ナレッジ

Industry Eye 第75回 ヘルスケアセクター

日本の超高齢社会に求められる介護予防の新潮流

健康なうちからフレイルや認知症の予防に取り組むことは我が国が社会保障費の増大を抑えながら持続可能な健康長寿社会を目指す上で今後より一層重要になります。本稿では介護予防の現状の取り組み、克服すべき課題と今後の展望について考察します。

I.はじめに

日本では少子高齢化に伴い、社会保障費が増加の一途をたどっており、将来の人口動態を踏まえると今後も増加傾向が続くと見られている。これら社会保障費の増加度合いを抑えるために、要介護者の増加を防ぐことが重要視されており、政府は2015年の介護保険法改正により高齢者の誰もが参加できる「一般介護予防事業」を創設した。以降、全国で様々な「通いの場」や優良事例となるようなフレイル・認知症予防サービスが提供されるようになったが、産官学の全ての機能が連携されておらず、いまだ「介護予防元年」と呼ばれるほどの盛り上がりは到来していないのが実態である。本稿では介護予防の現状と課題、今後の展望について解説する。

II.なぜ介護予防なのか

1.健康寿命の延伸

政府は2019年に「健康寿命延伸プラン」を策定し、「誰もがより長く元気に活躍できる社会の実現」を目指している。その健康寿命の延伸を阻害するものとして、フレイルや認知症を思い浮かべる方も多いと考える。フレイルとは加齢とともに体や心の働き、社会的なつながりなどが弱くなった状態のことを指す。どちらも、「高齢者のものだろう」と思い浮かべるだろうが、実のところ筋力の衰えなどは40歳前後から既に始まっており、比較的早い年齢でフレイル期に移行するケースも多い。そして、何よりもまず知らなければならないことは、一度要介護状態に陥ると健康な状態に戻ることは困難とされている点であり、フレイル段階において健康状態の悪化を食い止めることが重要になる(下図1)。

図1:フレイルの基礎的概念
※クリックまたはタップで拡大画像を表示

III.介護予防への取り組みの実態

1.行政・社会が介護予防事業を推進する意義

実に、国内の75歳以上人口は2030年には2,288万人にまで達し、介護費については、2040年度には25.8兆円と、2018年度の10.7兆円の2.4倍程度になると推計*1 されており、今後も増加傾向が続くと見られている。このように介護費を含む社会保障費の適正化は依然として待ったなしの状態であり、行政として費用対効果が見込める介護予防に取り組むことの機運が高まっている。

出所:*1厚生労働省第28回社会保障審議会「今後の社会保障改革について-2040年を見据えて-」
 

2.行政における介護予防関連事業の概況

このような背景から、政府は2015年の介護保険法改正により、要支援や要介護の認定有無に関わらず65歳以上の高齢者誰もが参加できる「一般介護予防事業」を創設しており、介護予防教室・通いの場や心身の衰弱防止を目的とする活動の支援を行っている(下表1)。併せて、介護予防事業の評価・改善活動を行っており、2018年以降は保険者機能強化推進交付金制度を通じて、効果的な介護予防を実践した自治体に対しインセンティブを付与する取り組みも始まっている。

表1: 介護予防・日常生活支援総合事業の概況(令和4年度予算:国費1,935億円/公費967億円)
※クリックまたはタップで拡大画像を表示

また、政府はフレイル健診(後期高齢者医療制度で行われる健康診査のこと)を2020年4月から全国一律で開始しており、高齢者に自身のフレイルリスクを把握してもらい、フレイルに着目した疾病予防・重症化予防の取り組みを意識づける動きが広まっている。
 

3.住民主体での「通いの場」の運営状況

行政の働きかけは介護予防活動の支援や評価が中心であり、実の介護予防活動は地域住民が運営する「通いの場」や自助的な健康増進サービスの活用に委ねられている状態である。

「通いの場」として、健康体操教室を思い浮かべる方も多いと考えるが、より正確には、「高齢者をはじめ地域住民が、他者とのつながりの中で主体的に取り組む、フレイルや認知症予防などを目的とした多様な活動を行う場」を指す。

通いの場の利用者は全国2百万人前後とされており、参加率は上昇基調であるものの、高齢者のうちわずか5%前後で推移している(下図2)。政府は2025年度末までに参加率を8%程度にまで引き上げることを目標にしているが、社会参加に無関心な層を揺り動かすだけの影響力はいまだ見られない。また、通いの場の利用者の約8割が女性である点が特徴であり、今後はいかに男性高齢者を誘導するかが重要になると見られる。

図2: 通いの場への参加者数(男女別)および参加率の推移
※クリックまたはタップで拡大画像を表示

IV.介護予防市場での盛り上がり

1.民間企業の参入概況

高齢化社会の波が押し寄せる中でシニア向けビジネスは近年盛り上がりを見せており、新規参入する民間企業数も増えている状況である。実際に介護予防市場も徐々に顕在化しつつあり、行政における一般介護予防事業に参画する事業者や通いの場の運営をサポートする事業者が増えている。近年では、データ管理・見える化のためのソリューションや、オンライン通いの場アプリを提供する形で、通いの場の運営のDXを支援する動きも見られる。また特筆すべき点として、地域住民とのコミュニケーション・ポイントを設け、実質的に通いの場の役割を担う事例が見られる(下図3に示す「広義の通いの場」を指す)。とくに、スポーツジムや調剤薬局、コンビニ、スーパーなど地域住民との距離が近い業種を中心に、地域共創を目指す中で参入するケースが多い。

図3: 「通いの場」周辺業界における参入動向
※クリックまたはタップで拡大画像を表示

2.介護予防市場の成長可能性

行政による介護予防関連事業は、介護保険制度の第1号被保険者である65歳以上を対象としているため、実は55-64歳の高齢者については、健康不安・フレイルリスクを抱えながらも十分な介護予防サービスを享受できていない。当社推計では、2030年では、要介護認定者を除く55-74歳の高齢者人口は約3,160万人にのぼると見られる(下図4)。その層が10年後にはシニアビジネスに参加することになるため、介護予防市場は恰好の実証フィールドであるといえると同時に、企業の製品・ソリューションのブランド認知にも役立つと考えられる。

図4: 55歳以上人口(要介護認定者を除く)の年齢階層別予測推移(単位: 千人)
※クリックまたはタップで拡大画像を表示

比較的若くて健康なうちからフレイルや認知症予防を行う意識が社会全体で醸成され、民間企業による新たな介護予防サービスが次々に生まれるかどうかが鍵になると考えられる。

 

V.介護予防の現状の課題~なぜ介護予防元年は到来していないのか

行政・民間それぞれにおける介護予防の取り組みを解説してきたが、現状はそれぞれにおいて独立した事業・ビジネスがあり、介護予防に資する何らかのデータは整備されているものの、全体として連関しておらず、真に介護予防に資するエビデンスが確保されていない状態である。

問題の背景として、介護予防業界が大きく3つの課題を抱えていることを挙げたい。1点目は、行政側でいまだ大きく予算化できてないこと、2点目は、地域・民間レベルで介護予防の取り組みに対するエビデンス集約・適切な情報提供機能が不足していること、3点目は高齢者個人の社会参加率の維持・向上が難しい点である。

そして、何よりもまず知らなければならないことは、これら3つの要素が複雑に絡み合っていることで、全体として連関した介護予防の取り組みが生まれづらい点にある(下図5)。

図5: 介護予防の発展を阻害する主な要因(デロイトトーマツ想定)
※クリックまたはタップで拡大画像を表示

1.介護予防事業にかかる予算確保の必要性

政府は2015年の一般介護予防事業の創設以降、介護予防事業費の予算を積み増してきた。しかしながら、コロナ禍における財政支援のための予算配分の影響もあり、介護予防・日常生活支援総合事業の概算要求は2021年度以降減衰傾向であり、2023年度についても前年度当初予算の範ちゅうにとどまる見込みである。高齢者の伸び率が勘案され地域ごとに若干上振れる可能性はあれど、今後も前年度当初予算から大きく変わらない傾向と見られ、十分な事業予算を確保しているとは言えず、既存の介護予防の取り組みからの脱却は容易ではないと考えられる。
 

2.介護予防にかかるエビデンス蓄積の必要性

介護予防サービスは、有効性や費用対効果について科学的な検証を行い、より本人の年齢・健康状態などに適した介護予防サービスが紹介されるべきであるが、現状は市区町村窓口や地域住民からの紹介を中心に属人的な方法で選択されるケースが多い。この背景として、介入手段を量的・質的に評価するための実証研究が道半ばの状況であり、さしあたり、優良事例の成功要因の定性評価や母集団から無作為抽出した調査対象へのアンケート調査程度にとどまっている。
 

3.活発な社会参加を促す必要性

通いの場の運営課題として、個人のライフステージ・趣味嗜好の違いによりプログラムとの相性がマッチせずに、マンネリ化した内容に感じてしまい参加不継続となるケースが挙げられる。また、男性を中心に社会参加に全く興味関心を持たない引きこもりがちな層も一定数存在しており、これらの層へ適切な介入手法を講じる必要がある。

VI.介護予防の将来展望~更なる発展の糸口はなにか

介護予防の発展のために何よりも重要な点として挙げたいのは、より多くの関係者を一致団結させ、大規模かつ長期的な介護予防プログラムを推進できる環境づくりである。勿論、関係者が多くなることで利害調整が困難になるため一朝一夕とはいかないが、以下に示すような課題解決の糸口を見出す中で徐々に関係者間での垣根がなくなり、持続可能な介護予防プログラムに繋がるものと考える。
 

課題解決の糸口①:インパクト投資の普及

近年、経済的なリターンと同時に社会面・環境面での課題解決を目指す、「インパクト投資」が注目されており、その中でも、PFS(Pay for Success)やSIB(Social Impact Bond)をはじめとする成果連動型官民連携スキームが事業予算の継続確保のために注目されている。成果報酬が取り入れられているため、質のばらつきが大きいとされる介護予防サービスの選定に有用であり、このスキームを有効活用することで介護費の適正化に繋がると期待されている。

普及に向けては、自治体担当部署が当該スキームへの理解を深めることは勿論のこと、前例が決して多くはないスキームのため、財政部署との連携や議会での承認も得る必要も出てくるなど一朝一夕で普及させることは難しいが、裏を返せば、民間企業が各自治体と協業しながら、検討・実施段階での様々な課題を解決できるビジネス機会として捉えることもできよう。

 

課題解決の糸口②:科学的評価活動へのイニシアティブ

システマティックレビューやRCT(ランダム化比較試験)などの科学的な評価体系を通じて、各介入手段の有効性を明らかにすることが有用である。これにより、サービス間の客観的な比較検討や、アウトカム定量化の取り組みが活発になると考えられる。

これらの取り組みを活発化させるためには、自治体が中心に実証フィールドを確保したうえで、データ取得・蓄積に係る民間企業のソリューションを活用しながら、高齢者個々の運動機能・認知機能および社会参加度に係る客観的なデータを取得することが重要である。同時にそれらのデータについて、学術的見地から統計的有意性や臨床的意義を明らかにする取り組みも求められるであろう。

 

課題解決の糸口③:本人に最適化された介護予防プログラムの開発

社会参加率向上を促す上では本人に最適な介護予防プログラムを提供することが肝要である。英国・北欧などの公衆衛生先進国では、「Equity(個人の違いを視野に入れて、目的を達成するために適切なものをそれぞれ与えること)」を念頭に置き、既にこの考え方を体現している。一方で日本の場合は、「Equality(個人の違いは視野に入れず、すべての人に同じものを与えること)」ベースでの旧態依然としたプログラムが多く残っている点で、社会参加率の向上のためにパラダイム変化が必要な転換点に差し掛かっていると考えられる。

勿論、日本人の国民性や医療・介護制度に見合ったアプローチを導入するにしても浸透までに何十年も掛かってしまうため、DXの力を借りることが有用と考えられる。例えば、いつでもどこでもフレイルリスクを把握できるアプリや、本人の趣味・趣向に関する情報から最適なサービスを提案できるAIソフトウェアなどが想像される。

 

VII.介護予防における好事例の紹介

事例①:愛知県豊田市における事例~SIBスキーム導入による介護予防事業の推進

愛知県豊田市は、2021年7月からSIBスキームによる介護予防事業を開始している旨を同年8月に発表している。期間は2026年6月まで5年間で事業費は最大5億円であり、介護予防を含むヘルスケア分野で億単位のSIBスキームは全国初ということで話題になった。日本では、英国・米国などSIB先進国と比較して、事業規模が比較的小さい点が課題として挙げられていたが、ここで例示するように数億円規模の事業が増えていき成功事例が積み重なれば投資家への更なる呼び水になり、介護予防の取り組みが拡大することが予測される。
 

事例②:高度なセンシング技術を活用した事例~いつでもどこでもフレイルリスクを把握できるソリューションの開発

DXの力により個人の意識・行動が変容し、健康増進・予防に向けた活動が進む事例がみられる。例えば、NECが開発した歩行センシングインソール「A-RROWG(アローグ)」では、歩行分析センサを装着した専用のインソールを靴に入れるだけで、日常の自然な歩行状態(速度や歩幅、足底角度など)を計測することができる。アプリ上では、計測データ・スコアのチェックや、改善に向けた指導・アドバイスを確認することができる。また、2022年6月にはX脚・O脚傾向やフレイルレベルなども推定・評価することが可能となっている。このような高度なセンシング技術により、高齢者が無意識な状態であっても、運動や認知機能など要介護リスクに関わる健康データを取得できる環境が整えば、本人に最適な介護予防プログラムを提案できる環境づくりに一歩近づくと考える。

VIII.おわりに

日本は世界のどこよりも早く超高齢社会に直面しており、介護予防の取り組みが急務となっている。これは日本が世界に先駆けて経験できるチャンスとも捉えられ、国内で描いた持続可能な介護予防の仕組みを世界へ輸出しながら次世代のヘルスケア産業をリードすることも期待できる。一方で三方よしとなるような持続可能な業界構図をいまだ描き切れていないのが現状であり、主要なステークホルダーたちを一致団結させ、持続可能な仕組みを構築することにより、介護予防の取り組みが一層進展することに期待したい。

 

※本文中の意見や見解に関わる部分は私見であることをお断りする。

 

執筆者

デロイト トーマツ ファイナンシャルアドバイザリー合同会社
ライフサイエンス・ヘルスケア
ヴァイスプレジデント 田中 克幸
シニアアナリスト 山路 郁馬

(2023.5.18)

※上記の社名・役職・内容等は、掲載日時点のものとなります。

関連サービス
■ ライフサイエンス・ヘルスケア
■ ヘルスケア
■ テクノロジー・メディア・通信
 
シリーズ記事一覧 
 ■ Industry Eye 記事一覧

各インダストリーを取り巻く環境と最近のM&A動向について、法規制や会計基準・インダストリーサーベイ等を織り交ぜながら解説します。

記事、サービスに関するお問合せ

>> 問い合わせはこちら(オンラインフォーム)から

※ 担当者よりメールにて順次回答致しますので、お待ち頂けますようお願い申し上げます。

お役に立ちましたか?