いま日本が水素技術に取り組む意義 ブックマークが追加されました
日本のものづくり技術は世界でトップクラスであり、我が国の競争力の源泉である。細かい部分にも手を抜かず丁寧なものづくりを是とする価値観や、他人への配慮を阿吽の呼吸で行い、長期的かつメンバーシップを前提とする独特の雇用慣行に支えられ、これまで数多くの工業製品の開発、黎明期において世界的シェアを獲得するに至っている。しかしながらその独特なこだわりからか普及期に入ると他国とのコスト競争に敗れトップシェアを維持できず、国際競争の中で衰退していく流れが繰り返されている。
日本の工業製品開発の黎明期から普及期のシェアの遷移をみていくと、以下の図のような傾向が確認できる。
現時点では日本メーカーが世界で評価されている工業製品の代表である自動車も高品質が特徴で、長期間使用しても「故障しない」点、および「性能が劣化しない(燃費が悪化しない)」点が他国メーカー製との差別化要因となっている。しかしながら自動車産業も電動化、モジュール化の流れにおいては日本の優位性が薄れてしまい、これまでのポジショニングにこだわり続けると国際競争におけるコスト競争や破壊的イノベーションに対応できないリスクがある。
本稿では、このような変化の激しい国際環境において、なぜ日本が今後のものづくりにおいて「水素」に取り組むべきか、シリーズ化してお伝えする。
※本稿を含め全7回予定:
本稿および次回:水素関連技術を俯瞰しながら日本の技術力との親和性を考察
vol.3以降:日本が注力すべき技術を各論で紹介。後半では水素の製造・エネルギー転換等に関するシミュレーション技術にAIを活用した事例にも言及する。
技術開発や生産における「すり合わせ」とはどのような方法なのか。ここでは、製品を構成する部品や材料を、技術とビジネスの両輪で相互に微妙な調整をしながら組み合わせることで高品質な製品をつくりあげる手法と定義する。例えば完成車の製造においては、製品の各構造を作り上げる工程は、最終製品の持ついずれの機能・性能にも影響する。このため、企画部門やサプライヤー各社の緊密な連携(すり合わせ)と市場における長い実験期間をかけて習熟してきた、日本の技術の強みの理由でもある[1]。
現在の厳しい国際市場の環境においても我が国の自動車産業が世界で優位なのは、日本の製造業の強みである「すり合わせ技術」によってコストに対して精密さ、耐久性で十分な差別化ができているからである。10年以上乗っても燃費の悪化が感じられないクルマは、我が国特有のものである。
(図左側)参考:ISID
一方で、この「すり合わせ」と相反する概念が「組み合わせ(モジュラー)の技術」である。モジュラー製品においては、最終製品における一機能は一部品・構造と一対一の関係性となる。[1]例えば、コンピュータや家電の製造においてはこの手法が優位であり、電源、CPU、GPU、メモリ、ディスプレイなどの各部品に対してモジュラー単位での調達が可能なためコストと調達リスクを同時に低減できる。また、CPUやGPUなどサプライヤーが一部品に関して独立したイノベーションを推進しやすい傾向がある。上記のような優位性を持つことで、量産や価格競争に強い[2]が、品質や長寿命性など「すり合わせ」の技術によってつくられた製品と比較して差別化が困難な特徴がある[3]。
<図 「すり合わせ」と「組み合わせ」製品アーキテクチャーの特徴>
では、水素関連製品・設備を製造する能力は「すり合わせ」と「組み合わせ」のどちらの強みが活かされるのだろうか。この観点を考える前に、他にもすり合わせの技術が製品品質や耐久性・長寿命性に寄与している具体例を紹介したいと思う。
まず一例として、積層型イメージセンサーは開発と生産技術の緊密な連携により精緻な二層構造を実現した上で、開発期間の短縮や歩留りの向上も同時に発揮している[4]。次に、我が国における水道インフラは、水道配管の敷設・管理において世界主要都市のなかで最も低い漏水率を誇っており、配管、土木工事、流体制御、漏水検知IoTなど多種の要素間にすり合わせが持ち込まれた好例といえる[5]。また、水処理技術においても海水淡水化で使用されるRO膜や、下水処理において膜分離活性汚泥法(MBR法)など日本発祥の技術が数多く活用されている[6]。最後に、タイヤ製品のほか、流体を取り扱う上で欠かせないパッキンやゴムベルト、ガスケットに加え、自動車用防振ゴム[7]や衛星ゴム等の「ケミカル分野・ゴム製品」でも国際市場で存在感を放っている技術が目立つ[8]。
ここで着目したい点は、日本の得意な「すり合わせ」が作用することで、液体・気体と外界を正確に分離する「シール性能」や長期間使用しても性能が劣化しない自動車部品などの「長寿命性」に寄与しているということである。言い換えると、シール性によってもたらされる「安全性」や「安定操業」に加え、自動車や建設機械のように単価が高く「ライフサイクルコスト」が重視される製品においては「すり合わせ」の技術が優位を発揮するといえないだろうか。
以上まで「すり合わせ」と「組み合わせ」の観点で、日本が国際競争で勝てる産業の特徴を考察してきた。そこで、いま注目を浴びる二次エネルギーである「水素」を取り巻く製品や設備の開発・製造において、どのような「技術開発のあり方」が競争力の観点で優位なのか考えたい。
例えば燃料電池においては、高度な材料(ケミカル:セパレータや触媒)やシール材[7]、二次電池と同様の薄膜を巻回・塗工する精緻な生産技術が求められることから、部品・部門間ですり合わせることにより、「水素ガスを漏らさない」ことをKPIとした製造・開発が肝となってくる。
なぜ、燃料電池やFCVにおいても完成車やケミカル分野と同様にすり合わせによる製品製造が重要になってくると言えるのだろうか。それは水素が最も小さく軽量な元素、かつ可燃性があり、「漏らさない」ことの重要度が高い物質だからである。同時に、そのままの姿ではきわめて輸送の取り回しが難しく、ケミカルへの変換や高圧での輸送が必要なことから、エンジニアリングの余地が大きいことも同様に技術力が活かされる土壌となる。
燃料電池のみならず、海上輸送[9]や大規模水素発電、水素エンジン車やそれらを支える裾野産業においても、同様に安全性やライフサイクルコストの重要性が高いため、「漏らさない」「長寿命である」ことは優先されるKPIとなる。このため、水素関連技術の普及においては、「すり合わせ技術」が必須であり、日本の得意とする技術力が競争力を持つ事業ドメインといえる。このように日本の得意とする土壌が揃うことで、米国や中国に代表される「組み合わせ型」優位の事業ドメインからは真似されづらい状況となる。このため、すり合わせによる水素関連技術の開発・製造を極められれば、技術開発・知財化・生産技術・サプライチェーンからなるエコシステムは、現在完成車メーカーが展開しているものと近い状態が作り出せるであろう。つまりは国際競争においても優位性を持ち、一人負けしづらい環境になると考えられる。
それでは、水素関連技術の普及と日本メーカーの競争力強化に向けて、いま官民でできることは何か整理したい。結論として、水素のシェア上位を維持するためには、技術開発のみならず、デファクト標準・デジュール標準を目指した取組みやルールメイキング、知財マネジメント等を行う必要がある。
まずはじめに、水素関連技術で世界トップを維持するためには、公式な標準化への参加のみならず「デファクト標準」を目指す取り組みが必要である。かつてEV充電方式の開発において、日本は独自方式を開発してきた。これは、日本、中国、欧州で展開されてきたが、米国では大手EVメーカーが開発した規格を標準化すると表明された。この方式はユーザーインターフェース面にも注力しており、従来の方式と比較し使いやすさと耐久性が評価されている。米国の規格の標準化を受け、インドや東南アジアの市場において、規格整備上の競合となる可能性が強まり、日本の独自方式の世界展開は限定的になったといえる[10]。このことからも、水素関連技術においても早期に市場フレンドリーな規格設計を行い、市場で実際に使用されるものづくり基盤を整備することが重要である。
一方で、デジュール標準(ルール・規格)を決定する場として、国際的な標準化の取り組みに参画し自社に有利なルールや意見形成を行うため、政策提言・ロビー活動等を実施することも同様に重要であるといえる。
さらに、水素事業全体において知的財産マネジメントを織り込んだ技術のオープン/クローズ戦略も重要である。国際基準で技術がオープンになった場合、技術のモジュラー化が推進しやすい状況になる。これは、先述のとおり日本の得意とする「すり合わせ」の技術ドメインを離れ、コストダウンと調達に強みを持った「組み合わせ」の技術に優位性が移ることを意味する。そのため、コアとなる技術を見極めてクローズされた領域とオープン領域をいかに使い分けるかという検討が一層重要となる。
最後に、上記の国際環境における市場展開や標準をめぐる競争で優位に立ち水素産業を振興させるためには、サプライチェーンパッケージとして海外展開を図り、海外プロジェクトからの収益や知見が国内に還流されるエコシステム形成が必要ではないか。先に述べてきた通り、水素産業には完成車やゴム製品、エンジニアリングなど日本が国際的に存在感を示している分野と同じ土壌が揃っており、勝算が見込める。重要なのは、リスクを適切に見極めて、日本の強みが活かされる新規ドメインには積極的に挑戦していく姿勢である。
次回以降の記事では、水素サプライチェーンやそこで用いられる技術、AI開発等の最新分野に至る全体像をうつしながら、技術の各論において日本がどのような取り組みを行えば水素関連製品市場で競争力を発揮できるか掘り下げていきたい。
[1] 経済産業省 中小企業政策審議会第1回基本問題小委員会 平成27年11月26日
中小企業と現場発のものづくり戦略論 【藤本委員提出資料】(参考)
https://www.chusho.meti.go.jp/koukai/shingikai/kihonmondai/2015/download/151126kihonmondai5.pdf
[2]日経クロステック ものづくり用語 擦り合わせ(参考)
https://xtech.nikkei.com/dm/article/WORD/20060224/113645/
[3] ものづくりドットコム「すり合わせ技術は、ものづくり企業の強みか」2015年12月8日(参考)
https://www.monodukuri.com/gihou/article/769
[4] 日本経済新聞 2019年11月8日「ソニーの「背伸び戦略」 画像センサーでライバル圧倒」
[5] 福岡市HP「世界及び日本の主要都市の漏水率ランキング」
http://facts.city.fukuoka.lg.jp/data/rate-of-leakage/
[6] 株式会社アピステHP「世界の水問題に貢献する日本の技術や取り組み SDGs~目標6.安全な水とトイレを世界中に~」
https://www.apiste.co.jp/column/detail/id=4655#h2_3
[7] 住友理工株式会社HP「製品情報>自動車」
https://www.sumitomoriko.co.jp/product/automotive/
[8] 一般社団法人日本ゴム工業会「ゴム製品の生産統計」2021年
[9] 川崎重工技報・182号2020年9月「水素をはこぶ -液化水素運搬船の開発-」
[10] 日本経済新聞2023年7月20日「強まるテスラの「GAFA化」 EV充電で日産も陣営入り」
大学院博士課程修了後、新卒で電力会社に入社。主に企画部門(自由化対応戦略、電気事業連合会対応、需給計画、広域運営、系統計画、技術開発戦略)や人材育成部門を経験。 指名制選抜制度にて米国スタンフォード大学に社費留学(客員研究員)。 その後米国系戦略コンサルティングファーム、欧州系大手製造業(事業部長)、Big4系コンサルティングファーム(パートナー、エネルギープラクティス戦略チーム責任者)、グローバル戦略コンサルティングファーム(パートナー、エネルギープラクティス責任者)、起業(代表取締役)を経てトーマツ入社。 有限責任監査法人トーマツへ入社後は、環境・エネルギー分野のアドバイザリー業務に従事。
エネルギーシンクタンク、環境コンサルティング会社等を経て現職。 エネルギー・資源分野の環境対応を中心とする政策立案・コンサルティングに20年以上従事。エネルギー・地球温暖化政策、再エネ・省エネ・温暖化対応次世代技術に精通しており、近年は中央省庁の政策立案・実行支援、政策・施策/事業評価のプロジェクトをリードしている。