交渉当初から貿易・投資の自由化に対する要求水準が高かった。これにはまず、TPPの前身であるP4協定の加盟国(ニュージーランド、シンガポール、ブルネイ、チリ)がそれぞれ産業構造上、高い自由化を可能とする経済圏だったことから、自ずとTPPも高い水準の自由化レベルを目指すことになった経緯がある。これに米国のアジア大洋州に対する野心的なルール形成の思惑が相まって、TPPは今回合意内容として発表されたような高水準の自由化を約束する協定となった。

TPPの制度設計や個別条文は他の広域FTAの交渉でも参照される可能性が高く、特に日本にとっては、現在進められている三地域での広域FTA、すなわち (1)日本-EU間のEPA、(2)東アジア地域包括的経済連携(RCEP)、(3)日中韓FTA、の各交渉に対し、日本が自国に有利な条件を打ち込んで行くための一つの「武器」を手に入れたという点にも、TPP大筋合意の意義が認められるだろう。

安倍首相と中国の李克強首相、韓国の朴槿恵大統領は11月1日、約3年半ぶりの日中韓首脳会議の場で、日中韓FTAに関し、交渉を加速していくことで一致したと報じられている。日米が主導する「最も高い水準」とされるTPPの大筋合意を背景に、安倍首相が中韓首脳に対し、「包括的で高いレベルのFTA実現」を訴えた結果、共同宣言に交渉を加速する旨が盛り込まれるなど、TPPの大筋合意成立を一つの梃子とした他の通商交渉への波及効果が期待されており、この点にもTPP大筋合意の意義が認められる。


iv. TPPの発効には、日米の国内手続き完了が不可欠

なお、TPPは、全ての原署名国が国内法上の手続きを完了した旨を書面により通報した日の60日後に効力が生じる。全ての参加国が、署名の日から2年以内に国内手続きを完了した旨を通報しなかった場合には、原署名国のGDPの85%以上を占める少なくとも6ヶ国が国内手続きを完了すれば、効力が生じる。

TPP交渉参加12か国のGDPの合計は約3100兆円1であり、このうち、米国が約60%、日本が約18%を占めているため、米国及び日本の国内手続きが終わらない限りは、TPPは発効しない仕組みとなっている。

1 内閣官房TPP政府対策本部資料より

2. 物品市場アクセス(関税撤廃・削減)(その1)

物品市場アクセスすなわち物品貿易の自由化(関税撤廃・削減)は、TPPのビジネス影響のうち最も直接的に企業収益向上に資するメリットだ。これを正しく理解し、TPPを使いこなすための準備に入るのが2016年という年の最初のアクションとなる。

i. 過去にないハイレベルな貿易自由化。自社製品の関税削減方法は個別に分析が必要

TPPにおける日本の関税撤廃率は、品目数ベース、貿易額ベースのいずれでも95%である。工業製品に関しては、品目数ベース、貿易額ベースで100%の関税撤廃となり、そのうちの即時撤廃率は、品目数ベースで95.3%、貿易額ベースで99.1%である。

これは、日本が直近で締結した日豪EPA(2015年1月発効)における関税撤廃率(品目数ベースで88.4%、貿易額ベースで93.7%)と比較しても高水準である。2015年6月に調印された中韓FTAの合意内容も、「高水準」と発表されているものの、物品貿易の自由化率は品目数の90%、貿易額の85%超であり、TPPの水準には届いていない。

日本以外のTPP参加国では、米国、オーストラリア、ニュージーランド、シンガポール、チリ、マレーシア、ブルネイ、ベトナムが、品目数ベース、貿易額ベースともに100%の関税撤廃を約束した。

ただし、ここで挙げた自由化レベルはあくまでも国総体としての合計値であり、企業が理解すべきは「自社の製品が」「いつから」「何パーセントになり」「どうすればそれを活用できるか」だ。ここで留意が必要なのは、TPPを含むFTAの関税撤廃・削減は、各国それぞれ約1万品目に分類される関税番号(HSコード)毎にその関税率の削減方法(ステージング)は異なること。公開されたTPP協定とその附属書を理解し、過去に締結された別のFTAとTPPのどちらを活用すべきかの判断が必要だ。これは実は企業にとって容易でない分析作業となる。しかしながらこの正確な理解なしに、当期の関税コスト削減はできない。またさらに、将来関税率の正しい理解なしに、拠点戦略や投資計画を立てることは大いなるリスクを孕んでいる。(これに向けたソリューションについてはTrade Compass®をご参照ください。)

 

ii. 日本が初めてFTAを締結する米国・カナダへの輸出条件に関してEUや韓国を逆転

前述のとおり、TPP実現によって日系企業が享受する最も直接的なメリットは、これまで日本との間でFTAが無かった国から新規の特恵条件(低関税率の適用)を得ることだ。この最たる例が世界最大の経済大国である米国への輸出条件改善であり、他にもカナダ等の大市場へのアクセス改善が挙げられる。

これまで日本の企業は、「FTA先進国」たる韓国に立地する企業に比べて相対的に不利な条件で米国・カナダ(そして現時点ではEUも)へ輸出せざるを得なかった。これがTPPの実現により、総体として日本からの輸出条件のほうが好条件(特に即時撤廃率の観点)となることとなる。

具体的には、年間2兆円規模で米国へ輸出している自動車部品に関し、現行では主に2.5%の関税が課せられているが、このうちの8割以上が即時撤廃される。これは、米韓FTAの内容を上回る水準である。カナダについては、カナダ向け輸出の約3割を占める自動車に対して、現行で6.1%の関税が、5年で撤廃される。これは、カナダ・EU FTAにおける8年目撤廃を上回る水準である。

2. 物品市場アクセス(関税撤廃・削減)(その2)

iii. 一部品目では期待に満たない結果。だが視野を広く持てば自社に適用可能な関税削減あり

この中で例えば、米国が国内産業・雇用を維持する観点からTPPにおける日本からの輸入に対して特に保護的な姿勢を貫いた乗用車については、2.5%の関税を韓国からの輸入に対して発効5年後(2016年)に撤廃するのに対し、日本からの輸入に対してはTPP発効25年後の撤廃となるなど、部分的には産業界の期待に対して十分でない自由化となった。それでも、そもそも工業製品についてはTPP交渉前から日本側は関税ゼロであるなか、今回TPP交渉によって米国やカナダから獲得した関税撤廃・削減は現状のビジネス環境を確実に改善する方向であることは間違いない。

また、TPP交渉の結果を読み解くに際し陥ってはいけないのが「日本からの輸出条件」に限った一喜一憂だ。TPPはこれまで日本がASEANと結んだ経済連携協定(AJCEP)のような共通譲許方式(締約国のどの国からの輸入に対しても原則同一の関税率を付与するもの)ではなく、11の交渉相手国(TPP協定下での輸入国)それぞれに異なる関税率が適用されるケースがある。例えば、ボイラーの米国への輸出について、現行では3.3%の関税が課せられているが、TPPにおいて日本からは5年目撤廃という条件に留まったところ、マレーシアからは即時撤廃というように、日系企業が拠点を多く持つ海外のTPP締約国からの輸出についてはメリットが獲得された品目も存在する。自社のTPP影響を分析するに際しては、個別の品目に注視するだけでなく、全拠点と各市場それぞれのサプライチェーンに分解して考える必要がある。

 

iv. これまで既にFTAを活用していたベトナム・豪州等向け輸出もTPPで条件変更の可能性

TPPがもたらすもうひとつの物品市場アクセスのメリットが、これまで既にFTAを結んでいる国から新たな関税撤廃・削減を得たことだ。これはこれまで日本がアジアで締結してきた経済連携協定に比してTPPが要求する自由化が過去のFTAよりも高い水準であることから実現されたものである。

具体的には、例えばベトナムへの3,000cc超乗用車は現行で最高64%の高関税であり、これまでの日・ベトナムFTA(日越EPA)やAJCEPでは「再協議」「MFN (WTO加盟国に広く適用される高関税)を維持」という条件に留まっていたものの、TPPにより10年目の関税撤廃となる。合成繊維の織物についても、日越EPAでは、2025年4月までの関税撤廃であったが、TPPによって即時撤廃される。

また、オーストラリアへも同じく主力の乗用車・バス・トラックの関税率(現行5%)関して、日豪EPAでは1.7%という条件であったが、TPPでは現行関税率が即時撤廃となる。

このように既存の経済連携関係のいわば「深掘」といえる市場アクセスの更なる改善を受けて、各社の現行サプライチェーンにおける活用FTAの切り替えや新たな関税条件下における取引価格の見直しなどがTPP発効後には求められることとなる。

【TPPにおける主な関税削減・撤廃】

※1 米国向けギアボックスのうち、HSコード:84834090のみ10年目撤廃
※2 中古車のみ、1台あたり12,000ドルの税は残る

2. 物品市場アクセス(関税撤廃・削減)(その3)

v. TPPで初めて日本側の関税撤廃・輸入コスト低減となる食品等の国内競争環境が変化

TPPの発効により、日本への輸入全9,018品目のうち最終的に関税が残るのは農林水産物の443品目のみとなる。農林水産物(全2,328品目)に絞って考えると、既存のFTAでも関税削減・撤廃に応じていなかった834品目のうち395品目の関税が撤廃される。TPPにおいては、いずれの締約国も、他の締約国向けの農産品に対する輸出補助金を採用し、又は維持することができない旨が規定される一方、セーフガード・関税割当の制度は許容される。農林水産物における重要5品目(コメ、麦、乳製品、牛・豚肉、砂糖)については当該制度を含めた関税障壁が維持されるが、国別枠の増設や制度内での関税削減により価格は低下する可能性が高い。

食品加工業にとっては原料の調達コストが低下することになるが、一方で完成品の輸入関税(価格)も低下する。日本国内市場で、国内外のどのプレーヤーとどのように競合するかの分析と、競争を勝つためにTPP参加国を含めたグローバルでのサプライチェーンをどのように構築すべきかの検討が早急に求められる。

 

vi. 輸出入制限の禁止等について明文化。ベトナム鉱物資源やマレーシアの輸出税が一部撤廃

内国民待遇及び物品の市場アクセス章においては、関税の撤廃・削減以外にも、内国民待遇、輸出入制限の禁止、輸入許可手続に関する協定に適合しない措置の禁止、輸出許可手続きの透明性の向上、輸出税、租税その他の課徴金の禁止等が規定されている。

輸出税には、国内の徴税機能が不十分な途上国の財源としての機能や、自国産の原材料の輸出を抑制することによって加工産業を育成し競争力を維持する機能、国内資源の枯渇防止等の機能がある。

ベトナムでは、現在、鉱物資源、金属、ゴム製品を中心とした118品目2に輸出税が課されている。TPPによって、例えば、タングステンや亜鉛鉱等の一部の鉱物資源の輸出税が数年をかけて撤廃される。ただし、かねてから注視されてきた石炭や原油にかかる輸出税は引き続き維持される。

マレーシアでは、パームオイル、ゴム製品、鉄スクラップ、木材製品等に輸出税が課されている。TPP発効後も引き続き輸出税は残るものの、税率の上限が規定された。

2 JETRO資料より

3. 原産地規則及び原産地手続き

「原産地規則」とは輸出入する貨物の原産地(物品の「国籍」)を決定するためのルールであり、TPPにおける原産地規則及び原産地手続章では、TPPでの特恵関税率(交渉の結果削減されて実現した低い関税率)を活用して輸出入するための条件・手続きが定められている。

FTAにおいては必ず取り決めがある原産地規則ではあるが、TPPのような「広域FTA」ならではのルールについて理解を深めることは、交渉結果の関税撤廃・削減を享受することだけでなく、サプライチェーン最適化やコンプライアンス対応の観点でも極めて重要となる。

 

i. 「累積原産地規則」がアジア大洋州域内のサプライチェーンの自由度を高める

二国間FTAと違い、複数国間で締結されるTPPのような所謂「広域FTA」には一般に「累積原産地規則」というルールが適用される。これは「原産性」の判断の際に、締約国それぞれの加工工程で生じた付加価値を複数足し上げて(=累積して)計算する考え方だ。これにより、締約国が一体となった広域経済圏としてひとつの産品を作り上げ、それに低関税率を適用することが可能になる。

この制度を活用する事で企業がサプライチェーン設計の自由度を高める事ができる。

具体例を挙げる。TPPが実現する前の世界において、米国に乗用車を輸出する際、MFNが課される日本からの輸出でなく、関税が課せられない北米自由貿易協定(NAFTA)を利用すべく、メキシコから輸出するとしよう。ここでクリアしなければいけないNAFTA原産地規則は、「域内付加価値62.5%」という高い閾値だ。これを満たす為には相当部分の部材についてNAFTA締約国内のサプライヤから調達したうえでメキシコ工場にて組立をする必要があった。

それに対しTPPでは、日系自動車産業の拠点がより高密度に存在するアジア(TPP締約国)のサプライチェーンとメキシコを接続した形(付加価値を累積する)で「域内付加価値55%」という閾値を満たせば原産性を獲得し、最大の市場である米国に無税で輸出することができる。これにより、日本国内に高度な基幹部品の開発・生産を留めた形で北米向け製品のサプライチェーンを最適化したり、ベトナムやマレーシア等で築き上げてきた生産拠点の戦略的位置づけが高まることにつながると考えられる。

この観点で、「アジアのデトロイト」を標榜してきたタイが今後TPPに加入することになれば、日系自動車産業のアジア・北中米を跨ぐサプライチェーン戦略の選択肢がさらに豊富になることは言うまでもない。

なお、原産地規則の「累積」の考え方は、いま事例として挙げた自動車産業でよく活用される「付加価値基準」(原価に占める当該国/地域での付加価値価額の割合で計算)という原産性判定基準のみではなく、もう一つの主要な原産性判定基準である「関税番号変更基準」(当該国/地域に輸入された原料・部品と、そこで生産された完成品の関税番号を比較する方式)や、繊維等で採られる特殊なルール「加工工程基準」においても適用できるものだ。

これまでルールの難解さからあまり企業の理解を得てこなかったこの「累積原産地規則」だが、今後はその扱いに長けた企業とそうでない企業では、サプライチェーンの戦略性に大きな差が出るだろう。

 

ii. TPPの「完全累積制度」はこれまで日本が締結した広域FTAよりも原産性を獲得し易い

この累積原産地規則には「累積」の算出方法によっていくつかの種類が存在するが、今回TPPでは低関税を享受するための原産地規則を満たし易い「完全累積制度」が導入される。

今回TPPが実現する以前に日本が締結した広域FTAであるAJCEPにおいては、これより「厳しい」原産地規則が適用されていた。具体的には、当該輸出品に組み込まれる中間財が締約国原産を得られない場合、たとえその中間財の一部材で締約国内の付加価値が含まれていても、その部材の原産価格を当該輸出品の付加価値計算額に算入する事はできない規定(ロールダウン)が適用されていた。他方、TPPでは、複数の締約国において中間財が原産地基準を満たせない場合でも、中間財の原産価格割合を当該輸出品の付加価値計算額に算入する事ができる。これが「完全累積制度」である。

今回TPP交渉においては、前述の自動車分野において要求される付加価値基準が、日本がこれまでのASEANとのFTAで慣れてきた「40%」なのか最終的に決定された「55%」なのかで議論が重ねられたが、「完全累積制度」は企業がより原産性を獲得し易いルールであることに鑑みると、十分実現可能な数値と考えられる。

そもそも、TPPにおける原産地規則の目的は、域内の企業がTPPを使い易くすることもさることながら、第一には「TPP域外からのフリーライド(TPPルールへのタダ乗り)を防ぐこと」にある。即ち、例えばドイツと中国に大きな生産拠点を置く欧州自動車メーカーが、僅少な加工工程のみをTPP域内でおこなうだけで12カ国の交渉の成果であるTPP特恵税率を享受することを認めないことが狙いだ。こと自動車産業においては、日本やASEAN、米国やメキシコで大きな付加価値を創出している日系企業にとってのグローバル競争が欧州メーカーとの間でこそ熾烈であることを考えると、TPPで要求される付加価値閾値は一定程度高い数値であることが、むしろ日系企業にはプラスになると捉えることができる。

 

iii. TPPは原産地証明が「自己証明制度」。各社ともコンプライアンス対応等の体制整備が急務

FTAを利用し、関税の減免を受けるためには、貨物が原産地規則を満たしている事を輸入国当局に証明する必要がある。その証明を政府が認定するのではなく、企業自身が自己責任で原産確認し、申告する事ができる「自己証明制度」が今回TPPに適用される制度である。

日本がこれまでASEANと締結したFTAは「第三者証明制度」と言われ、日本から産品を輸出する場合は、日本商工会議所に原産性の判断を受けた上で輸出の都度、原産地証明書の発給を受ける必要があった。この為、企業は商工会議所に原産地証明書の発給を依頼し、承認を受けるまでに数日を要し、また1件でも最低2,500円以上の費用が発生している。加えて証明書は電子媒体ではなく現物となる為、企業が証明書を受け取る手間もかかっていた。

TPPでは生産者や輸出者、または輸入者自らが原産確認、証明書作成・申告する事ができる故に、原産確認から証明書作成までの期間短縮・発生費用の抑制に繋がる。
このような貿易手続き改善が期待できる一方、輸入国税関側からの問合せ照会に対応できる体制構築が企業に求められる。

自己証明制度が導入されることで、自社の生産・輸出条件が原産地規則を満たしてないにも拘わらず原産地証明書を自ら作成して申告する、所謂なりすまし企業が現れる事も考えられる。その為、輸入国側の税関は原産性を有しているか虚偽申告がないか検認(検証とも言う)する割合が増えると見込まれる。

第三者証明制度の場合、検認対応は商工会議所・自国政府と輸入国側税関で行っていたが、自己証明制度では企業自らが輸入国側税関からの照会を受ける事になる可能性がある為、原産性判断書類の保管を含め、コンプライアンス対応などの社内管理体制を十分にしておく必要がある。

また、第三者証明制度では商工会議所・自国政府が企業と輸入国側税関の間に介在する事で、企業の機密情報(原価・材料構成比率等)が他国へ漏洩するのを防ぐ役割を担っていた。しかし、自己証明制度(輸入者側の場合)では、輸入者(資本関係のない他社のケースも)が生産者・輸出者側の機密情報を求める事になる。この場合、生産者・輸出者側はこれら検認の際の情報を、輸入者(取引先)に対してではなく輸入国側の税関に直接情報を提出することができるが、公的な機関相手であっても機密情報を他国に流出させることはできる限り回避したいと考える企業も存在する。企業はこれら重要な機密情報の扱いについて社内で対応プロセスを十分整備したうえで自己証明制度を活用する必要がある。

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著者:デロイト トーマツ コンサルティング 執行役員/パートナー
レギュラトリストラテジー リーダー 羽生田 慶介
   
2015.12.16

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