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第15回 気候変動の影響(その3)

月刊誌『会計情報』2021年5月号

国際会計基準(IFRS)―つくり手の狙いと監査

前 国際会計基準審議会(IASB)理事 鶯地 隆継

IFRS教育的資料

IFRS財団は市場関係者のIFRS基準に対する理解を深めるために教育的資料(Educational Material、教育的文書又は教育文書と訳す場合もある)という文書を不定期に公表している。IFRS財団のデュー・プロセス・ハンドブックには、教育的資料が基準の地位を有さず、基準の要求事項を追加又は変更することはできないものであること、また、教育的資料の作成は公開の会議では行われず、基準の開発について行われる公開の吟味(公開草案に対するコメントの受付など)の対象とならないことが明記されている。したがい教育的資料は強制力を伴う権威的な文書ではなく、具体的な実務に影響を与えるような新たな要求事項を含まないものである。よって、発効日はない。

具体的な教育的資料とは、IFRS基準の要求事項のハイレベルの要約や、基準の要求事項を説明する、より詳細な資料や研修用資料、ならびに基準の要求事項が特定の取引又は他の状況にどのように適用される可能性があるのかを説明又は例示する資料(要求事項が特定の事実パターンにどのように適用される可能性があるのかを示す設例など)である。ただし、IFRS財団が公表する教育的資料は、内部的な一定の品質保証のプロセスを経て初めて公表されるものであるので、権威的な文書ではないものの、信頼できる文書であると言ってよい。したがい、実務を行う上では大いに参考にすべきものである。教育的資料のメリットは、ある具体的な課題に関して、関連するIFRS基準は何か、どの基準のどの条文を見て判断をくだすべきかということについて詳しく書かれている。実務の立場からすれば、どの条文を押さえなければならないかが明確になる、便利なものである。

ニック・アンダーソン理事が「IFRS基準と気候に関連する開示」という文書を2019年11月に公表してから約1年後の2020年11月にIFRS財団は「気候関連問題が財務諸表に与える影響」という教育的資料を公表した。気候関連問題を直接取り扱ったIFRS基準はない。しかし、もし、気候関連問題に重要性があると企業が判断をするのであれば、現行のIFRS基準にある要求事項にもとづいて企業は気候関連問題の影響を認識・測定又は開示をしなければならない。2020年11月に公表された教育的資料は、その際に考慮しなければならない基準の条文をリストにし、解説している。

この教育的資料にリストにされた条文にはどこにも、気候変動問題があった場合には、こういうことを認識・測定ないしは開示しろといった要求事項はない。しかし、気候関連問題が財務諸表利用の最大関心事となっている現在、その前提で基準を読み直せば、気候関連問題について相応のアクションが必要であることがわかる。教育的資料はそういったものをリストアップしている。まさに、基準のつくり手がどういった意図で基準を書いたのかが具体的に分かるような資料となっている。したがい、この教育的資料は本稿の趣旨に沿ったものでもあるので、少し具体的に、筆者個人の見解も交えて詳しく解説したい。(IASBのオリジナル資料は以下のサイトからアクセスできる。)https://cdn.ifrs.org/-/media/feature/supporting-implementation/documents/effects-of-climate-related-matters-on-financial-statements.pdf?la=en

563KB, PDF ※PDFダウンロード時には「本記事に関する留意事項」をご確認ください。

IAS第1号「財務諸表の表示」の基本的な考え方

2020年11月に公表された教育的資料(以下、資料)は、IAS第1号の基本的な考え方がベースとなっている。これまでの稿で解説したことの繰り返しとなるが、まず「重要性がある」という言葉の意味を押さえておかねばならない。IAS第1号には「重要性がある」という言葉の定義がある。

『情報は、それを省略したり、誤表示したり覆い隠したりしたときに、特定の報告企業に関する財務情報を提供する一般目的財務諸表の主要な利用者が当該財務諸表に基づいて行う意思決定に、当該情報が影響を与えると合理的に予想し得る場合には、重要性がある。(IAS第1号、第8項)』

資料はこの定義に基づき、気候関連問題が企業にとって「重要である」と考えられる時には、それを考慮しなければならないと強調している。その上でIFRS基準の中でそのような考慮が必要となる具体的な条文をリストアップしているが、必ずしもそれらが全てではなく、他の要求事項なども考慮にいれなければならない場合もあるとしている。

その上で資料は、IAS第1号の基本的考え方として、以下の条文を示している。


『注記は、次のことを行わなければならない。

(a)第117項から第124項に従って、財務諸表の作成の基礎及び使用した具体的な会計方針に関する情報を表示する。
(b)IFRSで要求している情報のうち、財務諸表のどこにも表示されていないものを開示する。
(c)財務諸表のどこにも表示されていないが、財務諸表の理解への目的適合性がある情報を提供する。(IAS第1号第112項)』

この条文の(b)(c)にあるとおり、IAS第1号は財務諸表の理解への目的適合性がある情報を注記で記載することを求めているのである。したがい、そのような情報が財務諸表に記載されていなければ、その財務諸表はIAS第1号の要求を満たしているという事にはならない。ただし、その大前提になるのはその情報に重要性があるということである。

『いくつかのIFRSは、財務諸表(注記を含む)に記載することが要求される情報を定めている。企業は、IFRSで要求されている具体的な開示がもたらす情報に重要性がない場合には、当該開示を提供する必要はない。これは、IFRSが具体的な要求事項のリストを記載している場合や、最低限の要求事項として記述している場合であっても、同じである。また、企業は、IFRSにおける具体的な要求事項に準拠するだけでは、特定の取引、その他の事象及び状況が企業の財政状態及び財務業績に与えている影響を財務諸表利用者が理解できるようにするのに不十分である場合には、追加的な開示を提供すべきかどうかも検討しなければならない。(IAS第1号第31項)』

このようにして、2つの条文を見比べると、「重要性がある」の判断がいかに大切であるかが分かる。そしてさらに以下の2つの条文は、「重要性がある」の判断はIFRS財務諸表作成の上で、全てのことに影響をするものであることを、示している。

『企業は、重要な会計方針又は他の注記とともに、見積りを伴う判断(第125項参照)とは別に、経営者が当該企業の会計方針を適用する過程で行った判断のうち、財務諸表に認識されている金額に最も重要な影響を与えているものを開示しなければならない。(IAS第1号第122項)』
『企業の会計方針を適用する過程で、経営者は、見積りを伴う判断のほか、財務諸表に認識する金額に大きく影響する可能性のあるさまざまな判断を行う。(後略)(IAS第1号第123項)』

こう見ていくと、IFRS基準がどうであれ、現時点で「重要である」と判断されるものを無視してはならないというのが、IAS第1号の基本的考え方なのだということが分かる。これは、財務諸表のつくり手にとってはかなり厳しい考え方である。というのも、「重要性がある」の判断は、利用者が重要と考えるものを指すので、企業が勝手に判断をしてもそれが受け入れられるとは限らない。現在のように気候変動問題が利用者の最大関心事になっている時には、それは既に重要性がある。そして、自分の企業に影響はないと判断したとしても、どうして影響がないと判断したのかという情報が重要になる。したがい、いまやほとんどすべての企業にとって、気候変動問題を全く無視することは難しいと考えるのが妥当であろう。

 

見積りの不確実性の発生要因

気候変動の問題が財務諸表作成において大きな影響を与える可能性があるのが、将来の見積もりの仮定についてである。IAS第1号は、見積もりの仮定を設定する際に考慮したリスクについての詳細な開示を求めている。

『企業は、報告期間の末日における、将来に関して行う仮定及び見積りの不確実性の他の主要な発生要因のうち、翌事業年度中に資産及び負債の帳簿価額に重要性がある修正を生じる重要なリスクがあるものに関する情報を開示しなければならない。当該資産及び負債に関して、注記には次の事項の詳細を記載しなければならない。

(a)その性質
(b)報告期間の期末日現在の帳簿価額(IAS第1号第125項)』

この条文は、気候変動問題が、企業が財務諸表を作成する際に用いた見積もりの仮定の不確実性を発生させる要因であって、かつ、その不確実性によって見積もりに修正が入り、結果として翌事業年度の資産・負債の金額に影響を与えるリスクがあれば、その、資産・負債の性質や金額について開示しなければならないことを意味している。たとえば、一定の気象条件を前提にした収穫量などをベースに見積もった将来キャッシュ・フローは、気象条件が大きく変わればその見積もり金額が大きく変わり、よって翌事業年度の資産・負債に影響を与えるリスクがある。そういった場合、この条文が要求する開示が必要になる。

もちろん、条文の中にも繰り返し重要性があるという言葉が織り込まれているとおり、この開示は、そのようなリスクに重要性がある場合に限られる。したがい、天候にあまり左右されないビジネスを行っている企業は、この条文が気候変動問題と結びつく可能性は低いかもしれない。しかしながら、気候変動は長期的なものであり、例えば企業が長期資産の減損や廃炉費用(decommissioning)の負担を計算しなければならない場合は、大きな不確実性があり、長期的な気候変動がその計算金額に重要な影響を与える可能性は十分ある。その場合、企業が属している産業分野が、気候変動問題への全世界的な対応の流れの中で、どういう位置づけにあるのかを見通して、それが長期的な資産・負債にどのような影響があるのかを、適切なシナリオに基づいて考慮しなければならない。

また、重要性がないからといって、何も書かなくてよいという事にはならない。というのもIAS第1号は見積もりの不確実性の発生要因について行う判断について、開示することを求めているからである。

『企業は、第125項の開示を、経営者が将来について及び見積りの不確実性の発生要因について行う判断を財務諸表利用者が理解するのに役立つ方法で表示する。提供される情報の性質と範囲は、仮定の性質及びその他の状況に応じて変わってくる。企業が行う開示の種類の例として、次のようなものがある。

(a)仮定又はその他の見積りの不確実性の性質
(b)帳簿価額の、その計算の基礎となる方法、仮定及び見積りに対する感応度(その感応度の理由を含む)
(c)不確実性についての予想される解消方法、及び翌事業年度中に合理的に生じる考え得る結果の範囲(影響を受ける資産及び負債の帳簿価額に関して)
(d)当該資産及び負債に関する過去の仮定について行った変更の説明(その不確実性が未解消のままである場合)(IAS第1号第129項)』

この条文について、つくり手であるIASBが強く意識したのは、情報の非対称性の解消である。作成者である経営者は自らの企業を取り巻く環境について、一番よく理解をしており、その理解に基づいて見積もりの仮定を置き、その仮定によって資産の減損などの見積金額を計算する。したがい、見積もりの仮定によって、資産・負債の金額は大きく左右される。しかし財務諸表の利用者は、企業を取り巻く環境について、作成者である経営者とは異なる認識を持っているかもしれない。このため、財務諸表の利用者にとって企業が設定した仮定に妥当性があるのかどうかは非常に大きな関心事であり、それを理解するための判断材料が必要である。この条文は、「財務諸表利用者が理解するのに役立つ方法で表示する」とあり、かつ、「提供される情報の性質と範囲は、仮定の性質及びその他の状況によって変わってくる」とある。したがって、利用者の関心が変われば、それに応じた開示が必要になるのである。気候変動問題についてこれだけ利用者の関心が高まっている中で、企業がその影響について重要性がないと判断したのなら、どうして重要性がないと判断したのかを利用者は知る必要があり、企業は具体的にどういう仮定を設定したのかの開示をする必要がある。

 

継続企業の前提(ゴーイング・コンサーン)

IAS第1号の第25項、26項には継続企業の前提、いわゆるゴーイング・コンサーンの規定がある。気候変動問題は比較的長期的な問題であるため、気候変動問題が直接に継続企業の前提に影響することは少ないように感じられるかもしれないが、必ずしもそうではない。

『(前略)当該企業の継続企業としての存続能力に対して重大な疑義を生じさせるような事象又は状態に関する重要な不確実性を発見した場合には、企業はその不確実性を開示しなければならない(後略)(IAS第1号、第25項)』
『継続企業の前提が適切かどうかを検討する際に、経営者は、将来(少なくとも報告期間の期末日から12か月は必要であるが、それに限定されない)に関するすべての入手可能な情報を検討しなければならない(後略)(IAS第1号第26項)』
この25項にある「重要な不確実性」ならびに26項に記載のある「すべての入手可能な情報を検討しなければならない」という記述は、基準のつくり手であるIASBが、相当幅の広い可能性を想定していることを意味する。また、「(少なくとも報告期間の期末日から12カ月は必要であるが、それに限定されない)」という記述は、考慮する期間がかなりの長期的なものも含みうるという事を意味する。ここで重要なのは、気候変動問題そのものが直接的に企業に影響を与える事象だけではなく、政府や規制機関が気候変動問題への対策の為に新たな規制や、企業に対する課税、罰金などの措置を講ずる可能性も考えなくてはならないということだ。仮に、政府が環境問題対策の為にある製品の使用を数年以内に禁止することを公表したとし、その製品が財務諸表を作成している企業の主力商品であった場合には、その継続企業の前提に大きな影響を与えるかもしれない。

尚、継続企業の前提については、IASBはコロナ禍における対応を念頭に、別途、教育的資料を公表している。その教育的資料も気候変動問題に関するこの資料と同様に、基準の要求事項を追加又は変更するものではない。(その教育的資料には以下のサイトからアクセスできる。)
https://cdn.ifrs.org/-/media/feature/news/2021/going-concern-jan2021.pdf?la=en

 

その他のIFRS基準

資料はIAS第1号だけではなく、気候変動問題が影響する可能性のあるその他のIFRS基準についてもリストアップしている。資料がリストアップしている基準は以下のとおりである。

IAS第2号「棚卸資産」
IAS第12号「法人所得税」
IAS第16号「有形固定資産」
IAS第38号「無形固定資産」
IAS第36号「資産の減損」
IAS第37号「引当金、偶発負債及び偶発資産」
IFRS第7号「金融商品:開示」
IFRS第9号「金融商品」
IFRS第13号「公正価値測定」
IFRS第17号「保険契約」

次稿以降で順次解説していく。

以 上

本記事に関する留意事項

本記事は皆様への情報提供として一般的な情報を掲載するのみであり、その性質上、特定の個人や事業体に具体的に適用される個別の事情に対応するものではありません。また、本記事の作成または発行後に、関連する制度その他の適用の前提となる状況について、変動を生じる可能性もあります。個別の事案に適用するためには、当該時点で有効とされる内容により結論等を異にする可能性があることをご留意いただき、本記事の記載のみに依拠して意思決定・行動をされることなく、適用に関する具体的事案をもとに適切な専門家にご相談ください。

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