Deloitte Insights
ヒューマンエクスペリエンスプラットフォーム
アフェクティブコンピューティングは、エンゲージメントのルールを変える
「アフェクティブコンピューティング」または「感情AI」と呼ばれる発展中のAIソリューションが、我々のテクノロジーの体験の仕方を再定義しつつある。今後数ヶ月のうちに、人間をより良く理解し、より適切に対応するために、まだ不完全であるが、増大傾向にある新たなテクノロジーの需要に多くの企業が対応していくことになるだろう。
日本のコンサルタントの見解
ヒューマンエクスペリエンスプラットフォームとは何か
デジタルエクスペリエンスとデジタルリアリティの分野として今年は「ヒューマンエクスペリエンスプラットフォーム」と銘打ったテーマが取り上げられている。
昨年の本レポートで我々は「インテリジェントインターフェース」と「進化するマーケティング:エクスペリエンスの再考」を取り上げた。
前者は人とコンピューターのインターフェースの変革に関する議論であり、IoTがセンサーなどを通じてモノの状態をデータによって可視化するテクノロジーならば、インテリジェントインターフェースは、ヒトの体験をウエアラブルなセンサーやカメラによる動画解析を通じて可視化するテクノロジーであることを述べた。後者はマーケティングの変革に関する議論であり、従前のマーケティングが顧客獲得を目的としたものならば、エクスペリエンスマーケティングは、アナリティクスやコグニティブといったテクノロジーによって、顧客それぞれにパーソナライズされた、end-to-endのエクスペリエンスを提供することで、顧客との信頼関係を築き、ビジネスを成長させていくという考え方を述べた。
これらを組み合わせた延長線上に位置づけられるのが、ヒューマンエクスペリエンスプラットフォームである。ヒューマンエクスペリエンスプラットフォームは、サービスを提供する企業や組織自体を「ヒト」化させ、ステークホルダーとの関係性を、あたかも人と人との自然な個人的なつながりに近づけていくことによって信頼関係を構築しようという考え方である。
皆さんの理解を深めるために、導入する企業を中心としたIPO(インプット-プロセス-アウトプット)ごとのヒューマンエクスペリエンスプラットフォームの構成要素を例と共に整理してみたい。
まずはインプットであるが、昨年議論したインテリジェントインターフェース、すなわちセンサーなどを用いてヒトの情報を収集する点では変わりはない。医療用機器を代表とするセンサーを用いることで、体温、心拍、脳波などをとらえることができるが、専用機器が必要となるため、カメラ映像を解析する手法によりユーザの属性や状態を推定する手法が広がりをみせている。
次に、プロセス、つまりインプットとなる人の情報をどのように情報処理するかである。企業がステークホルダーのニーズを特定するために、アフェクティブコンピューティングを用いるのがヒューマンエクスペリエンスプラットフォームの特徴であり、情報処理のドライバーとして「感情」を定義した点が新しい。医療技術の世界において、脳波などによる感情の解析は行われているが、前述のようにセンサーとの接触、専用機器の配布の問題がある。カメラからの映像解析であれば、精度は限定的ではあるものの、コモディティ化しており実用性は高い。映像解析で具体的にとらえることが可能な情報は、性別と年齢層であり、映像上の人を瞬時に識別し、約9割程度の精度にて取得可能だ。感情については、対象となった人の喜怒哀楽を前後の2点の相対的な変化量により感情変化を類推することが可能となってきている。
最後にアウトプットに着目しよう。単に画面のテキストベースで返答をするボットでも、利用目的に即していればよいのだが、人間に近いふるまいをする親しみのあるキャラクターが応対すればより親近感は湧きやすい。例えば、カーナビの例が分かりやすい。車のCMでも使われているように「オッス!今日も元気そうだな!」なんて気が利いた言葉を掛けられたら無機質な合成音声よりも親近感が湧くのではなかろうか。「AI美空ひばり」をご覧になっただろうか。美空ひばりさんの歌唱時の映像をAIに学習させ、過去の歌唱中の目や口の動きを抽出し、3Dホログラム映像で等身大の美空ひばりを作り出したそうだ。そこまでいかなくとも、VRChatなどのVR空間内で自らを3Dスキャンしたリアルアバターを作ることもでき、精巧度により差はあるが、6DoF(自由度)の稼働レベルのものは1体30万円程度で商用制作されている。
さて、昨年の議論では、これらのテクノロジーで得た知見をB2CのOne to Oneマーケティングに生かす提案がなされたが、今年の議論では、企業のステークホルダー全体をターゲットとしてエンゲージメントを高めるよう提案している。特に「従業員エンゲージメント」への利活用はユースケースとして注目すべき点であり、日本でも働き方改革の文脈とあわせるとROIの説明がしやすくなるのではないだろうか。
ヒューマンエクスペリエンスプラットフォームの現在地
ユーザの声や表情といった情報を収集するインターフェース、収集した情報から感情を汲み取る分析プラットフォーム、分析結果をもとに新たな体験を提供する機能それぞれを組み合わせたユースケースとしては、感情というキーワードを除いて、すでに実用レベルに達している。
例えば、単一用途として、あるタクシー会社では車内に搭載したカメラで乗客の性別を判断し、車内に表示する広告内容を変化させている。また、「OKGoogle。〇〇に予約を取って」といえばAIがレストランの予約までしてくれるGoogle Duplexというサービスもすでに実用化されている。さらに、複合的な用途に枠を広げ、社会変革の取り組みにまで進出している事例もある。例えば、ある自治体では、日本の大手SIerと提携して地域全体で顔認証活用の実証実験を行っている。具体的には、顔認証データベースに登録された顔情報を、空港でのパーソナライズされたデジタルサイネージの表示、ホテルでの鍵不要の入退室、観光施設での手ぶら決済、テーマパークのファスト入園といった用途に用い、地域全体で観光客の利便性を高めるおもてなしの取り組みだ。
このように、現実世界とデジタル世界をシームレスに繋ぐ仕組み自体はすでに完成の域に達しており、次のステップは、これに加え感情というものをいかに汲み取ってビジネスに活用するかいう点が大きなテーマとなっている。感情という抽象的かつ感覚的な目に見えない情報を具体的なビジネスに活用するというケースが一般的になれば、あらゆる世の中のユースケースは大きな変化を迎えるだろう。例えば、病院でのナースコールを例にとると、従来のユースケースでは、患者がナースコールを鳴らした際、看護師は患者のベッドに伺い要件を確認する。患者の要件は心臓が苦しいという深刻なものから毛布が欲しいといった比較的単純な依頼までさまざまだが、看護師は患者のベッドに行くまでナースコールの意味や重要性を把握することはできない。しかし、ヒューマンエクスペリエンスプラットフォームが実現した世界では、患者はナースコールを鳴らす代わりに音声認識デバイスに対して直接要件を伝えれば、会話の内容や声のトーンなどから瞬時に自然言語処理や感情分析を介して依頼内容の分析と逼迫度の確認、対応の優先付けが行われ、マネジメントツールを用いて最適な対応者にディスパッチすることができる。また、こうしたユースケースは、カスタマー向けのコールセンタや社内のヘルプデスクでも同様に適用可能であろう。
現実とデジタルを繋ぐ仕組みに感情分析技術を持ち込むことはまだまだ実用段階としては難易度が高いが、これまで述べたように、そうした世界観が実現した際にもたらされる新たな価値の可能性は大きい。
ヒューマンエクスペリエンスプラットフォーム実現に向けて日本企業が現在できることとは
ヒューマンエクスペリエンスプラットフォームを実現するためには、脳波や視線、表情といった情報を感情と紐づける技術、およびユーザからの投げかけに人間らしく返答する技術の2つが両輪となって稼働することが求められる。日本においては、後者が実用のレベルに成熟するまでにはしばらく時間がかかるだろう。それまでに我々がすべきことは何であろうか。
一つは、今のうちからどのようなビジネスに展開していくのかというユースケースの創造に着手することがあげられる。ユースケース検討のアプローチとして、ヒューマンエクスペリエンスプラットフォームが、サービス受容者からのフィードバック(感情)を、リアルタイムに、ロジカルな基準で定量化することができる、という汎化したアーキテクチャーモデルによって成り立つことに着眼してみてはどうか。
例えば、講演や研修といったイベント運営におけるユースケースを考えてみたい。講演や研修を開催する際に、現状は開催後にアンケートなどを用いて聴衆がどのように感じたのかを把握し、次回の開催に向けた課題を抽出し、改善アクションを立案するという流れが一般的ではないだろうか。その際、アンケート方式では、全く同じ感想であったとしても良いとつけるか、とても良いとするかは主観的であり、かつ改善アクションも基本的には次回開催以降となり、その日の参加者は改善の恩恵は受けられない。それに対して、聴衆の表情をカメラでとらえ、聴衆の表情を喜怒哀楽がリアルタイムに分かるようになると、その場で改善アクションを打つことが可能となる。空調の温度調節などの設備調整に始まり、プレゼン内容を聴衆の興味の向く方に変更するようアラートすることもできるだろう。また、過去の実績と照合し、聴衆のリアクションがどのように異なっているかを判別し、プレゼンターに指示を出すようにできるかもしれない。ここに挙げた例のように、これまでにない視点で、それぞれのお客様に対しての提供価値を是非今から考えてみてもらいたい。
もう一つは、感情データの利活用におけるお客様の反応に対して、どのように備えるかという点に着目したい。数年前、Suicaの乗降履歴が販売されたことに対して、利用者やマスコミから大きな反発があった。個人が特定できないビッグデータではあったものの、データ提供源であるユーザへ十分な説明がなく、ユーザへのインセンティブも理解されていない中で、特定企業への利益として使われたという心理的な抵抗感があったのではないだろうか。
感情データが乗降履歴よりもよりセンシティブなヒューマンエクスペリエンスプラットフォームデータであることを踏まえると、感情データの処理プロセス、保持方法およびデータ保護といったハード的な施策はもちろんのこと、感情データを取得することによるユーザへのインセンティブを適切に説明できなくては、ユーザの支持は得られないだろう。それどころか、ヒューマンエクスペリエンスプラットフォーム採用の目的である信頼獲得とは全く逆の結果となりかねない。このような観点から、感情データの利活用は企業においては諸刃の剣であることを予め認識しておき、それに対する対策も事前に検討しておくことが望ましいと考える。
来たるヒューマンエクスペリエンスプラットフォームが実現する世界において、日本企業がエンドユーザに対して更なる体験の高度化と競争力確保の実現に向け、本冊子がその準備を進めるきっかけとなれば幸いである。
執筆者
松下 和弘 シニアマネジャー
日系コンサルティング会社を経て現職。大規模基幹システム再構築の計画立案から実行など、情報システムのグランドデザインから構築、運用支援まで一貫したプロジェクト推進に従事。DX戦略構想やEA構想などのアーキテクチャー構想策定からサービスマネジメントに関するコンサルティングまで、企業のデジタルトランスフォーメーションを幅広く支援する。
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