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第3回 原則主義と解釈(その3)

月刊誌『会計情報』2020年5月号

国際会計基準(IFRS)―つくり手の狙いと監査

前 国際会計基準審議会(IASB)理事 IFRS部 鶯地 隆継

米国資本市場へのアクセス

EU域内の全ての上場企業へのIFRS強制適用が実現する目途がたった後の次なる課題は、EU域外の国々の資本市場へのアクセスであった。旧英国連邦の国々などはいち早く、EU域内の国々とほぼ同様の措置を採る方針を示した。またアフリカなどの多くの発展途上国も、それぞれ手段は異なるものの、基本的にはIFRSを自国の基準として採用することを明らかにした。さらに、少し時間はかかったが、旧社会主義国家のロシアもIFRS採用に踏み切った。また、現役の共産主義国である中国はIFRSの採用という形こそ採らなかったものの、実質的にはほぼIFRSと同様の基準を採用し、インドも中国と似たような方法を採用した。このような形の中で、残る大国は米国と日本であった。日本については別の機会に詳しく述べるので、ここでは米国資本市場へのアクセスについて述べたい。

米国には世界最大の資本市場があり、多くの投資家が米国資本市場を通じて投資活動を行っている。また、米国には世界的な大企業があり、米国以外の企業にとって、それらの米国企業との比較可能性を保つことも大変重要である。したがって、米国資本市場へのスムーズなアクセスがIFRSの成立当初からの大きな目標のひとつであった。このため、IFRSは米国資本市場でも受け入れられることをある程度念頭に置いてつくられており、よってUS-GAAPとの親和性はもともと比較的高かった。しかし当然のことながらIFRSとUS-GAAPは同じ基準ではない。また、その時点で親和性があったとしても、IASBとFASBがバラバラに基準開発を行えば基準の親和性が保てなくなる可能性がある。そこでIASBと FASBは2002年9月に共同会議を行い、IFRSと US-GAAPの統合化を推進していくことについて合意した。そして翌月公表された合意文書には収益認識などのいくつかの基準開発については共同プロジェクトにすることなどが盛り込まれた。これは共同会議のあった場所にちなんでノーウォーク合意と呼ばれている。

しかし統合化に合意するだけでは十分ではない。欧州の企業をはじめとする多くのグローバル企業は自国の資本市場の他に、米国の資本市場でも資金調達をしている企業が多くあった。それらの企業はIFRSに切り替えても、なお、米国での資金調達時にはUS-GAAPとの差異についての差異調整表を作成しなくてはならなかった。差異調整表と言っても、差異を把握するためには実質的にはUS-GAAPの作成を行わなければ差異は出ないので、その負担は非常に大きかった。

ところがその後米国SECは、ノーウォーク合意に基づく共同プロジェクトの進展や、欧州やその他の国々でのIFRS適用の拡大を見極めて、2007年米国証券市場に上場している外国企業(Foreign Private Issuers=FPI) に対して、IFRS に基づいて作成した財務諸表を、米国会計基準との差異に関する調整表なしで提出することを認めた。すなわち、IFRSで作成された財務諸表がそのまま米国資本市場で使えることになったのである。

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IFRSとUS-GAAPの神経戦

このように2007年から2008年半ばまでは、IFRSとUS-GAAPの統合は順調に進んでいくかにみえた。そして、米国SECもIFRSとUS-GAAPの統合が順調に進むことを前提に、2008年11月にIFRSロードマップ案を公表した。しかしながら、おりしもその時期にリーマンショックが発生し、かつ大統領選挙で共和党が敗北、旧政権での行政路線の見直しが行われていく過程の中で、ロードマップ案は半永久的に棚上げとなってしまった。こうして統合化の機運は政治・行政レベルではすっかり冷え切ってしまったが、それでも、IASBとFASBの両基準設定主体の間では引き続き緊密に進められた。

一方で、IFRSを米国の資本市場で無制限に使用することについては、米国内では強い反発があった。それは米国企業とFPIとの公平性という観点からであった。前稿で説明した通り、IFRSは原則主義の会計基準であり、2005年に欧州の全上場企業に強制適用された時点でも、その原則主義の運用が徹底していた。これに対してUS-GAAPはルールベースの会計基準と言われている。US-GAAPしか選択肢がない米国企業に比して、FPIはUS-GAAPとIFRSのどちらかを選ぶことが出来る。これは不公平であるというのだ。

もちろん米国が採りうる進路としては、日本のように米国企業に対してもUS-GAAPとIFRSの任意適用を認めるという政策手段もあり得た。IFRS財団は強くそれを望んでいた。そしてそういった選択肢が可能か否かについて、IFRS財団と米国の資本市場関係者との間で何度も議論を交わしたが、やはりそれは米国の市場関係者の間では現実的な選択肢としては受け入れられなかった。その理由は米国内ではルールベースのUS-GAAPのニーズが依然として高かったからである。詳細なルールで固められたUS-GAAPで作成された財務諸表を全上場企業に一律に強制することによって、企業間の比較可能性を担保すると同時に、規制や懲戒などのコントールを維持することが出来るからである。

US-GAAPは日本などの第三国からは、IFRSと同じ国際的な会計基準と見られている。実際にIFRSが登場する前までは、US-GAAPが実質的な国際会計基準としての役割を長く担っていたと言ってよいと思う。しかしUS-GAAPは国際基準である前に、同じ法律を共有し、1つの規制当局の下にある米国の基準である。米国が米国の都合を優先して判断するのは当然の話であり、したがって米国におけるIFRSの任意適用は実現しなかった。

米国企業のIFRS任意適用が認められないとなると、やはり、米国企業とFPIとの不公平という問題は依然として残ることになる。もちろんIFRS財務諸表に対する差異調整表を復活させるということも考えられなくはなかったであろう。しかし、私の知る限りにおいて、現時点でもFPIが作成したIFRS財務諸表にUS-GAAPとの差異調整表を再度義務付けようという動きはない。その理由は、全くの個人的見解ではあるが、資本市場にも国際競争があり、一旦廃止した調整表を復活すれば多くのFPIを失うリスクがあるからであろうと思う。

 

一組の高品質な会計基準

そうすると、米国企業とFPIとの不公平を完全に解消するには、ノーウォーク合意に基づく両基準の統合を加速すること以外にない。このためFASBとIASBはIFRSとUS-GAAPの統合作業を加速した。理想的な形はIFRSとUS-GAAPを完全に統合して同一の会計基準にしてしまうことである。そうすれば、同じ基準を適用することになるので、不公平は起こらない。また、そうすることによって、世界中の他の国々の資本市場においても、一組の高品質な会計基準(Single set of high quality accounting standards)を共有することもできるようになるので、より効率的なグローバル資本市場が実現する。

実際に主要な基準についてIASBとFASBによる共同プロジェクトが進められ、共同プロジェクトにおいては審議会に使用するペーパーも公開草案も基本的には同一のものを使用して、完成したものが一言一句同じとなるような工夫をして共同作業が行われた。就中、収益認識基準(IFRS第15号、ASU Topic 606)については、極一部の表現を除いて、IFRSとUS-GAAPで完全に一言一句同じものとなった。

もともと、IFRSでは収益認識基準については、IAS第11号と18号しか基準がなく、ガイダンスなどもほとんどなかった。これに対してUS-GAAPの方は特定の業種について定めた基準なども多くあり、過去の経緯などもあって、多岐にわたった複雑な基準体系となっていた。このため、IASB側ではこれまであまりにもガイダンスが少なかった基準を、もう少し具体化する形となり、FASB側ではあまりに複雑化した基準をバッサリと整理したスリムな基準となった。このような取り組みはお互いにとってメリットがあり、市場関係者からの評価も高かった。

しかしながら、これまで業種別の詳細なガイダンスに慣れ親しんだ米国の作成者の間からガイダンス作成の強い要請があり、米国公認会計士協会(AICPA)は業種別のワーキングループを設け、業種別のガイダンス作りに着手した。これを受けてIASBとFASBも適用移行グループ(Transition Resource Group : TRG)を設けて対応せざるをえなくなった。TRGはIASBとFASBとのジョイントグループではあったが、上述の経緯から実態としては、米国からの参加者がリードする形となった。

このような経緯を経て、結局IASBとFASBは、せっかく一言一句ほぼ同一の統一基準であったIFRS第15号とASU Topic 606について別々の修正を行うことになった。こうして米国と米国以外のIFRS適用国とが、完全に一言一句同一の基準を共有するという理想は実現できなかった。とはいえ一言一句同一ではないものの、基準の太宗は同じであるので、収益認識基準については、ほぼ同一の基準を共有できたと言ってもよい。

 

首尾一貫した適用へのプレッシャー

このようにして、まだまだ異なるところは多いものの、ノーウォーク合意後の共同プロジェクトによってIFRSとUS-GAAPの親和性は高まり、基準の品質という観点では米国企業とFPIとの間で大きな不公平感はあまり感じられなくなっていると言ってもよいかと思う。さりながら解釈や適用について大きな差があれば、やはりそれは問題である。高品質は適用の高品質さも含めて初めて実現する。

それは米国に限ったことではなく、世界中すべての国においても同じである。本当の意味で世界中の資本市場で公平に利用される国際基準を実現するためには、首尾一貫した適用を国際レベルで実現しなくてはならない。

こうして、IFRSは次のステージに入っていくのである。その最大のテーマは首尾一貫した適用である。

ただ、首尾一貫した適用を実現するためには、ガイダンスを増やしていく必要がある。そして、具体的な事例について、この場合はこうしろ、こんな場合はこうしてはいけないと、具体的なルールを作っていかざるを得なくなる。それは、当初IASBが描いていた理想とは異なるスタイル、すなわちルールベースのスタイルである。

やはり会計基準はその年齢とともに少しずつルールベースに変貌していかざるを得ないのかもしれない。IFRSも、もう若くはないのである。

以上

本記事に関する留意事項

本記事は皆様への情報提供として一般的な情報を掲載するのみであり、その性質上、特定の個人や事業体に具体的に適用される個別の事情に対応するものではありません。また、本記事の作成または発行後に、関連する制度その他の適用の前提となる状況について、変動を生じる可能性もあります。個別の事案に適用するためには、当該時点で有効とされる内容により結論等を異にする可能性があることをご留意いただき、本記事の記載のみに依拠して意思決定・行動をされることなく、適用に関する具体的事案をもとに適切な専門家にご相談ください。

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