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第2回 原則主義と解釈(その2)

月刊誌『会計情報』2020年4月号

国際会計基準(IFRS)―つくり手の狙いと監査

前 国際会計基準審議会(IASB)理事 IFRS部 鶯地 隆継

批判に晒された「つくり手の沈黙」

私が委員に就任した2006年ころのIFRS解釈指針委員会(IFRIC)には、2005年から欧州の全上場企業に対して国際会計基準(IFRS)が強制適用となったことで、多くの審議依頼が届いていた。しかし、当時のIFRICは、IFRSが明確で、多様な解釈が実務で生じるとは予想されない場合には審議依頼を却下した。その根底にあった理念は「つくり手は沈黙を守る」という理念であった。基準はいったん公表された文書になった以上、その適用ないしは運用についてつくり手自身の意見表明は控えるという理念である。

その理念に基づいて、当時のIFRICは審議依頼を却下する際に多くを語ることを敢えて避けていた。したがい当時のIFRICの却下通知(Rejection Notice)は非常にそっけないものであった。多くは「本件について基準は明確である。したがい、審議依頼のあった案件は基準の問題ではなく、適用上の問題(implementation matter、ないしはapplication matter)である。よってIFRICは審議しない。」といった簡単な文言のみであった。

このIFRICが出す却下通知は、あくまでも審議を拒否する理由を述べるだけで、依頼された案件の内容についてのコメントはしないのである。したがって、却下通知は審議依頼の中にあった提案がおかしなもので、受け入れられないということ言っているのではない。IFRICが判断するのは、基準が不明確であるがために、問題が起こっているとしたらそれは対処する必要があるが、問題の原因が基準の不備ではないならば、IFRICは何もしないということなのである。

つまり、基準のつくり手は基準適用上の問題には立ち入らないという姿勢が徹底されていたのだ。適用上の問題について立ち入るのはIASBの仕事ではなく、もう一人のつくり手である財務諸表作成者と会計監査人との間で解決すべき問題である。それが出来ない場合はそれぞれの法域の規制当局とで解決すべきであるという姿勢だったのである。

しかしこのようなIFRICの姿勢は各方面から厳しい批判を受けることになった。まず、作成者が不満を訴えたのは、例えばこういったケースである。様々な解釈が可能な基準について、自らの解釈について会計監査人が合意しなかった場合、その解釈がIFRSの解釈として問題ないということを確かめる目的でIFRICに審議要請をする。しかし、上記のような文言のみが返ってくると、結局問題は何ら解決しない。

基準のつくり手の立場からすれば、基準は明確であって、個別の問題は適用上の問題ということなのかもしれないが、財務諸表作成者としては、基準を適用して、具体的な会計処理をして数字を出して、初めて財務諸表が出来るのである。すなわち、財務諸表作成者にとっては、基準の解釈の問題なのか、適用上の問題なのかの区別はどうでもよいのであって、自らの会計処理が受け入れられるものなのかどうかを知りたいのだ。それを基準は明確であると審議拒否されると、あたかも自分たちが行っている会計処理は誤りであると宣言されたように受け取られる。

ちなみに、IFRICでは、審議の中で審議依頼提出者が提案している解釈が十分可能ではないかという雰囲気があった場合でも、審議拒否通知の文言は上述のような決まり文句を使うことが多かった。このようなことから、下手にIFRICに審議依頼をすると、本来認められ得る会計処理についてまでも、あたかも間違った会計処理をしているかのようなレッテルを貼られるという事にもなりかねない、という誤った認識が広まり、財務諸表作成者からIFRICに審議依頼をしようという機運は大きく損なわれることになった。

会計監査人の方からも同様の不満が訴えられた。監査人の不満は財務諸表作成者の不満の裏返しではあるが、監査人の方がもっと深刻であった。それは、監査人の立場で認められない会計処理について、明確に修正を要求するための根拠をIFRICに求めても得られず、作成者を説得することが困難になってしまったからである。また、規制当局からも厳しい批判があった。規制当局として企業を処罰していいのかどうか、判断がつかないような事態が多く発生したからである。

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デュー・プロセス・ハンドブックの改訂(2012年5月)

市場関係者の不満はIFRS財団に対して、何らかの改善をすべしという要請となった。要請の趣旨はこうである。今の(当時の)IFRICに与えられた権限ではIFRICに出来ることは限られており、IFRICはunhelpful(役に立たない)組織となっている。市場関係者が直面する実務的な問題にIFRICがタイムリーに対処できるように、IFRICにツールキットを与えるべきだ。ツールキットとは、審議要請のあった項目に関してIFRICで行った議論の内容を市場関係者に周知させ、適用の首尾一貫性を促すための様々な方法・手段のことである。

要請を受けて、IFRS財団はデュー・プロセス・ハンドブックの改訂に取り組み、2012年5月にデュー・プロセス・ハンドブックを以下のように改訂した。(上記に関するもののみ)

① IASBとIFRICが緊密に協力できるように、これまで別々だったデュー・プロセス・ハンドブックを一つに統合。

② 基準の維持管理(maintenance)という新しいセクションを追加。このセクションでIASBとIFRICが範囲の狭い事項を扱う場合の実務を整理。

③ 解釈指針に関する却下通知案の最低限の公開期間を30日から60日に延長すると同時に「却下通知は有用で情報価値があり説得力のあるものと見るべきである」と明記。

④ 年次改善の要件の目的を明確化

これらの改訂によって、IFRICは市場関係者の抱える問題に対してよりタイムリーに対応することが可能になった。例えば、基準は明確ではあるものの、実務上は基準では十分にカバーできていなかった事項について、それまでは基準改定はIASBの専管事項であったため、IFRICが出来ることはあまりなかったが、デュー・プロセス・ハンドブックの改訂によってIFRICが狭い範囲の基準修正や、年次改善の具体的な提案を出来ることになった。また、却下通知案の公開期間を延長すると同時に、却下通知が有用で情報価値があると明記されたことによって、これまでは却下理由のみを記載していた却下通知の中にIFRICで行った審議の要点を書き込むことが促進されるようになった。

さらにはデュー・プロセスとは必ずしも関係はないが、教育的なガイダンスをIASBのホームページにより多く記載することが勧められるようになった。このようにIFRICは適用の首尾一貫性を促すための様々方法・手段を手に入れた。

 

適用の首尾一貫性と原則主義

この一連のIFRICの改革はWayne Upton新議長(故人)の下で進められた。それまで議長を務めていたRobert(Bob)Garnet議長が2011年7月に引退し、その跡を襲ったのがWayne Upton氏であった。Wayneは2001年からIASBの中心的なスタッフとして活躍していたが、それ以前は米国の基準設定主体である財務会計基準審議会(Financial Accounting Standards Board:FASB)のスタッフであった。これは私の個人的な印象ではあるが、南アフリカ出身の作成者のバックグランドを持つBobから、ルールベースと言われる米国のFASBで17年間のスタッフとしてのキャリアを持つWayneへのバトンタッチが、IFRICの改革を象徴していたように思う。

そして、この頃からである、適用の首尾一貫性(consistent application)が以前よりも強調されるようになったのは。当然のことながら、其れまでのIASBでも適用の首尾一貫性は重要であると考えられていた。さりながら、私自身が2006年に初めてIFRICのメンバーとして議論に参加した時の個人的な印象としては、細かい論点に関してはかなり鷹揚であったと記憶している。2006年と言えば、IFRSの欧州における強制適用が開始されたのが、2005年12月期からであったので、各国基準でバラバラだったものがIFRSに統一された直後であった。6,000社以上あったと言われる公開会社が、それまで各国基準で処理していたものを一度にIFRSに統一すると言っても、個々の詳細な取引について、過去から一貫して行っていた実務慣行を一気に変えることは簡単ではなかったと容易に想像できる。取り分け、業界で統一的な会計処理をしているものや、あるいは同じ監査法人の監査実務上の合意があったものについては、それを変えるとしても、変えるべき詳細なガイダンスがなかった。

例えば、収益認識基準について改定前の当時のIFRS基準ではIAS第18号「収益」があったが、わずか12ページしかなかった。たった12ページで、欧州全域の全ての産業セクターの実務の詳細をカバーすることなど、出来るはずもない。したがって、詳細については実務に委ねざるを得なかった。IFRSの原則主義の当然の帰結である。ただ、原則主義では、実質的に同じような取引でありながら、異なった会計処理が行われているという事態(divergence)に陥り、適用の首尾一貫性がなく、財務諸表の比較可能性が損なわれるという問題を伴う。原則主義と適用の首尾一貫性は必ずしも二律背反ではないが、両立させることは極めて難しいと言わざるを得ない。当時のIFRICは最もバランスの取れた最適なポイントを探ろうとし、極力原則主義を優先しようとした。したがって、divergenceについては、それが世界的に広がる大きな問題(wide spread)で、かつ、著しい(significant)でない限り、IFRICは対処する必要はないという態度を貫いたのである。すなわち、適用実務が首尾一貫していなくても、それが多少のことであるのなら問題ない。それを承知で呑み込む(live with)ということを覚悟していた。

しかしながら、一方で、IASBは米国のFASBと基準の共通化を模索していた。そこで、原則主義のIFRSは大きな曲がり角を迎えることになるのである。

以上

本記事に関する留意事項

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