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第5回 原則主義の目的と重要性(その1)
月刊誌『会計情報』2020年7月号
国際会計基準(IFRS)—つくり手の狙いと監査
前 国際会計基準審議会(IASB)理事 IFRS部 鶯地 隆継
原則主義への誤解
IASBの理事を務めていたころに、主に作成者の方から「IFRSは原則主義なので経営者の裁量の余地が大きいのですよね」という、質問とも確認とも分からない問いかけを受けることが多かった。こういった類の問いかけは、作成者のみならずマスコミの方からも受けることがあった。この問いかけは非常に単純なようであるが、要素分解をしてみると様々な側面がある。したがって、こういった問いかけに答える際には警戒が必要だ。
たしかにIFRSでは経営者の判断が必要になる会計基準がたくさんある。また、見積もり要素も多いので、経営者が持っている情報や、経営者の見解に基づいた判断が非常に重要になることは事実である。ただし、経営者の判断が重要になるという話と、経営者の裁量の余地が大きいというのは、話は別である。これは何もIFRSに限った話ではないが、経営者の判断が必要になる会計処理は、経営者が財務諸表の目的に照らして、適切な判断を下すという事が大前提となっている。ところが、これを裁量であると捉えられてしまうと、本来あるべき判断から都合に合わせて逸脱しても良いと誤解されることになる。
当然のことながら、判断と裁量は異なる概念である。ただ、日本の会計実務担当者の間では、残念ながらこの二つの概念が混同されているような面がある。というのも、日本の会計実務では、一定の数値基準(閾値)を用いてどのような会計処理をするべきかが、しっかりと決められていることが多い。これは税法からの逆基準性などに起因するところが大きいのかもしれない。例えば固定資産の減価償却について、日本での会計実務慣行では税法の耐用年数に合わせて、税法の認める償却方法を採ることが多い。税法では資産ごとに細かく決められた耐用年数表があって、それに合わせていればよい。また上場有価証券の評価損などについても50%という目安がある。作成者として会計実務を行っていた私自身の長年の経験から言っても、はっきりとした閾値を示される方が楽である。作成者は示された閾値の範囲内で処理をすればよく、その範囲内で処理をしている限り問題を指摘されるリスクは少ない。客観的な数字で示される閾値が盾になってくれるのだ。したがって、閾値さえ守っていれば、狭い閾値の範囲内ではある程度の自由裁量があるのである。
IFRSの場合は法域によって税法なども異なるので、こういった逆基準性は無い。このため日本基準で慣行的に用いられている閾値も無いことが多い。このため作成者が判断をして会計処理を行う必要が出てくる。ところがこれを、閾値がないので裁量の余地が広がったと勘違いする実務担当者が多かったのである。
原則主義での裁量の余地
原則主義では裁量の余地は広がるのでは無く、むしろ狭まると考えた方がよい。私の個人的意見では、原則主義では裁量の余地は基本的には無いと思っている。原則主義では閾値を示すことは稀である。したがって、一定の閾値の中に納まっていればそれでよいという考え方はない。逆に言えば、作成者自らが判断基準を持たなければ会計処理が出来ない。例えば、固定資産の減価償却について数値基準はない。IAS第16号「有形固定資産」には「使用される減価償却方法は資産の将来の経済的便益を企業が消費すると予想されるパターンを反映するものでなければならない」とあり、作成者が資産の将来の経済的便益をどのように使用するかについて自ら見積もりをして、作成者自身の「作品」として償却というものを表現しなくてはならない。それは他律的ではなく、自己責任が伴う。自分の財産のことであり自らが使用するのであるから、自らが一番良く分かっているはずである。一番良く分かっている人が一番正しいと思う形で表現することを求められているのだ。
一番正しいと思うものを表現しなければならないので、答えは一つしかないはずだ。前後の都合を勘案して、多めに見積もったり、少なめに見積もったりすることは出来ない。その意味では原則主義の下では裁量の余地は無いのである。
日本がIFRSの任意適用を始めて間もないころは、このような考え方への理解が十分でなかった企業も散見された。同じような事象について、ある案件では目一杯厳しめに判断し、別の案件では目一杯緩めに判断をして部門間の損益や前後の期間損益を調整しているのではないかと疑われるようなケースもあったと聞く。また、IFRSでは財務諸表の表示についても、現時点では(※)定義された営業利益などの段階損益はなく、営業利益をどのように表現するかについては、企業の判断に委ねられている。このため会社によって営業利益の中身が異なっていたり、損益計算書のスタイルそのものが大きく違っていたりする。
これに対して、日本の損益計算書は経常利益など定義された段階損益がしっかりとあって、損益計算書の形式が統一されている。このような日本の損益計算書に見慣れた投資家からは、IFRSの損益計算書は大変扱いづらかったと聞く。また作成者の側でも、損益計算書をどうするかについては企業の裁量であり、自社の業績を良く見せられるようなスタイルを選ぶ企業も多かった。この為、日本基準で財務諸表を作成している企業と、IFRSで財務諸表を作成している企業の、たとえば営業利益を横並びに比較すると、IFRSで作成した企業の方が、業績が良いように見えるということもあった。また、企業の方でも日本基準で作成をしている同業他社と比較されることを意識して、IFRSでの財務諸表のスタイルを考えているようでもあった。
このようなことから、投資家やアナリスト、あるいは一部のメディアの間からIFRSは日本基準に対してクオリティが低いという批判が上がった。また、日本基準と比較してIFRSの財務諸表はこれだけ出鱈目だという特集を組む経済雑誌もあった。精緻で統一的な数値基準による閾値と固定的で統一的な形式がある財務諸表に慣れ親しんだ日本人からすれば当然のリアクションであるかと思う。
原則主義の原則
原則主義での財務諸表作成をゴルフにたとえてみると、フェアウエィの広いゴルフコースのようなものである。フェアウェイを広くとる理由は、様々な種類のボールを受け止める必要があるからである。IFRSは全世界の全ての法域の全ての産業を一組の会計基準でカバーすることを前提としている。全世界、全産業分野をカバーするためにはファアウエィは広くとらざるを得ない。
一方で、ルールベースの会計基準はフェアウェイをかなり狭くとっている。通常それは一つの法域の中のみで通じる会計基準であったり、場合によっては一つの産業分野でしか通用しない会計基準であったりする。その場合は、大前提となる法律や、社会通念、経済取引慣行が同じであり、作成者にも利用者にも共通の理解がある。そのため想定外のことは起こりにくいし、会計処理のパターンも一定の枠内に収まることを前提にすることが出来る。したがって、その前提に基づいて数値基準や閾値を設け、その狭い範囲内では企業は裁量を働かせることが出来る。
ゴルフでたとえれば、フェアウェイは非常に狭いが、その狭いフェアウェイの中にさえボールが落ちていれば、次の一打はそのフェアウェイの中のどこからボールを打っても構わないということなのだ。アプローチをするのにフェアウエィの右端がよければ、右端から、左端がよければ左端から、どこからでも好きなところから打っても良いのである。
原則主義はそうではない。フェアウェイは非常に広い。したがって、フェアウェイから外れることはまずない。だからティーショットが多少ぶれても問題ない。ただ、次の一打は必ずボールが落ちたところから打たなければならない。なぜなら、次の一打はボールが落ちたところから打たなければならないというのが、ゴルフの原則だからだ。
したがい、原則主義を緩い基準だと考えるのは大間違いである。原則主義は、原則通り会計処理をしなくてはならないという厳しいルールなのだ。しかしその厳しいルールを課すのは、会計基準でもなく、監査人でもなく、ましてや規制当局でもない。作成者自身なのである。自分が打った第一打がどこに落ちたのか、それを知っているのは作成者のみである。作成者自身が、自分が打った第一打がどこに落ちたのかを冷静に見極めて、それを客観的に把握して適切な会計処理をする。これが原則主義の原則なのである。
原則主義と財務諸表の目的
自分が打った第一打がどこに落ちたのかを自分で見極めろと言われても、それを会計処理をしたり開示をするとなれば、やはり、何らかの指針がないと出来ない。ゴルフボールのように実際に目に見えるものであれば、はっきり此処に落ちたと分かるが、経済活動については、実際に経営をしている経営者自身でも分からないことが多い。経営者は何をよりどころに判断をすればいいのであろうか。
答えは簡単である。財務諸表の目的は何かという原点に返ることである。IFRSには「財務報告に関する概念フレームワーク(以下、概念フレームワーク)」というものがあり、IFRS基準開発の基礎となる概念が示されている。ここに財務諸表の目的はこのように記載されている。「一般目的財務報告の目的は、現在の及び潜在的な投資者、融資者及び他の債権者が企業への資源の提供に関する意思決定を行う際に有用な、報告企業についての財務情報を提供することである。(第1.2項)」
ここでいう一般目的財務報告とは、特定の目的で作成されるもの以外の財務報告を指し、通常の財務諸表と考えてもらっていい。
この目的に照らして考えれば、会計基準が要求している会計処理や開示について、どうしてそのような要求をしているのかを理解することが出来る。大切なのは資源(資金・資本)提供者の意思決定である。もし自分自身が資源提供者であったらどういう情報が必要になるであるかという事を資源提供者の立場に立ってみて考え、自身の行う会計処理や開示がフェアと言えるのかどうかを見直してみればよい。
その際に重要になるひとつのキーポイントが、多くの資源提供者は企業が提供する財務諸表以外に企業の情報を得るすべがないということだ。税務当局や規制当局などは、必要に応じて企業の報告が適切であるのかを調査したり、確認したりすることができる。しかし一般の投資家をはじめとする資源提供者は企業が報告した数字を、他の情報源から確認したり、企業関係者から機密情報を入手したりすることは出来ない。そのような別ルートの情報は場合によってはインサイダー取引になる。したがい、資源提供者は財務諸表以外の情報ソースはなく、財務諸表の情報のみを信じるしかない。
概念フレームワークにはこのような記載もある。「現在の及び潜在的な投資者、融資者及び他の債権者の多くは、情報提供を企業に直接に要求することができず、必要とする財務情報の多くを一般目的財務報告書に依拠しなければならない。したがって、彼らは一般目的財務報告書が対象とする主要な利用者である。(第1.5項)」
私自身、財務諸表の作成者として30年の経験があるが、恥ずかしながら、財務諸表はルール通りに作成すればいいとしか考えていなかった。財務諸表のその先に何があって、世界がどう動いていくのかというところまで想像力を働かせて、ひとつひとつの会計処理や開示の意味を考えるという「スケール」を持ち合わせていなかった。しかし、原則主義の会計基準では、そのスケールこそが重要であって、経営者のみならず、経理の担当者一人一人がそう言ったスケールを備える必要があると思う。
以上
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