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ビジネスエコノミクス基礎講座~エビデンスに基づく事業戦略~ 第6回

新型コロナウイルス感染症問題と損害賠償:ポストコロナにおける賠償リスクと損害回復の可能性

本稿では、米国におけるクラスアクション(集団訴訟)の動きについて概観するほか、今後わが国でも企業間の損害賠償に係る係争や交渉が多く発生するとみられる中で、自社のリスク、あるいは損害回復の可能性を検討するために、現時点で押さえるべき留意点などにつき、実務上の論点を整理する。

I.はじめに

今般の新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の世界的大流行(パンデミック)により、世界経済は未曽有の損失を被っており、米国などにおいては、中国に対する損害賠償請求の動きも見られる。わが国においても、パンデミックおよび政府による緊急事態宣言等の影響により、企業には様々な類型の損害が生じている。本稿では、米国におけるクラスアクション(集団訴訟)の動きについて概観するほか、今後わが国でも企業間の損害賠償に係る係争や交渉が多く発生するとみられる中で、自社のリスク、あるいは損害回復の可能性を検討するために、現時点で押さえるべき留意点などにつき、実務上の論点を整理する。

II.米国におけるクラスアクションの動き

COVID-19の感染者数が4月中旬時点で世界最多となっている米国において、中国政府を相手取り、損害賠償の支払いを求めるクラスアクションの動きが相次いでいる。フロリダ州では、3月中旬、中国での感染発生時の初期対応に問題があったため大流行を招いたとして、同州の個人や企業が、中国政府に対し健康被害や経済的損失に対する賠償を求める訴訟を提起した。カリフォルニア州では、不動産管理会社や会計事務所などが、COVID-19問題により被害を受けた全ての小規模企業を代表するとして、3月末にクラスアクションを提起した。報道によればこのようなクラスアクションは上記を含め全米で少なくとも4件はあり、請求額は数兆ドルに上るという(注1)。

ただし、司法による解決には多くのハードルがある。まず、外国主権免除法(Foreign Sovereign Immunities Act of 1976: FSIA)によれば、外国政府は米国における訴訟の対象外となり、ごく一部の例外しか認められていない。また、クラスアクションは、共通の法的利害関係を有する地位(クラス)に属する者の一部が、クラスの他の構成員の事前の同意を得ることなく、そのクラス全体を代表して訴えを起こすことを許す訴訟形態であるところ、どのように被害を受けたかについて、共通の事実関係があると認められなければクラスが成立しないという問題もある(共通性の要件)。さらに、仮にこれらのハードルをクリアしたとしても、不法行為と因果関係を有する損害額を計算し、立証することは、通常でも複雑なプロセスであるところ、これほど大規模で広範な損害は先例がなく、困難を極めるだろう。

とはいえ、米国では今般のパンデミックによる被害につき、中国が責任の大半を負うべきとの意見は大多数になりつつあり(注2)、トランプ大統領も中国への巨額の賠償請求の可能性を明らかにしている(注3)。欧州でも同様の動きは広まっており、今後世界的に中国への賠償責任を問う声が高まる中、損害賠償は司法だけではなく、政治的課題にもなりつつある。

※1) “At Least Four Class-Action Suits Filed Against China, Seeking Trillions Over Coronavirus Outbreak in U.S.”, Newsweek, April 16, 2020

※2) “Overwhelming Majority Of Americans Hold Chinese Government Responsible For Coronavirus”, Daily Caller, April 8, 2020

※3) https://www.afpbb.com/articles/-/3280704(外部サイト)

III.わが国企業が被る損害

わが国の企業や個人にとって、中国から補償を得ることは米国の企業や個人と同様、あるいはそれ以上に困難であるが、切実な問題は、パンデミックによりすでに発生している、あるいは今後発生するとみられる損害をどう解決するか、あるいは顧客や取引先が被った損害の請求に対し、どのように対応するかであろう。損害の類型としては売買契約、業務委託契約、請負契約、その他様々な取引に関連するものが想定されるが、例としては以下のようなものが考えられる。

  • 従業員の感染や政府の自粛要請、あるいは仕入先の休業等により製品供給が不可能となり、顧客や取引先が被害を被った
  • 経済の急激な落ち込みにより予定していた事業が難しくなり、購買契約や販売契約、その他事前の取り決めに基づく取引先との取引を大幅に縮小・停止したために、取引先に損害が生じた
  • 建築資材の納入遅れや下請け従業員の出社が困難となるなどの理由で建築工事が延期となり、施主に多大な損害が生じた
  • スポーツ・音楽イベントが中止となり、チケット払い戻しや会場のキャンセル料、代理店やスポンサー、出演者に対する支払いにつき、係争が生じた

このようなケースにおいて、自社、あるいは取引先に損害賠償責任があるかどうかは、まず、契約上の不可抗力免責条項があるかどうか、ある場合には適用可能かどうかがチェックポイントになる。不可抗力免責条項とは、不可抗力により債務が不履行となった場合には免責を認めるもので、一般的には地震、津波等の天災、洪水、疫病、暴動または戦争行為などのイベントが不可抗力として規定されるが、契約により文言は様々であり、自社の契約において今般のパンデミックが不可抗力に相当するか、検討する必要はある。

実際のビジネスにおいては、不可抗力免責が必ずしも適用されない、あるいは適用可能だとしても完全な適用につき争いとなるような場合は多いと考えられる。例えば、パンデミックにより取引先からの仕入れが不可能となったとしても、代替的な仕入れ先からの仕入れが可能であった場合には、損害回避は可能であったと見られ、一部または全部の損害賠償責任が認められる場合があるだろう。

 

Ⅳ.合理的な損害額の立証

このように、実際問題としてわが国企業の多くが今後何らかの損害賠償責任を負う、あるいは取引先の賠償責任を基礎として請求を行う状況が生じうる。そうすると次の質問は、自社がどの程度の損害額の請求を受ける可能性があるか、あるいは取引先への請求により損害回復が可能となるか、であろう。

法的に意味のある損害額を計算するために、まず、損害の範囲を定める必要がある。すなわち、パンデミックの後生じた損失のすべてが賠償の対象となるわけではなく、賠償責任の対象となる行為との間の因果関係が立証可能なものに賠償が限定される。この点を、民法416条は、損害を債務不履行があれば当然生じたと考えられる損害(通常損害)と、特別の事情を考慮し、当事者であれば予見可能であったと考えられる損害(特別損害)に大別している。

損害の範囲が定まると、次のステップは損害額の計算である。基本的な損害理論として、損害は差額説に基づき理解されることが一般的である。差額説によれば損害額とは、債務不履行(契約違反)により不利益を被った現実の利益状態と、債務不履行がなかった場合の仮想的な利益状態の差である。

損害=債務不履行行為がなかった場合の仮想的な利益状態-債務不履行行為により不利益を被った現実の利益状態

このような差額説に基づく損害は、債務不履行行為によって誰かが不利益を被った場合、そのような不利益を相殺する、つまり債務不履行がなかったときの利益状態に回復させることが損害賠償である、という考え方と整合的である。

今般のパンデミックとの関連では、不可抗力によって免責されない債務不履行行為と因果関係のある損害の範囲において、債務不履行がなかった場合に、取引先の利益がどうなっていたか、仮想的な利益状態を計算する必要がある(取引先に賠償請求する場合は逆のプロセス)。そして、仮想的利益と、被害を被った後の実際の利益の差が逸失利益であり、逸失利益の現在価値が損害額である。

実際の損害計算においては、仮想的な利益状態は実際に観察できないため、合理的、客観的なシナリオを設定する必要がある。また、対象範囲および期間(一定の過去期間か、将来期間も含むか)の定義、対象取引の財務数値の切り出し、固定費用と変動費用(損害に係る利益は限界利益を基礎とするため)、税金、各種会計処理の取り扱い、金利や割引率など、多くの留意点がある(注4)。

図表1 損害計算のイメージ(将来期間の損害も請求可能な場合)
※クリックして画像を拡大表示できます

※4) 池谷誠「損害立証の基礎講座」ビジネスロー・ジャーナル、2016 年7月号~2017年1月号(7回連載)
https://www2.deloitte.com/jp/ja/pages/risk/articles/frs/basics-damage-quantum.html

V.おわりに

今般のパンデミックにより、世界経済が未曽有の損失を被っている中、米国などにおける中国に対する賠償請求の動きは注目に値するが、わが国企業にとってより実際的な問題は、現在発生している、または今後発生するとみられる損害の問題をどのように解決していくかであろう。今後、パンデミックが収束の方向に向かい、「ポストコロナ」の経済が再開されるとすれば、多くのビジネスの場面で損害賠償が論点になると思われる。その一部は訴訟や仲裁での解決が検討されると考えらえるが、大半は企業間の交渉による解決が模索されることになるだろう。企業のマネジメントや担当者は、自社がどの程度の損害額の請求を受ける可能性があるかというリスク管理、あるいは取引先に対しどの程度の請求が可能となり損害の回復が叶うかという観点から、早期に検討を始めることが必要となるかもしれない。検討に際しては、不可抗力免責条項の適用など法的責任だけでなく、初期的なものであっても、基本的な損害理論に基づく損害計算の手法により、自社のリスクあるいは請求可能額を試算することは意味があるだろう。

 

※本文中の意見や見解に関わる部分は私見であることをお断りする。

執筆者

デロイト トーマツ ファイナンシャルアドバイザリー合同会社
ディスピュートサービス統括マネージングディレクター
池谷 誠

(2020.5.13)

※上記の社名・役職・内容等は、掲載日時点のものとなります。

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