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第13回 気候変動の影響(その1)

月刊誌『会計情報』2021年3月号

国際会計基準(IFRS)―つくり手の狙いと監査

前 国際会計基準審議会(IASB)理事 鶯地 隆継

IASBと気候変動

地球温暖化については1990年代初頭から問題提起が活発化し、1997年の京都議定書で一つの大きな進展を見せ、さらに2016年のパリ協定によって具体的なゴールが明確化された。地球温暖化は人類にとって最大の課題であり、政策の総動員が必要であると言われている。就中、産業活動を担っている民間企業の行動変化が重要であるという共通認識の下、その行動変化を促進する一つの手段として、企業報告改革がある。すなわち企業報告の中に温暖化対策の取り組みの開示を求め、それによって投資家をはじめとするステークホールダーによって何らかの差別化が行われることを想定する。そして、その差別化を意識した企業が、実際に温暖化対策により真剣に取り組んで行くという連鎖が起こることを期待するという流れだ。

ただし、気候変動への取り組みを含めて、企業の行動規範に関する企業報告は財務報告の範囲を超えるので、会計基準設定を行っているIASBがリーダーシップをとれるものでもない。このためIASBは、少なくとも私が理事に在任していた一昨年頃までは、財務報告以外の領域について、何らかの基準を積極的につくって行こうという姿勢は、実はあまりなかった。

しかし、パリ協定が確定してから各国の政策当局が具体案の作成に取り組み始めた。とりわけEUは積極的な政策活動を活発化して、循環型経済行動計画である欧州グリーンディールの公表に繋がっていく。そのような動きの中で、IFRSを国際標準として定着させた実績のあるIFRS財団が、何らかの役割を果たすべきであるという国際的な期待が強まってきた。その期待に応えるべく、IFRS財団は昨年9月に「サステナビリティ報告に関する協議文書」を公表した。(詳細は『会計情報』2020年12月号―IFRS財団からの画期的な提案は、サステナビリティ報告のためのグローバル基準を提示する― トーマツIFRSセンター・オブ・エクセレンス)

この協議文書の趣旨は、現行のIFRS基準に加えて何らかの基準を策定することが必要かということを尋ねている。一方で、現行のIFRS基準の要求事項の中にも、気候変動が企業の財務状態に与える影響を織り込むべきものはすでにある。これについて、IFRS財団が協議文書を公表するに先立つ2019年11月にIASB理事の一人であるニック・アンダーソン理事が「IFRS Standards and climate-related disclosures (IFRS基準と気候に関連する開示)」という記事を公表している。この記事は、当初はあくまでIASBの1理事の個人的見解という形で公表されたが、IASBは後の2020年11月にこのニック・アンダーソン理事の文書をベースに正式な教育文書「Effects of climate-related matters on financial statements (気候に関連する事項の財務諸表への影響)」という文書を公表している。これら2つの文書はいずれも企業がIFRS財務諸表を作成するうえで考慮すべき点を明確にしたものであって、気候変動について特別に新たな要求事項やガイドラインを設けようとするものではない。

今回は、何回かに分けて、ニック・アンダーソン理事の文書と、IASBの教育文書を紹介し、現行のIFRS会計基準を作成するにあたって、気候変動の影響をどのように反映させるべきかについて考察する。なお、以下はニック・アンダーソン理事の文書の趣旨をできるだけ忠実に記載したものとなるが、全訳ではなく、筆者の解釈も含めた筆者の理解に基づく文章である。

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ニック・アンダーソン理事による文書

公表に至った背景

本文書の公表に先立つ2019年4月にAustralian Accounting Standards Board(AASB:オーストラリア会計基準審議会)ならびにオーストラリア政府のAuditing and Assurance Standards Board (AUASB:監査及び保証基準審議会)が、共同文書として「気候関連及びその他の新たなリスクに関する開示」を公表した。この文書はリスクを開示するにあたって、IASBが公表した実務記述書第2号「重要性の判断の行使」に基づいた重要性の判断を行うべきであることを述べている。焦点となるのは、リスクの定量的なインパクトよりもむしろ、質的な外的要因と投資家の期待との関係であり、その点を踏まえた開示が重要であるとしている。ニック・アンダーソン理事はこのオーストラリアの文書を踏まえて、投資家や財務諸表のアナリストがIFRSの要求事項や重要性の判断基準がどのように適用されているのかを理解するのに役立つ文書を公表しようと考えた。したがい、ここに紹介する文書は投資家やアナリストがIFRSによって作成された財務諸表を理解するための一助となることを期待して作成されたもので、必ずしも作成者のためのガイダンスではない。しかし、投資家やアナリストか何を期待して財務諸表を読んでいるかを理解することは、すなわち、そのまま作成者のガイダンスになると言ってよい。

ニック・アンダーソン理事は以下の項目について持論を展開している。

① 重要性の判断の行使

② 気候関連及びその他の新たなリスクに関する重要性の判断の行使

③ 財務諸表での留意点

④ 気候関連及びその他の新たなリスクに関する開示

⑤ 経営者による説明

⑥ 重要性の判断は投資家の求める情報ニーズに応えているか

 

①重要性の判断の行使

財務諸表の主たる利用者は、作成者が財務諸表を作成する際に重要性の判断を適切に行使していることを前提として財務諸表を見ている。しかし、実際には作成者は重要性の判断を適切に行わず、IFRS基準の要求事項をあたかもチェックリストとして扱っている。このため有用でない情報が溢れている反面、重要な項目については情報が十分に開示されていないという事態を招いている。そのようなことを避けるために実務記述書第2号が作成された。この実務記述書は、企業が気候関連及びその他の新たなリスクについての重要性を判断するのにも、そのまま活用することが出来る。

 

②気候関連及びその他の新たなリスクに関する重要性の判断の行使

気候関連及びその他の新たなリスクについては、財務諸表以外において議論されることが多い。しかし、実際には質的な外部要因、たとえば企業の属する産業セクターにおける問題や、投資家が何を期待しているのかといったことが、財務諸表や、財務報告における開示に影響を及ぼすことがある。しかもそれは金額的なインパクトとは関係なく、重要なことがある。現在の投資家にとって気候変動の影響が非常に関心の高い問題であったとするならば、企業も財務諸表を作成する段階から、その点を考慮に入れて重要性の判断をする必要がある。たとえば、一般的に気候変動の影響を受けやすい産業分野に属する企業が資産の減損処理の要否を判断するにあたって、気候変動の影響があるのかないのかは、金額の重要性にかかわらず、開示する必要があるかもしれない。なぜなら、投資家はそこに関心をもっているからである。実務記述書第2号には、具体例が示されている。実務記述書の適用は任意であるが、投資家やアナリストは、企業が実務記述書第2号に書かれているような重要性の判断の行使をしていることを期待している。

したがい、企業が財務諸表を作成するにあたっては、次のことを考慮に入れるだろう。

  • 投資家が、気候関連のリスクを含むその他の新しいリスクが会社の財務データや開示に影響を与えるだろうと考えているのかどうか。そして投資家が投資判断を行うに当たってそれが重要だと考えていることを示しているのかどうか。
  • 気候関連のリスクを含む新しいリスクの影響について、財務諸表作成時に想定した条件(アサンプション)に基づいた、どんな情報が重要で、よって開示されなければならないか。

尚、非財務情報で十分に開示を行ったからと言って、財務諸表に織り込むことや開示をすることの義務が軽減されるわけではない

 

③財務諸表での留意点

ニック・アンダーソン理事は気候関連ややその他の新たなリスクが潜在的に財務諸表に影響を与える項目として以下のものを挙げている。

  • のれんを含む資産の減損
  • 資産の耐用年数の変化
  • 資産の構成価値の変化
  • コストの増加や需要の減少などによる資産の減損金額算出への影響
  • コストの増加や需要の減少などによる不利契約引当額の変化
  • 罰金やペナルティなどの偶発債務のための引当額の変化
  • 貸付金やその他の金融商品の予想信用損失の変化

以下のテーブルは、財務諸表に認識するかどうかの重要性の判断を行う際に、気候関連及びその他の新たなリスクを考慮に入れなければならないと要求している可能性のある具体的なIFRS基準である。

尚、冒頭で述べた通り、後にIASBはこのニック・アンダーソン理事の文書をベースに正式な教育文書を公表しており、具体的な基準の要求事項はその教育文書においてより詳しく記載されている。後の稿でその教育文書を紹介するので、詳細はそこで解説したい。ここでは、ニック・アンダーソン理事が伝えたいと考えていたポイントだけを整理する。

該当するIFRS基準 気候関連またはその他の新たなリスクが財務諸表に与える影響

IAS第1号「財務諸表の表示」

IAS第1号は、財務諸表の他のどこにも表示されていないが、財務諸表を理解する上で重要なものは、要求事項になるとしている。たとえば、IAS第36号に具体的に気候変動の影響を考慮せよと記載がなくても、重要であるならば、考慮することが求められる。

IAS第36号「資産の減損」

減損会計の計算をする際に、もし、企業が気候関連のリスクを全く考慮に入れていなかったら、その資産は過大表示されている可能性がある。

IAS第36号はキーとなったアサンプションを開示することを求めている。とりわけのれんや期日の定めのない無形資産のキャッシュフロー計算をする際には重要である。投資家は企業がそのような計算をする際に、気候関連のデータを考慮に入れたかどうかを特に気にするだろう。

IAS第16号「有形固定資産」

気候関連のリスクが、ある支出を資産として認識すべきかどうかという判断に影響する可能性がある。また、耐用年数や、償却方法にも影響を与える。

IFRS第13号「公正価値測定」

公正価値測定に当たってはいくつかのシナリオ分析が必要である。そのシナリオの中には潜在的な法律や規制の変更も含まれる。従い企業はそういったことが公正価値の計算にどう影響するかを開示しなくてはならない。

IFRS第9号「金融商品」
IFRS第7号「金融商品:開示」

IFRS第9号による金融商品の予想信用損失モデルでは、銀行は貸付先のビジネスが気候リスクの影響をどのくらい受けるかを予測し、それを考慮に入れければならない。保険会社は気候変動による保険価格(再保険など)リスクを考慮に入れなくてはならない。

IFRS第7号により、それらのリスクへのエクスポージャーと、それをどうマネージするかについても開示しなくてはならない。

IAS第37号「引当金、偶発負債及び偶発資産」

企業は偶発債務の性質、ならびにその不確実性のについての説明が求められる。気候関連のリスクはその見積もりの重要な要素になるので、重要なアサンプションの開示などが求められる。また、規制などが将来変更されることによる、廃炉や工場移転、あるいは鉱山閉鎖など資産除去債務への影響がある。

 

以上のテーブルは必ずしも網羅的なものではない。ここでニック・アンダーソン理事が強調したかったのは、「現行のIFRSの要求基準の中で気候変動に関連しての開示を明示した部分はほとんどないが、実際にはすでに要求事項になっている」ということである。それは、投資家が気候関連リスクに重大な関心をもっているからである。

気候変動のリスクをどのように扱うかは、重要性の判断の行使にかかっており、それは次稿で具体的にふれていく。

以上

本記事に関する留意事項

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