水素サプライチェーンの全体像と日本の勝ち筋となりうる技術分野 ブックマークが追加されました
水素は最も小さく軽量な元素、かつ可燃性があるため取り回しが難しく、水素関連製品では「水素を漏らさない(安全性が高い)」「性能が劣化しにくく長寿命である(ライフサイクルコストが低い)」ことが重要である。本連載シリーズ「水素Japan戦略」vol.1では、以上のようなエンジニアリングの余地が大きい水素関連技術の普及において、日本の持つ「すり合わせ」技術が国際競争で優位性をもたらす可能性について述べた。
シリーズ「水素Japan戦略」Vol.2では、2030年、2050年に向けた世界的な水素需要の大幅増加、および足元での欧米を中心としたクリーンエネルギー技術への投資拡大を背景に、日本は水素産業のどの部門や領域の技術開発に注力しているのか、国際市場でのシェア獲得を狙えるのかを考察する。
水素サプライチェーンとは、ここでは水素の製造から輸送、利用までの流れを指す。文脈によっては、水素製造装置のバリューチェーンや製造時に使用する電力の発電部門など、関連する周辺分野を包含する場合、もしくは利用地点への供給までを指す場合もある。本稿では、様々な技術を含む水素サプライチェーンを製造部門、貯蔵/輸送/転換部門、利用部門の大きく3部門に区分し、各部門における技術に着目していく。
以下では、水素製造、貯蔵/輸送/転換、利用といった各部門で、海外諸国と比較して日本がどの技術分野に注力しているかを、市場規模と合わせて考察する。具体的には、横軸にIEAのネットゼロシナリオ(NZE)における2030年の水素導入量や投資額、縦軸にIPFs(国際展開発明件数)における日本の比率を置いた散布図を示し、市場規模と日本企業の存在感の2軸で考察する。グラフの()内数値は、国別IPFs数における日本の順位を示している。
※技術を持っていても特許にするかは企業・研究機関次第であるため、ある技術分野に向けた国ごとの注力度合いは特許数とイコールではないが、特許は技術革新の最も迅速なシグナル [2]であり、ここでは特許数と技術開発への注力度合いが概ね比例すると仮定する。
図2は、水素製造技術について、横軸に2030年における技術ごとの製造量 [3]を、縦軸に日本のIPFs比率 [2]を取っている。2030年においては製造される水素の6割が化石燃料由来、3割が水電解由来と予想されている中で、日本は水電解技術の開発に注力し、世界で最も特許を取得している。
図2 水素製造部門における各技術の製造規模と日本のIPFs比率[2] [3]
※()内の数値は国別IPFs数における日本の順位
政府指針を示す水素基本戦略では、2030年までに国内外において日本関連企業の水電解装置を15GW導入(世界市場の約10%)、国内で水電解由来水素製造42万トンの目標が設定された [4]。世界でも2030年に向け水電解設備の導入が拡大することから、技術開発度の優位性を活かした国際展開が期待される重要な市場であることがわかる。水素基本戦略では、国内よりも再エネ価格が安い海外での導入を先行する方針が示されている。
水電解技術について詳述すると、水電解装置システムは、電解質・膜・電極・触媒などからなる「セル」を複数積層した「スタック」と、 整流器や水素基液分離機などの「補器」によって構成される。「スタック」には4種類あり、アルカリ形・PEM(固体高分子)形・AEM(アニオン交換膜)形・SOEC(固体酸化物)形がある。アルカリ・PEMは商用段階に、AEM・SOECは技術開発段階にある。アルカリとPEMに関しては、コスト・設備容量・負荷追従性などの特徴に応じ、アルカリは大規模プロジェクト、PEMは中小規模で地産地消プロジェクト向け、といった大まかな棲み分けが想定されている。
図3は水電解スタックにおけるIPFs数の上位10社を、国別に集計したものである。フランス企業がSOECの開発に力を入れている一方で、日本企業は商用段階にあるアルカリ・PEMの特許数でリードしている。膜・触媒などの要素技術の性能面で優位性があり、国内企業の開発する高耐熱性・高耐圧性・低コストな炭化水素系電解膜が多くの海外企業で採用された例もある [5]。
図3 水電解分野でのIPFs数比較 [2]
図4は、水素製造と利用を繋げる各インフラ技術について、横軸に2030年での世界年間投資額 [6]、縦軸に日本のIPFs比率 [2]をとっている。合成燃料・キャリアの投資額については、アンモニア輸送および転換への投資額で代替しており、合成燃料・キャリアへの少なく見積もった投資額であることに留意されたい。また、ここでの合成燃料・キャリアとは、合成メタンや合成ディーゼルなど合成燃料・LOHC(メチルシクロヘキサン)・アンモニアを指し、ゲルマニウム水素化物など水素化合物: hydrideとは区別する。
図4から、ガス貯蔵技術や水素ステーション関連技術を筆頭に、海外諸国と比較し日本が開発に注力している分野が多いことがわかる。これらの技術分野においては、vol.1で論じたように最も小さく軽量な元素である水素を「漏らさない」ことが重要であり、日本の「すり合わせ」技術の強みを活かした市場シェア獲得が期待される。
図4 水素貯蔵/輸送/転換部門における各分野の投資規模と日本のIPFs比率 [1] [2] [6] [7] [8]
※()内の数値は国別IPFs数における日本の順位
(合成燃料・キャリアの投資額はアンモニア転換・輸送への投資額を示しており、ガス貯蔵の投資額は該当IPFsに基づく執筆者の推定値である)
また、投資規模が比較的大きく、水素利用の拡大に資する合成燃料・キャリア分野における技術を詳述する。図5は、合成燃料・キャリアにおけるIPFs数の上位10社を国別に集計したものである。合成燃料・キャリア分野では、国内企業によるオーストラリア・ブルネイから水素キャリア(LOHC・MCH)の大規模船舶輸送実証事業が完了しているなど、国内企業の技術開発が進んでいるが、特にアンモニアクラッキング技術(アンモニアから水素を取り出す技術)において、日本が特許を多く取得している。伝統的な水素利用技術であるハーバー・ボッシュ法によるアンモニア製造においても、日本が最も特許を取得しており、アンモニアは日本の注力分野の一つである。
IEAの予測によると、世界的な水素需要の高まりに伴い、水素の国際輸送量が拡大する。2030年では15Mt-H2/年、2040年では25Mt-H2/年の取引量に達し、そのうちの80%以上がアンモニアをキャリアに輸送される。このことから、日本企業による水素国際輸送に係る市場のシェア獲得が期待される。
図5 水素由来燃料分野でのIPFs数比較 [2]
図6は、水素利用技術について、横軸に2030年における技術ごとの利用量 [9]を、縦軸に日本のIPFs比率 [2]を取っている。日本については、家庭用燃料電池(エネファーム)を普及した建築物分野や、自動車を筆頭とするモビリティ分野など、多くの分野で技術開発に注力している現状が伺える。自動車分野については、IEAのNZEシナリオでは2030年に世界全体で約700万台のFCV導入が予測されており [10] [11]、日本の基幹産業で国際競争力を有していることから、FCV市場の覇権を握る期待が大きい。
図6 水素利用部門における各分野の利用規模と日本のIPFs比率 [2] [9]
※()内の数値は国別IPFs数における日本の順位
(具体的な主要技術を各分野の名称に続く:以降に記載している)
燃料電池は、自動車などモビリティ分野だけでなく、民生・事業所などあらゆる分野での動力源/電源として利用されるポテンシャルがあり、逆反応を利用する水電解装置との親和性もある。水素基本戦略には、日本全体として国産燃料電池の分野で産業や国を跨ぎ世界市場でプラットフォーマーを目指す方針をとることが記されているように [4]、水素産業における重点領域である。
Hard-to-abate産業の一つである鉄鋼分野での水素還元製鉄技術に関しては、諸外国が低炭素化を目指し社会実装に向けた取り組みを加速している。従来のコークス還元と異なり水素還元は吸熱反応であるなど、技術的課題がいくつか把握されているが、IPFs数では日本が最も多く、水素基本戦略では燃料電池と同じく国際競争力の拡充を図る領域であると記されている。
以下の表1~3に、各部門における技術ごとの市場規模感・日本のIPFs比率を整理し、国際市場獲得の有望度を三段階(◎/〇/△)で示す。ここでの有望度は、現時点でのIPFs数を基に目安として示しており、△の技術も国際市場でのシェア獲得が困難であると主張するものではない。
表1 製造部門での技術別比較
表2 貯蔵/輸送/転換部門での技術別比較
表 3 利用部門での技術別比較
(以上の表に載ってはいないものの、製造部門における水の熱分解、貯蔵/輸送/転換部門における水素化合物など、日本の特許数が諸外国より多く技術開発に注力している分野がある。)
今後世界的な水素需要の拡大が予想されている中、水素製造・貯蔵/輸送/転換・利用の各部門で、日本が技術開発に注力し、市場シェア獲得が有望な領域が多いことを確認した。全ての分野で市場シェアを握る必要はなく、水素基本戦略でも市場規模・日本の優位性を鑑みた特定の分野で覇権を握る将来を描いている。しかし、vol.1で言及したように、技術があり当初の段階では高いシェアを持っていても、段々と他国に追い抜かれる歴史を繰り返してきた。水素産業が日本の経済成長のカギになる可能性があることを踏まえ、次回以降では、各分野・技術の国際展開を見据えた課題・論点を深堀する。
参考文献
[1] IEA, “Net Zero Roadmap A Global Pathway to Keep the 1.5 ℃ Goal in Reach,” : https://iea.blob.core.windows.net/assets/9a698da4-4002-4e53-8ef3-631d8971bf84/NetZeroRoadmap_AGlobalPathwaytoKeepthe1.5CGoalinReach-2023Update.pdf.
[2] IEA, “Hydrogen patents for a clean energy future,” : https://iea.blob.core.windows.net/assets/1b7ab289-ecbc-4ec2-a238-f7d4f022d60f/Hydrogenpatentsforacleanenergyfuture.pdf.
[3] IEA, “Global Hydrogen Review 2023,” : https://www.iea.org/reports/global-hydrogen-review-2023.
[4] 内閣官房, “水素基本戦略,” : https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/saisei_energy/pdf/hydrogen_basic_strategy_kaitei.pdf.
[5] DBJResearch, “水電解装置における日本企業の競争力強化に向けて,” : https://www.dbj.jp/upload/investigate/docs/2078b65a4d234d069f2325b3ea91c2b1.pdf.
[6] IEA, “Average annual global investment in hydrogen and natural gas infrastructure in the Net Zero Scenario, 2016-2050,” : https://www.iea.org/data-and-statistics/charts/average-annual-global-investment-in-hydrogen-and-natural-gas-infrastructure-in-the-net-zero-scenario-2016-2050.
[7] U. S. D. o. Energy, “Hydrogen Storage Cost Analysis,” : https://www.hydrogen.energy.gov/docs/hydrogenprogramlibraries/pdfs/review22/st235_houchins_2022_p-pdf.pdf?Status=Master.
[8] 内田俊平 , 南形英孝, “東京ガスの商用水素ステーション,” : https://www.jstage.jst.go.jp/article/ieiej/36/4/36_246/_pdf/-char/ja.
[9] IEA, “Global hydrogen demand by sector in the Net Zero Scenario, 2020-2030,” : https://www.iea.org/data-and-statistics/charts/global-hydrogen-demand-by-sector-in-the-net-zero-scenario-2020-2030-2.
[10] IEA, “Global EV Outlook 2023: Catching up with climate ambitions,” : https://iea.blob.core.windows.net/assets/dacf14d2-eabc-498a-8263-9f97fd5dc327/GEVO2023.pdf.
[11] IEA, “Share of electric and fuel-cell vehicles in total cars and light trucks sales in the Sustainable Development Scenario and Net Zero Emissions by 2050 case, 2019-2030,” : https://www.iea.org/data-and-statistics/charts/share-of-electric-and-fuel-cell-vehicles-in-total-cars-and-light-trucks-sales-in-the-sustainable-development-scenario-and-net-zero-emissions-by-2050-case-2019-2030.
いま日本が水素技術に取り組む意義【水素Japan戦略 vol.1】
関口 尚
デロイト トーマツ リスクアドバイザリー合同会社 ゼネラルアドバイザー
新卒でデロイト トーマツ入社後、気候変動リスク分析・官公庁補助事業検証評価業務・脱炭素関連技術アドバイザリー・カーボンクレジット市場調査などに従事。
※上記の社名・役職・内容等は、掲載日時点のものとなります。
大学院博士課程修了後、新卒で電力会社に入社。主に企画部門(自由化対応戦略、電気事業連合会対応、需給計画、広域運営、系統計画、技術開発戦略)や人材育成部門を経験。 指名制選抜制度にて米国スタンフォード大学に社費留学(客員研究員)。 その後米国系戦略コンサルティングファーム、欧州系大手製造業(事業部長)、Big4系コンサルティングファーム(パートナー、エネルギープラクティス戦略チーム責任者)、グローバル戦略コンサルティングファーム(パートナー、エネルギープラクティス責任者)、起業(代表取締役)を経てトーマツ入社。 有限責任監査法人トーマツへ入社後は、環境・エネルギー分野のアドバイザリー業務に従事。
エネルギーシンクタンク、環境コンサルティング会社等を経て現職。 エネルギー・資源分野の環境対応を中心とする政策立案・コンサルティングに20年以上従事。エネルギー・地球温暖化政策、再エネ・省エネ・温暖化対応次世代技術に精通しており、近年は中央省庁の政策立案・実行支援、政策・施策/事業評価のプロジェクトをリードしている。