IPOは一つのステップ、世界に通用するスタートアップ支援の最前線とは
2022年11月から開始された日本政府によるスタートアップ育成5か年計画の効果もあり、日本における起業数の増加やリスクマネーのスタートアップへの流入といった成果は生まれてきている。しかし、まだ道半ばの現在地。これから日本のスタートアップ支援はどのようになっていくのか?第一線に立つ、デロイト トーマツ ベンチャーサポートの斎藤祐馬と、IPO監査事業部の設立をリードした伊藤裕之の2人が語った。
「父が会社を辞めて独立し、会社経営に苦しむ姿を見てきました。私の将来はそこで決まりました。起業家、特に創業間もないシード・アーリー期の起業家を支援する手段として会計士を選んだのです。会計士として従事する傍ら、スタートアップ訪問を地道に行い、そして、自分の原体験につながる、創業間もないスタートアップ支援を加速するためにDTVSを立ち上げました」
デロイト トーマツ ベンチャーサポート(DTVS)の代表取締役を務める斎藤祐馬は自身のモチベーションの源泉は父の背中にあるという。
GAFAを除くと、日米の成長に大差はない
「日本(TOPIX)と米国(S&P)の直近10年間の株価市場のパフォーマンスは、GAFAを除くと実はそれほど変わりません。逆に過去数十年の間にできたGAFAのような新しい会社の時価総額を足すと圧倒的な差がでてしまうのです」
つまり、挑戦し続ける会社を新たに多数生み出した国は伸びて、あまり出さなかった国は伸びなかったということだ。
そういった状況に日本も手を拱いている訳でない。政府のスタートアップ育成5か年計画では、創業の絶対数と創業したスタートアップの規模の拡大を目指し、10万社の創出、10倍の投資を目指している。「私たちは2010年から活動をしていますが、日本でスタートアップ起業を考える人たちは確実に増えてきました」
起業家を増加させる上で大切なのは、「起業しようと思うかどうか(想起)」だという。斎藤は「起業をしようと思った人が起業する率は日本も米国などと比較しても変わりません。ただ、起業しようと思う人が極端に少ない」と語る。その理由の上位に「学校教育」が挙げられる。スタートアップについて正しい知識を持てないから、起業が遠いものだと感じられてしまう。斎藤らはその点を変えるために、学生たちを海外のスタートアップイベントなどへ連れて行ったり、起業家に学生向けに講演をしてもらったりとさまざまな活動をしている。
「DTVSには、最新テクノロジーやビジネスモデルが結集したスタートアップを基軸にイノベーションを推進するという目的があります。スタートアップ向けの創業・成長支援や大企業向け新規事業創出支援、官公庁向けスタートアップ・エコシステム政策支援の三つの柱がありますが、それと同時に起業家候補を育成していくことも役割の一つとして捉えています」
DTVSでは、デロイトのグローバルネットワークに加え、世界の主要なスタートアップ・エコシステムで独自のネットワークを構築している。このグローバルネットワークを用いてアジア最大級のスタートアップカンファレンスも毎年開催しており、それが「デロイト トーマツ イノベーションサミット / アントレプレナーサミット・ジャパン」だ。
今回、同サミットではオープンイノベーションを加速させる新たな手法である「ベンチャークライアントモデル」をテーマに、大企業とスタートアップの協業事例や成功事例を紹介し、最先端のイノベーショントレンドを発信する。
「起業する数は増加傾向。これからも支援を続け増やしていきたい。イノベーションサミットなどを通じて知見を起業家たちが共有し、私たちが伴走支援をしていくことで成長を後押ししていく」
斎藤は今後の意気込みをそう話す。
「スタートアップが生まれ、大きく成長していくためには、大企業や行政、アカデミアとの連携も欠かせません。私たちは行政や大企業、アカデミアに対しても積極的に働きかけ、起業家を含めたスタートアップ・エコシステムを構築し発展に寄与することができる存在だと自負しています」
支援力を高めるために陣容も拡大しており、現在は約250人だが将来的には1000人規模の組織になることを目指す。「1000人規模のスタートアップ支援組織はアジアにいまだない。アジアNo.1のイノベーションファームとして存在感を高め、日本をアジアのスタートアップハブとしていきたい」。
IPOはさらなる高みを目指していくための手段でしかない
企業の成長の指標としてわかりやすいのはIPO(新規株式公開)だが、「それはあくまで高みを目指していくための手段」と斎藤は断言する。トーマツでIPO監査事業部の設立をリードした伊藤 裕之もうなずく。
「斎藤も私も、元は監査法人トーマツのIPO部門に新卒で入りました。当時Big4の中でトーマツはダントツでIPOを手がけていました。IPOというと、スタートアップの周辺には投資家や証券会社がいるイメージかもしれません。それはその通りなのですが、会計士はIPO前も後もずっと伴走していく役割を持っています。そういう意味で、IPOを目指すスタートアップにもっとも寄り添う立場なのです」
2人はIPOの業務にやりがいを感じていたが、徐々にIPOが「出口」のようなイメージになっていく風潮に違和感を覚えていた。
「斎藤のいうとおり、IPOはさらなる高みを目指していくための手段でしかないのです。ゴールではない。日本でそのようなイメージがついたのは、私たちにも責任があります。だからこそ、あらたにIPO監査事業部を立ち上げたのです」
デロイト トーマツ グループの有限責任監査法人トーマツは、IPO監査事業部を2024年6月から設置した。日本のスタートアップ・エコシステムのビジョンを踏まえたIPO監査の提供体制を強化し、スタートアップの成長と輩出の加速に貢献するのが狙いだ。
日本のスタートアップ・エコシステムは厚みを増しつつあるが、小型上場や上場後に成長が鈍化する企業も少なくない。この状況を改善するためには、シード・アーリー期における資金アクセスの改善、レイター期でのリスクマネーの十分な供給、未上場株の流動性の向上、IPO環境の改善など、スタートアップの輩出と成長ステージの各段階での成長を後押しする環境がさらに整備される必要がある。
「起業家一人でゼロイチはできるでしょう。1-10もできるかもしれません。IPOプロセスは3年程度なので、1-10のタイミングで実現する場合、個人の力でもなんとかなるかもしれません。個人の力だけで10-100は難しい。組織の力が求められます。そして、10-100を目指すなら、1-10のタイミングで自分の分身となるべき組織を構築していく必要があります。私たちがハブとなり、デロイト トーマツ グループが有するさまざまな専門性、さらにはグローバルに活動するデロイトの知見を提供することで世界に通用する成長企業の創出に寄与していきたいと考えています」
例えば斎藤のDTVSと連携し、シード・アーリー期からミドル・レイター期までのスタートアップのニーズに対応する。また、IPO後の成長に必要な経営基盤の高度化やM&Aなどについても、デロイト トーマツ グループ各社の専門家が的確な支援を行うことで、スタートアップのIPO前後の持続的な成長を促進し、日本のスタートアップ・エコシステムの活性化に貢献していく。そのために陣容の強化も行った。IPO監査事業部に所属する約40名の中核人財に加えて、IPO業務の知見を有すると認定された約600名の人財から構成された専門家集団を組織し、関与先・業務にマッチする専門家を選任して業務を行うことで高品質な業務を提供するという。
「起業時は大きな夢を持っていても、煩雑なIPOプロセスの中でその思いが減っていってしまう経営者をたくさん見てきました。彼らの夢を大きいままに、成長をサポートしつづけられる存在でありたいのです」
社会を変えられる起業家、彼らの「思い」を「形にする」一助となる
斎藤がここまでDTVSを成長させるまでには、相応の苦労もあったという。
「最初は監査業務と兼務で始めました。当時は苦労して集めた数十人のメンバーと一緒に邁進していたので業務は大変でしたが、気持ちを同じくする人達と仕事をしていたので、精神的な負担はありませんでした。大変だったのは監査法人から別法人として独立して成長し、スタッフが50名を超えたあたりから。規模が拡大する中で、独立した法人として利益も追求する必要性がより高まりました。その中で、それまでの理念ややりたいことを最も重視した活動と収益性のバランスをうまく取れなくなり、大量の退職者が出てしまいました」
斎藤はその後、論語と算盤を両立する経営に向けて、さまざまな打ち手を打つが、効果が出るまでには時間はかかった。
「2年程度かかりました。このときは本当に精神的負担もあって、生活習慣を変えました。1つは朝5時起床で家族と向き合う時間を増やす、そして夜の学ぶ時間を増やすために飲酒を一切やめました。その上で、スタッフに責任をしっかり持たせていく教育を行ってきました」
まさにスタートアップの苦労を斎藤自身が味わっているのだ。だからこそ、彼の考えにはリアリティがある。
斎藤のように、スタートアップは何も独立起業に限ることではない。大企業であれば斎藤のように社内起業からスタートアップは興り、何代も続くファミリー企業でも世代交代でスタートアップのようなイノベーションが起きる。斎藤は大企業にもスタートアップ・エコシステムが重要であることを次のように説く。
「大企業の中でイノベーションは起こしづらい。かといって起業にはリスクが伴う。そこで社内起業という形をとり、30代の若手社員にチャンスを与えることでグループとして成長を加速させることが期待できます」
今では大学発の起業も増加傾向であり、一人で立ち上げるばかりがスタートアップというわけではない。さまざまな起業の形があり、多様な起業家たちがいる。多くの起業家と向き合ってきた斎藤と伊藤。「目利き力」のある2人に、成長する起業家の特徴を聞いてみると「思いが大きく、それをやり遂げる意思があること」という。
「はじめは個人的な欲を持つ人もいますが、多くの人たちと交わり、思いが大きくなっていく。その思いを形にする意思の力を持っている人が成功をつかみ取っているように思えます」と斎藤が話す。伊藤は「そういう人たちの力になっていきたい」とうなずき、続ける。
「トーマツの監査を受ければ上場後も中長期的な成長が期待できる、というブランドにしていきたい。実際統計を見ても、そういう成果は出ている。そこをもっと起業家の皆さんに知ってもらいたい。いま、監査をしている起業家の方に私たちの向き合い方を行動でお示ししていたら『監査って駄目だしするだけだと思っていた。でも、会社の事を本当に思ってくれているんですね』とうれしいコメントをいただけたんです。まさに、そういう存在であり続けたいと考えています」
日本を変えうる、世界に通用するユニコーン企業はここから生まれるのかもしれない。
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