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第7回 原則主義の目的と重要性(その3)
月刊誌『会計情報』2020年9月号
国際会計基準(IFRS)—つくり手の狙いと監査
前 国際会計基準審議会(IASB)理事 IFRS部 鶯地 隆継
リース会計の変更は必要か
本当にリース会計の変更は必要なのか? IFRS第16号「リース」の審議をしていた2011年から2015年ころまでの間に、何度となくこの質問を受けた。また、自分自身でも何度も自問自答してみた。なぜならば、全てのリース債務のオンバランス化を要求することは、理論的に意味のあることであったとしても、予想されるベネフィットよりも実務的コストの方がはるかに過大であると思われたからである。
そもそもIASBとFASBがリース会計の変更を手掛けたのは、ファイナンスリースだけをオンバランスするという基準に構造的欠陥があったからである。構造的欠陥とは、リースという取引の性質は同じであるにもかかわらず、ある一定の条件を満たしたものだけを特別扱いし、それ以外は別の扱いをするという2モデルであったことである。2モデルであったことによって、例えば米国基準の場合、リース料総額の現在価値が購入金額の90%以上であればファイナンスリースとなるが、これをギリギリ閾値以下の89%になるように契約を調整して、実質的にはファイナンスリースであると思われる取引をオペレーティングリースとしてオンバランス化をのがれるというリストラクチャリングが横行したためである。
なぜこのようなリストラクチャリングが横行したのか。それは2つあるモデルの会計上の結果があまりにかけ離れていたからである。オフバランスかもしれないものが、わずかの違いでオンバランスになるという事は、作成者にしてみれば、本来何もないはずのものが突然姿を伴って現れるということで、空気がコンクリートになるようなものだ。モデルを2つ作って、その結果があまりにかけ離れると、どうしても有利なモデルに当てはまるようにという強い動機が働き、基準本来の目的はワークしない。
そこでIASBは2モデルをやめて、1モデルとすることとした。リース取引の本質そのものはリース料総額の購入金額に対する比率や、リース期間とリース物件の耐用年数との比率などによって変わるのではなく、極端な話たとえ1日だけ借りたというようなケースであっても、使用の支配が移転しているのであれば、リースであるとした。そしてリース取引であれば、リース負債を認識することが要求され、オンバランスとなる。もちろん、IASBはリース取引について負債の認識をすることが会計上正しいのかどうかという本質的な議論は、徹底的に行った。その上でリース取引であれば負債の認識をすることが、会計理論上正しいのだという結論に達したのである。
冒頭で、リース会計の変更が必要かという疑問を呈したが、ここでリース取引をオンバランスすることの会計的正当性を議論することはしない。それは別途稿を改めて行うつもりである。この稿で議論したいのは、全てのリース取引は会計理論上オンバランスすべきであるという事が正しいという前提の下で、経済活動という大きな観点から、それを全ての企業にあまねく強制することが、経済合理性にかなっているのかどうかという視点である。
誰の観点からコスト・ベネフィットを論ずるか
IASBで基準を決める際に、常にコスト・ベネフィットについて議論をする。そして、ベネフィットがコストを上回ると判断すれば、基準を前に進めるし、コストがベネフィットを上回ると考えられれば、基準案を再考することになる。ただし、非常に大雑把に言えば、通常ベネフィットを得るのは投資家などユーザーであり、コストを負担するのは作成者であるというパターンとなる。したがって、新たな会計基準が生まれる時にはユーザーは歓迎するが作成者が反対するという構図になりがちである。そして今回のリース会計の変更は、その両者の立場の違いが最も先鋭になった議論であると言える。
全てのリース債務をオンバランスすべきであるという主張はユーザーの積年の願いであった。IASBの前議長のトゥイディー卿が、私の夢はバランスシートに計上された飛行機に乗ることであるという発言を何度もしていたことを記憶しておられる方も多いと思う。企業価値評価を行うアナリストのほぼ全員が注記されているオペレーディングリース債務の金額をオンバランスに調整すると言っても良い。であれば、ほとんど全てのアナリストが調整をしなければならないような財務諸表は有用とは言えず、初めからバランスシートに計上されてしかるべきであるというのが、積年の主張である。
これに対して作成者側の主張はこうである。オペレーティングリース債務の金額はすでに注記されており、情報は既に提供されている。ユーザーにとってのベネフィットは、其の一行をバランスシートに移し替えるアナリストの手間が省けるだけである。それに対して、会計基準として全てのリース債務をオンバラスするという事は、会社によっては何千件、何万件ものリース契約について、キャッシュフローと異なる会計処理をしなければならない。そのことによって、キャッシュフローから切り離れた帳簿の残高を長期間にわたって管理せねばならず、膨大なコストになる。しかも監査を受けなければならない。
このようにベネフィットを受ける側とそのコストを負担する側とが真っ向から対立する場合、基準のつくり手であるIASBは非常に難しい決断を迫られる。丹念に双方の言い分や、規制当局や監査人の意見も聞き、社会にとっても最も有益となる選択をしなければならない。改善を行うにはコストはつきものである。問題はそのコストをどうやって許容範囲内に収めるかという議論になる。
ベネフィットについて言えば、一行調整するアナリストの手間を省くだけではない。調整をする際にアナリストは正確な数値が分からないので、どうしても保守的に過大な金額をオンバランスしがちである。それが正規の会計処理を経て監査も受けた数値としてバランスシートに計上されることは、非常に大きな意義がある。それは作成者側にとってもベネフィットがある。すなわち、アナリストが勝手に調整した金額ではなく、経営者がちゃんと確認した数字がオンバランスされ、自ら説明可能なものとなる。そして通常これまでアナリストが独自に調整していた金額よりも小さい金額になる。
そして何よりも会計基準としての首尾一貫した整合性の問題がある。リース取引をどう会計処理するのが、概念として正しいのか。それをしっかり詰めて議論した上で、オンバランスすることが会計理論上からも、経済的な観点からも正しいという結論に達したのであれば、コストがかかったとしても改善を実行し、財務諸表をあるべき姿にすべきである。アナリストが調整していても財務諸表の数値が変わらなければ、やはり数字は独り歩きし、誤った投資判断がなされる可能性がある。改善を実行することによって、投資家にはより正確な情報が与えられて、より合理的な投資判断がなされる。そのことによって社会・経済全体の合理性は向上するはずで、社会・経済全体という大きな視点からは必ずベネフィットがあるはずである。
全ての企業への強制が必要か
では仮に、全てのリース債務はオンバランスすることが会計理論上正しく、基準を修正して全てのリース債務のオンバランスを要求することが、経済全体のベネフィットにつながるとした場合、それを実現するための効率性というものは、考えなくて良いのであろうか。
効率性を考えるための一つの方法が、前稿で述べた少額リースや短期リースの適用免除である。リース会計が厄介な会計だと思われているのは、一件ごとの件数が比較的小さいが、合計するとそれなりの金額になるので、財務諸表の利用者の判断を変える可能性があることだ。したがって、効率性という観点からは一定の閾値を設けた少額リースや短期リースの適用免除は大変有効である。
しかし、それ以上に有効なのが財務諸表全体に対する重要性の判断であろう。そして、その重要性の判断はどのようになされるべきか、ということが極めて大事な意味合いをもつ。それはこのリース会計という会計基準が、基準のつくり手であるIASBの狙いどおりに機能し、社会・経済全体に対してより有益なものとなるかどうかの分水嶺を決めるものになる。
基準のつくり手であるIASBの狙いは、上述のとおり、基準の改善により、投資家の合理的な投資判断が促進され、社会・経済全体の合理性の向上である。多少の社会的コストがかかっても、社会・経済全体という大きな視点のベネフィットを達成できるはずという思いである。
一方で、もう一人のつくり手である、財務諸表のつくり手である作成者の立場からはどうか? 作成者と言ってもさまざまな産業、さまざまなビジネススタイル、さまざまな規模の企業の作成者がいるということを忘れてはならない。企業によっては重要な経営資源確保の手段としてリース取引を最大限に活用している会社もあれば、リースはほとんど利用していないという会社もある。また、重要な経営資源確保の手段としてリース取引を最大限に活用している会社でも、会計処理上、それらのリース取引については既にファイナンスリースを適用してオンバランスにしていて、オフバランスになっているオペレーティングリースの取引金額はあまり多くないという会社もたくさんある。
全てのリース取引はファイナンスであるということに理論的正当性はあったとしても、ファイナンスが目的ではなく、あくまでもリースの利便性にのみ着目してリース契約をしている会社は多い。契約の意図に拘わらず、契約の実質的効果という意味で、ファイナンス取引としなければならないという基準のつくり手の立場は理解できたとしても、問題はそういった会社が行っているリース取引が、投資家の判断に影響を与えるほどのものであるのかという事である。
2013年秋頃であったかと思う。当時リース事業協会の会長会社であった、東京センチュリーの浅田会長(当時社長)が、IFRS財団のアジア・オセアニア・オフィスにお見えになられた。その際に熱弁された浅田会長(当時社長)のお言葉がいまだに忘れられない。私の記憶が正しければ、浅田会長(当時社長)は概ね以下の趣旨のことをおっしゃられた。
「今回のリース会計基準の改訂の目的は十分理解できる。大きなファイナンスをリース取引として、オフバランスにして、投資家の判断をミスリードしているような会社は実際にあり、それを是正する必要はあるだろう。しかし、そういった会社は実は一握りではないのか。そういう一握りの会社を把握する為だけに何十万、何百万の会社を巻き込まなければならないのか。何十万、何百万もの会社、一つ一つにそれぞれ何千というリース契約があるとするならば、その社会的コスト膨大である。ベネフィットは、本当にその膨大なコストを上回るのか。基準設定主体(基準のつくり手)は本来基準の改訂によって期待される効果を、事前に統計的に把握して、判断すべきではないのか。」
ここでの視点は対象会社そのものの、全体に対する重要性である。その会社が重要であるかないかではない。そうではなく、基準の効果という観点から、リース会計基準の変更そのものが必要ではない会社があるのではないかという視点である。あるいは、最初からリース会計のことは考えなくても良いという会社があるのではないかという視点である。もう一つ重要な視点は、会計基準変更によって期待される効果を、事前に統計的に把握出来ているのかという指摘である。
統計的資料のインパクト
実はIASBでも、FASBでも浅田会長(当時社長)がおっしゃったような統計的資料は持ち合わせていなかった。一般的に会計基準変更の効果を事前に統計的に把握するのは難しいと思われている。会計基準の変更が適用された後、数年経過した後に実証研究という形で捕捉することは可能であったとしても、基準を変更する前に統計的に把握するのは困難である。したがってIASBでは、会計処理がどのくらいの効果を与えるかについては、あらゆる分野の市場関係者からヒアリングをし、よく話を聴いたうえで総合的に判断するのであるが、最後の決断は実際に投票権を持っている理事たちの個人的経験に基づく勘に頼っているところがあったと言ってもよい。
ところが、リース会計基準については注記データがある。上場企業の注記データを集計すれば、かなりの合理性を持って基準変更のインパクトを推計できるのではないかという提案が、当時東京センチュリーの実務のリーダーをされていた、現在の平崎常務から提案があった。お言葉に甘えて、集計作業をお願いした。ただ、やる以上は、基準変更の効果について明確な分析が出来るようものにしなくてはならない。さらに日本の企業のデータでは説得力がないので、欧州、米州を中心としたデータでなくてはならない。この為、データベースを取得することから作業は始まり、作業は膨大となった。IASBの会議に間に合わせるために徹夜に近い作業を何日かしていただいたと聞く。
しかし、その作業によってこれまで見えていなかったものが、明確に見えて来た。次稿以降で詳しく分析したい。
以 上
本記事に関する留意事項
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