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第6回 原則主義の目的と重要性(その2)
月刊誌『会計情報』2020年8月号
国際会計基準(IFRS)—つくり手の狙いと監査
前 国際会計基準審議会(IASB)理事 IFRS部 鶯地 隆継
取引の規模
財務諸表はルール通りに作成すれば良いというものではなく、財務諸表のその先に何があって、世界がどう動いていくのかというところまで想像力を働かせて、ひとつひとつの会計処理や開示の意味を考えるという「スケール」が大切である、と前稿で述べた。ここで言う「スケール」とは想像力のスケールである。想像力のスケールとは、目の前にある経済事象について、自身の立場だけではなく、さまざまな関係者の立場も含めて多面的に間口を広げ、立体的かつ総合的にその意味を理解し、どのように会計処理をし、開示をするのがベストであるのかを考える力である。
一方で、スケールという言葉には、取引の規模という意味もある。一般的にはこちらの意味で使われることが多い。大きな規模の取引なのか、小さな規模の取引なのかによって、財務諸表に与えるインパクトは異なる。財務諸表に与えるインパクトの大きさによって、監査上の扱いも異なってくる場合もあるので、会計処理を判断する上において、取引の規模を念頭に入れることは大事である。
ただし、取引の規模という考え方には落とし穴がある。一件ごとの取引が少額でも、同じ取引の件数が多ければ、総額で大きな規模となる可能性がある。ところが、その取引の総額が会社全体で一年間を通じてどの程度の金額となるかは、個別の会計処理をする際にはまだ分からない。したがって、正しく会計処理をすることを念頭に置けば、個別の会計処理をする際に原則通りの会計処理をしておく方が安全である。というのも、最初に帳簿をつける段階で原則から外れた処理をしてしまうと、基礎データそのものが把握できなくなる。したがい原始処理である日々の経理処理では、金額の多寡に拘わらず、原則通りの会計処理をせざるを得ない。
ところが、原則通りの会計処理にかなりの手間がかかる場合がある。リース会計などがその典型である。リース料を経費処理してしまえば、基本的に会計処理はその場で終わるのだが、リース会計を適用するとなると、支払うリース料を資産計上して残高管理をするなど長期間にわたって、かなりの手間がかかる。しかも割引計算までしなくてはいけない。そうなると、一体どの割引率を使うのが適正なのかなど、様々な判断が必要になってくる。手間をかけて個別の会計処理をしたにもかかわらず、後になって合計すると金額総額に重要性がないということがわかったので、この処理は不要でしたと言われても意味がない。また、重要性について、総合的な判断が大切だと言われても実務は廻らない。システム処理の体制もある。一度システムを組んだならば、いちいち判断するよりも機械的にやった方が楽である。したがって、作成者としてはもっと機械的に処理が出来るようなルールが欲しい。
このような作成者の意図を酌んで、例えば日本のリース会計基準ではリース契約1件当たりのリース料総額が300万円以下のリース取引は賃貸処理が出来るという特例がある。このような特例は非常に実務的である。ただ、このようなルールを設けるということは、重要性の議論ではなく、あくまでも実務上の便法である。なぜならば、この300万円ルールの大前提として、企業の事業内容に照らして、重要性の乏しいリース取引であることが前提となっているからである。つまり重要性の判断は別途しなければならないのだ。なので300万円ルールは規模の重要性の議論についての答えを提供しようとしているのではないと私は理解している。
ただし、個別取引の規模と総額での重要性、この二つは実務上切っても切れない関係がある。そのことについて、直近のIFRS第16号「リース」を制定した際に非常に興味深い議論が展開された。
混乱を極めた少額資産リースの議論
IFRSにはもともと、日本のリース会計基準にある300万円ルールのような、契約1件毎の固定金額で重要性を判断するようなルールは一切なかった。しかし、2013年から2015年頃にIASBがリース会計の改訂を検討した際に議論が起こった。そして新しいリース会計基準であるIFRS第16号「リース」において、直接的ではないものの、少額資産リースの金額的閾値を初めて導入した。これには相当の議論があったが、この時の議論が、財務諸表における重要性とは何かについて、その後の議論の発展のきっかけにもなったので、ここで詳しく紹介しておきたい。
そもそもIFRSに300万円ルールのような固定金額を用いて重要性を判断するようなルールが一切なかったことには理由がある。その理由の一つが通貨単位である。IFRSは様々な法域で利用されることを想定している。このためIFRSで会計処理の具体例を設ける際には、CUという単位を用いる。CUはCurrency Unitの略で一通貨単位である。日本で読まれる場合には日本円に読み替えればよいし、欧州であればユーロに読み替えれば良い。しかし、重要性について金額基準を設けるとなると、CUを使って金額基準を設けることは出来ない。というのは国によって為替レートがことなるので、1CUと言っても、1円と1ドルでは金額規模が全く異なってきてしまう。このためIFRSにおいて金額を用いて規模を表すようなルール作りはもともと難しいのだ。
もう一つの理由は重要性についてのルール作り上の考え方そのものである。重要性は1件1件の個別の契約毎に判断すべきものではなく、財務諸表全体を見て判断すべきものであるという考え方である。すなわち1件毎に少額であっても、集まれば総額として重要性のある金額になる場合もあり、その逆もある。したがって、1件ごとの重要性を決めることに意味はないと考える。また1件ごとに金額的閾値をきめると、その閾値をクリアするために意図的に契約を分割する、例えばテーブルと椅子で一つのセットであるものを、わざわざ別々の契約にするというような事も可能であるので、いくらでもそのルールをすり抜けることが出来る。もちろん、上述したような実務上の都合から、金額ごとに何らかの閾値があると便利であることは理解できるものの、それは適用上の問題であって、基準レベルで議論すべき話ではないというというのが、基本的な考え方なのだ。
ただそうは言っても、リース会計の場合は、個別の会計処理があまりにコストがかかるので、原資産の金額が少額であるもの(スモール・チケット・リース)についてリース会計を適用することに意味はなく、かつ、現実的でないということも当時の理事たちは十分理解していた。このため、実務的には相当のプレッシャーがかかるので、これを適用の問題として各監査法人やそれぞれの法域の規制当局の判断に任せてしまうと、各法域で都合のよい閾値が設けられ、相当なばらつきが生じる危険性がある。このようなことから、IASB内部では、ここはやはりIASBが、あくまでも実務的な便法として、なんらかの閾値を伴った免除規定を制定する必要があるのではないかという流れに議論が傾いていった。
そこで、IASBは金額を提示する準備に入った。単純に金額を提示するだけのことなのだが、いくらが妥当かというのは大きな問題である。通貨表示の問題もある。少額と言っても会社の規模によって少額というもののインパクトも異なる。加えて、国の経済規模や経済活動の状況によっても物の価値は異なるので、通貨表示だけの問題でもない。また、一旦現時点の価値観で金額を決めても、将来インフレなどが起こった場合に、其の金額の価値が大きくずれてしまう可能性もある。そこでIASBは、金額として表示するのではなく、リースとして一般的な商品について具体的にどういうものはオンバランスされるべきで、どういうものはオフバランスでよいのかという例示を示すことを試みた。
重要性か、基準の対象範囲の話か
金額を示さずにリースの対象となる資産(原資産)の例示をすることで、基準の対象となる資産の概ねの規模感を示すことは、重要性というよりはむしろ基準の対象範囲の話である。つまり、重要性の議論を超えて実務上の便法として扱うとしても、単に「金額が小さければ無視していいですよ」というのでは、「総額が大きくなったどうするのか?」という議論に耐えられない。総額がどうなるのかを気にせずに、この条件を満たせば、総額でどうなるかという事を気にせずに、認識が免除されるようにするためには、このような取引は基準適用の対象外になりますよと、明確に宣言する必要がある。
この為IFRS第16号「リース」では、冒頭の「基準の範囲」のすぐ次の項である第5項に「認識の免除」として(a)短期リースと(b)原資産が少額であるリースを示している。そして原資産が少額であるリースについては、B4項で「原資産が少額であるのかどうかの評価は、絶対値ベースで行われる。少額資産のリースは、それらのリースが借手にとって重要性があるかどうかに関係なく、第6項における会計処理(認識免除)の要件を満たす。その評価は、借手の規模、性質又は状況の影響を受けない。したがって、異なる借手でも、特定の原資産が少額であるかどうかに関して同じ結論に至ると見込まれる。」(下線、かっこ内筆者)と明記した。
意識された自動車のリース
IASBスタッフが苦労したのは少額資産の例示である。IFRS第16号B8項には「少額の原資産の例としては、タブレット及びパーソナル・コンピュータ、小型の事務所備品、電話などがある。」と記載されている。このような例示を示すに至った過程で、実は相当の議論があった。まず、金額の規模感が伝わるものでなくてはならない。しかし、単になんとなく金額が小さそうな資産を例示するのは非常に危険である。少額資産を例示するに当たっては、何故そのような資産について認識免除とするのかという背景を反映したものでなければならない。
もともと少額資産リースについて、認識の免除が必要であるとの声は、主にパソコンをはじめとする事務所備品であった。これらは、件数が多く、かつ多くの企業でリースを活用している。もう一つのポイントとして、直接的な収益獲得に結び付く資産ではない場合が多いということである。例えば、商品を生産する設備や顧客サービスの為の資産ではなく、間接的な資産である。実は少額資産の認識免除の議論をした際に、一定の金額を示して、其の金額以下であれば、総額の如何に拘わらず認識免除とするとした場合、主力設備であって、その総額が大きく重要性があっても、一件あたりが閾値の金額以下であれば、認識免除になってしまうのではないかというという議論があった。例えばコーヒーショップチェーンのコーヒーマシンの場合に、そういう議論がある。したがって、理事の間ではコアビジネスに係る資産については、少額資産の免除はすべきではないという意見もあった。
そのような中、議論になったのは車であった。車はオートリースという形でリースが活用されるケースが非常に多い。役員や従業員の通勤などに使用されるケースも多いが、顧客サービスや営業活動に使われるケースも多い。スタッフの間では、車のリースについて判断が曖昧になるような例示をすれば混乱を招くので、車が少額資産の対象にはならないと明確にすべきであるという意識が強まった。一般的に新車はある程度の金額になるが、中古車の場合かなり低価格の場合もある。これは必ずしも車に限った話ではなく、車以外でも中古品であれば低価格になる。このため、IASBはIFRS第16号にB6項「資産が新品時に通常は少額ではない性質のものである場合には、原資産のリースは少額資産のリースに該当しない。例えば、自動車のリースは、新車は通常は少額ではないので、少額資産のリースに該当しないであろう。」を加えた。
それでも必要だった金額での閾値
しかし議論はそれだけで終わらなかった。少額資産について、全く金額のアイデアが入っていないのではどうしても現場が混乱するというのである。そこでIASBは基準本文で明確な金額は示せないものの、結論の根拠で示すことは出来ないかという事を考えた。ただ、少額ということを金銭の絶対額で表現するのは、上述したような難しい問題がある。そして、もうひとつIASBが意識したのは、総額でも重要性がないということが概ね期待できる水準にしておかなければならないということだった。日本の300万円ルールも検討の俎上には上ったが、やはり300万円のような大きな金額であると、総額で重要性のある取引が含まれるリスクが高くなるし、かつ、大半のオートリースが含まれてしまう。このため、もし金額のイメージを出すとするならば、300万円よりもずっと低い金額で、新車価格を上回ることがない金額が想定された。
次に通貨の問題である。金額を示すならば、どの通貨で表示するかである。IFRSはヨーロッパの企業の適用が多いので、ユーロで示すべきという意見もあったが、やはり国際的な価値基準となるのはドルであろうということになった。すると今度は為替レートの問題がある。ドルでいくらと決めても、時が流れれば為替レートが変わる。そこで、最終的にIASBが考えたのは、実際にIASBで議論をしていた2015年にどのくらいの金額をイメージしていたかという事を結論の根拠に記載するという方法である。この方法であれば、その後インフレなどによって金額の動きがあったとしても、為替レートの大きな変動があったとしても、実際の価値としてどのようなことが想定されていたかが分かる。最終的にIASBはこのような文言を結論の根拠に挿入した。「2015年にこの免除に関する決定に至った時点で、IASBは、新品時に5千米ドル以下という規模の価値の原資産のリースを念頭に置いていた。」(BC第100項)。
このようにして、少額資産の議論は決着がついたが、もっと重要な論点があった。それは総額での重要性の議論である。この議論については日本の関係者も巻き込んで、大変興味深い議論が展開された。次稿で詳しく解説したい。
以上
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