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第16回 気候変動の影響(その4)気候変動と見積りの不確実性

月刊誌『会計情報』2021年6月号

国際会計基準(IFRS)―つくり手の狙いと監査

前 国際会計基準審議会(IASB)理事 鶯地 隆継

気候変動が財務諸表に直接的に影響を与える可能性があるのは、財務諸表の数値に見積りの要素が含まれる場合である。気候変動の影響は企業の長期的な成長戦略や、あるいはステークホルダーへの説明責任の観点から、非財務情報において開示されるものが多いが、非財務情報と財務情報とに整合性があるのかといった観点からも、気候変動が財務諸表に直接影響を与える可能性のある部分については、しっかり押さえておかなければならない。

財務諸表に見積り要素が含まれるのは、今に始まったことではない。しかし、昨今の気候変動に対する注目度を考慮すれば、改めて、IFRSにおいて見積りの要素が含まれる基準を再確認し、その見積りにおいて気候変動の要素を考慮すべきかについてチェックを行う必要がある。その際にIFRS財団が2020年11月に公表した「気候関連問題が財務諸表に与える影響」という教育的資料(以下、資料と呼ぶ)は、IFRS基準において見積りの要素が含まれるものをリストアップし、それぞれの項目について注意すべき要素について述べられているので、実務上有益なものであると思う。

ただし、見積りの要素があるからといって、全てに気候変動の影響が及ぶ訳ではない。ポイントになるのは見積りの不確実性がどの程度あるのかという点である。IFRSの概念フレームワークには、財務諸表利用者が行う経済的意思決定では、現金及び現金同等物を創出する企業の能力及びその創出の時期及び確実性に関する評価が必要になるとある。したがい、財務諸表の中に見積りの要素が多く含まれることが前提の上で、その確実性についての情報が重要となる。見積りにおいては、可能性があるからといって、あらゆる悲観的要素を織り込んだ見積りを作成することがベストではなく、最も確実性が高い見積りを行うのが基本である。ただし、もし、その見積りに不確実性があるのであれば、その情報も併せて開示しなければならないというのがポイントで、そのことにより投資家が「確実性に関する評価」を行うことができるようになる。

気候変動については、実際にどのような変化が、いつ、どの程度起こるのか誰も確実なことは言えない。また、強力な気候変動対策や、消費者の行動変容がいつ起きるかも分からない。したがって、見積りの中に、そのような不確実性がどのくらい含まれるかについて、想像力を働かせ、そして財務諸表の読者と適切なコミュニケーションを図ることが大事になってくる。

資料において、リストアップされた基準は以下のとおりである。

IAS第1号「財務諸表の表示」

IAS第2号「棚卸資産」
IAS第12号「法人所得税」
IAS第16号「有形固定資産」
IAS第38号「無形資産」


IAS第36号「資産の減損」
IAS第37号「引当金、偶発負債及び偶発資産」
IFRS第7号「金融商品:開示」
IFRS第9号「金融商品」
IFRS第13号「公正価値測定」
IFRS第17号「保険契約」

本稿では、四角枠の中の基準について説明する。

531KB, PDF ※PDFダウンロード時には「本記事に関する留意事項」をご確認ください。

IAS第2号「棚卸資産」

資料では、IAS第2号の第28項から第33項を留意すべき項として挙げている。紙幅の関係で条文を掲載は出来ないが、第28項には棚卸資産が損傷、ないしは陳腐化した場合、あるいは、見積原価や販売に要する費用が増加した場合などに、棚卸資産の原価が回収可能でなくなることが述べられ、第29項から第33項にかけては、その評価減の方法についての具体的な手順が記載されている。

資料では、これらの見積りの際に気候変動の影響も考慮する必要があるとしている。なお、資料にはその具体例は記載されていないが、筆者が思いつく限りでも、気候変動に対する新たな規制によってその素材の販売が禁止されるリスク、消費行動の変化によって製品が陳腐化するリスク、製品に使用する資材が気候変動によって入手困難になり、原価が高騰するリスク、あるいはもっと直接的に気温などによる在庫のダメージのリスクなどがある。

 

IAS第12号「法人所得税」

資料では、IAS第12号の第24項、第27項から第31項、第34項、そして第56項を留意すべき項として挙げている。第24項には、繰延税金資産は、将来減算一時差異を利用できる課税所得が生じる可能性が高い範囲内で、すべての将来減算一時差異について認識しなければならないとあり、課税所得が生じる可能性が高い範囲内でという制約がある。第27項以降は、課税所得の将来見積りに関しての具体的な範囲などについての詳しい規定がある。繰延税金資産・負債を計上するに当たっては、課税所得についての税法上の制限、期間、同一の税務当局および同一の納税企業であることなど、さまざまな要素を考慮に入れたタックス・プラニングが重要であることが述べられている。資料では、課税所得の将来見積りについて、気候変動の影響を考慮すべきであると指摘している。たとえば、気候変動によって、将来課税所得が大きく下振れするような可能性がある場合には、当然繰延税金資産に影響がある。

なお、資料には具体例は記載されていないが、筆者が思うに、気候変動に係る規制では当局が税法をその手段として利用することもよくある。炭素税のような直接的なものあれば、設備投資に対する優遇税制であったりする場合もある。優遇税制は企業にとって好ましいが、繰延税金資産に対する影響もあり得る。このように、気候変動というひとつの不確実性の要因を考慮するに当たっては、単にその事象一つを捉えるのではなく、それによる様々な影響を、きめ細かく見ていかなければならない。

 

IAS第16号「有形固定資産」

資料では、IAS第16号の第7項、第51項、第73項、そして第76項を留意すべき項として挙げている。第7項には有形固定資産を資産として認識する際の条件が示されている。第7項によれば、有形固定資産項目の取得原価は、当該項目に関連する将来の経済的便益が企業に流入する可能性が高く、かつ当該項目の取得原価が信頼性をもって測定できる場合に限り資産として認識しなければならない。

まず、重要なのは資産性の有無である。有形固定資産の場合、物体としての物理的存在があるので、税法の影響もあって、取得金額に一定の重要性があれば無条件で固定資産に計上するような実務的慣行がある。しかし、資産計上する前に、当該項目に関する将来の経済的便益が企業に流入する可能性が高いのかどうかをチェックしなければならない。その点については、有形であろうと無形であろうと原則に変わりはない。無形資産の場合は、無形であるので、その確認が有形固定資産より難しいだけのことである。したがい、固定資産の計上にあたっては、将来の経済的便益が企業に流入する可能性が気候変動によって影響を受けるのかどうかついて判断しなければならない。

資料には具体例はないが、筆者が思いつくのは、気候変動対策として何らかの設備改善工事を行うような場合に判断が必要となる。気候変動対策の場合、その改善工事を行っても生産能力が向上するわけでもなく、むしろ低下する可能性もある。したがって、工事によって直接的な将来キャッシュ・フローは下がることはあっても、上がることはあまりない。こういった場合に、企業にとっての将来の経済的便益とは何か、しっかりと整理しておく必要がある。

続いて、資料は第51項を留意すべき項として挙げている。第51項では、資産の残存価額と耐用年数について、各事業年度末に再検討が必要であるということが記載されている。また、第73項、第76項にはそれの開示についての具体的な要求事項が記載されている。資料では、資産の残存価値や耐用年数に関する見積りについて特に注意を払う必要があるとしている。特に気候変動によって起きる資産の陳腐化、法的な規制や資産へのアクセサビリティが制限されることなども考慮に入れるべきとしている。

資料には具体例の記載はないが、筆者が留意すべきと考えるのは以下のような点である。気候変動の影響が短期的にはあまり大きくなかったとしても、長期的には非常に大きな影響を及ぼす可能性がある。一方で、固定資産の耐用年数には非常に長期間のものもある。そのような耐用年数が長期に亘るような資産の場合、その前提条件が将来根本的に変わる可能性がある。したがって、経営者は前提条件について毎年検証を加えてチェックしなければならない。特に、資産へのアクセサビリティという点では、たとえば鉱山をそれ以上掘ることを禁じられるリスクや、発電所の稼働を止められるリスク、森林などの伐採が禁じられるケースなどがある。現時点では必ずしも現実的ではないようなことも、その資産の耐用年数と比較して判断しなくてはならない。たとえば、耐用年数が60年の施設について、60年後も本当に今の前提状況のままでよいのかという事は真剣に考えなくてはならない。

 

IAS第38号「無形資産」

資料では、IAS第38号の第9項から第64項、第102項、第104項、第118項、第121項、そして第126項を留意すべき項として挙げている。第9項から第64項までは無形資産の認識及び測定について、第102項は残存価額の見積りについて、第104項は耐用年数や償却期間及び償却方法について、第118項以降は開示についての記述である。

ここで特筆すべきは、第9項から第64項までの認識及び測定に関する項のすべてを留意すべき項として挙げていることだ。つまり、それほど無形資産については気候変動の影響を意識しなければならないということである。気候変動の影響との関連について、資料では、概ねIAS第16号で指摘した点と同じ点を指摘している。ただ、それではどうしてIAS第38号では留意すべき項の数が圧倒的に多いのであろうか。その理由について筆者は以下のように考える。

まず無形資産の場合は、対象となる資産が物理的な実体を持たないので、資産の存在を把握するのが困難である。よって、耐用年数や、残存資産の価値についても見積りの難易度が高く、不確実性が高い。また、将来キャッシュ・フローの見積もりについても、そのキャッシュ・フローと無形資産の関係は有形固定資産ほど簡単に確認することは出来ないケースも多い。したがって、気候変動のような基礎的な要因の変化が影響する余地が大きい。次に、気候変動については科学技術による対応が重要になるので、ノウハウ、テクノロジー、ライセンスといった無形資産の重要性が増す。さらに監督当局との法的な許認可といった問題も大きく影響する。このようなことから、無形資産の場合は取得無形資産の他に、自己創出無形資産があって、その場合、資産として認識すべきかどうかの判断が難しい。さらに、無形資産の場合は、企業結合における扱いが有形固定資産よりも困難である。買収におけるPPA(Purchase Price Allocation)においても、無形資産として認識されなければ、買収のれんとなり会計処理が大きく異なる。このように複雑な無形資産の認識と測定のプロセスの中で、見積りと判断の要素は非常に大きく、また、見積りの対象となる期間も長い。よって、資料では無形資産の認識と測定に関するすべての項を留意すべき項としたのであろう。

 

見積りの確実性の評価

このように見ていくと、資産の認識と測定に関しても、気候変動の影響を考慮しなければならないポイントがたくさんあることが分かる。気候変動がどの程度深刻になるのかは誰も分からないので、悲観的シナリオを描けば、財務諸表への影響は限りなく大きくなる。しかし、それでは投資家の投資判断に有用な情報を提供することにはならない。財務諸表の役割は投資家が適切な判断をするための判断材料を与えることなので、気候変動のような長期的でかつ不確実な要素については、過度に悲観的であったり、過度に楽観的であったりする情報を提供することは、あまり意味がない。むしろ、投資家に対しては投資家自らが持つ気候変動の将来予測に照らして、企業の見積りの確実性を評価できるような情報を提供することが求められる。

以上

本記事に関する留意事項

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