経営トップの視点から見える「社会的責任と事業の不確実性への対応」【後編】 ブックマークが追加されました
デロイト トーマツ グループでは、企業経営の意思決定をサポートし、将来リスクを事業成長につなげるリスクアドバイザリー(RA)の領域に約2,500名のプロフェッショナルを擁しています。
「Executive Interview」では、RAのトップアドバイザーによる企業の経営トップのインタビューを通じ、不確実で多様なリスクが取り巻く事業環境のなかで、企業成長に向けた様々な取り組みや経験を語っていただき、「守りの経営」としてのリスクマネジメントだけではなく、「攻めの経営」に資するリスクマネジメントの重要性や気づきをお届けしていきます。
今回は、ノバルティス日本法人代表取締役社長、ベーリンガーインゲルハイム日本法人代表取締役社長やエスエス製薬代表取締役社長を歴任された鳥居氏にお話しを伺いました。前編に続き後編ではリスクマネジメントに対するトップの姿勢や人材育成に向けた経営者の風土醸成、さらにグローバルからの信頼獲得など示唆に富んだ内容を紹介しています。
松本:製薬業界におけるイノベーション、リスクテイクの必要性やそのための人材育成が必要であること、グローバルのマーケットがアメリカと中国が中心になっており、その2か国中心にニーズが形成されざるを得ない状況は、他のインダストリーにもとても参考になると思います。
私からは、よりオペレーショナルな話もお聞きできればと思いますが、鳥居さんは、これまで経営者として様々なリスクを見ていらっしゃると思います。その際、順番や優先度などはありますか? たとえば、毎年必ず見ているリスクやリスクトップ3などがあれば教えてください。
松本 拓也/Takuya Matsumoto 有限責任監査法人トーマツ パートナー
シンクタンクにてコンサルティング業務に従事した後、有限責任監査法人トーマツに入社。監査業務の経験を経た後、現在は、グローバルリスクマネジメント/コンプライアンス体制構築を中心に、グループガバナンス再構築、危機管理体制構築、内部統制構築、内部監査等のアドバイザリーサービスを数多く手掛ける
鳥居:リスクには防げるリスクと防げないリスクがあります。防げるリスクは、従業員の不祥事、コンプライアンス違反など。これは、防ぐために必要な研修や風土改革をいかに徹底するか。一方、防げないリスクは、自然災害、コロナで経験したような感染症、副作用などでしょうか。こちらは起きたとき、どう被害を最小限にするかの準備をしておくこと。
製薬企業にとっての3大リスクは、まずはコンプライアンス違反です。これは起きるのを防げるし、防がなければなりません。次は製品供給問題。海外本社を含む供給元の問題で遅延や不良品が発生し欠品に至るリスク。これも2nd supply sourceや在庫管理によりある程度は防げる。3つ目は新薬の治験中に、期待した効果が出なかったり予期しない副作用により開発が中止になるリスク。これは防げません。
リスクは毎年必ずレビューをしてきました。各部門がそれぞれトップ10のリスクをリストアップし、防げるリスクであれば防ぐ方法を考えるという形で行っていました。経営会議の中でも、毎年3〜4回はリスクについて検討しました。
リスクの中には自然災害などもありますが、ルール違反・コンプライアンス違反については、マインドの問題が大きい。これは現場にいるメンバーが正しい判断をすることで回避することができるリスクです。社員が正しいと思ったことをやる。患者さんと社員、社会にとっていいことかどうか、自分で判断すればいい。COVID-19の影響で仕事環境も変化し、上司の指示を待つのではなく、自分自身で考える風土を作っていく必要があると考えています。
鳥居 正男/Masao Torii
約50年にわたり外資系製薬企業に勤務する中で、ベーリンガーインゲルハイム・ノバルティスホールディングジャパン・エスエス製薬など4社で日本法人社長を通算28年間歴任した経験を持つ
松下:私がお手伝いしている企業の中には、毎年同じようなリスクがリストアップされ、形骸化されているケースもあります。レビューが単なるプロセスになってしまっては意味がありません。鳥居さんのように魂を込めてやっていくための工夫などはあるのでしょうか。
鳥居:確かに毎年似たようなリスクがリストアップされるケースはありますが、毎年話し合う時間を取ることに意味があると思います。取り組みを実効性があるものにするため、リスクの洗い出しにはワークショップ形式にして、かなり時間を使っていました。経営陣も一緒に考えることで、「こういったリスクもある」と改めてリスクに気づくチャンスもできます。
リスク管理はリスク担当者や担当部門に任せるという話ではなく、経営チームが常に意識すべきことだと思います。特に経営トップのリスクマネジメント・コンプライアンスに対する本気度が鍵です。
なお、この取り組みはグローバル主導で始めました。当初は「そんなことに時間をかけるのか」と思ったこともありましたが、実際にやってみると非常によかった。ワークショップに参加したメンバーも同じ感想を持っていました。
松下 欣親/Yoshichika Matsushita 有限責任監査法人トーマツ パートナー
監査業務や株式公開支援業務などの業務に従事。大手証券会社への出向を経て、現在、取締役会の実効性分析・評価やリスクアペタイトフレームワークの導入を含む、コーポレート・ガバナンスのための組織体制整備業務等を行っている。
松下:トップダウンで重要なリスクを提示するだけでなく、そういったワークショップを行えば、消化する度合いも大きいですよね。現場が判断するといったお話もありますが、趣旨やビジネス上の背景をきちんと現場が理解しているからこそ形骸化していないということが分かりました。そういった継続的な取り組みにより、必要なリスクテイクはしながらも、テイクしてはいけないリスクの理解度が上がっていくんですね。
岩村:日本において、リスク担当部門がより重要視される部門となるために、求められる素養はどのようなものだと考えていますか。
鳥居:外資系だと、グローバルのリスクに関わる部門からの細かい指示や報告の要求が増えていますので、気を付けないとグローバル本社対応が最優先になってしまいます。もちろん、日本のニーズがグローバルと合わないケースもある。まずは日本のビジネスを熟知し、必要があればプッシュバックした上で、日本の組織にしっかり説明する必要があります。担当者は、取り組みの必要性や、その活動から生じるプラスαの期待効果を真摯にわかりやすく伝えていく必要があるでしょう。
岩村 篤/Atsushi Iwamura 有限責任監査法人トーマツ パートナー リスクアドバイザリー事業本部長
2021年デロイト トーマツ グループ 執行役、リスクアドバイザリー ビジネスリーダー、有限責任監査法人トーマツ執行役およびデロイト トーマツ リスクアドバイザリー株式会社 代表取締役。上場会社の監査業務に関与後、グローバル展開するメディア企業や製造業向けにアドバイザリー業務を提供。近年は複数のグローバル企業に対し、デロイト トーマツ グループのサービス責任者として従事
岩村:デジタル分野でも「なぜシリコンバレーは日本から生まれないのだ」「Googleになぜ勝てないのか」という議論がされてきました。その議論の中で見えてきたのが、政策は直接的なものを求めすぎているということ。海外を見ると「遊び」があるように感じます。損益を追求すれば、確かに儲けは出るかもしれませんが、それでは面白みがない。そういったバランスをとった舵取りが必要ではないかと感じます。
鳥居:これまでの業界の常識というか、「枠」の中では成長が難しくなっています。医薬品という観点でいえば、「健康へのソリューション」を届けるため、医薬品だけではなく、診断や予防、アプリなど様々なパートナーと協力していく必要があります。どういったニーズがあるのか、新しいアンテナを立てて変化を感じ取る必要があります。
イノベーションも変わってきており、関係作りも大きく変化していっています。異業種の参入障壁も低くなっており、現在の医薬品のトップメーカーが今後もトップの座にとどまれるかどうか分かりません。過去の経験や常識で判断できない変化が出てきている。どんな変化が起きてもビックリしないように、先読みをしながら異業種と組むということも考えていかなければならないでしょう。
仁木:今、何が起きているのかということを、正しく理解していくところから始めないといけないということですね。とはいえ、正しい情報にアクセスするのが難しいということもあります。会社や社会がいい方向に向かう仕組みの作り方やコツを教えていただけませんか。
鳥居:やはり「社員のマインド」だと思います。たとえばリスクについては、ルールを増やしてもあまり意味はない。ルールブックに縛られてしまって、「コンプライアンス担当者がいいと言わなければやらない」ということも起きてしまいますからね。それでは後ろ向きになってしまいます。
そうならないためには、経営者が「リスクをとっていい」とコミットし、「目的がよければ失敗してもいい、そこから学べばいい」ということをきちんと伝え、風土を作っていくことでしょう。心理的安全性を確保し、「失敗しても恥じる必要なく、頑張ったことを評価し学びに繋げる」風土を育てていくことが大切です。
また、人間的に立派で、本当に患者さんのために尽くせる、貢献できる社員を育成しようと思っているのであれば、上司やトップの姿勢も問われます。社員に信頼され、安心して仕事ができる環境をつくっていく必要があるでしょう。
不祥事リスクに関しては、最終的にはトップの姿勢が左右する部分が大きい。先ほどリスクトップ3についてお話ししましたが、それらについてもトップ次第で最小化することができると考えています。敢えて言えば、私はトップの人間性だと思う。とにかく売ってこいとか、結果だけしか評価しないとか、そういう上司がコンプライアンス研修の時だけきれいごと言ったって響くわけがありません。高いインテグリティがあるかどうか。日本語では誠実と訳されることが多いですが、もっと深い、品格、けがれが無い、清廉潔白の方が近いと思います。社員が信頼を寄せ尊敬するリーダー。あの方が言うなら間違いない、あの人のために頑張ろう、と言ってもらえるようなリーダーの組織では自然とリスクは低くなると思います。
仁木 宏一/Koichi Niki 有限責任監査法人トーマツ パートナー
長年にわたり製薬企業の会計監査を担当してきた経験を活かし、近年ではIFRS、M&A、内部監査やコンプライアンスの領域におけるアドバイザリー業務を提供している。製薬企業特有の会計論点やリスクマネジメントに関する知見を有する。
仁木:日本特有の商習慣、イノベーションの価値など、いろいろなお話がありました。そういった中で、自分が置かれている環境を正しく認識し、外部環境を変えていく重要性を痛感しました。ガバナンスという仕組みの中で、社外の目を社内に取り込み、別の見方をしていくということもますます重要になっていますね。
岩村:経営者の姿勢が重要だというお話がありました。経営者の姿勢として、具体的にどのような行動をとるといいのでしょうか。
鳥居:私自身が一番大切にしているのは「信頼」です。まずは、お客様や外部のステークホルダーなど、「社外からの信頼」。私の与える印象で会社のイメージが決まりますから、外部のステークホルダーと接点を持つ時は、いつも真剣勝負で十分準備し、ベストの自分を見せるように努めました。自らステークホルダーと会って、自分を見てもらう機会を求めるようにしました。彼がやってる会社なら大丈夫と思っていただけるように。
次に「社員の信頼」です。社員に安心感を持ってもらえるように。社員が「この会社で仕事ができて良かった」と思えるような、やる気あふれる組織作りを目指しました。廊下での立ち話や懇談会でのちょっとした会話、全てが影響しますからね。社員一人ひとりに関心を持って話をするようにしてきました。
そして「グローバル本社の信頼」です。これは一番苦労しました。グローバルからは日本は特殊な市場と見られているので、法人のトップが日本人の場合は特に、市場の特殊性を言い訳にしていると疑われる傾向が顕著です。そうならないように、透明性を高めオープンで頻繁なコミュニケーションを心がけ、悪い話も事前に伝えるようにしました。しかし、どこまでやってもこれで本社の信頼は大丈夫、ということはありませんでしたね。こればかりは努力し続けるしかありません。
岩村:グローバルのステークホルダーとの使い方の難しさは私たちも悩んでいる点のひとつです。お話をうかがって私たち自身、日本がやっていることをもっと外に伝えていくことも必要になっているのではないかと感じました。そのために何が必要になりそうか、ご意見をいただければと思います。
鳥居:「発信」はこれからとても重要になると思います。たとえば、デジタルを活用した顧客への情報提供の取り組みについてうまく伝えることで、中国のチームがグローバル社内で注目を集めました。日本とやっていることはあまり変わらなかったのですが。多様化は否が応でもどんどん進みますので、黙っていては埋没してしまいます。
我々は「中身」を気にし過ぎる傾向があります。しかし海外では、発信の仕方、説明の仕方、インパクトなどを効果的に伝えることを重視しています。発表の仕方だけではなく、機会があったらどんどん発信していくという姿勢ですね。日本の奥ゆかしさとは相反しますが、割り切ることも重要なのです。
岩村:今回のお話は、いろいろと気づきがありました。リスクといっても、イノベーションの必要性に伴うビジネスとしてのリスクテイクの必要性やそのための人材育成、社外・社員、グローバル本社といったステークホルダーに対して、いかに理解を求めるか、そのための発信の必要性など、さまざまな観点がありました。これらはいかに会社全体で適切なリスクテイクをし、それをステークホルダーの皆様に理解してもらうかが、鳥居様が経営者として行われてきたことなのだと思いました。
—ありがとうございました。
長年にわたり製薬企業の会計監査を担当してきた経験を活かし、近年ではIFRS、M&A、内部監査やコンプライアンスの領域におけるアドバイザリー業務を提供している。 製薬企業特有の会計論点やリスクマネジメントに関する知見を有する。著書に『Q&A業種別会計実務・4 製薬』(共著・中央経済社)がある。
監査法人トーマツ(現 有限責任監査法人トーマツ)入社後、監査業務や株式公開支援などの業務に従事。 某大手証券会社への出向を経て、現在、ESG領域を中心に活動している。特に、取締役会の実効性分析・評価やリスクアペタイトフレームワークの導入を含む、ガバナンスに関する業務に知見を有している。 主な共著書として、『コーポレートガバナンスのすべて』、『M&A実務のすべて』(以上、日本実業出版社)、 『リスクマネジメントのプロセスと実務』(LexisNexis)、『組織再編における税効果会計の実務』(中央経済社)、『ベンチャー企業の法務・財務戦略』(商事法務)、他がある。
シンクタンクにてコンサルティング業務に従事した後、有限責任監査法人トーマツに入社。 監査業務の経験を経た後、現在は、グローバルリスクマネジメント/コンプライアンス体制構築を中心に、グループガバナンス再構築、危機管理体制構築、内部統制構築、内部監査等のアドバイザリーサービスを数多く手掛ける。 主な著書に『最新 コーポレートガバナンスのすべて』(共著、日本実業出版)他 米国デラウェア州公認会計士/公認内部監査人/公認情報システム監査人