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ピープル・アナリティクス ~2030年における人材マネジメント~(後編)

“未来型”要員・人件費マネジメントのデザイン 第13回

本連載では人件費を考える上で重要な複数の観点から、どのように要員・人件費マネジメントに取り組むべきか、ストーリー形式で詳解していく。今回は、HRテクノロジーをテーマとして、今後この領域がどのように発展していくのかを展望しつつ、HRテクノロジーが進んだ世界における要員・人件費マネジメントの在り方を考察する。

前回のあらすじ

2030年4月、約1500人のZ社には、人事部にピープル・アナリティクス専門のチームがある。全社課題・部門課題を解決するべく、各部門と連携しながら、人事課題の分析から施策策定・実行まで担っており、経営陣や各事業部門からの評価も高い。
同チームに属する風間は、ピープル・アナリティクスによる分析結果を基に、近々退職が見込まれる社員に関する情報提供と退職防止に向けた対応の提案のため、営業二部部長の青山のもとを訪れた。
青山はいわゆる"感覚論者"であったため、ピープル・アナリティクスの結果に多々疑義を唱えるものの、事実に基づいた分析結果を武器に、風間は退職防止に向けた取り組みの必要性を訴えかけた。結果、青山はピープル・アナリティクスで得られる示唆の深さに内心驚きつつも、渋々風間の提案を受け入れた。

ピープル・アナリティクス ~2030年における人材マネジメント~(前編)はこちら

ピープル・アナリティクスの活用による退職率の改善

2030年7月24日(水)。人事部の風間が営業二部部長の青山にピープル・アナリティクスによる退職予測を報告してから4カ月がたとうとしていた。当時、3カ月以内に退職する確率が高いと見込まれていた営業二部の大嶋は退職しておらず、むしろ退職確率は大幅に下がっていた。
4月に風間が提案した筋書きを踏まえ、青山が部員の高平と事前面談した上で、大嶋本人と面談していたのだった。青山は、高平から得た大嶋の近況と、持ち前の人心掌握の鋭さ・人間的魅力を武器に、退職を考えていた大嶋からその理由を聞き出した。大嶋の退職理由とは、ピープル・アナリティクスで示された可能性の一つである「ワーク・ライフ・バランスが取れていない」ことであった。青山は、風間の説明どおりの実態になっていることに驚きつつも、即座に役割分担の変更や業務量の調整等を進めたことで、大嶋にとっても、ワーク・ライフ・バランスを維持するめどが立ち、退職しないことを決意したのだった。
風間は、人づてに大嶋の顛末(てんまつ)を耳にし、胸をなで下ろした。ピープル・アナリティクスの活用による退職見込みの予測は、本格的に着手して数年がたった2027年には一定の予測精度を得ることができていた。しかし、実際に退職を思いとどまらせるためのアクションは人間が行うのであり、予測は立っても容易に退職率を改善することはできなかった。実際に退職率の改善が見られるようになったのはここ1~2年のことであり、引き続き注力すべき取り組みの一つだった。ただ、Z社の長年の課題であった退職率の改善に成功したことは、ピープル・アナリティクスによる大きな成果でもあった。
Z社では、根気強い取り組みにより退職率が改善したことで、大量採用をせずとも済むようになった。また、採用活動においてもピープル・アナリティクスを活用したことで、入社後に長期の活躍と高パフォーマンスの発揮が期待される人材を、より精度高く採用することができるようになったため、業務の安定化に加え、入社数年での退職減にも寄与していた。こうした取り組みの結果、Z社は従来より社員が長く・安定して活躍できる会社に変わっただけでなく、精度が高い要員人件費計画を立てることができるようになり、長期的な視野を持って人事施策を打ち出すことができるようになった。
2018年現在、ピープル・アナリティクスへの過度な期待の声を聞くことがあるが、ピープル・アナリティクスを用いるだけで良い会社に変革できるわけではない。組織として根本的に良くなるためには、Z社のように、退職率の改善に向けた取り組みや、より良い風土づくり、エンゲージメント向上施策等の取り組みが必要となる。効果的・効率的な変革を実現するべく、誰に・何を・どのようにすればよいのかを特定する際に、ピープル・アナリティクスは強力な武器となるのである。

 

新組織立ち上げに伴う体制・候補者の検討

2030年8月5日(月)。営業二部部長の青山はため息をついていた。営業本部長から、新技術を活用したサービスの提供に向けて、必要な体制・人員を整えるよう指示があったのだ。
新技術を活用したサービスの提供に当たっては、その技術に精通した人材だけでなく、法務面からリスク回避策を検討できる人材も必要である。しかし、青山のこれまでの経験を基にした感覚からすると、他部門を含めて該当する人材はいなかった。念のため、営業二部の課長にも話を聞き回ったものの、候補者を挙げることができないでいた。ふと、4カ月前に風間がピープル・アナリティクスを用いて、退職見込みの人材を特定したことを思い出し、「ピープル・アナリティクスで、新サービスの提供に向けた体制案と候補者を挙げてほしい。退職見込みの社員を挙げることができたのだから、できるだろ?」と風間にボイスチャットで検討を依頼した。青山にとっては、ピープル・アナリティクスで素案を策定できれば"もうけもの"であり、うまくいかなくても構わないという気持ちでの依頼だった。
しばらく連絡を取っていなかった風間にとって、青山からの依頼は寝耳に水だった。しかし、しめたとばかりに「もちろんできます。明日、営業二部にお伺いします」とすぐに答えた。

 

ピープル・アナリティクスの活用

翌日、営業二部に着いた風間は、青山との打ち合わせに臨んだ。青山は、風間に新サービスの概要を説明した上で、「ピープル・アナリティクスを用いて、新サービスの体制案を提示してくれ」と頼んだ。風間はうなずき、システムに向かって「新サービス立ち上げに向けた体制案を検討したい」と発言した。すると、画面にさまざまな質問が表示された。
青山は眉間に皺(しわ)を寄せ、「こんなに多くの質問に答えないと体制案を作れないのか。データからパパっと案を作るのがピープル・アナリティクスじゃないのか」と疑問を呈した。「さまざまな仮定をおけば、もちろん体制案を作ることはできます。しかし、必要な情報が不足していれば、人間が検討するのと同様に、練られた体制案を作ることはできません」と風間は答えた。青山は風間の回答に納得しつつも、面倒くさがる態度を隠すことなく、ピープル・アナリティクスからの質問に一つ一つ答えていった。
青山がひととおりの質問に答え終わると、ピープル・アナリティクスから体制案が提示された。青山は体制案をつぶさに見ながら自身の想定どおりの案に仕上がっていることに満足し、「体制案は分かった。しかし、この体制を実現できる候補者はいるのか」と風間に問い掛けた。風間はシステムから候補者案を表示しながら「全社員を対象として候補者を挙げると、最適な体制案は次のとおりです」と答えた[図表1]。

※筆者注:本来は体制案やその候補者は複数挙がるものの、ここでは便宜的に1案のみとしている。


[図表1]新体制の候補者案

「田上さん、齋藤さん、堀内さんのことはよくご存じだと思います。彼らなら、個々人の実力はもとより、うまく他者と連携することができるでしょう。チームリーダーを営業三部の嶋村さんに変えた場合のチームも候補に挙がりましたが、他の必要人材について、人材要件にマッチしつつ、チームとしての機能度を高い水準で維持できる候補者が該当しません。いずれの案でも、技術担当・法務担当には、技術部・法務部から候補者を挙げる必要があります」
そう風間が説明したとたんに、青山が声を荒げた。
「技術部や法務部から候補者を挙げるなんて、実態が分かっていない証拠だ。営業部にも技術・法務に長けた人材はいる。技術部や法務部は、これまで顧客目線に立っている営業部の提案をことごとく受け入れず、否定し続け、話が進まないことが多くあった。新しいサービスを生み出すときに、前向きに議論できない人材が入っても、検討スピードが落ちるばかりか、頓挫するリスクを大きくするだけだ」
風間は、候補者の情報を提示しながら説明した。
「少し待ってください。確かに、営業活動を進める上では、そのような衝突もあったのだと思います。ただ、新しいサービスを立ち上げる際に、その実現可能性を高める上で、最新の技術的・法務的知見が重要なことはお分かりだと思います。なぜ彼らが候補者に挙がったのか、詳細を説明させていただきたいと思います」
風間は、候補者の人材タイプや、過去の社内外における取り組みや各場面における役割・成果などを説明した。
「塩川さんは33歳と若手ではありますが、技術的知見は過去の経歴から疑う余地はありません。また、昨年調査した人材タイプ診断によると、とても協調的なタイプであり、前職ではサービス開発も担当していました。また、主任クラスでは異例なほど、他部から"有益な情報を発信している"と認知されている知見の持ち主でもあります。これらの情報を踏まえると、新サービスの立ち上げにおいても、前向きに議論に参画する人材だと考えられます」
青山は、塩川との面識はなく、また過去の技術部との禍根から納得するに至らなかった。しかし、風間の説明は一定程度理解できるため、候補者との面談を通して見極めることを前提に、渋々候補者案を受け入れることにした。
風間は手に汗をかきながらも、自身の経験を重視する青山を再度説得することができたことに、強い達成感を覚えていた。

 

 

【解説】ピープル・アナリティクスによる体制案・候補者案の策定

新組織立ち上げに伴う体制案・候補者案の策定において、Z社がピープル・アナリティクスをどのように活用しているか解説する[図表2]。


[図表2]体制案・候補者案の策定プロセス

Z社では、ピープル・アナリティクスを活用して、新サービスを担う新組織の体制案とその担い手の候補者案を導出しているが、その過程では多くの情報が必要となる。特に、体制案の策定に当たっては、新サービスの戦略やコア・ケイパビリティが何か、サービス構築・維持に必要な要素は何か、その要素を満たすために必要な業務は何か、その担い手に求められる要件は何かなど、多様なインプットと判断が必要となる。これらは会社のデータとして存在するものではなく、あらためて検討すべきものが多く、データ分析技術が代替できる余地はほとんどない。しかし、体制案を策定する際の検討プロセス・論点はある程度定型化できるため、Z社では、新体制策定のサポート機能として、検討事項を質問形式で提示するサポート機能を導入している。
一方で、候補者案については、ピープル・アナリティクスの活用余地が大きい。母集団となる社員について、体制案と同時に定義される人材要件に合致するか否かを、さまざまなデータから推定するのである。そのためには、人材要件として用いられる能力・経験・スキル等の要素を定義しておき、その要素の充足度として代替できる各種データを定めておく必要がある。各種データには、知識・スキル・経験だけではなく、本人の志向性や評判、社内外のネットワーク(人のつながり)、各人材との相性などが含まれる。人材要件に紐づく各要素の充足度と各種データの紐づけについては、統計技術を用いて相関性を導き出すだけでなく、ヒトの目を通して因果関係を紐解いておくことが望ましい。
Z社では、人事部で全社の異動案を検討する際に、一部ポジションについて人材要件を設定し、活用可能なデータを見つけ出すことを長年重ねてきた。その実績を基に、今回の営業二部における候補者案を策定したのである。

 

 

 

ピープル・アナリティクスの効果とさらなる活用余地

後日、青山は候補者全員との面談を行った。特に塩川は、当初の青山の想定とは異なり、新サービスを担う組織の一員としてふさわしい人材であった。青山は自身の経験による考察との違いに驚いたものの、うれしい誤算でもあったため、新サービスを担う体制づくりを順調に進めようと気持ちを新たにしていた。そんな折に、風間から「新組織の立ち上げに向けた追加のご提案」と題した資料が届いた。資料には、塩川をはじめとした候補者の特徴とマネジメントする上での留意点、各役割を果たしてもらうための育成プラン等が書かれていた。
青山は、渋い顔をしながら資料に目を通したところ、風間が提示した多くの施策は、自身でも同様に考えたであろうことに気付いた。青山は、ピープル・アナリティクスの効果についても認識を改めなければならないと思い始めていた。

 

本稿のまとめ

本稿では、2030年の世界を舞台に、近年話題となっているピープル・アナリティクスの活用事例を描くことを試みた。
ピープル・アナリティクスについては、"何でも解決してくれる魔法の杖"や"そんなことは実現不可能である(敷居が高すぎる)"といった極端な声がよく聞かれる。今回、約10年後を舞台に、実現可能と見込まれる取り組み、またその実現に向けた障壁を幾つか紹介することで、ピープル・アナリティクスの実力と可能性について共通認識を持つことを試みている。
また、ピープル・アナリティクスは、要員・人件費計画の実行や高度化にも貢献できる可能性がある。社内人材を異動させる場合、元の組織体制に穴が開くことになるが、その穴についても、ピープル・アナリティクスを活用して最適な候補者を選定し"人材の玉突き"を行うこともできる。ヒトの頭の中で行っていたさまざまな異動シミュレーションをピープル・アナリティクスが代替することで、ヒトよりも多くの情報を迅速に処理しながら、社内人材のさらなる有効活用、ひいては人的生産性の観点から全社の効率化に貢献することにもつながっていくことが期待される。

 

 

著者:酒井雄平(デロイト トーマツ コンサルティング マネジャー)
松井和人(デロイト トーマツ コンサルティング マネジャー)

※上記の役職・内容等は、執筆時点のものとなります。
※本コラムは、労務行政研究所の許諾を得て、労政時報 jin-jour(ジンジュール)の記事(2018年11月13日掲載)を転載したものです。

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