【佐藤琢磨】なぜ私たちは
ヴィンテージカーを動かしたいのか
PROFESSIONAL
- 田中 義崇 デロイト トーマツ コンサルティング 執行役員 経営会議メンバー
- 井出 潔 デロイト トーマツ コンサルティング 執行役員
- 小池 雄一 デロイト トーマツ コンサルティング シニアスペシャリストリード
テクノロジーや価値観の変化により移動のあり方が大きく変わり、移動やクルマの進化の方向性として、「MaaS」「CASE」といった新しい概念も生まれた。さらにコロナ禍を経て、移動そのものの意味や、安全性や環境負荷も含めた「最適な移動」とは何か、「移動の本質」に対する注目も集まっている。クルマは今、100年に一度の大きな変革期を迎えているのだ。
そこで今回は、世界の舞台で活躍するレーシングドライバーの佐藤琢磨氏と、クライアントとともにモビリティ革命を推進してきたデロイト トーマツ コンサルティングのメンバーにインタビュー。それぞれの立場から「クルマの未来」を描く。
移動の「本質」とは何か
自動車業界をはじめとする「クルマ」を取り巻く世界は、大きな変革のときを迎えている。
カーボンニュートラルな社会の実現に向けたCO2削減という社会の要請や、移動格差の是正、Quality of Lifeの向上など、さまざまな要素が複雑に絡み合う社会課題への対応として、「MaaS」や「CASE」という新しい概念も誕生した。
近年では、自動車会社の収益性が下がる一方で、より川上に位置する一部のメガサプライヤーと、川下に位置する販売金融やサービス事業者、上流と下流だけの収益性が上がる「スマイルカーブ現象」も顕著だ。
「コロナによって、移動の本質が見つめ直されている」と話すのは、クライアントとともにモビリティ革命を推進してきたデロイト トーマツ コンサルティング(以下、DTC)の田中義崇氏だ。
コロナ禍で、世界中が移動を制限された。それによって、移動そのものの意味やクルマの持つ価値、安全性も含めた最適な移動とはどんなものか、私たち消費者が「移動の本質」について考えはじめているのだ。
移動の本質とは何か。手段、娯楽……それに対する解は千差万別だろう。レーシングドライバーとして世界の舞台で活躍する佐藤琢磨氏の答えは、「喜び」だ。
「コロナ禍では、移動しなくてもオンライン会議ツールを使って仕事ができることがわかりました。でも、だからこそ『移動する楽しさ』や『直接会う喜び』を再確認した人も多いでしょう。僕もその一人です。
シーズン中の移動は普段なら飛行機ですが、最近はモーターホーム(自走式の大型キャンピングカー)でレースとレースの間を移動しています。インディアナポリスからフロリダ、そしてテキサスまでロードトリップを楽しんだこともありました。
日本でもキャンプ人気が再燃しましたが、アメリカでも同じで、みんなキャンプしながらの移動の旅を楽しんでいましたよ」(佐藤氏)
DTCでも人の移動を定点観測するなど、コロナ禍での変化を追っていたが、顕著だったのは移動量よりも、人々の価値観の変化だったという。
「クルマ」とも呼べない新しい存在を生み出せるか
移動やクルマに対する私たちの価値観を変える大きな要因として、やはり近年のカーボンニュートラルな社会への転換が挙げられる。
自動車業界は、その環境負荷の高さから注目される業界でもあるからだ。乗用車から排出される温室効果ガスは、世界全体の約9%を占めるとされる。
また、世界に先んじて高齢化社会を迎えた日本において、高齢者の運転による事故や、免許返納に伴う移動難民の発生などの課題も指摘される。自動車業界は今、環境負荷が低く、安全で、サステナブルな移動手段の開発という難題に取り組んでいる。
「そのひとつの解がCASEです」と語るのは、書籍『続・モビリティー革命』を監修したDTCの井出潔氏だ。
「自動運転機能の進化は安全性の向上につながりますし、EVやFCVの普及により環境負荷の低減にも貢献します。自動車業界全体で、クルマにまつわる社会課題の解決を目指しているのです。
それを成し遂げるにはCASEに代表されるさまざまな技術の社会実装が必要。私たちもそうしたモビリティの発展を支えていきたいと思っています。
一方で、忘れてはいけないのは、その本質です。安全性の担保や環境負荷の低減といったネガティブな側面の解消に注目しがちですが、移動手段の選択を楽しんだり、移動過程を充実させるといったポジティブな価値にも改めて焦点をあててほしいですね」
「移動の本質」について考えているのは、消費者だけではないというわけだ。
DTCに持ち込まれる企業からの相談も、大きく変化した。5年前は、「CASEのトレンドは本当に来るのか」「自社にはどこまでの影響があるか」といったトレンドについての相談が多かったが、ここ数年で風向きが変わっている。
「今、CASEのトレンドが進むことは大体『見えている』状態です。法整備が進み、消費者の受容性が高まり、コスト低減手段を適用できるようになったタイミングで広く普及しはじめる。
すると企業は、『そんな社会が実現したときに、どうすれば自分たちは生き残れるのか』『生き残るだけではなく成長を続けるために今何をすべきか』と考えます。それで、クルマ本体から離れた『付加価値』の創造に必死で取り組んでいるのです」(田中氏)
DTCの小池雄一氏は、かつて自動車会社で自動運転やハイブリッド、EV、スマートシティと、自動車会社のデファクトスタンダードを変えるような最先端技術の開発に取り組んできた。
その小池氏がこのタイミングでDTCの門を叩いたのは、まさにその部分での葛藤と、希望があってのことだ。
4つのタイヤがあって、その上にエンジンがあって、車体がある。自動運転を実現し、環境負荷の低い燃料で走るクルマを生み出しても、「クルマ」の基本構造は誕生から100年以上変わらない。
「先人たちが作ってきたものを、先端技術によって『磨く』ことしかできない自分に腹立たしさがあったんです。本当に今必要とされるのはどんなクルマなのか、どんな社会を実現すべきなのか、それを考えられる仕事がしたくてDTCに来ました。
今、ここにいることでクルマを世に送り出したエンジニアと同じ感覚を味わえるんじゃないか。『クルマ』とも呼ばないような、モビリティの新しい形を創造できるんじゃないか。そう考えると、すごくわくわくします」(小池氏)
「センスのいい不便さ」を残す作業とは
小池氏をわくわくさせているのは、DTCが主導する神奈川県逗子市の移動サービス再構築プロジェクトだ。DTCは「スマートローカル構想」を掲げ、全国の自治体などと地域課題の解決に向けたプロジェクトを推進しているが、これもそのひとつ。
逗子市は、豊かな自然と交通の便利さにより住みたい街としての人気が高く、古くからベッドタウンとして開発が進められた地域だ。
しかし近年、神奈川県内でも高齢化率が高い市の一つに数えられ、それにより、自家用車を移動の前提とした町のあり方に不具合が生じているのだ。
「自動運転で市内のどこにでも移動できる環境が構築できれば、それは便利でしょう。でも、高齢者のデータを見ていくと、徒歩や自転車での移動をメインにしている人は通院率が低く、自家用車メインの人はその逆。
つまり、地域の人の将来的な健康のことを考えれば、ガチガチにモビリティサービスを構築することだけが正解ではない。
直接聞き取り調査をし、いろいろなデータも参照しながら、人によって、地域によっても大きく異なる移動の正解を構築する。非常にやりがいのある仕事です」(小池氏)
今、逗子市で導入が検討されているのはオンデマンドタクシーだが、それにシェアサイクルや徒歩などの移動手段もうまくミックスして、最適な形を構築しつつある。小池氏はこれを「センスのいい不便さを残す作業」と表現する。
少し違和感のある表現になるが、クルマの「不便さ」の重要性は、レースの世界に身を置く佐藤氏が一番よく理解している。
究極のパフォーマンスを求められるレースの世界は、かつては「走る実験室」と呼ばれ、クルマの最先端にあった。パワーと耐久性の両立と、ドライバビリティ。そこで培われた技術が市販車に転用された例も多い。
しかし、テクノロジーが進化しすぎると、スポーツ性は失われていく。極端な言い方をすると、自動運転のクルマのレースに私たちは熱狂できるのか、ということだ。
「人間って、基本的に複雑な何かを征服することに楽しみを見出す生き物だと思うんですよ。そういう意味でレースは、フィジカル的な限界に挑戦しながら、複雑な機械=クルマをいかに制して、そのパワーを引き出すかという競技。観客はそれを楽しむわけです。
市販車では一般的な緊急回避のためのブレーキや、タイヤロックさせないABS機能はフォーミュラカーでは禁止されています。スポーツである以上、ドライバーが技術を競う部分は残さないと、勝負が面白くなくなるからです。
ヴィンテージカーを所有する方も、レースとは違うものの、メンテナンスに手がかかるという不便さに、むしろ愛着を持っているのかもしれませんね。
一方で、自動運転が進化すれば、移動弱者には優しくなる。環境負荷が下がれば、若い世代により良い地球を残せる。僕もそれを否定する立場ではなく、むしろすごく楽しみです。大切なのは、不便さによる喜びと利便性が共存できる社会の実現でしょう」(佐藤氏)
それでも人はゼンマイ式の時計を愛する
通話やメールチェックができ、電子マネーで支払いができ、心拍計で日々の健康管理もできるスマートウォッチが人気だが、その一方でゼンマイ式の手巻き時計を愛する人がいる。
それと同様に、これからのクルマや自動車業界が目指すのは、さまざまな人の異なる「喜び」を実現する存在になることだ。技術革新だけではない「変革」のときだとも言える。
「DTCとして、慶應義塾大学の経済学部の学生さん向けに『都市と地域のモビリティ産業論』という寄附講座を行っています。
そこで移動についてコメントを求めると『(移動できなくなったことで)人には、直接ヒトやモノに接して得る刺激が必要なんだと気づいた』という回答が多くありました。オンラインでのやり取りに慣れた世代も外に出ることを求めているとわかり、嬉しかったですね。
一方で、逗子市での取り組みのように、独居老人が孤独にならないための(移動手段の提供を含めた)外に出たくなる仕掛け作りを求められることもある。
つまり私たちは、人の活動量を増やすことを通じて、『喜び』の総量の最大化を目指しているのです」(井出氏)
クルマや自動車業界が変われば、社会も変わる。燃費を度外しして最高パフォーマンスを目指しているように見えるレースも、変わる。
2014年からは化石燃料を使用しない電気自動車のフォーミュラカーによるレース「フォーミュラE」が開催されるなど、変化のときを迎えているのだ。佐藤氏は、この「変化」そのものに対してもポジティブだ。
「僕らの究極の目標はレースで勝つことですが、それは高い目標に挑戦して失敗し続けることでしか果たせない。人は、失敗しないと自分の限界も見えないからです。
失敗するということは、限界を超えたということ。そこではじめて科学的に検証して、限界を突破するヒントを見出すことができる。
環境のことだけを考えれば『レースはいらない』と言われるのはわかります。でも、行動力って、伝染するんです。
僕が限界を突破するのを見た誰かに勇気や喜びを与えることができれば、それが新たな変化の糧になるかもしれない。僕の行動が、誰かの行動力を引き出して、世界がもっとハッピーになれば、こんなに嬉しいことはないですね」(佐藤氏)
執筆:大高志帆
撮影:小島マサヒロ
デザイン:ソートアウト
編集:木村剛士
NewsPicks Brand Design制作
※当記事は2022年3月9日にNewsPicksにて掲載された記事を、株式会社ニューズピックスの許諾を得て転載しております。
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