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日本版司法取引について ―ある事例の検討とともに―

クライシスマネジメントメールマガジン 第24号

シリーズ:丸ごとわかるフォレンジックの勘所 第28回

本シリーズでは、フォレンジックの勘所を不正の予防・発見、対処、再発防止の全プロセスにわたり、複数回に分けて紹介します。本稿では、2018年6月1日に施行され、これまでにも適用事例が数件ある日本版司法取引制度について解説します。

1. 企業不祥事事例:ある日突然起きること

(1) 内部通報

日本のA社のコンプライアンス担当の執行役員であるあなた(B)が出勤すると、コンプライアンス部長Cが血相を変えてやってきた。

昨年A社は、旧ソ連のウズベキスタンで携帯電話事業に参入するために、同国内の事業免許を持つD社を、現地子会社E社を通じて買収した。C部長によると、買収完了後、D社からウズベキスタン政府の要人の家族が経営する会社に800万ユーロが支払われ、その支払いにはA社上層部も関与している、とのグローバル内部通報が現地従業員からあったとのことであった。現地子会社E社の代表者FはA社から派遣された日本人で、ウズベキスタン案件はA社の次期社長候補と目される専務取締役Gの主導で行われたことはA社の誰もが知っていた。

あなたは、コンプライアンス担当執行役員として、この内部通報がもたらした疑惑にどのように対応するべきか。

図表1: 【関係図】
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(2) まず考えるべきこと

このような状況で、Bは、コンプライアンスの責任者として、大きな筋道を決め、それに基づいて動く必要がある。

i) 疑惑に利害関係の無い役員(社外取締役等)を含め、社内で調査チームを組成し極秘に調査を開始すること

ii) 内部調査の客観性と弁護士・依頼者秘匿特権の確保を考慮し、調査に専門性を有する外部弁護士およびベンダーに調査のサポートを依頼すること

iii) 内部調査の結果次第では、外部公表やさらなる調査のために第三者委員会の組成を検討すること

外国での公務員汚職や、カルテルなどその他の企業不祥事に対して、これまでは上記のような手順を想定して動くことが一般的であった*1。
しかし、2018年6月以降、そこにもう1つの重要な手順が加わった。

iv) 日本版司法取引を検察に申し入れるか否かを検討すること

次項で、いわゆる日本版司法取引制度について概説する。

*1 カルテル等の独占禁止法違反の場合には、課徴金減免申請(リニエンシー)の検討も必要ですが、ここではひとまず措きます。

 

2. クライシスの発生個所とリスクマネジメント

(1) 刑事訴訟法の改正に基づく制度の特徴

日本版司法取引制度は、正式には「証拠収集等への協力及び訴追に関する合意制度」という。2016年の刑事訴訟法の改正により導入された制度で、2018年6月1日から施行されている。

日本の司法取引制度はアメリカ合衆国のものとは異なる点があり、以下の点が主な特徴である。

i) 「特定犯罪*2」と呼ばれる一定の財政経済犯罪等に関し、

ii) 被疑者・被告人が「他人の」刑事事件について重要な証拠を提出、または、供述を提供することで捜査に協力する見返りに、

iii) 検察官が、当該被疑者・被告人の刑事事件について、不起訴処分を含む有利な取り扱いを行うという制度である。

iv) さらに、被疑者・被告人の権利を守ること、および、他人の巻き込みによる冤罪の可能性を排除するために、弁護士の関与が必須とされ、検察官、被疑者・被告人、および弁護士の三者による合意により進められるという点にも特徴がある。

(2) 司法取引制度における合意

上記で述べた通り、司法取引制度においては、検察官と被疑者・被告人が捜査への協力とそれに対する見返りを合意する。

被疑者・被告人は、他人の刑事事件について、検察や警察の取調べや裁判所での証人尋問に協力すること、検察や警察の証拠収集に協力することを約束する。

これに対し、検察官は、被疑者・被告人の協力行為に対し、以下のような有利な取扱いを約束する。

i) 不起訴処分
ii) 公訴取消し
iii) 特定の訴因による公訴の提起
iv) 特定の訴因・罰条への変更
v) 特定内容の求刑
vi) 即決裁判
vii) 略式命令

*2 図表2参照のこと。

 

3. 司法取引制度の利用に向けた具体的な手順

ではどのようにして司法取引制度の利用を検討するのか。冒頭の事案を用いて説明してみよう。

(1) 調査チームの組成

内部通報等の調査の端緒で明らかになった情報には、あいまいな点や誤謬が含まれている可能性が否定できない。他方で、真偽の確認のために社内で広く共有することは、証拠隠滅の恐れや内部通報者への圧迫や報復の恐れを生じさせる。これらを防ぐためには、内部通報を受け取る所管部門が、記載されている事実が含有するリスクの大きさや「被通報者」の社内での地位の高さなどを考慮し、社外取締役等の力を借りながら、調査チームを速やかに組成する必要がある。

(2) 対応方針の検討

内部調査の結果として、司法取引の対象犯罪である「特定犯罪」に該当し、かつ、犯罪行為が存在する蓋然性が高い場合には、司法取引の利用を検討することになる。具体的には、司法取引の要件を満たすか、司法取引の成立可能性等を総合的に検討する必要がある。

(3) 冒頭事例へのあてはめ

この事例は、ウズベキスタン政府関係者への贈賄事案であり、現地法人E社の社長Fまたは専務取締役Gの関与があれば、日本人が行った外国公務員贈賄に関する罪として、不正競争防止法の適用があり、また、不正競争防止法の両罰規定によりA社が訴追される可能性がある。この場合、A社にとっては、FとGに成立しうる外国公務員贈賄罪を他人の刑事事件として、司法取引を利用できる可能性がある。

A社が捜査機関に提供できる協力行為としては、FとGの社内メールのデータ、子会社E社の帳簿や提供された800万ユーロの資金の動きに関する情報、E社の経理担当者や内部通報を行った現地従業員の供述などが考えられる。

もっとも、検察官が司法取引に向けた協議を開始するかどうかについては、外部から容易には分からない。この点について刑事訴訟法では、検察官は、証拠の重要性、関係する犯罪の軽重および情状、当該関係する犯罪の関連性の程度その他の事情を考慮し、必要と認める場合に合意を行うとされている。

本件は、事件がウズベキスタンで発生したこともあり、A社の協力なしに日本の捜査機関が証拠を集めることは容易ではなく、A社が有する情報は捜査機関にとっては貴重な情報になる可能性が高い。また、A社が日ごろから全社的にコンプライアンス意識を醸成し、不正が起きづらい内部統制制度を備え、それを運用しているなどの事実があれば、検察官にとっても処分の減免を下すことに国民の理解を得やすいことになる。

その一方で、本件は、専務取締役GというA社グループの執行体制の中枢を担う役員が関与しているため、A社の責任の減免を認めることによって、会社ぐるみの犯行の可能性が否定できないにも関わらず、A社が自らを守るためにGを切り捨てたと批判される可能性も高い。このような点に国民の不満が殺到する懸念があるならば、検察官としてもA社の責任減免を認めることは難しくなるであろう。

 

4. どのように備えるべきか

以上のように、今回は日本版司法取引制度について紹介した。本記事を読まれているコンプライアンス担当者または経営者の方は、以下の点について銘記されたい。

(1) オプションがあることを知る

2018年6月1日に施行された司法取引制度には、これまでにも適用例がある。会社が知らない制度は使えない一方で、司法取引制度を使わなかったことが取締役の善管注意義務違反として代表訴訟の対象となる可能性も否定できない。

(2) コンプライアンス体制の構築と運用の「再」確認

検察官が司法取引制度に応じるのは、それ以外の手段では証拠を得ることが難しいことは当然として、被疑者・被告人の処分の軽減をしてもなお、他人の刑事事件の捜査・公判への協力を得ることについて、国民の理解を得られる場合でなければならない旨、最高検察庁は明言している。とするならば、企業不祥事が起こるべくして起こりかつ長年そのような体制を放置していた企業と、コンプライアンス体制の構築・運用に真摯に努力してきた企業を比較して、いずれの企業への処分の軽減に国民の理解が得られるか、結論は言うまでもない。

(3) トップの判断の重要性

独占禁止法違反のリニエンシー(課徴金減免申請)にも当てはまるが、司法取引制度の利用は、短期的には内部調査の手間と費用、外部公表や新聞報道に伴うレピュテーションの毀損や株価下落等の「痛み」を伴うことは否定できない。しかし、その瞬間の痛みがあっても会社の膿を出すという根本治療を選択することで、企業価値と周りからの信用を中長期的に高めることが可能となる。このような大局的な判断が可能な者は、会社のトップしかいない。最近、Tone at the Topという言葉をよく耳にする。国民、社会、投資家、捜査機関は、会社のTopの清廉性と、事件解決に向けた判断力を注視しているのである。

図表 2:【 司法 取引制度の対象犯罪の具体例 】
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※本文中の意見や見解に関わる部分は私見であることをお断りする。

 

執筆者

DT弁護士法人
Commercial Law ユニット
パートナー 内藤 裕史