Posted: 25 May 2022 5 min. read

経営トップの視点から見えるリスクマネジメント【前編】

【シリーズ】Executive Interview(Vol.1-1)

~製薬企業トップを歴任した鳥居氏が語る「リスクテイク」「グローバル」「イノベーション」とは~

デロイト トーマツ グループでは、企業経営の意思決定をサポートし、将来リスクを事業成長につなげるリスクアドバイザリー(RA)の領域に約2,500名のプロフェッショナルを擁しています。

「Executive Interview」では、RAのトップアドバイザーによる企業の経営トップのインタビューを通じ、不確実で多様なリスクが取り巻く事業環境のなかで、企業成長に向けた様々な取り組みや経験を語っていただき、「守りの経営」としてのリスクマネジメントだけではなく、「攻めの経営」に資するリスクマネジメントの重要性や気づきをお届けしていきます。

今回は、ノバルティス日本法人代表取締役社長、ベーリンガーインゲルハイム日本法人代表取締役社長やエスエス製薬代表取締役社長を歴任された鳥居氏にお話しを伺いました。前編では製薬業界ならではのステークホルダーとの関係性やグローバル企業を歴任された経験からの示唆、そしてトップとしてのリスクテイクの考え方について語っていただきました

鳥居 正男/Masao Torii

鳥居 正男/Masao Torii
約50年にわたり外資系製薬企業に勤務する中で、ベーリンガーインゲルハイム・ノバルティスホールディングジャパン・エスエス製薬など4社で日本法人社長を通算28年間歴任した経験を持つ

リスクの再定義

仁木:鳥居さんは、これまでノバルティス日本法人元代表取締役社長、ベーリンガーインゲルハイム日本法人元代表取締役社長やエスエス製薬元代表取締役社長など、世界を代表する企業の経営に携わってこられました。その中で、様々な不祥事やリスクに直面したこともあったと思いますが、その都度、バランスを考えながら舵取りをされてきたと思います。今回は、リスクの話題を中心にいろいろと伺っていければと思います。

まず、リスクに対するイメージは一般的にネガティブです。しかし、リスクを「不確実性」と捉えると、アップサイドもあるのではないかと思っています。そこで今回は、リスクを再定義していきたいと考えています。

仁木 宏一/Koichi Niki

仁木 宏一/Koichi Niki 有限責任監査法人トーマツ パートナー
長年にわたり製薬企業の会計監査を担当してきた経験を活かし、近年ではIFRS、M&A、内部監査やコンプライアンスの領域におけるアドバイザリー業務を提供している。製薬企業特有の会計論点やリスクマネジメントに関する知見を有する。

鳥居:製薬業界は規制が厳しい産業です。さらに、医薬品は研究開発も含めてグローバル化されているため、グローバルスタンダードに合わせる必要があるということも、舵取りを難しくしている一因です。日本の規制だけではなく、世界の規制などに合わせて対応するということが大前提となっているんです。

製薬企業のミッションやパーパスは「人々の健康に貢献すること」で、これは、どの製薬企業も同じです。患者さんの命を救い、病気から守る。とても重要なミッションで、これを遂行する上でどこかと利害が衝突するということは無いはずです。人の命に係わる仕事ですので、規制されるのは当然であり規制に従うことは、人が生きていく上で空気を吸うようなものだと思います。従って、規制遵守のための組織、人材、システムなどにかかわる費用は決して削ってはいけないのです。

一方、医薬品のユニークな点として、医薬品の恩恵を受ける患者さんとの直接的な接点がないということがあります。つまり私たちは、自社の製品やサービスで恩恵を受ける方の顔を見ることができません。その中でミッションやパーパスを実現するために、患者さんや医療従事者の方に対して一番いいサービスと商品を提供していくことを考えています。そのためには、社員がミッションやパーパスに共感し、生き生きと仕事をしていることが重要でしょう。

 

仁木:私もさまざまな業界に携わってきましたが、製薬業界ほどステークホルダー間の利益相反がある業界は少ないように思います。たとえば、投資家や株主は売り上げを伸ばしてほしいが、国は医療財政の観点から継続的に薬価を引き下げている。患者さんはいい薬を出してほしいがそのためには膨大な研究開発費がかかる。その上、社会からは高い倫理性を求められる。対処しなければいけない経営課題やリスクが多い上、ステークホルダーからの期待に応えていく必要があるという、非常に舵取りが難しい業界だと感じています。

 

鳥居:たとえば、治療しないと2年で亡くなってしまったり、一生を車椅子で生活しなければならなかったりするような希少疾患があり、その治療や介護にかかる費用は約4〜5億円と試算されています。しかし、ある薬を使えば、それが2億円で治る。双方を比較してみると薬の価格は決して高くないのですが、国内メディアは「単価」が高いと否定的な論調で報道を繰り返すことがあります。もし価格を報道するのであれば、同時に患者さんや社会に対する恩恵なども全て説明していかなければいけない。これは医薬品の業界やメーカーの課題で、問題の根底にあるのは「イノベーション」についての説明が不足しているということです。

この例は新薬メーカーの話になりますが、医薬品の業界やメーカーのミッションの根幹にあるのは「イノベーション」です。イノベーションがなければ存続できないし、発展もできません。しかし、イノベーションに伴うリスクとコストを理解してもらうのは簡単ではありません。

新薬を創るには通常10〜15年ほど、開発費は1,000〜3,000億円ほどかかります。しかも、3万品目の中で成功するのはたった1品目しかない。細胞や遺伝子治療などは製造・製法も複雑で、より多くの投資、リスクテイクが必要になります。製法を変えれば安くなるのかというと、それも難しい。本来、薬の価格は、原価とは関係なく、どれだけ価値があるかということに左右されるのです。

 

松下:原価と価値とは関係がないというお話は、とても共感しました。その一方で、日本企業では受け入れられづらい考え方だとも思いました。

日本はこれまで重工業がメインだったため、「原価にマージンを乗せる」という発想が染みついています。そういった中で、行政などにその価値をどう訴求していくのかは大きな課題ではないでしょうか。

実は、我々のビジネスでも同じことが起きています。クライアントと話をしていても、提案内容や情報そのものの価値ではなく、結局「人工(にんく)でどれくらいかかるのか」という話になります。ステークホルダーとのコミュニケーションは難しいですが、鳥居さんはどのようにコミュニケーションしてきたのでしょうか。

松下 欣親/Yoshichika Matsushita

松下 欣親/Yoshichika Matsushita 有限責任監査法人トーマツ パートナー
監査業務や株式公開支援業務などの業務に従事。大手証券会社への出向を経て、現在、取締役会の実効性分析・評価やリスクアペタイトフレームワークの導入を含む、コーポレート・ガバナンスのための組織体制整備業務等を行っている。

鳥居:イノベーションの価値は「原価」では測ることはできません。たとえば、錠剤やカプセルの原価は高いものではありません。ただ、3万品目やって1品目しか成功しない薬なのですから、将来の新薬を創るための投資の原資を確保する必要がある。そうなると、どうやって価格を決めていけばいいのかという話になる。

価格を決めるには、現在大きく二つの方法があります。1つは、類似薬がある場合。市場で一定の価値が認められている薬の値段を基準に、それより良ければプラス、変わらなければほぼ一緒という値付けにする。こういった比較をすると、一応の説明が付きますね。

しかし最近は類似薬がない品目が増えています。そうした場合、この方法は使えない。だから、原価方式となってしまうんです。原価は製品の価値と関係ないといっても、ステークホルダーにはなかなか理解されないんです。

ヘルステクノロジーアセスメントが近道かもしれないという議論はありますが、国内に専門家はわずかしかいませんし思うように進んでいません。ただ、業界として原価方式に代わるものを模索しているのは確かです。そのためには、社会的な価値を測定することが求められるのだと思います。

というわけで、医薬品の価格の説明には、新薬を創りだす長くて複雑なプロセスと成功確率が極めて低いという大きなリスク、そのリスクを負い開発費を捻出する必要性を、ステークホルダーにいかにわかりやすく説明するかに腐心してきました。

 

岩村:イノベーションの重要性が認められないということは、世界的な問題だと感じています。重要性が認められなければ、現状維持でもいいということになりかねない。それでは成長することも難しい。

岩村 篤/Atsushi Iwamura

岩村 篤/Atsushi Iwamura 有限責任監査法人トーマツ パートナー リスクアドバイザリー事業本部長
2021年デロイト トーマツ グループ 執行役、リスクアドバイザリー ビジネスリーダー、有限責任監査法人トーマツ執行役およびデロイト トーマツ リスクアドバイザリー株式会社 代表取締役。上場会社の監査業務に関与後、グローバル展開するメディア企業や製造業向けにアドバイザリー業務を提供。近年は複数のグローバル企業に対し、デロイト トーマツ グループのサービス責任者として従事

鳥居:海外では、mRNAについて長年研究を続けてきた企業に対して、想像を絶する資金が投入されました。その結果、たった1年で市場にコロナワクチンが投入され、世界中で使われています。

現在のフロントラインは、アメリカと中国の2カ国です。グローバル企業の戦略はこの二国を中心に考えています。日本は世界3位という大きな市場ですが、シェアは縮小しており、相対的な重要度が低下しています。そのため、今は新薬のグローバル申請用のデータパッケージには一定数の日本の症例が含まれていますが、それが中国からのデータに置き換えられてしまうということも起こってしまうかもしれません。そうなると、その薬が日本で使えるタイミングが遅れてしまい、日本の患者さんからタイムリーな治療の機会を奪ってしまうということにもなりかねません。そういった点ではかなり危惧しています。

 

岩村:日本法人とグローバルの考え方や風土の違いといったことで、組織の作り方などを変えるケースもあると思いますが、グローバルと日本といった観点で何か差を感じられることはありますか。

 

鳥居:以前は日本の特殊性が認識されており、日本だけ違うという点がかなりありました。しかし、今はそういったことは減って来ました。世界が近づき、小さくなっているように感じます。

その影響は、いろいろあります。たとえば、自社製品の説明に日本では現場の担当者が医療従事者に頻回訪問をするのが一般的でした。しかし、扱う製品が、広く多くの患者さんに使われる製品から専門性の高いスペシャリティー製品に移ってきていることも理由ですが、訪問頻度ではなく一回の訪問でいかに的確に情報を伝えるかを重視する欧米の流れに変化してきています。情報提供について、グローバルでは営業担当者が製品の適応外の説明や開発中の製品の話をすることは一切禁止されています。しかし、日本はそこまではっきりしていませんでした。むしろ医療現場では、そういったことを知りたいというニーズが高い。ただし、そのニーズに応えていくと、グローバルのレギュレーションには合わなくなります。この場合、グローバルスタンダードに合わせたメディカルのチームが対応をするのが一般的になってきています。また、日本の当局の規制もグローバルに合わせて厳しくなってきています

グローバル企業も、生き残りをかけた深刻な状況を迎えています。各国の制度変更や政権の交代などが起きると、これまでの投資が無駄になりかねない。エマージング市場ではワクチンを無料にすべきといった話もあり、新薬も出しにくい。そういった状況の中、特定の国のことを気にしている余裕がないという状況も考えていかなければなりません。

 

岩村:グローバルで導入された仕組みは、日本でも導入していかなければならないし、グローバルで守らなければならないことは、日本でも守らなければならない。ある意味、世界は統一化され、同水準になりつつあるということでしょうか。そういった意味では、グローバルと日本との差がなくなってきているのでしょうね。

 

鳥居:グローバルで仕組みができる前に、日本の特殊性などを伝えて、それらを織り込むことができればいいのですが、本社に人を出すこともできない。人的リソース不足も要因の1つなのかもしれません。日本の意見を十分に伝えて全体の流れに影響できるコミュニケーション力を持つ人材が必要になっているのです。

そういった人材を育成するには、早い段階で異文化に身を置く経験をすること。日本の美徳であるチームワークや謙虚さ、思いやりなどを持った上で、グローバルで活躍できる人材を育成する必要があるでしょう。日本でこのような人材層が不足している理由はいろいろと考えられますが、一番は自由な発想ができない人材が育っている、「正解主義」にも問題があるのかもしれません。トップが新しい提案にブレーキをかけてしまうというケースが増えているようにも思います。トップはリスクをテイクしつつ、まずはやらせてみるという姿勢を持つことがとても重要になっていると思います。

松本 拓也/Takuya Matsumoto

松本 拓也/Takuya Matsumoto 有限責任監査法人トーマツ パートナー
シンクタンクにてコンサルティング業務に従事した後、有限責任監査法人トーマツに入社。監査業務の経験を経た後、現在は、グローバルリスクマネジメント/コンプライアンス体制構築を中心に、グループガバナンス再構築、危機管理体制構築、内部統制構築、内部監査等のアドバイザリーサービスを数多く手掛ける

松本:製薬業界におけるイノベーション、リスクテイクの必要性やそのための人材育成が必要であること、グローバルのマーケットがアメリカと中国が中心になっており、その2か国中心にニーズが形成されざるを得ない状況は、他のインダストリーにもとても参考になると思います。

私からは、よりオペレーショナルな話もお聞きできればと思いますが、鳥居さんは、これまで経営者として様々なリスクを見ていらっしゃると思います。その際、順番や優先度などはありますか? たとえば、毎年必ず見ているリスクやリスクトップ3などがあれば教えてください。

【後編へ続く】

経営トップの視点から見える「社会的責任と事業の不確実性への対応」【後編】

プロフェッショナル

岩村 篤/Atsushi Iwamura

岩村 篤/Atsushi Iwamura

有限責任監査法人トーマツ 包括代表代行 兼 リスクアドバイザリー事業本部長、デロイト トーマツ リスクアドバイザリー株式会社 代表取締役

2000年監査法人トーマツ(現 有限責任監査法人トーマツ)入社。上場会社の監査業務に関与後、グローバル展開するメディア企業や製造業向けにリスクアドバイザリー業務を提供。近年は複数のグローバル企業に対し、デロイト トーマツ グループのサービス責任者として従事。専門は、財務会計・管理会計の高度化、内部統制構築や内部監査、ガバナンス構築など、会計・財務及びGRC*の知見を有している。また、事業戦略、IT戦略や大規模な組織改革などのプロジェクト経験も豊富。2021年よりリスクアドバイザリーのビジネス責任者として執務。   *GRCは、Governance、Risk、Compliance

仁木 宏一/Koichi Niki

仁木 宏一/Koichi Niki

有限責任監査法人トーマツ パートナー

長年にわたり製薬企業の会計監査を担当してきた経験を活かし、近年ではIFRS、M&A、内部監査やコンプライアンスの領域におけるアドバイザリー業務を提供している。 製薬企業特有の会計論点やリスクマネジメントに関する知見を有する。著書に『Q&A業種別会計実務・4 製薬』(共著・中央経済社)がある。

 

松下 欣親/Yoshichika Matsushita

松下 欣親/Yoshichika Matsushita

有限責任監査法人トーマツ パートナー

監査法人トーマツ(現 有限責任監査法人トーマツ)入社後、監査業務や株式公開支援などの業務に従事。 某大手証券会社への出向を経て、現在、ESG領域を中心に活動している。特に、取締役会の実効性分析・評価やリスクアペタイトフレームワークの導入を含む、ガバナンスに関する業務に知見を有している。 主な共著書として、『コーポレートガバナンスのすべて』、『M&A実務のすべて』(以上、日本実業出版社)、 『リスクマネジメントのプロセスと実務』(LexisNexis)、『組織再編における税効果会計の実務』(中央経済社)、『ベンチャー企業の法務・財務戦略』(商事法務)、他がある。  

松本 拓也/Takuya Matsumoto

松本 拓也/Takuya Matsumoto

有限責任監査法人トーマツ パートナー

シンクタンクにてコンサルティング業務に従事した後、有限責任監査法人トーマツに入社。 監査業務の経験を経た後、現在は、グローバルリスクマネジメント/コンプライアンス体制構築を中心に、グループガバナンス再構築、危機管理体制構築、内部統制構築、内部監査等のアドバイザリーサービスを数多く手掛ける。 主な著書に『最新 コーポレートガバナンスのすべて』(共著、日本実業出版)他 米国デラウェア州公認会計士/公認内部監査人/公認情報システム監査人