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第1回 原則主義と解釈(その1)
月刊誌『会計情報』2020年3月号
国際会計基準(IFRS)―つくり手の狙いと監査
前 国際会計基準審議会(IASB)理事 IFRS部 鶯地 隆継
二人のつくり手
会計の議論をする際に、一般的につくり手とは財務諸表作成者のことを指す。しかし、実はもう一人つくり手がいる。それはIFRSのつくり手である国際会計基準審議会(IASB)である。IFRS財務諸表はそのもう一人のつくり手であるIASBが作ったIFRSを、もう一方のつくり手である財務諸表作成者が解釈し、それに則って作成される。そしてその二人の間に会計監査人がいる。本連載「つくり手の狙いと監査」ではIFRSのつくり手であるIASBの狙いと、もう一人のつくり手である財務諸表作成者がそれをどう受けとめるか、また、それに対して監査はどうあるべきかについて考察する。
筆者は2019年10月に有限責任監査法人トーマツのパートナーとなった。それ以前は2011年の7月から2019年の6月までの8年間、国際会計基準審議会(IASB)の理事を務めた。またそれ以前には総合商社の住友商事で30年間経理業務に従事し、その間にIFRS解釈指針委員会(IFRIC)の委員を5年務めた。この為,筆者は都合13年間IFRSの基準開発に関わったことになる。一方で、IFRSに関わる前は作成者の立場で日本基準、米国基準、IFRSの財務諸表を作成し監査も受けて来た。また、J-SOXプロジェクトの責任者として内部統制の整備にも関わった。そのような経験から、会計基準を作成する立場と、その基準を適用して財務諸表を作成する立場、そして、その財務諸表を監査する立場という三つの視点から立体的に会計制度の在り方を考えてみると、今まで見えてきてなかったものが見えてくる。作成者の立場では、ただ基準を適切に遵守し監査証明を受けるという作業が中心となり、監査人は監査を行う立場になる。一方で、会計基準を実際に作っている立場では、もう少し違った感覚がある。
本連載では、そういった感覚の違いについて、IFRSを適用した際の起こりうる実務上の課題の事例を交えながら展開していくとともに、IFRSという国際的な基準を日本の企業が適用することの意義と、それによって将来もたらされる効果についても触れていきたい。
IFRS解釈指針委員会(IFRIC)
IFRIC(イフリック)という言葉をご存知であろうか。正式名称はIFRS解釈指針委員会(IFRS Interpretation Committee)である。(※1)ここでは、IFRSの解釈に関わる議論をし、必要に応じてIFRS解釈指針を作成するほかに、討議したトピックについてその議論の結論の要約(IFRIC Update およびAgenda Decision)を公表している。現在この委員会の議長はSue Lloyd氏で彼女はIASBの副議長でもある。日本からはみずほ証券の熊谷五郎氏が委員を務めておられる。私は熊谷氏の前任の前任で、2006年から2011年まで委員を務めた。実は当時のIFRICと現在のIFRICとではその性格がかなり変わってきている。どのようにIFRICの性格が変わってきたか、そしてどうして変わって来たのかについて知ることが、IFRSという新しい会計基準を正しく理解する上で助けになると思うので、まずは私がIFRICのメンバーになった2006年7月から話をスタートしたい。
よちよち歩きのIFRS
私がIFRICのメンバーになった2006年7月、まだIFRSはよちよち歩きだったといってよかった。というのも、IASBが正式に発足したのが2001年4月。それにやや先立つ2001年2月に、欧州連合(EU)は、EU域内の上場企業に対して、2005年12月期以後、IFRSに基づく連結財務諸表を作成することを義務付けた。(※2)私が、IFRICに参加したのはまさに欧州での強制適用がスタートした直後であった。
当時のIFRSは今のIFRSよりもページ数がずっと少なかった。結論の根拠や設例なども加えた総ページ数で比較すると今の1/3強ぐらいであった。当時のIFRSは大きな経済圏で使用された実績がまだなく、実際に使用し始めるとどんなことが起こるかは未知数な部分があった。当時6,000社以上と言われた欧州での上場会社に対して、比較的短い準備期間であったにもかかわらず、致命的に大きな波乱なく強制適用を実現したのは奇跡と言ってよい。もちろん欧州統合という政治的リーダシップがある中で関係者が大変な努力をしたからこそ実現した強制適用であったが、その実現を可能にしたもう一つの要因は原則主義による運営の徹底であった。
IFRSは全ての国の全ての産業セクターをカバーする会計基準である。したがって国ごとの特殊性や産業セクターごとの商習慣などを考慮した細かいルールの作りこみはしていない。IFRSを導入する以前の欧州では、国別に会計基準があり、かつ、国によっては産業セクターごとの特殊な会計ルールやガイダンスがあったであろうと想像される。それがIFRS適用と同時に突然無くなり、IFRSという全く別の基準のみにもとづいて財務諸表を作成することになった。当然のことながら、当時のIFRSについては実務の積み重ねも、具体的なガイダンスもほとんどなかった。このため多くの作成者が路頭に迷うように具体的な会計処理のガイダンスを求めた。また、規制当局においても規制のさじ加減についての経験値が無く、相当の苦労をしていた。そしてIFRICには膨大な数の問い合わせが押しよせた。
原則主義による運営の徹底
IFRICでは市場関係者から提出された審議依頼(submission)については原則として全て公開のIFRIC会議で審議の要否を議論する。そして議論の上、審議が必要と認められたもののみが審議事項(Agenda)となる。上述した状況から、当時のIFRICには市場関係者から提出された膨大な数の審議依頼があった。このためIFRIC会議では毎回大変多くの議題を議論していたが、成果物は非常に少なかった。というのも当時提出された審議依頼のほとんどは審議不要とされたからである。審議不要とされたものは審議事項とならないので、それ以上の議論がなされることはない。その際にIFRICは提出された審議依頼を採り上げないと通告する文書を公表する。その通告文書はRejection noteと呼ばれ、日本語に直訳すれば「却下通知」となる。
では、なぜほとんどの審議依頼が審議不要と判断されたのであろうか?もちろん人的リソースの問題があった。膨大な審議依頼について実務的に対応できなかったというのは偽らざるところである。しかし、それだけではない。実はその背景には当時のIASB並びにIFRIC関係者の強い信念があった。
上述した通り、IFRSは全ての国の全ての産業セクターをカバーする会計基準である。したがって、細かいルールを作りこむことは無理であり、また適切でもない。というのも細かいルールを作っても、それぞれの国、産業の特性に照らしてぴったり合わない可能性があるからである。もしルールを作ってしまえば、原則は合っているのに、ルールに適合しないという理由だけで、はじかれてしまうケースや、逆にルールさえ形式的に適合させていれば、基準の原則からずれてもいいということになってしまう。
当時のIFRIC議長はRobert(Bob)Garnet氏であった。私がIFRICのメンバーになったときにBobから薫陶を受けた。それは原則主義による運営の徹底であった。Bobは、IFRICは極力ガイダンスを出すべきではないというスタンスだった。その理由はこうである。作成者や会計監査人は解釈指針やより細かく具体的なガイダンスを求めてくる。しかし、ガイダンスを出しても、今度はそのガイダンスの解釈についての質問が来る。その質問に答えようとして新たなガイダンスを設けると、今度はあのガイダンスとこのガイダンスの整合性が取れないというような問題が起こってくる。これはルールベースの罠と言ってもよい。Bobはこのルールベースの罠に陥ってはいけないという事を繰り返し力説していた。
BobをはじめとするIFRICメンバー、ならびにIASBの信念もあって、当時のIFRICは追加のガイダンスを極力作らないように努力していた。とはいっても、むやみに全ての審議事項を却下していたわけではない。しかるべき手続きに基づいて判断していた。
デュー・プロセス・ハンドブック
IFRICでは審議依頼のあった問題については慎重に時間をかけて検討する。公開の場で審議事項に加えるかどうかを決定するに当たっては、デュー・プロセス・ハンドブック(Due Process Handbook)に基づき判断する。デュー・プロセス・ハンドブックというのはIASBやIFRICがIFRSやIFRS解釈指針などを作成するに当たって踏まなければならない手続き(デュー・プロセス)をまとめたものである。ちなみにデュー・プロセス・ハンドブックはその後大きな改定が加えられた。その改定の経緯が、IFRICの性格の変化をもたらし、今回のテーマの中心に係るので後ほど解説したい。
さて、当時のデュー・プロセス・ハンドブックの中には審議事項としての要件が明記されており、IFRICはその要件に照らして、審議の要否を判断していた。その要件の主なものは以下のとおりである。
(a) その論点は広がりがあり(widespread)、実務的な関連性があること
(b) その論点は著しく多様な解釈がある(significantly divergent)ことを示していること(多様性が発生しつつあるか又は実務においてすでに発生している)。IFRICは、IFRSが明確で、多様な解釈が実務で生じるとは予想されない場合には、審議事項には加えない。(※3)
以上の要件に基づいて、IFRICでの審議が行われる。IFRICが最も重視したのは、その問題がwidespreadであるかどうかであった。問題自体が個別特殊なものであり、ある特定の限られた関係者だけの問題であれば、IFRICの場で審議するのには適さない。もちろん審議依頼を提出した当事者にとっては大問題であろう。しかし、それは公の場で多くの人を関与させて議論するものではない。したがって、それは解釈(interpretation)の問題ではなくて、適用ないしは運用(implementation)の問題である。
当時の私はこのような議論の組み立てに強い違和感をもった。なぜなら、私は当時作成者であり、作成者にとっては個別の問題こそが重要である。直面する監査人や、規制当局と意見が合わなかった際に、その問題をもっと高いレベルで判断してくれる機関がIFRICであるべきと思っていたからだ。しかし、IFRICのメンバーとして活動しているうちに、そういう考え方は完全に間違っていたことに気づかされることとなった。
つくり手は沈黙を守る
IFRICは最高裁判所ではない。これは当時IFRICの公開の場の議論でも繰り返し言われた言葉である。IFRICには個別の係争案件について、裁可を下す権限もなければ、そのような機能を期待されている訳でもない。IFRICはあくまでも基準設定主体(つくり手)であるIASBが発行したIFRSの明確化を行うために存在する。したがって、IFRICの解釈が必要となるのは、基準が不明確なために、それが原因で多様な解釈が生まれるような場合に限って立ち入るのである。それが、要件の(b)である。すなわち、IFRICは、IFRSが明確で、多様な解釈が実務で生じるとは予想されない場合には、審議事項には加えない。当時のIFRICはこの要件を理由に多くの審議依頼を却下した。その根底にあった理念は「つくり手は沈黙を守る」という理念であった。基準はいったん公表された文書になった以上、その適用ないしは運用についてつくり手自身の意見表明は控えるという理念である。ただ、このような理念に基づいてのIFRICの運用は、その後厳しい批判にさらされることになった。
以上
※1 2010年12月にその名称を国際財務報告解釈指針委員会(International Financial Reporting Interpretation Committee)からIFRS解釈指針委員会(IFRS Interpretation Committee)に変更している。
※2 デロイト トーマツ ウェブサイト IFRSの歴史
※3 国際財務報告解釈指針委員会(IFRIC)デュー・プロセス・ハンドブック[2007年1月に評議委員会により承認されたもの]第24項の一部