事例紹介

リスク・コミュニケーションという難問(金融業界)

なぜ分かってくれないのか?

「営業担当者が取引先の社長とまともな会話ができない」「取引先から『実は・・・』という相談を打ち明けてもらえる担当者がいなくなった」と嘆く支店長。「リスク量の計測手法について説明しても役員がまったく理解しない」と諦めるリスク管理担当者。金融機関では、このように、コミュニケーションに起因した問題点が根深く広がっている。コミュニケーションを円滑化することは、案外難しい。

金融機関のコミュニケーション

金融危機からの反省点として、金融機関のコミュニケーションの優劣が損失の過多に影響を与える一要因となったと言われている。金融機関のコミュニケーションとは、金融機関と外部のコミュニケーションと金融機関内部のコミュニケーションの2つに分けることができる。

外部の相手とは預金者、取引先、地域社会、当局、投資家などであるが、外部とのコミュニケーションとして、まず、本業である営業現場でのコミュニケーションの悩みについて触れる。昔、担当者は取引先から決算書をもらって、電卓で財務指標を計算し、手書きで稟議を記載するプロセスだったため、取引先の強み・弱みが肌感覚で染み付いたのだと思う。一方で、現在の一般的な事務フローは、決算書を事務センターに送るとOCRでデジタル化し、システムでスコアリングを算定し、スコアリングの結果に定性判断を加えて与信判断を行うというものになっている。融資担当者が何もしなくてもスコアリング・モデルの定量的な評点がフィードバックされる。担当者は、このような効率化の恩恵で考える時間を手に入れたようにも思えるが、結果として考える力を奪われてしまった。審査役が「なぜこの会社に融資しても問題がないのか?」との質問に、「スコアが90点だからです。」と答える担当者が多いとの嘆きをよく聞く。このような担当者は、会社の決算書が読めず、結果として経営者の悩みが分からず、取引先とのコミュニケーションが出来ず、訪問すら出来なくなっているケースがあると聞いている。スコアリング・モデルを重要視してきた副作用が大きくなりすぎたのかもしれない。かつての眼光鋭い担当者、審査役を育てることができるのだろうか。そのような大先輩の定年が近づいている。タイムリミットが来る前に、伝統技術を引き継ぐための策をうつべきタイミングは今である。

一方で、内部におけるコミュニケーションは、金融機関の組織を横断的に跨る水平方向のコミュニケーションと経営者、上級管理職、担当者の間の縦方向のコミュニケーションに分類できる。水平方向のコミュニケーションについての論点は、組織がサイロ的に管理されることになって、それぞれの内包するリスクが包括的に管理されなかったことが問題として挙げられた。サイロアプローチにより予期せぬ集中リスクが発生していたとの反省点があげられた。 

経営者からの発信

これから議論を展開したいのは、縦方向のコミュニケーションである。縦方向のコミュニケーションについては、まず、経営者から社内に向けたメッセージ、つまり方針、ポリシーの伝達における問題点である。経営者がどのように金融機関の舵を切ろうと思っているのか明確に伝えることで、社員は同じ方向に向かっていくのではないだろうか。

昭和の時代に比べて、日本社会においても価値観は多様化している。「黙って俺についてこい。責任は俺が取る。」のパターンは通用しなくなっているのかもしれない。経営者の役割として、説明責任がますます増えている。経営者は、方針を明確にする説明責任をどのように果たすのだろうか。たとえば、リスクガバナンスの枠組みのなかで検討すると、最近「リスク・アピタイト・フレームワーク」と言われる言葉をよく耳にするようになった。

リスク・アピタイトとは、「金融機関がビジネス目的を達成するために許容でき、かつ自発的に許容するリスクの量とタイプ」と定義される。経営者がリスク・アピタイトを明確にすることで、リスク管理の業務ラインがリスク限度額、各種リミットを設定するベースとなる。よくクライアントから集中リスクの限度額の設定の仕方について相談を受けることが多い。リスク・アピタイトが明確でない中で、限度額を決めることは不可能なのである。例えるなら、ラーメン屋で店のおやじに「お腹がすいたんだけど、ラーメン何杯食べたらいい?」と質問するようなものである。何杯食べるか決めるのは自分以外にはない。店のおやじからすれば「さすがに5杯食べたら胃腸に悪いからその辺でやめといたら」くらいのアドバイスだろう。

経営者として、リスク・アピタイトを明確にすることは、その後の結果についての責任を検証可能なものとすることになるので、具体的にすることは避けたいだろう。しかし、時代の要請として、徐々にこのようなフレームワークが浸透すると思われる。 

経営者への報告

それでは、縦方向におけるコミュニケーションのなかで、下から上方向、つまり報告においてはどのような問題があるのだろうか。リスク管理業務は、ここ数年で相当進歩した。ロケットサイエンティストがウォールストリートに流れて進化した金融工学、これを活用した技術は、地方銀行まで広がった。リスク管理担当者は理数系の大学、大学院の卒業生が担当している金融機関が多い。このようなリスク管理担当者は数学、プログラム言語は得意だが、経営の言葉が話せないことが結構多い。今、リスク管理担当者に求められる差別化は、高度な統計手法を駆使したモデルを経営の言葉に翻訳して理解できるように報告する能力である。そのような意味において、リスク管理担当者は、数学と経営の言葉の「バイリンガル」であることが必要である。
コミュニケーションは、双方向の問題である。「うちの経営者ときたら・・・」と言っているリスク管理担当者側に問題があるのではないだろうか。一方で、経営者の側も「数学なんか分からない」と言っていては許されない。ある程度のモデルの知識も求められる。リスク管理担当者から説明されたモデルの前提条件、弱点、どのようなケースで機能しなくなるのか、理解できなくてはならない。経営者も数学を勉強する必要があるし、リスク管理担当者も経営の言葉を話せるようにならなくてはならない。双方の歩みよりがコミュニケーションの出発点である。最近は各金融機関の経営者向けにモデルの基礎研修を担当させていただくことが多いが、このような背景からなのだろう。

リスク報告においては、報告の基礎となるデータ集約も重要なテーマとなっている。データは各部署においてそれぞれ異なった目的のためにサイロ的に蓄積されているケースが多い。これらのデータを集約するためには、正確であること、重要なものは網羅的に集約されていることが求められる。さらには、ストレス時、危機時における経営者からの要求や当局の要請にも臨機応変に対応し,リスク報告が適時にできるように集約されていることが必要である。経営判断に用いるデータは、与信管理、信用リスク、流動性リスクなどのリスク管理データのみならず、財務会計、管理会計、マーケティング・データなどの領域にも広がるため、データ・インフラの整備にあたってはリスク管理部門だけではなく、全社的な取組みとして実施することが望ましい。複数の目的のために類似したデータベース構築のプロジェクトを別々に行う例も見受けられるが、なるべく重複のないよう効率的なプロジェクト運営を行えるように検討すべきである。

リスク・カルチャーの醸造

リスク・コミュニケーションの話題を中心に話しを進めた。コミュニケーションの基礎となるのは、やはり人間と人間のインターフェースであって、土台となるのはその金融機関の文化である。文化というものを、特にリスク管理においては「リスク・カルチャー」と言うことが最近多い。リスク・カルチャーは、各金融機関の長い歴史の中で作られてきたものであって、一朝一夕に完成するものではない。各金融機関の個性を反映した「リスク・カルチャー」を醸造し、コミュニケーションを円滑にすることで、様々な問題が、例え解決はしなくとも、小さくなることを筆者は期待する。

なお、本誌に記載された事項は筆者の私見であり、所属する法人の公式見解ではないことをお断りしておく。
※本原稿は「Market Solution Review 32号2013.7.9」に掲載された原稿を加筆修正したものです。

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