カーボンニュートラルに向けて、
日本の“勝ち筋”をどう描くか

カーボンニュートラルという長期目標に向かって、主要国が揃ってスタートを切った。だが、再生可能エネルギーコストの高さなど日本は不利な条件を抱えており、世界的な脱炭素化レースが、かえって日本の国際競争力を削ぐのではないかと懸念する声もある。

政府の審議会や有識者会議のメンバーとして気候変動対策について積極的に発言している東京大学の高村ゆかり教授と、デロイト トーマツ グループの松江英夫CSOが、カーボンニュートラルに向けた日本の“勝ち筋”について意見を交わした。

「成長」とは何かを再定義する必要がある

松江 本日はよろしくお願いします。私は、「いかに持続的な成長を遂げられるか」が日本の国家経営においても、企業経営においても根幹的なアジェンダだととらえており、本日はこのテーマに沿って対談を進めたいと思います。

 高村先生はエネルギーや気候変動に関する法政策を研究テーマにしていらっしゃいますが、私はカーボンニュートラルが世界の主要課題となる中で、日本が持続的成長のための“勝ち筋”をどうやって見出すかという点に強い関心を持っています。

高村 その点については、政府も悩んでいると思います。これまでの日本経済を支えてきた基幹産業ほど、「2050年カーボンニュートラル」という長期目標の達成に向けて大きな試練にさらされています。

 私も日本の持続的成長は必要だと考えますが、「成長」という概念に対する世の中のとらえ方には、変化が表れています。たとえば、Z世代のオピニオンリーダーの中には、「そもそも成長は必要なのか」と問いかける人もいます。

松江 成長をどう定義するかについて、国民的議論が必要な時が来ているのかもしれません。これまでは、GDPの規模が大きくなる、企業の売上げが伸びるといった「フロー」の拡大こそが成長だと認識されてきました。私はそれだけでなく、国や企業としての「価値を高める」ことも、成長だと考えています。

 売上げは伸びなくても、企業価値を高めている企業はあります。コア事業に経営資源を集中し、ノンコア事業は整理する、そして成長分野に再投資するといったポートフォリオマネジメントを行うことで、企業トータルの売上げはそれほど伸びなくても、利益率や成長率を高めることで企業価値を向上させることは可能です。

 つまり、規模を拡大するというフローの成長もあれば、価値を高めるという「ストック」の成長もあるのです。

 国家経営においても、同じことがいえるのではないでしょうか。GDPに着目するのは、企業で言えばP/L(損益計算書)重視の経営ですが、B/S(貸借対照表)やキャッシュフローもバランスよく見るべきです。

 さらに言えば、経済的資本だけでなく、自然資本や人的資本なども含めてストックの価値を見ていくべきだと思います。そうした価値のとらえ方の一つに、国連で提唱された「新国富」という指標があります。環境や教育、健康などさまざまな要素を経済価値に換算して国の豊かさを測るもので、SDGs(持続可能な開発目標)の評価指標としても注目されています。「新国富報告書」(Inclusive Wealth Report 2018)の取りまとめは、日本の研究者がリードしました。

 人的資本では人の内面の豊かさも重要な要素ですが、そのように価値を多面的にとらえることで、カーボンニュートラルの世界を前向きにとらえ、インクルーシブな持続的成長が可能ではないかと私は考えています。そうした考えの下、我々デロイト トーマツでも、パーソナルなウェルビーイングを起点にしたウェルビーイング経営を2021年から掲げています。

高村 成長を再定義するということですね。それは大切な視点だと思います。確かに、人々のウェルビーイングを高めることも成長だととらえれば、人とのつながりやそれを支える社会組織・制度の質、すなわち社会関係資本をどれだけ高めることができるかが、政府にとって重要な政策課題になります。

「引き算の経営」で、失われた30年を取り戻す

高村 以前、サステナビリティ経営の先進企業といわれるオムロンの方と話す機会がありました。「なぜサステナビリティを重視した経営を行っているのですか」と尋ねたところ、「サステナビリティ経営を行ったほうが、長期視点の投資家に評価され、結果的に資本調達コストは下がるから」という答えでした。

高村ゆかり
Yukari Takamura
東京大学 未来ビジョンセンター教授

京都大学法学部卒業、一橋大学大学院法学研究科博士課程単位修得退学。名古屋大学大学院教授、東京大学サステイナビリティ学連携研究機構(IR3S)教授などを経て現職。専門は国際法学・環境法学。国際環境条約に関する法的問題、気候変動とエネルギーに関する法政策などを主な研究テーマとする。中央環境審議会会長、再生可能エネルギー買取制度調達価格等算定委員会委員長、アジア開発銀行気候変動と持続可能な発展に関する諮問グループの委員なども務める。編著書に『気候変動政策のダイナミズム』(岩波書店、2015年)など。

 オムロンのように長期的な視点で経営する企業と、そうでない企業との違いはどこから生まれるのでしょうか。

松江 オーナー企業や、オーナー系に近い企業は、長期の視点を持つ傾向が強いといえます。10年先、20年先の目線で経営ビジョンを描くことができ、それに基づいて、大胆な事業ポートフォリオの入れ換えや積極的なM&A(合併・買収)を行う例が見られます。

 それに対し、2期4年、3期6年といった期間で経営トップが交代している企業では、任期中の中期経営計画を最優先してしまいがちで、10年先、20年先の長期視点で経営をとらえることが難しい面があります。

高村 短い任期で人が異動する霞が関に似ていますね。

松江 よく似ています。霞が関のジョブローテーションは民間企業よりもさらに短いくらいですからね。

 私は、日本の「失われた30年」の大きな要因の一つが、国も企業も「長期的な視点」を持てなくなったことにあると考えています。海外の主要国は、官僚も経営者も日本に比べて任期が長く、日本より長期視点で国家経営、企業経営を考えています。そこが、国際競争力の差に結び付いてしまったのです。

高村 組織のガバナンスや慣例に関わる構造的な問題なので、変えるのは簡単ではありませんね。

松江 そこで私が期待をしているのが、カーボンニュートラルへの取り組みです。国として「2050年までに実現する」と宣言したのですから、否が応でも30年先を見据えて長期戦略を描き出さなければなりません。カーボンニュートラルが強制力となって、国や企業が、長期の時間軸を持つきっかけになるのではないかと思っています。

高村 同感です。気候変動問題への対応は、むしろ日本企業の体質強化のチャンスだと私も期待しています。

 前イングランド銀行総裁のマーク・カーニー氏は、2015年に、気候変動を「ホライゾン(時間軸)の悲劇」と呼び、世界経済と金融の安定に対する大きなリスクであると警鐘を鳴らしました。気候変動は、①ビジネスサイクル、②政策決定のサイクル、③中央銀行のような専門的機関のこれまでの時間的視野をこえるもので、中長期的な視野をもって企業や政策の決定がなされていないことが原因だと指摘しました。こうした見方に基づいて、金融機関や投資家が、気候変動の影響や脱炭素社会に向けた社会・市場の変化がもたらす事業のリスクや機会を中長期的な視野をもって評価し、対応策・戦略を策定し、開示するように企業に求めるようになりました。

 企業にとって対応するのは大変かもしれませんが、その事業や経営に中長期的視点を取り込む体質強化のチャンスでもあります。

松江 おっしゃる通り、気候変動関連のリスクと機会をしっかり把握する出発点として、適切な情報開示を行うことが必要です。

 さらに重要なのは、カーボンニュートラル達成などの長期目標からバックキャスティングして、現状とあるべき姿のギャップを埋めていく「引き算」の経営です。従来の経営は、長期的なビジョンを持たずに、短期の実績を積み上げていく「足し算」の経営でしたが、これからは、引き算の経営に転換する必要があります。

 ギャップを把握して、それを埋めるシナリオを描くことで、“勝ち筋”が見えてきます。中期経営計画は、長期目標達成への中継地点と位置付けることで、単なる足し算ではない重要な意味を持つようになります。

 これは企業経営だけでなく、国家経営でも必要なアプローチで、政府も引き算をしながら勝ち筋をつくることで、早め早めに手を打つことができるようになります。

高村 足し算でやってきた経営者には、大胆な発想の転換が求められますね。引き算の経営をどう進めていけばいいのか、具体的な事例などはありますか。

松江 経営のマネジメントサイクルにおける長期と短期をダイナミックにつなぐ手法として、私たちは「ズームアウト・ズームイン」を提唱しています。私が以前担当していたある外資系企業では、このズームアウト・ズームインを実践していました。

 その企業では、半年をかけて20年、30年先のメガトレンドを予測し、残りの半年でメガトレンドに沿って短期の事業計画を議論していました。そして、次の年もまた半年を費やしてメガトレンドを検証し、それに合わせて短期の事業計画を修正するというマネジメントサイクルを回していたのです。

 このように長期と短期のフレームを行ったり来たりしながら軌道修正を図っていくことで、短期の事業計画が長期目標から大きくかけ離れることはなくなります。




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