認知機能の健康に対するアウェアネスの高まり―Savonix×Deloitte Digital特別対談
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私たちの寿命が延び、できる限り健康な人生を送りたいと願う中で、コグニティブヘルス(学習、記憶、思考能力といった認知機能の健康)はウェルビーイングを維持する上で不可欠なものです。認知症は患者本人やその家族、雇用主や友人といった各ステークホルダーに大きな影響を与えるばかりではなく、超高齢化社会においては社会的・経済的な負担の高まりにもつながります。
Savonixは、コグニティブヘルスを評価し、サポートできるモバイルデジタルプラットフォームを提供している企業です。同社が提供している認知や脳に関する健康評価テストを通して、ユーザーはモバイルデバイスから自分のコグニティブヘルスに欠かせない要素を確認することができます。
今回は、Savonix 最高経営責任者 ピン チン クォック氏、最高科学責任者 サイモン コリンソン博士、佐賀大学 医学部附属地域医療科学教育研究センター 准教授 坂本 麻衣子氏の3人をお招きし、Deloitte Digitalメンバーとこの最前線のトピックについて対談を行いました。
認知機能の健康に対するアウェアネスの高まり
ブリストー:本日のディスカッションでは、認知機能の維持・向上とはどのような意味を持つのか、軽度認知症(MCI:Mild Cognitive Impairment)や認知症早期発見の重要性について取り上げていきます。また、社会全体として認知機能のテストを浸透させていくために何が必要なのかについても専門家のご意見をお伺いします。まずは、基本的な質問から始めましょう。コグニティブヘルスとはそもそもどのような意味ですか?
坂本:コグニティブヘルスとは、学習、記憶、思考に関連した脳の健康状態のことです。質の高い生活を送るためには、身体の健康と同じように脳の健康が重要です。この超高齢化社会においては、ただ長生きするだけでは十分であると言えません。身体的な健康と同様に脳の健康も維持してこそ、長い人生においてウェルビーイングを維持できるのです。これまでは、糖尿病の予防やガンの治療法の研究など、高齢化に伴う身体の健康に関する問題が注目されていましたが、ここ数年で、脳の健康についてのアウェアネスと注目も大きく高まってきていると感じています。
近年、MCI(Mild Cognitive Impairment;軽度認知障害)についての報道などが増えたこともあって、中高年層の人が、自身の認知機能の変化に敏感となり、メモリークリニック(もの忘れ外来)を受診して認知機能や記憶力の検査をするようになっているのは、良い傾向です。認知症を疑うようになるまで受診を先延ばしするのではなく、普段から自分の脳の健康状態を知っておくのは大切なことです。ただ、「脳ドック」を推進するような自由診療での認知機能テストは自費となることが多く、その点がテストを受けるハードルになっていると感じます。
クォック:私も、より若い世代の間でコグニティブヘルスに対するアウェアネスや懸念が高まっていると感じています。Savonixが日本、シンガポール、中国で実施した調査においても、認知症発症の可能性を心配している40代や50代の人が増えていることが示されています。ただし、懸念はあっても、予防や早期発見の方法については理解が進んでいないということもこの調査では示されています。
認知症を早期に発見すると、個人や社会にかかるコストを大幅に削減することができます。アルツハイマー型認知症や認知症のケアのために費やされる公的な健康保険は、一般的には健康な人の保険の何倍にもなりますし、自宅での介護にかかる費用、介護のために家族が費やす時間といった間接的な社会的コストも含めると膨大なものになります。ウェルビーイングの向上という観点に加えて、このようなヘルスケアシステムのサステナビリティという観点からも、当社はこの問題の早期発見にコミットしているのです。
コリンソン:認知機能の低下を予防するには、早い段階から対策を始める必要があります。病理学や薬学の観点からも、認知症と診断されてからでは認知機能低下の反転を図るには遅すぎます。薬である程度症状の進行を抑えることはできるかもしれませんが、予防することにはなりません。早期の介入が必要で、そのためには早期の発見が不可欠です。
坂本:認知機能テストは、MCIや認知症の早期発見という観点だけではなく、自分の脳の健康のベースラインを把握しておくという意味でも重要です。テストの結果、認知機能に問題がなくても、その時点の自分の認知レベルを把握し、時間の経過と共にその変化を測ることができます。また、同世代や同じ教育水準の人と比較することもできます。
コリンソン:まったく同感です。MCIを発症するずいぶん前から、認知は徐々に変化していくことが分かっています。そのような変化を捉えることで、自分が認知症を発症するリスクを把握しておくことができます。
認知機能の低下を予防するには
ブリストー:コグニティブヘルスに対する注目の高まりや早期発見の重要性についてご共有いただきありがとうございます。では、認知機能を健康に保つために必要なことは何でしょうか?
坂本:健康的な食生活と運動です。自分の脳を鍛えることも重要です。簡単に言うと、積極的に出かけて人に会い、様々な活動を積極的に行って人生を楽しむということです。そしてもちろん良質な睡眠も欠かせません。
コリンソン:最近Savonixがボストン大学と共同で手掛けた研究プロジェクトによると、認知症予防につながる三大要因は、運動、睡眠、禁煙・禁酒です。健康的な生活習慣という観点からは何も目新しいことではありません。加えて、人生の早い段階での啓発・教育も認知症の予防につながります。つまり、高等教育を受けた人は認知症になりにくい傾向があります。他には、人や社会とのつながりを維持することも大切です。聴力低下やうつが将来的な認知症リスクの増大につながるという研究もあります。
クォック:脳の健康を保つ方法というのは、糖尿病などの生活習慣病の予防法とほぼ変わりません。ここで問題になるのは、どうやって皆さんに推奨されているような健康的な生活を取り入れてもらうのか、ということです。この点でも認知機能テストがそのきっかけになると考えています。認知機能テストの結果を伝えた上で、生活習慣の改善を提案すると、それを実生活に取り入れる傾向が高まる、ということを目にしてきました。実際に日本であったことですが、ある会社が従業員に対して半年間に2回の認知機能テストを実施したところ、2回目の結果が1回目を上回ることが報告されました。「計測が変化につながる」と言われている証ではないでしょうか。ここから学べることは、認知症の症状が現れるまで放置するのではなく、現時点の状態を把握しましょう、ということです。テストを受けるというシンプルな行為そのものが予防や改善にもつながるのです。
田尾:新型コロナによる行動制限の影響をどのようにご覧になっていますか?多くの企業においてリモートワークが取り入れられ、全般的な運動量が減り、対面でのやり取りも少なくなっています。このようなことは認知症やMCIにどのように影響するのでしょうか。
坂本:60代や70代の大半の人は特に新型コロナ感染を心配しており、できるだけ自宅で過ごそうとされています。その結果、運動しなくなり、社会的なつながりが減っていますので、今後認知症やMCIが増加する可能性があります。また、若い世代にも影響が出る可能性があります。このトピックについては今後2~3年でもっと情報が出てくることになるでしょう。
認知機能テストの普及に必要なもの
ブリストー:それでは、認知機能テストを普及するには、どのような取り組みが必要でしょうか?
クォック:アウェアネスの向上とエコシステムの構築がカギだと考えます。Savonixが米国で実施した調査では、MCIの疑いのある人の92%が医師の診察を受けていませんでした。この結果を見ると、認知機能の健康に対するアウェアネスを向上することの重要性が分かります。その上で、テスト結果の受け皿となる幅広いエコシステムが必要です。例えば、認知症の可能性のある患者さんを診察してくれる医師のいるクリニックや、認知機能の低下を予防する運動を指導してくれるジムなど、関連するサービスが連携したエコシステムです。
退職年齢の引き上げや廃止を受けて、日本企業の間では認知機能テストに対する関心が高まっています。Savonixの顧客である日本企業の中で、従業員に対して認知機能テストを実施し、リスクがある従業員に対して特別なプログラムを実施した会社があります。この一連の取り組みもエコシステム構築の一種だと捉えることができます。社員に認知症に関する教育を実施し、テストを受けさせ、脳の刺激になるプログラムやジムでのアクティビティなどを提供しているためです。エコシステムを作り上げ、それを支える商品やサービスを簡単に利用できるようにすることで、モチベーションを高めていくことができるでしょう。
田尾:アウェアネスの向上や認知機能テストの推進にはエコシステムがカギになるという点、おっしゃる通りです。これは臨床医や製薬会社、テクノロジー企業だけではできないことです。エコシステムの構築や運営には強力な推進力が必要であり、ビジョンに賛同する適切なステークホルダーを関与させつつ、それぞれのステークホルダーがエコシステムからメリットを享受できるようなビジネスモデルを設計していくことが不可欠でしょう。
木戸:1つ事例をご紹介しましょう。大阪府では、健康記録の保存や健康維持に役立つ情報の提供など複数の機能が搭載されている「アスマイル」というモバイルアプリを自治体が住民に対して提供しています。住民は健康的な活動に従事すると、特典と交換できるポイントを受け取ることができます。これも1つのエコシステムであり、同様の取り組みが今後トレンドになる可能性があります。
坂本:メンタルヘルス全般について日本では悪いイメージが持たれており、それが認知機能テストの受検や医療機関への受診の妨げになっています。認知症は多くの場合、うつや不安感、パニック障害という精神疾患を伴うものですが、それに対する全般的な恐怖心があります。このような恐れや悪いイメージを取り除く必要があります。そのような悪いイメージに着目するのではなく、認知機能の健康を維持することがウェルビーイング全般につながる、という良い面を強調していきたいものです。啓発によって、認知機能テストに対する心理的なハードルが下がることを願っています。この観点から、Savonixのソリューションは、気軽に認知機能テストに取り組めるという点で役に立つと考えます。自宅において自分でテストし、結果も自分にしかわかりません。医師の診察を受けたりクリニックに行ったりする必要はないのです。
木戸:認知症やメンタルヘルスに対する悪いイメージを取り除くには、昔のうつに関する事例が参考になるかもしれません。過去にはうつにも認知症と同じような悪いイメージがありましたが、「うつというのは(ちょっとした)よくある心の風邪である」というメッセージで啓発が進んだことで、特に若い世代のうつに対する認識が変化し、医師の診察を受ける心理的な抵抗が低くなりました。このような分かりやすく適切なメッセージがあれば、啓発の大きな火付け役になると思います。
コリンソン:認知機能テストへのアクセスのしやすさもカギです。さらに費用もアクセスのしやすさを左右するでしょう。よって、デジタルやテクノロジーを活用した認知機能テストがアクセスの改善につながると期待しています。
坂本:もう1点認知機能テストを普及させる有効な方法として、法定の健康診断に認知機能テストを組み込むことが挙げられます。最低でも1年に1度、従業員に健康診断を実施することが企業に義務付けられているわけですから、人間ドックに脳ドックを組み込むことができたら良いのではないでしょうか。
クォック:民間の保険会社も認知機能テスト普及のドライバーになれるでしょう。保険契約者に対する付加価値サービスとして認知機能テストを提供し、保険契約者の将来的な認知症発症リスクを把握するのです。テスト結果を受けて顧客が予防的措置を講じると、最終的には保険料支払いを抑えることができます。顧客にとっても保険会社にとってもWin-Winの結果になります。
コグニティブヘルスに関する研究の発展の可能性
ブリストー:コグニティブヘルスに関して、世界の他の市場から日本が学べることは何かありますか。
コリンソン:認知機能の健康管理全般について、世界全体でまだ「成熟した」と言える市場はないように思いますが、取り組みは進んでいます。オーストラリアのビクトリア州では、認知症専門のクリニックをショッピングモールや人が集まる場所に設置しています。予約なしで訪問して認知機能テストを受け、脳神経内科医あるいは神経心理士に面談し、すぐに結果を知ることができます。個別に様々な診療科を受診して何日も結果を待つ必要はありません。ワンストップショップでアクセスしやすくなっており、アクセシビリティのハードルを下げています。
クォック:シンガポール政府は数年前から認知症に注力していましたが、今ではMCIやその予防方法についても大きく注目し始めており、様々な取り組みが様々な地域で展開されています。シンガポールは政府主導の取り組みに優れている国ですから、保健省が旗振り役となって何らかの手順を作ろうとしています。今後注目していきたいところです。
坂本:日本の取り組みについてですが、一例として、佐賀市では公民館で高齢者に麻雀をしてもらっています。家から出て、友人と会い、頭を使って麻雀を楽しむ機会です。この麻雀を半年間定期的に続けてもらった後で、認知症の疑いのあるグレーゾーンの人をスクリーニングしてクリニックで診察を受けてもらっています。非常に小さい規模の取り組みですが、ほとんどコストもかからず、そして最も重要なことですが効果をあげています。
厚生労働省では、認知症施策推進総合戦略(新オレンジプラン)を打ち出しています。認知症に対する政府の取り組みが進んでいるのは喜ばしいことです。ただ、この戦略では認知症やMCIを既に発症した人に対するケアを中心に据えていて、認知症の予防に対する具体的かつ詳細な計画があまり盛り込まれていません。今までの話にあったように、認知機能テストを受けて、MCIや認知症を早い段階で発見し、できるだけ速やかに様々なサポートを始めるほうが効果的なのです。
コリンソン:脳や認知機能の健康というのはまだ新しいアジェンダであり、この問題に取り組む機運や関与が高まっているところです。解決策が生み出され、政府もこの問題に取り組みはじめる中で、資金も動き出しています。私たちの寿命が延びていく中で、脳の健康は次のフロンティアです。例えば英国では、認知症はガンなど他の疾病を上回る死因になっています。ですから、この分野への注目は高まっていくでしょう。大きな問題であり解決には様々なリソースや連携が必要です。超高齢化を迎えている日本がこの分野で大きな役割を果たせると期待しています。
坂本:認知症にまつわる個人レベルや社会レベルの問題を考えると、認知症を発症しないという予防がとても重要です。だからこそ若い世代への教育が欠かせません。個社や個人でできる取り組みではありませんので、企業や政府、研究者の間での連携や協力、オープンなコミュニケーションが今まで以上に求められるようになるでしょう。