モータースポーツで切り拓く新時代 グループ3社それぞれの挑戦と連携
モータースポーツがもたらす革新は、日本の自動車産業にとってどれだけ重要な鍵となりうるのか。デロイト トーマツのスペシャリストたちは、サステナブルにモータースポーツに取り組める環境づくりやレース現場でのデータ活用、ドライバーの脳波分析など、革新的な手法を導入し、産業界全体への波及効果を目指している。新たな技術が結集する「走る実験室」から、日本の自動車産業の未来が今まさに動き出そうとしている。
PROFESSIONAL
- 五十嵐 貴裕 デロイト トーマツ ファイナンシャルアドバイザリー合同会社 マネジャー
- 雪野 皐月 デロイト トーマツ コンサルティング合同会社 マネジャー
- 坂本 章弥 デロイト トーマツ リスクアドバイザリー合同会社 シニアコンサルタント
目次
日本の自動車産業を変革する鍵が「モータースポーツ」にはある
「モータースポーツはこれからもっとプロスポーツとしての社会的意義を認識し、公益的な市民権を得ていくことが業界全体の発展に必要です」
デロイト トーマツ ファイナンシャルアドバイザリー合同会社の五十嵐 貴裕は、この日本の自動車産業を変革する一つの鍵がモータースポーツの発展にあると話す。「個社で動くだけでは、グローバルの生存競争に勝ち抜くことは困難を極めます。しかし、モータースポーツという旗に集まった多様な企業と共に目指していけば勝ち筋が見えてきます」
過去には「モータースポーツ」=「走る実験室」として業界のイノベーションの苗床だったモータースポーツは、年月を経て社会やファンとの距離が広がってしまっていた。(関連ページ:「走る実験室」カーボンニュートラルで今こそ求められるモータースポーツの復権」(2022年))しかし、ここ数年で変化が起きた。
「私たちが2022年にNEXT50プロジェクトとして、スーパーフォーミュラのトップパートナーとして業界の変革支援をはじめて現在3年目。おかげさまで観戦者の数も回復し、人気や注目も高まってきました。1年目はプロスポーツとしての中長期的な成長戦略を練り、2年目は『世界最高峰のHUMAN MOTORSPORTS』としてリブランディングを実施しました。今は顧客層の変化として家族連れの方も増加しており、今後この勢いをどう持続・興行として発展していくかが課題です」
これから業界が発展するためには何が必要かと聞くと、五十嵐は「未知の顧客や社会との接点を増やすこと」だと話す。
「自動車技術向上やブランディング、カーボンニュートラル、デジタルツイン等、様々な取り組みが行われているものを点で終わらせるのではなく、面として活動を組み合わせていくことで新しい価値を創出していくことが必要だと考えています。加えて興行として業界を発展させていくためには、マネタイズできるいくつもの手法を確立し、結果が各チームや業界を支えているプレイヤーにしっかり配分され、それがさらに新たな投資として業界の発展のために資本を投下していく。このような正のループとしてのエコシステムを構築し、大きくなったムーブメントを通してプロスポーツとしての市民権を得ていきたいです」
「興業としてのスポーツ」の構築のチャレンジは、まだまだ続く。
モータースポーツのデータ分析効率化は、金融・証券業界などにも生かせる
スーパーフォーミュラの決勝レース現場で、ノートPCのディスプレイを食い入るように見つめるチームの面々がいた。画面には各車のタイム差やタイヤ交換による順位変動予測、コース上での各セクターにおける車両間隔など、集計・分析がリアルタイムに表示されている。この画面――「デジタルダッシュボード」の開発に携わったデロイト トーマツ リスクアドバイザリー合同会社の坂本章弥が口を開く。
「デジタルダッシュボードによって、レース中に必要な情報をコンパクトに集約表示することで、決勝レースにおけるピットインタイミング等の検討に際し、より高度な意思決定を速やかに行うことが可能になりました」
リアルタイム性が求められるレースの現場で、これまでレーシングエンジニアが手作業で行ってきたものを自動化し、表示させるダッシュボードはまだ成長段階だという。
「現場が求めるニーズをどう画面に表示するのか?そのインターフェースも含めて、継続的なすりあわせが必要になります。このリアルタイム性を求められるのは自動車産業に限りません。例えば、金融・証券なども同様です。だからこそ、このレース現場での実証が日本の産業に寄与できるものと信じています」
ドライバーの脳を計測し、自動運転や認知症予防へ生かす
五十嵐がモータースポーツ産業の変革で盛り上げ、坂本がレースにおける一瞬の判断をデジタルダッシュボードなどで支援する一方で、ドライバー側のデータを分析し続けているのがデロイト トーマツ コンサルティング合同会社(DTC)の雪野皐月だ。2024年9月には、フォーミュランド・ラー飯能でAstemo REALRACINGの塚越広大選手の協力で、実車における動的環境下でのドライバーの脳計測を行ったという。
「具体的には脳波のベースラインを取得した上で、走行中といった動的環境下でのドライバーの脳波を測定しました」
脳波測定は走行シチュエーション別に行い、例えば運転中に本人が楽しいと思う音楽を聴いている時や後方から車によるクラクションを鳴らされた時など、最大10パターンの環境変化を加えておこなった。塚越選手が測定をふりかえる。
「運転中のドライバーの状態を分析し、交通安全やスポーツにとってプラスになる発見があると、この先モビリティが変わる中でより社会貢献などの広がりがあるのではと思っています。今後自動運転になるにしても、どんな自動運転ならドライバーが安心して快適に過ごせるものになるのかなど、車室環境の開発に生かせるし、まだ人が運転する時代は続くと思うので、車側からドライバーに対して注意喚起を行い、事故を未然に防げることもできる。ドライバー側のデータを活用するからこその新しい技術につながっていけばと思います」
塚越選手にレーシング中の気持ちはどうかと尋ねると「レーシング中は考えている暇はない。むしろ集中しているなと考えている時は集中していない」と答えた。「だからこそ、集中するスイッチが分かるとうれしい」とも話す。
「自分で理解するよりは、客観的に示してもらうと理解のしやすさが違います。自分でも自身の状態が分からない部分も多い中で、提示されるデータをすんなり受け入れられるかという課題はありますがが、そのためにもまずはデータの蓄積が必要だと考えています。デロイト トーマツ グループと実験をすることで、レースの際にどういうメンタルでいればいいか、など監督からの指示があると戦略にも活かせることができるし、どんなトレーニングをしておくべきなのか、といった、レースに臨む上での対策が練れる。データを活用して競技にも応用していきたいです。今は普通車での実験ですが、レーシングカーでのノウハウも知れたらと思います」と話す。
雪野は10年以上生体データ活用プロジェクト経験を積んでいる。「その昔、長距離ドライバーの健康起因事故防止に向けた実態調査なども行っていました。3カ月間ほど、全国の長距離ドライバーの行動データやヘルス関連データを取得し、ドライバーの疲労推定をモデル化するなど多種多様なデータを扱ってきた」と話す。
「DTCでは2022年より米国インディカー・シリーズに参戦する佐藤琢磨選手と、SUPER GT GT500クラスに参戦するAstemo REAL RACINGとテクニカルパートナーシップ契約を結んでおり、現場でのデジタルアセットを活用した競技支援にくわえ、社会貢献に繋がるための様々なプロジェクトも共同で行っています。
例えば、佐藤琢磨選手と共同で行っている脳研究では、プロドライバーにおける脳の特殊性を解明する研究を行っていて、プロのアスリートは私たち一般人と脳の使い方が異なります。ひと言でいうと、効率的な使い方をしている。その時必要なタスクに対して必要な脳だけを集中して使っているんです。実はつい先日、レーシングドライバーだけでなくハイパフォーマンスのサッカー選手に対しても同様のアプローチで脳を計測しましたが、同様の結果が得られています(関連ページ:サッカー元日本代表橋本氏・FC今治スポーツダイレクター小原氏と語る脳データの活用可能性)
脳研究は人間の究極の理解を目指しており、1つの研究だけでも多くの示唆がえられます。例えば、認知症患者の方は、何かタスクを行うときに使わなくてもいい部分の脳を多く使っている方が多いんです。研究が進み、琢磨選手のような脳に近づけるための何らかのメソッドやトレーニング方法が確立できれば、認知症の改善や交通安全といった文脈にも貢献できるのではないかと思っています。会社としても研究や営利目的だけでなく、社会貢献まで繋げることができればと考えています」
三者三様の取り組みがゆるくつながりあい、イノベーションを生み出す素地となる
取り組み内容は異なるが、3人ともモータースポーツを軸足に置いている。
「モータースポーツ活動がもたらす効果は大きい。坂本さんや雪野さんが取り組んでいる内容は自動産産業に関わらず他産業への架け橋にもなりえる。また、そこで使われているのはどれも先端技術です。これはモータースポーツが数少ない『機械と人』で行うスポーツだからこそ。そして、機械を用いるということはエネルギーを用いるということでもあり、環境に対しての知見も蓄積されていきます」
五十嵐はデロイト トーマツ グループがモータースポーツ活動に取り組む意義について下のスライドを見ながらそう話す。競技性を失いかねない秘匿情報や機密情報の連携はもちろん行わず、それぞれが個別競技の支援を行っているが、最終的にはモータースポーツで培ったノウハウ・経験を共同で社会や産業に還元していきたいという想いは共通だ。
雪野も「俯瞰するとこのような形になりますが、私たちはそれぞれがそれぞれの取り組みに邁進していて、それがいいバランスだと思っています。小さなコミュニティがグループ内でたくさん生まれ、それらが時に混じり合う。個の力があってこその繋がりが、イノベーションの源泉となります」
坂本や五十嵐、雪野が同じチームで同じ取り組みをしていては、拡がりは起きづらい。しかし、3人がモータースポーツという大きな傘の下で、それぞれの課題感に向き合うことで新しいイノベーションが生まれる素地ができている。そしてそれが芽吹くのも時間の問題だ。
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