Posted: 02 Mar. 2023 10 min. read

ヘルスケア領域におけるAI活用。その可能性と特殊性

Deloitte AI-fueled Organization│vol.4

課題山積の日本において、データにもとづく意思決定が状況を好転させる領域は多い。その時AIはどのように貢献できるのか。高齢者の増加・医療費高騰・財源不足など、ヘルスケアにも多くの課題があり、多くは単純に答えを提示すればよいというだけでなく行動変容を促すためのアプローチも必要であり、そこにもAI活用の余地があるという。また、今後さらに複雑なテーマに挑むとき、人間とAIの協調は欠かせず、そのとき変わるべきは、私たち日本人のマインドである。

 

AIの戦略的活用およびガバナンスに関する研究活動を行うプロフェッショナルネットワーク「Deloitte AI Institute」(DAII)所長の森 正弥と、デロイトの戦略コンサルティングプラクティス「モニター デロイト」の吉沢 雄介が、デロイト トーマツのオピニオンリーダーをゲストに迎え、日本企業のAI-Ready化に向けた重要な論点について語り合う対談シリーズ「Deloitte AI-fueled Organization」、第4回はモニター デロイトのヘルスケア ストラテジー領域のパートナーかつ、デロイト トーマツ コンサルティングのストラテジーユニットのリーダーである波江野 武にAIを通して実現するヘルスケア領域の今後について話を聞きました。

・ホスト:Deloitte AI Institute 所長 / デロイト トーマツ グループ パートナー 森 正弥
・ゲスト:モニター デロイト / デロイト トーマツ コンサルティング合同会社 パートナー 波江野 武
・ファシリテーター:モニター デロイト / デロイト トーマツ コンサルティング合同会社 パートナー 吉沢 雄介

 

失敗を許容するマインドが
AIを使った新しい試みを前に進めていく  
 

 はじめに自己紹介をお願いします。


波江野
 私は新卒で当時のトーマツコンサルティングに入社した後、3年半ほどで事業会社も経験したいと思い、もともと新卒時代からも興味があった外資系消費財メーカーに移りました。 そこでヘアケア製品のマーケティングとマーケティングリサーチを担当し、4年ほど経ったころ、新卒時代に公的機関、医療機関に携わっていたこともあり、消費財メーカーで学んだことを活かしつつ、社会的に価値を創出することをキャリアの中心に据えたい、とアメリカに渡りカリフォルニア大学バークレー校でMBAとMPH(公衆衛生学修士)を習得しました。アメリカにいる間に当地医療機関グループでのインターン等を経て、帰国しました。帰国後はまたデロイトに戻って、地域医療再編等の案件を担当し、今度は偶然にも、デンマーク本社のグローバル製薬企業で働く機会を得て、5年強ほどデンマークで世界戦略等に携わりました。その後帰国し、現在に至っています。専門は健康という領域で、健康価値と事業価値の共創、すなわち企業が持続的に成長しながら、社会がよりよくなっていくためにはどうすればいいかということに関心を持って仕事をしております。

 

吉沢 ありがとうございます。趣味は旅行だと伺っています。お仕事での海外生活も含めて、各国のデジタルの進捗についてお感じになっていることはありますか。


波江野 
はい、旅行は好きですね。日本は47都道府県すべて訪れたことがありますし、海外も米国、デンマークに住んでいたのでその国内はもとより、おそらく40カ国くらいは行ったことがあると思います。直近ではサッカーを見にカタールに行ってきました。

 

吉沢 今まで旅行された中でデジタル化が一番進んでいると感じたのはどこでしょうか。

 

波江野 一番というのは難しいですが、使い手目線の仕組みという意味ではデンマークが印象的でした。仕組みがいい意味で非常に単純なところがよいと思いました。例えば「モバイルペイ」は私が知る限り、1種類が基本デファクト化しており、それがどこでも使えるイメージがあります。600万人弱という人口だからできるのかもしれませんが、いろいろな仕組みが単純で、社会への浸透がすごく速い。だから、ビジネスも軌道に乗りやすい。ペイが乱立し、競争が続いている日本との違いは明確です。個人のIDについても私が住んでいた当時は「Nem ID」というもので統一されていましたが、Nemはデンマーク語で「簡単」という意味なんですよね。

 

 そうしたデジタルの進展、そしてご自身のお仕事の領域に照らして何か感じることはありますか。

 

波江野 デンマークにおけるヘルスケア領域では、国家としての戦略・取り組みがそれぞれ幅広い領域において検討されています。その中の一つにデジタルヘルスケアへのインクルージョンというものがあります。すなわち高齢者や若者が、どのようにある仕組みを使ってもらうようにするか、どのよう全てのセグメントで使いやすい仕組みを作るか、ということをしっかり議論をしている理解です。もちろん完璧なものではないのですが、少なくとも国家として、デジタルソリューションを創ることで終わり、というのではなく、どう使ってアウトカムに繋げていくのかというところに相応の力点が置かれている点は参考になると思っています。

また、個人的な印象論で大変恐縮ですが、少なくとも私個人としてはデンマークには、「問題が発生するリスクがあるからやらない/反対する」ではなく、「問題が発生するリスクがある中でどのようにそのリスクをつぶすか/問題が発生したら対応していくか」という議論が多いことを感じておりました。デンマークの医療制度・健康制度・ITはいろいろな形で好事例として取り上げられることはありますが、そうはいってもいろいろな問題が発生しています。それを恐れるというよりは、「そのことを受けてどう対応するか」という受け止め方をする。私はこれがデジタル化など、社会の変革にとても大きいと感じます。

ある程度リスクを許容しないと物事は前に進みません。デンマークの人たちは、そのバランス感覚が優れていると感じます。日本だと失敗したらどうするのかと議論が紛糾し、半年プロジェクトが止まる。いざスタートしても失敗すれば「原因探し」、「反省」が始まります。もちろんそれらも必要ですが、反省した後に何をするかが本来的には大事なわけで、やってみてダメなところがあったら直せばいいというスタンスが大切なのかなと思います。

 

 

問題山積みのヘルスケアの領域で
弘前大学の先進的取り組みが進行中
 

 日本におけるヘルスケアの現在地、課題、今後の展望といった点について少し教えていただけますか。

波江野 武/Takeshi Haeno デロイト トーマツ コンサルティング合同会社 パートナー。ストラテジーユニットの責任者。日本のモニター デロイトにおけるヘルスケア戦略領域のリーダー。ヘルスケア業界に15年以上関わり、日米欧現地でのヘルスケアビジネスの経験を基に、国内外のヘルスケア・医療に関する社会課題の解決とビジネス機会構築の双方を見据えた戦略構築や新規事業参入等のコンサルティングを、政府や幅広い業種の企業に提供。


波江野
 課題は山積みであると思っています。Nature誌に昨年でていましたが、およそ世の中の半分のがんによる死亡は防ぐことが出来る(すなわち現状では防ぎうるがんによる死を半分防げていない)1ともいわれているように、この世界はまだまだ課題が大きい世界です。その要素をいくつか例示していきましょう。まず社会保障に係る資金面における課題があります。病気のリスクの高い高齢者が増えていく中で、医療・健康サービスの需要は当面増えていきます。今は健康保険、介護保険などを中心に賄っているわけですが、保険料の担い手となる若い世代が減っていますので、単純に決定的にお金が足りなくなります。

次に問題なのが、「ばらつき」の問題です。これは日本に限ったことではありませんが、世の中の多くのサービスは質が均てん化 *されていません。医療においても局面においてはそうであると言えましょう。当然に医師の経験、医療機関にある機器、それぞれ一定の品質を担保する取り組みの中でばらつきがあるわけですが、それらをサービスの受け手が理解して、対応できるのか。例えば生死にかかわる病気になったとき、どこの病院に行くのが自分の状態からしてベストなのかが分かりきって意思決定ができることはなかなかないと思います。しかも、どういう治療方法があって、誰がどの方法を採用していて、それぞれの方法にどういう違いがあるのかも、本人が理解・消化できていないケースも多くあると思います。また、明確な答えが見えていない話もあります。例えば介護。どういった状況においてどういった介護がよい介護なのかもよくわからないです。少しずつ透明化されてきているとはいえ、医療・健康の世界はいまだ「ばらつき」と「わからないこと」に包まれています。

同時に、医療サービスの側が持っている私たちの情報も限定的です。例えば私が救急車で運ばれたとした場合、バイタルデータや血液型は測定すれば分かりますが、アレルギーや既往症などの情報、現在の診療の情報はほとんどゼロの状態、ということもあり得るわけです。もちろんこれらは変わっていくための取り組みがなされていますが、少なくとも今日では、まだ解決したとは言えない問題です。

これら「お金の問題」「医療サービス提供側、患者側のばらつきに関する『みえない』問題」が、ヘルスケアデジタルに関連する目下の代表的なテーマ例だと思います。

*均てん化:全国どこでもがんの標準的な専門医療を受けられるよう、医療技術等の格差の是正を図ること。
(出所:「国立がん研究センターがん情報サービス」より)

 

 ビッグデータの活用によって、患者の病歴、治療歴、検査歴などを、全国とは言わないまでも地域で共有できるようにしようとか、薬局や薬剤師と共有する形で、治療とか健康増進に取り組もうという議論は進んできていると思うのですが、そういうところにAI活用の可能性はあるのでしょうか。

 

波江野 地域の中での医療情報の連携を例に取ると、地域医療情報連携システムという形で、データの統一・構造化が進んで情報の閲覧もしやすくなりました。今後データの精度はますます上がっていくでしょう。ただ、課題もあります。私たちは「集める」「つなぐ」「解析する」「活用する」、といったフレームを使ったりしますが、「集める」という点を例にとると、データ活用、AI活用を考えた時、いかに地域に根付いた診療所を巻き込むか考慮が必要です。なぜなら、地域住民は日ごろ、地元の診療所に行くわけですから、そこがシステムに入ってないと、最も日常に近い情報が取れないことになってしまうからです。レポートにも、診療所のシステムへの参加率が低いことは示されています2。また、「活用する」という点においては、研究やビジネスでどのようにこれらデータを未来の医療・健康へ向けたソリューションなどのために活用していくのか、というのも重要なテーマであると言えます。

そういった中、注目すべき動きがあります。弘前大学のCOI(センター・オブ・イノベーション)研究推進機構が実施しているもので、通常は100項目ぐらいの健康診断を、3000ぐらいの項目で診断し、蓄積しています

このデータベースによって、どの因子とどの因子が影響し合っているか、例えば噛むことはどの要素に好ましい影響を与えているのかといった研究ができるようになっています。この取り組みの優れていると私が思うところは、健康診断の項目が必ずしも全て固定されたものでなく、毎年、必要性に応じて倫理委員会等必要なプロセスを経れば、(健康診断ですから)可変であるところです。実際に事業会社が積極的に連携していくにあたり、そういった点は非常に参画のハードルを下げるのではないかと思っています。

 

吉沢 もっと取り組みが広がるべきだと感じますが、どんなハードルがあるのでしょうか。

 

波江野 この取り組みが素晴らしいと私が思っている点の一つが、幅広いデータ項目であるわけですが、その分オペレーションの負荷がかかると思われます。ヘルスケアによくあることなのですが、参加する側が明確なメリットがないと続きません。私が理解している限りでは、大学の先生が受診結果を経てアドバイスすることなどで価値を提供しています。ただ、そこにも工数がかかっておられるので、すぐに10倍、20倍とスケールできるわけではありません。

そこでいま弘前大学は、同じプロトコルで展開してくれる大学を募り、規模を拡大されています。一気に10倍にスケールするのは難しいと思いますが、徐々に広がっていくことを期待しています。


 

AIにはできることとできないことがある
肝心なのは、活用の目的設定

 
森 正弥/Masaya Mori デロイト トーマツ グループ パートナー。Deloitte AI Institute 所長。グローバルインターネット企業を経て現職。eコマースや金融における先端技術を活用した新規事業創出、大規模組織マネジメントに従事。世界各国のR&Dを指揮していた経験からDX(デジタル・トランスフォーメーション)立案・遂行、ビッグデータ、AI、IoT、5Gのビジネス活用に強みを持つ。日本ディープラーニング協会 顧問。

 

 波江野さんのご専門の分野においてAI活用というと、画像診断などがすぐに思い浮かびますが、単に診断のサポートに使うだけでなく、患者が自分の健康を管理していく上で、スマートフォンなどのデバイスを使ってAIアプリがアドバイスを与えてくれるといった使い方もあるのかなと思います。また、病院の受付や会計など、事務を効率化するチャットボットのような使い方や、患者さんの数から病院の繁忙を予測して、シフトを最適化していくといったことも可能かもしれません。その辺りはどうですか

 

波江野 おっしゃるように、この領域でのAIの活用は、「医療従事者の診断の生産性や質に有効なもの」「患者のセルフマネジメント・利便性に役に立つもの」「病院の経営に有効なもの」「自社や他社などの関係者に価値を提供するもの」の4つの方向性が、これら複数の組合せのものも含めあると思います。AIで読影や内視鏡診断の質を上げていくことは非常に意義があるでしょう。

一方で病院の経営に関わるようなところについて言えば、手術室というのは病院の一番の収益源であり、手術室の稼働が最適化されていないと病院の経営が苦しくなります。ですから、極力1件ずつの手術のスピードを上げて稼働率を高める必要があります。

しかし、手術にはどれくらいの時間がかかるのかは正確には分かりません。疾患により一般的な目安はあったとしても、患者によって状況は異なります。そのため、現場の経験と勘でバッファを見ています。ただ、そうなると次の執刀までの時間を詰めるわけにはいかず、稼働を高めるにも限界が生じてしまいます。そのあたりを最適化する余地はまだあるのではと思ったりするケースもあります。

また、生産性という意味では、イギリスのヘルスケアシステムNHSがGP (General Practitioner) at Handというプログラムを、同国のスタートアップ企業バビロン・ヘルスと共に提供しています。ここでは、AIを使ったチャットボットアプリを提供していて、チャットのやりとりで体調不良の原因を特定してくれます4。結果的に診療所側の対応の効率性をあげることにつながっています。これなどは、医療の生産性・利便性を上げるAIの活用事例と言えるのではと思います。

ここから分かることは、課題が顕在化しているところに関しては、AIの活用が容易だということです。逆に課題が明確ではないのに、「AIを入れたらよさそうだ」というアプローチは危険です。バリュープロポジションにも気づけないし、求める価値が関わる人によってまちまちで、期待ギャップを生みやすくなります。

 

 他のインダストリーでも「AIが何かをしてくれそうだ」といったざっくりとした期待だけで導入するのは危険ですが、ヘルスケアにおいてはなおさらそうであり、期待効果をより明確にしておく必要があるということですね。

 

波江野 おっしゃるとおりですね。データをとる、という観点一つとっても、一住民である自分の目線も併せて考えると、日々の生活に新たなプロトコルやプロセスが入るというのは、なかなか継続が難しいですね。いかに日常生活を阻害しない形でデータが取れるようにするかにポイントがあると思います。例えばスマートフォンを普通に操作する動作から認知症のリスクが分かる、とかスマートトイレとかがイメージでしょうか。いかに普通の生活の中でデータを取り、分析・評価するか。それを突き詰めれば、患者視点のAI活用は進むと思います。

 

 単体の医療機関でデータを取るのではなく、弘前大学の事例のように多くの拠点が連携してデータを収集・分析・活用する情報銀行的な考え方が適しているのではないかと思います。そうすれば、健康診断といっても個人個人は去年何の検査を受けたか覚えていなくても、ヘルスケアデータを信託して、利用者本人は自らの健康維持に資する情報を継続的に受け取ることができます。これがデータ提供者本人による1次利用だとすれば、公衆衛生に資するような2次利用の可能性はいかがでしょうか。

 

波江野 まず前提として、デンマークのように国が仕組みを担うか民間が担うかはっきり決める必要があります。デンマークのNemIDは国が運営し、その人が生まれて以降の病歴などのデータがひもづけられています。イギリスのNHS(健康保健サービス)も国が運営を担っています。逆にアメリカなどでは、医療サービスは主に民間が担っています。日本は、国と民間が双方入り組んでいて、インセンティブがなかなかはっきりしづらい状況になっています。例えば地域としては予防を推進したい、病院としては病床の稼働率を上げないと持続的な運営に支障がでる、といった構造になっています。そういったこともデータ管理において「何の目的に」「誰が」を複雑にしている要因かなと思っています。

その上でもう1つ乗り越えなければならないのが、データの二次利用です。ヘルスケアの情報はセンシティブな内容になるので、二次利用において本人の同意が必要ですが、社会的意義を共有して積極的な啓発・合意形成をしておくことが大切なのではと思います。とはいえ考えてみれば金融資産の情報もセンシティブな部分は含んでいて、そういったものの利活用と同じだと考えれば理解は早いかもしれません。


 

AI活用にはさまざまなレイヤーがある
動機をサポートすることでよりよい結果を生む
 

 東京大学教授でNII(国立情報学研究所)所長をされているビッグデータがご専門の喜連川 優先生が、10年ぐらい前に「情報薬」という概念を提唱されました5。情報を提供することによって人の健康に関する行動の変容を促す、情報が薬として機能するという考え方です。波江野さんがおっしゃる世の中の合意形成が進めば、ユーザーの行動変容につながる情報の提供に関する道も開かれるとも期待します。これに関して波江野さんはどのようにお考えでしょうか。

 

波江野 単にノウハウの提供だけでは行動変容を促すのは難しいと思っています。例えば、xxをより食べた方がよい、そのためにはこういうレシピがあると言われたり、もっと運動した方がいい、そのためにはこういうプログラムがよい、と言われたりしても、少なくとも私はなかなかできません。ユーザー側に変化を働きかけるのであれば、「今それをしなければいけない」と思わせる動機付け、「どうやれば有効にできるか」の手法を本人にとって適切なタイミングに適切な手法(誰から伝えるか、どのようなトーンで伝えるか)と合わせて伝えきる必要があると思います。どのタイミングで情報を発信するか、どういうトーンで言うかは、どれだけの分量をいつ食べればいいかというノウハウの提供と同じくらい重要だと思います。そのエグゼキューションの最適化をヘルスケアの領域で行えば、ユーザーの動機が顕在化して、行動変容につながるかもしれません。そのレイヤーにもAIの出番があると思います。

 

吉沢 医療・ヘルスケアでAIというと、ディープラーニングによる創薬や、CTの画像解析といった活用をイメージしがちですが、利用者の行動自体を最適化するレイヤーでもユースケースが想定できるというわけですね。

 

波江野 創薬や画像診断のAI活用は、これからもどんどん進化していくと思います。こうした答えが分かれば適切な行動がとれるテーマに対しては機能すると思います。ただ一方で、答えが示されても人間が行動変容に至らない部分では、AIはなかなかワークできていません。「糖尿病になりますよ」ということをひたすら精度高く予測し続けるだけでは、人の行動は変わりません。

 

吉沢 AIが出す最適解と人間の行動や心理が折り合う、最後はそこに行き着くということですね。心理変容から行動変容へと至るステップに働きかけるAIのユースケースはあるのでしょうか。

 

波江野 あくまで私見になりますが、人間は夢や希望があると物事を続けられる可能性があがるのではと思っています。例えばお孫さんが成人式になるまで元気でいたいとか、20年ぶりに会う人がいるから若々しく見せたいといった人間の「奥底に眠っている希望・気持ちを掘り起こす」ことがAIにできるようになれば、習慣を変えることができたり、より前向きな社会活動へと向かう力を掘り起こすことができたりします。年齢を重ねていく中で、自然といろいろなことを諦めてしまう中、そこに選択肢やエネルギーを与える。そんなことが世の中でたくさん起こる。そんな世界に私は興味を抱いています。

 

 「奥底に眠っている気持ちをどうやって掘り起こすか」という言葉は響きますね。

 

 

VRやメタバースはAIのプラットフォーム
いくらでも失敗できる土壌は日本向き

吉沢 雄介/Yusuke Yoshizawa デロイト トーマツ コンサルティング合同会社 パートナー。データサイエンティスト職を経て現職。自動車、消費財、EC、商社、広告代理店業界を中心に経営意思決定・マーケティング・セールス領域におけるアナリティクスやデータ、デジタルを活用した戦略策定から実行支援に強みを持つ。近年はデータ駆動型経済におけるDX戦略および全社改革、デジタル関連企業のM&Aを中心に従事。企業活動にエビデンスにもとづいた意思決定する仕組み・文化を導入することを推進している。

 

吉沢 以前、波江野さんはAIには大局観がないというお話をされていました。

 

波江野 そうですね。大局観は私にとってとても興味深いテーマです。生きるか死ぬかの判断や、病気になって治療を続けるか否かの判断などは、大局観を要する瞬間でしょう。AIにこうした「計算で導き出せない判断」はできないのかなと素人的には思いますが、いろいろな形で情報提供ができたり、あるセグメントの人はこういう判断をしているといった示唆を提供できたりする。「算数的に答えが出ない問題」に対して、AIにも貢献の可能性はあるのかもしれないと思います。その点について、森さんはどうお考えになっていますか。

 

 いま、シミュレーションとAIを組み合わせるという考え方があります。シミュレーション技術は、AIの技術とは別の技術としてますます活用の領域が広まっていますが、この技術は人間の知恵を集積した世界観を前提としており、その中で成立する技術です。

例えば、まずシミュレーションで世界を構築し、その中で車をたくさん走らせて事故を起こさせたりして、そのデータをAIが学習して自動車の開発や事故予防に生かすような使い方です。同様にメタバースもAIを進化させるプラットフォームになると考えられます。人がAIに世界観を与えていくというのが、今後のAI活用事例の方向性の1つと言えそうです。

 

波江野 それは面白いですね。われわれはどうしても完璧を求めがちで、「AIはだめだ」、もしくは「人間はだめだ」という極端な判断に陥りがちですが、人とAIの協調に、より本格的に取り組む必要がありそうですね。

 

吉沢 人とAIの協調により、意思決定に使える場面がもっと増えていくと感じています。ビジネス寄りの可能性としてはどんなものがありますか。

 

 よくある「データの欠損」にそれが見受けられると思います。データの欠損は、財務や顧客管理、品質管理、SCMなど、ビジネスのあらゆるデータに存在する大きな問題です。空のままにしておくわけにはいきませんので、なんとかして埋めていかなければならないわけです。現場では、多くの場合、その分野に詳しい職人が経験と勘に基づいて数値を補うなどの対応を取っていますが、その値は、計算で入れるよりも精度が高かったりします。そうした現場の経験豊富なスタッフが持っているノウハウをAIに組み込むことは意味がありますし、需要予測などで実際に成果を上げています。

 

波江野 なるほど。そうなれば需要予測は格段に精度が上がるでしょうね。医療の世界でいけば、薬品・機器などにおいても、世界のどの国にどのような製品をどのように展開するべきなのかを考える際、当然に各国の状況を見ます。その際に売れ行きの予測を見たりするわけですが、その精度には差があって、エリアや商品によっては粗い予測だったりするわけです。その理由は、森さんがおっしゃるように情報がない場合と、しっかりしたモデルがない場合があります。それら双方において今後精度が上がれば、より高度な意思決定ができるでしょうね。

 

吉沢 よくEBM(エビデンスに基づく医療)が、EBPM(証拠に基づく政策立案)の良き先行モデルになっているという話を聞きますが、民間企業の経営において同様の考え方は、まだあまり聞こえてこないように思います。

 

波江野 エビデンスにもとづく意思決定の進捗は、会社による差が大きいと思います。例えば、製品の上市にあたりテストマーケットなど定められた検証手法を行うことがプロトコルになっていて、その過程を経て販売に至ることがいわばコーポレートの文化に据わっているような会社では、EBM、EBPMのサイクルは比較的根付きやすいと思います。しかし、エビデンスをもとに仮説を立てて検証する文化がない企業が、データとAIのサポートで意思決定を行うとすれば、人・組織の風土が変わる必要があり、結果時間がかかると思います。私達自身もイノベーションを生み出しやすい組織という議論をお客様とさせていただくことが多いですが、この点も重要なテーマと思います。

 

吉沢 やはりそうなりますか。このシリーズで、新たなソリューションやムーブメントが起こった時、日本は多くの場合、後れを取ってしまうのはなぜかを、ゲストの皆さんに尋ねています。AIしかり、ビッグデータしかりです。これはなぜなのか。どうすればよいのか。ご自身のお立場からどう思われますか。

 

波江野 結局最初から完璧なものなどないのに、新しいことに完璧を皆が期待しすぎている気がします。もちろん命に直接かかわるところでは難しいですが、例えば新しい意思決定プロセスを導入した時、5回のうち4回使えなかったら、「1回は使えた」という解釈するか、「これは失敗だ」と判断してしまうか。見方はいろいろですが、おそらく今の変化の激しい世の中でそれを失敗だと言ってしまうと、新しいものは何も使えなくなってしまうと思いますし、新しいものに対する成功体験ができません。1回しか使えなかった事実はしっかり認めながらも、必要なのは、その使える部分をどうピックアップして、次に生かしていくか、どう最終的に成功にもっていくかとする姿勢です。この時代において、最初からピンポイントで完璧なものを見いだすのは困難です。そのマインドのチェンジは必要なのかもしれません。

 

 それは冒頭でおっしゃっていたデンマークがある程度のリスクを許容する社会だというお話につながりますね。もちろんライフサイエンス、ヘルスケアの領域では、リスクの許容度は狭いかもしれませんが、適応範囲を限定して、うまくサンドボックスをつくるなどの工夫をすれば、リスクが許容できるのではないでしょうか。

 

吉沢 もしかしたらメタバースは日本人に合っているかもしれませんね。リアルでは失敗できないですが、メタバース上なら「失敗し放題」ですから。

 

 なるほど。テストベッドとしてのメタバースですね。

 

波江野 よい考えですね。失敗することはとても大事なことですから。

 

 日本は、正解を出さなきゃいけないというアプローチにとらわれすぎている気がします。問題には正答があって解けることが大前提になっている。でも、実は世の中にある問題は、解けるかどうか分からない。「解く」「解決する」のではなく、「適応していく」というアプローチを持たないと辛いですね。もっと日本は、課題に対してアジャイルかつアダプティブでなくてはならないと思います。

 

1 出所:nature “Almost half of cancer deaths are preventable”
2 出所:総務省 「医療等分野のネットワーク利活用モデル構築にかかる調査研究 報告書」
3 出所:内閣官房 健康・医療戦略室 第2回 次世代医療基盤法検討ワーキンググループ「弘前大学COIと次世代医療基盤法」
4 出所:Babylon GP at Hand
                Babylon
5 出所:「情報爆発のこれまでとこれから Info-plosion:Retrospection and Outlook」喜連川 優 

 

 

森 正弥/Masaya Mori

森 正弥/Masaya Mori

デロイト トーマツ グループ

デロイト トーマツ コンサルティング 執行役員 外資系コンサルティング会社、グローバルインターネット企業を経て現職。 ECや金融における先端技術を活用した新規事業創出、大規模組織マネジメントに従事。世界各国の研究開発を指揮していた経験からDX立案・遂行、ビッグデータ、AI、IoT、5Gのビジネス活用に強みを持つ。CDO直下の1200人規模のDX組織構築・推進の実績を有する。2019年に翻訳AI の開発で日経ディープラーニングビジネス活用アワード 優秀賞を受賞。 東北大学 特任教授。日本ディープラーニング協会 顧問、企業情報化協会 AI&ロボティクス研究会委員長。過去に、情報処理学会アドバイザリーボード、経済産業省技術開発プロジェクト評価委員、CIO育成委員会委員等を歴任。 著書に『クラウド大全』(共著:日経BP社)、『ウェブ大変化 パワーシフトの始まり』(近代セールス社)、『大前研一 AI&フィンテック大全』(共著:プレジデント社)がある。 記事:デロイトデジタル「新しい世界へのマーケティングは、人とAIのコラボレーションによりもたらされる」 関連サービス ・ カスタマー・マーケティング(ナレッジ・サービス一覧はこちら) >> オンラインフォームよりお問い合わせ

波江野 武/Takeshi Haeno

波江野 武/Takeshi Haeno

デロイト トーマツ コンサルティング合同会社 執行役員

モニターデロイトにおけるヘルスケア戦略領域のアジアパシフィックリーダー。ヘルスケア業界に15年以上関わり、日米欧現地でのヘルスケアビジネスの経験を基に、国内外のヘルスケア・医療に関する社会課題の解決とビジネス機会構築の双方を見据えた戦略構築や新規事業参入等のコンサルティングを、政府や幅広い業種の企業に提供。 カリフォルニア大学バークレー校経営学修士、公衆衛生学修士。元兵庫県立大学医療MBA非常勤講師。日経「第2回超高齢化社会の課題を解決するための国際会議」パネリスト、Ageing AsiaにおけるEldercare Innovation Awards国際審査員、その他執筆講演等多数。   関連サービス ・ モニター デロイト(ナレッジ・サービス一覧はこちら) >> オンラインフォームよりお問い合わせ

吉沢 雄介/Yusuke Yoshizawa

吉沢 雄介/Yusuke Yoshizawa

デロイト トーマツ コンサルティング合同会社 執行役員

データサイエンティスト職を経て現職。自動車、消費財、EC、商社、広告代理店業界を中心に経営意思決定・マーケティング・セールス領域におけるアナリティクスやデータ、デジタルを活用した戦略策定から実行支援に強みを持つ。近年はデータ駆動型経済におけるDX戦略及び全社改革、デジタル関連企業のM&Aを中心に従事。企業活動にエビデンスに基づいた意思決定する仕組み・文化を導入することを推進している。 「パワー・オブ・トラスト」(共著:ダイヤモンド社 )、「リアル・タイム・ストラテジー」(監訳:ビジネス教育出版社 )、「両極化時代のデジタル経営」(共著:ダイヤモンド社 )、その他執筆・講演多数。