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第4回 原則主義と解釈(その4)

月刊誌『会計情報』2020年6月号

国際会計基準(IFRS)—つくり手の狙いと監査

前 国際会計基準審議会(IASB)理事 IFRS部 鶯地 隆継

原則主義と首尾一貫した適用

IFRSが世界の主な資本市場で本格的に適用されると、首尾一貫した適用がなされるのかどうかが大きな課題となる。経済的に全く同じ取引でありながら、ある企業と別のある企業とで会計上の結果が全く異なるということは好ましくない。経済的に全く同じ取引であるのなら、出来れば結果が全く同じであることが望ましい。それを実現するためには、この場合はこうすべき、あの場合はこうすべきというガイダンスが求められる。たとえば、全く同じ取引なのにAとBの二通りの会計処理がある場合、この取引については必ずAという会計処理をしてくださいと決めて、かつ、それを周知させ、実際にその適用がなされるようにフォローしなくてはならない。

一方でIFRSは原則主義である。IFRSが原則主義であるのは、全ての法域の全ての産業を1セットの基準でカバーするためである。ほぼ同じような取引であっても、その背景にある法律や制度が異なる場合、形式的で画一的な処理をすると、経済実態と乖離する可能性もある。また、産業によっては非常にユニークなビジネスがあって、それら全てのビジネスごとに丁寧なオーダーメードの基準やガイダンスを作ることもできない。

IFRSの全世界での本格適用に伴って、IASBならびにIFRS財団は、原則主義と首尾一貫した適用という二律背反ともいえる難題に取り組まざるを得なくなってきた。このためIFRS財団は、以前この稿でも紹介した通り、2013年にIASBならびにIFRICの審議プロセスの取り決めであるデュー・プロセス・ハンドブックを改訂し、より多くのツールキットをIFRICに与え、様々な解釈問題に対応することとした。これによってIFRICに審議依頼があった案件についてIFRICとIASBは様々な形で応えることができるようになった。たとえば、基準書そのものが不明確であるならば、狭い範囲での基準の修正を行い、基準について新たな解釈が必要であれば解釈指針を出し、そのどちらも不要な場合はアジェンダ決定という文書の中でその理由を説明して、作成者のより整合的な会計処理を促すことができるようになった。とりわけアジェンダ決定において、より丁寧な説明が加わったことは大きな進歩であった。以前、アジェンダ決定は「却下通知」と呼ばれており、審議を却下する理由を書くだけのものであったが、2013年のデュー・プロセス・ハンドブック改定以降は審議の具体的な内容と、あるべき会計処理ついての要約(説明的情報)が書き加えられることが多くなってきた。

しかしながら新たな問題が起きてきた。アジェンダ決定の説明的情報の扱い方がわからないのである。特にアジェンダ決定の中で加えられた説明が具体的であればあるほど、その扱いが難しくなったのである。

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その文書は権威があるのか?

アジェンダ決定は権威のある文書ではない。権威のあるという言葉は多少大げさであるがauthoritativeという英語の言葉を日本語に直訳した言葉である。もう少し平たく言えば、強制力があるという意味である。ただし、強制力があるという言葉と権威があるという言葉は同義ではない。会計基準を強制することが出来るのはあくまでもそれぞれの法域の当局である。当局が、何らかの形である基準、たとえばIFRSをその国において使用し、それに準拠して財務諸表を作成するように強制するのである。したがって、IFRSの基準体系の中で各法域の当局が指定した部分のみがその法域内で強制力を持つ。ただし、各法域の当局が勝手につまみ食いで基準の都合の良いところを選んでよいという訳ではない。IFRS財団としてはIFRSを一組の会計基準として作成しているのであるから、その一部分を除外したり(カーブアウト)あるいは付け加えたり(カーブイン)すれば、それはもはやIFRSではない。

ただ、IFRS財団が公表している基準体系全てがそう言った議論の対象となるわけではない。そういった議論の対象になりうる部分を権威のある文書(authoritative)と呼んでいる。権威のある文書は厳密なデュー・プロセスを経て文書化された部分であり、それは原則としてIFRS基準そのものとIFRS解釈指針のみである。それ以外の文書は必ずしもも十分なデュー・プロセスを経ていないので権威はなく、よって、法域の当局がその文書に記載されていることを強制することはないと想定されている。繰り返しになるが、アジェンダ決定は権威のある文書ではない。このため、アジェンダ決定にどんなことが記載されていようが、通常それは強制されない。

では、アジェンダ決定に書いてあることは無視できるのかというと、それも必ずしもそうではないのである。そこが一番難しいところである。

 

悪魔は細部に宿る(Devils in the detail)

悪魔は細部に宿るという言葉がある。全体としては問題ないように見えても、詳細な点における小さな問題が全体に影響することがあるという警句である。会計ではこういう事が多い。一見些細な問題にも見える案件について、具体的な事例を詳しく掘り下げると、実は基準の本質的な考え方に影響するような場合もある。

たとえば、マンションなど工事に時間がかかるものについて、契約時に収益に認識するのか、物件の引き渡し時に認識するのかという事などが挙げられる。IFRS第15号「顧客との契約から生じる収益」では、財又はサービスの支配の移転が起こった時に収益を認識することを原則としているので、通常は物件引き渡し時に収益を認識する。ただし、IFRS第15号は支配の移転が一時点で起こるものと、一定期間にわたるものとを分類しており、取引の具体的な契約内容に応じて判断しなければならない。ただ、不動産取引は法域によって商習慣が異なり、引き渡し時に収益を認識するのが通例であるという法域と、契約時に認識するのが通例であるという法域とがあって、それぞれの法域ではどうしてもその法域での現行の取引習慣にひっぱられがちである。そうすると、契約の形式的な条件を盾にとって、わが法域ではこういう特殊状況があるので、これらの取引は全て契約時に引き渡すこととするということをルール化までしてしまう法域も現れる。

このように基準の細部の解釈を少し変えるだけで、会計上の結果が大きく異なってしまうことになる。悪魔は細部に宿るのである。上述の例は実際にあった例で、全く一般的な取引でありながら、その法域で起こるすべての取引は他の法域とは全く違う収益の認識の仕方が許されるという事になってしまう。

このケースで、IFRS財団は事態を無視せずに、世界中で首尾一貫した会計処理がなされるようにアクションを起こした。IFRICで審議をした上で、アジェンダ決定の中で詳細な具体例を掲載した上で、具体的な取引について参照すべき条文を列挙し、その条文に基づいた判断と具体的な会計処理を示したのである。こうすることによって、アジェンダ決定の中に記載された具体的な例と同じ取引については、具体的な会計処理方法が明確になる。ただ、それでも問題は残る。その問題はもしかするとむしろIFRSのあり方の根幹にかかわる大きな問題かもしれない。

 

IFRSはルールベースに移行するのか

上述した通りアジェンダ決定は権威のある文書ではない。したがって、アジェンダ決定に具体的な会計処理の詳細が記載されていても、それはあくまでも参考例であってルールではない。よって、IFRSは依然として原則主義ベースである。この点に関して揺るぎはない。

ただ、今後の成り行きについては注意が必要である。というのもIFRS第15号やIFRS第16号「リース」などの新基準は、US-GAAPとコンバージェンスをした関係でかなり詳細なルールが織り込まれている。このため、現場ではそのルールの扱い方を巡って具体的なガイダンスのニーズが高まっている。これまでの原則ベースのIFRSでは、そのようなガイダンスについては、各監査法人が内部的に取り決めていたガイダンスで事が足りていた。そのようなガイダンスの多くは公表されていて、市販もされているものである。それらのガイダンスは当然のことながら権威のある文書ではなく、私的な文書である。したがって内容も各監査法人によって異なる。ただそれでも概ね問題はなかった。

しかし今後アジェンダ決定が非常に詳細にかつ具体的になってきた場合に、作成者も監査人もより一層アジェンダ決定に対して注意を払う必要が出てくる。アジェンダ決定に記載されている具体例はあくまでも参考資料であるとはいえ、もし自分の会社の取引がその具体例とほぼ完全に同じ取引であって、アジェンダ決定で例示された会計処理と異なった会計処理であったとすれば、どうすればよいのであろうか。この点について、IASBのハンス・フーガホスト議長は様々な場において、このような趣旨の発言をしている。それは、アジェンダ決定で例示された取引と全く同じ取引について、アジェンダ決定と異なる会計処理を強制している法域があったとしたら、もはやその法域はIFRSを適用しているとは言えないというものである。つまり、アジェンダ決定に例示された取引と全く同じ取引をしているならば、アジェンダ決定で具体的に示された会計処理に従うことが期待されるということだ。 

議長の発言には根拠がある。IFRS財団は昨年アジェンダ決定の位置づけが不明確であるという市場関係者の声に応え、アジェンダ決定の役割と位置付けを明確化するために、デュー・プロセス・ハンドブックの再度の改訂を提案した。改訂が予定されているデュー・プロセス・ハンドブックには次のような記載がなされる予定である(本稿執筆時点の2020年4月中旬の段階では最終稿はまだ公表されておらず、文言は変更される可能性もある。)。

  1. IFRICは、企業がIFRS基準を適用する助けとするための情報をアジェンダ決定に含めることを決定する場合がある。この情報は、基準において適用すべき諸原則及び要求事項が、提出された質問にどのように適用されるのかを説明する。
  2. アジェンダ決定(説明的情報を含む)は、IFRS基準の要求事項を追加又は変更するものではなく、したがって、IFRSと同じ位置付けは有さない。しかし、「有用で、情報価値があり、説得力のあるもの」と見るべきである。

若干分かりづらいが、何が言いたいのかと言えば、アジェンダ決定は基準の一部ではありませんが、大変重要ですから、皆さん尊重してくださいね、ということである。ハンス議長がやや強気の説明をしてきた根拠はここにある。

ただ、市場関係者の反応は少し違った。市場関係者、とりわけ監査法人は、ハンス議長が説明するように、アジェンダ決定が実質的に強制力のあるものであるならば、それは権威のある文書であると定義すべきであると考えた。アジェンダ決定は権威のない文書なのにそれに従えというのは筋が通らないという思いからである。実際の監査の現場では作成者との板挟みになるリスクも考えられる。

これに対して、IASBでの議論はクリアであった。すなわちアジェンダ決定に付随する説明的文書は基準の内容を変更するものではない、基準が求めているものを説明しているだけの話である。したがってアジェンダ決定に権威があるのではなく、権威があるのは基準そのものである。もう少し言えば、市場関係者から出された質問に対して、IFRICで議論をした結果、基準は明確であると結論が出たものについて、以前のIFRICであれば、「基準は明確なので審議はしません」と木で鼻をくくったような説明しかしていなかったものを、これからのアジェンダ決定では、基準の此処と此処にこう書いてありますから、このように処理するのですよと説明することにしただけのことである。それは基準の解釈や、新たなガイダンスではなく、あくまでも説明である。したがって、アジェンダ決定の説明的文書は権威のある文書ではなく、権威がある文書はあくまでも基準そのものなのである。

監査の現場ではこれからますます監査人の力量が試される。

以上

本記事に関する留意事項

本記事は皆様への情報提供として一般的な情報を掲載するのみであり、その性質上、特定の個人や事業体に具体的に適用される個別の事情に対応するものではありません。また、本記事の作成または発行後に、関連する制度その他の適用の前提となる状況について、変動を生じる可能性もあります。個別の事案に適用するためには、当該時点で有効とされる内容により結論等を異にする可能性があることをご留意いただき、本記事の記載のみに依拠して意思決定・行動をされることなく、適用に関する具体的事案をもとに適切な専門家にご相談ください。

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