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テクノロジーが可能にするペイシェントジャーニー上流の変化と、その変化を実現する注目のスタートアップ

~「リスク把握」と「対策」による特定疾患の予防~

健康データ収集・活用の進展

近年、個人の健康データ収集・活用の動きが急速に進展している。収集される健康データの規模は2020年から2025年にかけて、2.3ZBから10.8ZB程に急増するとされており、この増加量は製造業や金融といった他の領域を凌ぐとされる1

個人の健康データに関する重要なトレンドとして、①データ収集コストが低減していることと、②専門性の高い医療レベルのデータが医療機関以外の場所でも測定・収集可能になっていることが挙げられるが、これらの背景にはIoTやウェアラブルデバイスの進化等が大きく貢献している。①に関しては、米国で2024年から小型のパッチ型CGM(持続血糖モニター)がOTCで安価(Abbott社が販売しているLingoの例では2週間の継続計測で$49ドル2)に購入可能となったことが、典型例の一つと言えよう。医師の診察・処方箋不要で購入できるため、糖尿病やその予備軍となっている人だけでなく、現時点では糖尿病とは関係が無い正常な人でも、安価に継続的な血糖データを測定して自身の健康管理に活かせるようになっている。②については、例えばイギリスのAktiia社が医療機器レベルの精度で血圧を測定できる腕時計型デバイスを販売3しており、医療施設などで測定することが一般的であった高精度な血圧数値が、いつでも・どこでも手軽に測定できるようになってきている。このように収集された日々の健康データは、ユーザーの健康管理だけでなく疾患リスクの早期発見等にも役立ち始めており、例えば、アップルウォッチがユーザーの心房細動の兆候を検出4することで、実際に心疾患の早期診断に繋がるケースが出てきている。

今後は、ヘルスケア領域におけるAIの急速な進化・普及を通じて、これまでよりも一層データ解析ケイパビリティが向上していくと考えられる。ヘルスケア領域におけるAIの市場規模は、2024年から2030年にかけてはCAGR37.5%で成長し、2030年時点でUSD 200B程になるとの予測もある5。 AIを活用したデータ解析ソリューションの事例は多数あるが、例えば疾患リスクの特定や治療方法の選定に遺伝子検査を用いるソリューションでは、AIによる解析技術の向上が大きく寄与している。また、AIによる画像解析技術の高度化は医療画像の読影・診断を支援するソリューション等を生み出している。

このように、誰もが健康データを手軽に測定・収集し、そのデータが高度な技術によって解析・活用されることで、質の高い医療サービスの享受や実際の健康増進に繋がっていく「ヘルスケアの民主化」が進展してきている。そうした中で、特定疾患における早期発見・予防のあり方が変わってきており、既に、一部の疾患において検査・診断までのペイシェントジャーニー上流に大きな変化が見られている。以降で、その変化を実現するために重要な役割を果たしているソリューションやスタートアップの実例を交えながら、具体的に解説していく。

2型糖尿病におけるペイシェントジャーニー上流の変化

ペイシェントジャーニーの変化が顕著に起きている例として、2型糖尿病を例に挙げる。従来の典型的なペイシェントジャーニーとしては、不健康な生活習慣を自覚していても特に不都合がない限り生活習慣を継続し、いよいよ合併症等が現れたために受診して糖尿病が発覚するか、もしくは、定期健康診断でやや血糖値が高めであると指摘されるも様子見で過ごした後、空腹時血糖値やHbA1cの値が糖尿病の診断ラインまで悪化したり、糖尿病に伴う症状が現れた段階で診断されるというケースが一般的であろう。診断の段階では既に病気が進行していることも少なくなく、その場合はすぐに投薬を中心とした治療に進む。

一方で、糖尿病患者数が急増する中でデジタルを活用した予防・治療ソリューションの開発が進む米国等を中心に、ジャーニーの上流部分が大きく変化し始めている。

 

まずジャーニーの最上流に位置づけられるのが「リスク把握」となり、健康意識の高い人や、家族歴などから糖尿病の懸念がある人が、自身に何の症状も無いうちから遺伝子検査等によって個人の2型糖尿病リスクを把握できるようになっている。例えば、GB HealthWatch (アメリカ・調達総額USD 9.7M・シリーズC)は、インスリンを分泌するβ細胞の発達障害や、インスリンシグナル伝達障害等と関係する遺伝子の解析によって2型糖尿病のリスクを算出し、医師や患者へのレポーティングを行っている6

そのようにして把握されたリスクに応じて、糖尿病の本格的な発症を予防する対策が取られる。例えば、上記で挙げたGB HealthWatchは遺伝子検査等によって判明したリスクに応じて、パーソナライズドされた食事や栄養の指導、アドバイス提供を行っている7。 また、BeatO(インド・調達総額USD 47M・シリーズB)は、糖尿病予備軍の患者に対し、簡易な自社製の血糖値センサーで血糖値のモニタリングをさせつつ、血糖値データの推移に応じ糖尿病専門の医師やケアコーチからカウンセリングを受けられるサービスを提供している8。 なお、血糖値センサーについては注目すべきトレンドがある。消費者が手軽に血糖値を常時計測可能にする方向で開発が進展しており、特に非侵襲の血糖値モニタリングデバイス開発競争がスタートアップを中心に加速している。例えば、Onalabs(スペイン・調達総額USD7.7M・シード/コーポレートラウンド)は汗を通じて血糖値レベルをモニタリングできるウェラアブルデバイスを開発しており9、Knowlabs (アメリカ・調達総額USD 94.8M・IPO)は腕に付けるだけで接触面から広範囲のRF周波数を迅速にスキャンし誘電分広報を用いてグルコースレベルを特定するデバイスを開発している10。利用者にとっての身体的負担や精神的なハードルの低い非侵襲での血糖モニタリングが、糖尿病の症状コントロールや予防に大きな役割を果たしていくと期待されている。

このように、2型糖尿病のペイシェントジャーニーは、血糖数値が糖尿病診断レベルとなるのを待った後か、自覚症状の発生後に診断を受けてから治療に入るという極めて受動的な従来のものから、症状が発症する以前から正確にリスクを把握したうえで、常時血糖データを計測しながら、必要に応じて医師や専門家のアドバイスを受けて血糖値をコントロールし、糖尿病の本格的な発症を予防する、というプロアクティブなものに大きく変化している。

他の重大疾病にも広がるペイシェントジャーニーの変化

このようなペイシェントジャーニーの変化は、糖尿病に留まらず、今後他の重大疾病にも広がってくる可能性がある。その理由として、「リスク把握」と「リスクに応じた対策」に対応するソリューションが、糖尿病以外の重大疾病についても出現してきていることが挙げられる。ここでは、重大疾病のペイシェントジャーニーを変化させるイネーブラーとなり得るスタートアップの事例について、取り上げていく。

スタートアップ事例①(Harbinger Health ―がんのリスク検知・早期発見)

米国のスタートアップであるHarbinger Health(シリーズB、調達総額$190M)は、簡易な血液検査によるがんの早期発見技術を開発している。Harbinger Health社によると、血液中からがん細胞による早期の細胞変化を示すシグナルを検出することで、がん細胞が腫瘍を形成したり何らかの症状を発現させる前にがんを捉えるというものである。また、マシンラーニングを用いた解析によって、がん細胞がどこで、どのように成長するかを正確に予測したうえで、いつ、どのように治療・対策すべきかの判断に資する情報を提供できるとしている11。現在、米国のがん研究機関や病院と提携して10,000人規模の臨床試験を行っており、2025年に最初のプロダクトローンチを行う予定である12。 

スタートアップ事例②(Mediwhale -心血管疾患・腎臓病リスク把握)

韓国ソウルの医療スタートアップMediwhale(シリーズA、$24.9M)は、網膜画像をAIを活用し解析することで、非侵襲な方法によって心臓病や血管疾患、腎臓病などのリスク評価を行うソリューションを開発している。このスタートアップのプロダクトであるDr.Noon CVDは、網膜のスキャン画像から心血管疾患リスクを評価するものである13。従来の心臓CT検査によるリスク評価は正確ではあるが高い放射線被ばくがあるうえ、高価で手軽に受けられるものではなかった。創業者のChoi氏は、「このソリューションの主要なターゲットは、現在心血管疾患の診断を受けていないが、将来その可能性がある人である」14とし、プライマリケアの場面で活用されることで、早期のリスク発見による予防的対応に役立てていくことを想定していると見られる。まずは韓国での展開から始めており、FDAの承認を得て米国でも販売する計画であるとしている15

スタートアップ事例③(BrainCheck -認知症の早期発見と発症予防プログラム)

米国のスタートアップであるBrainCheck(シリーズB、調達総額US$41.2M)は、タブレット端末を利用して簡易に認知機能の評価が出来る検査ソリューションを開発している。このソリューションを使って、医師はプライマリケアの場面でスピーディーかつ正確に患者の認知症リスクを捉え、早期診断を下すことが出来る16。なお、この会社のソリューションは認知機能のアセスメントに留まらず、個々の検査結果に応じパーソナライズドされたケアプランを医師やケアチームに提供している。エビデンスに基づくケアプランを早期に提供することによって、認知機能の低下・症状の悪化を予防するとしている17

まとめ-日本版「予防」ビジネスに関する示唆-

先進国を中心に生活者の健康志向が益々高まる中で、予防に関するテクノロジーやサービスのグローバル市場規模は2030年に向けてCAGR11.8%で成長し続ける見込みである18。また、多くの国で高齢化が進展する中で医療費の抑制が必要となっていること等を背景とし、病気になってから治療すればよい、という考え方ではなく、そもそも病気を予防し健康を維持していくことを重視する流れは強まっていくものと考えられる。

ウェアラブルデバイスの進化により大量かつ深いヘルスデータが常時接続で収集され、それを高度なAI技術を用いて解析することによって、個人のリスクを適切に把握し個人の生活習慣なども踏まえたうえで病気の発症予防・対策を行う新しいソリューションは、上記に挙げたものに限らず今後多様な疾患領域において出現してくると考えられる。こうしたソリューションによってもたらされるペイシェントジャーニーの変化が、日本市場においても新たな「予防」関連マーケットを創出・拡大し、そのマーケットにおける新しいビジネスモデル創出の機会となる可能性がある。日本では今後、「高額療養費制度」の変更により高額な医療費を要する治療を受けた際の自己負担額限度額が引き上げられる可能性があり19、生活者側・患者側の意識として「重い病気になりたくない・病気を予防したい」というインセンティブが高まっていく可能性がある。こうした意識の変化も、日本市場における新たな「予防」関連マーケットの創出・拡大に影響を及ぼしていくのではないか。

海外と日本では医療制度が大きく異なる面があるため、海外で成功した先行事例がそのまま日本に当てはまるという訳ではない。しかしながら、日本でもオンライン診療やオンラインでの服薬指導が一部認められたように、規制緩和によって欧米から数年遅れで新しいビジネスモデルが展開されるようになった。このように、ビジネス環境が変化する数年先の未来を見据え、先行する海外のビジネスモデルを「タイムマシン」的に適用することなどを考えつつ、海外のスタートアップによってもたらされる新しいソリューションとビジネスモデルを注視していくことは、「予防」領域での新規事業を検討するうえでも極めて重要といえるだろう。

出所および注釈

1:https://www.lek.com/insights/hea/eu/ei/tapping-new-potential-realising-value-data-healthcare-sector

2:https://www.hellolingo.com/products

3:https://aktiia.com/uk/

4:https://www.apple.com/jp/healthcare/apple-watch/

5:https://www.grandviewresearch.com/horizon/outlook/ai-in-healthcare-market-size/global

6:https://www.gbhealthwatch.com/gbinsight/gb-panels-order.php?catalog=GB2010

7:https://healthwatch360.gbhealthwatch.com/nutrition-app.php

8:https://www.business-standard.com/content/press-releases-ani/beato-launches-diabetes-care-programs-to-control-and-reverse-diabetes-under-the-guidance-of-experts-122062801086_1.html

9:https://onalabs.com/en/about-us/?v=efb03b68f7a0

10:https://www.knowlabs.co/technology

11:https://www.medtechdive.com/news/harbinger-health-140m-study-blood-cancer-test/695012/

12:https://harbinger-health.com/2023/09/28/harbinger-health-raises-140-million-in-series-b-funding-to-accelerate-advancement-of-its-screening-platform-for-early-stage-cancers/

13:https://mediwhale.com/drnoon-cvd/

14:https://techcrunch.com/2023/04/18/ai-powered-retina-scanning-startup-mediwhale-raises-9m/

15:https://www.koreabiomed.com/news/articleView.html?idxno=26009

16:https://braincheck.com/platform/screen/

17:https://braincheck.com/platform/plan/

18:https://www.grandviewresearch.com/horizon/outlook/preventive-healthcare-technologies-and-services-market-size/global

19:https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA20ADK0Q4A221C2000000/
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20250310/k10014745031000.html

執筆者

執筆:
デロイト トーマツ ベンチャーサポート株式会社/Deloitte Consulting US San Jose
Senior Manager, Mina Hammura

協力:
デロイト トーマツ ベンチャーサポート株式会社
シニアコンサルタント 鈴木 慶子
コンサルタント 堀内 まほろ
アナリスト 金高 哲大
アナリスト 水谷 晃輔

監修:
デロイト トーマツ ベンチャーサポート株式会社
パートナー 木村 将之

(2025.3.11)
※上記の社名・役職・内容等は、掲載日時点のものとなります。

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