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非正規社員の無期化による影響を可視化せよ(後編)

“未来型”要員・人件費マネジメントのデザイン 第3回

本連載では人件費を考える上で重要な複数の観点から、どのように要員・人件費マネジメントに取り組むべきか、ストーリー形式で詳解していく。今回は、契約社員の無期化に向けた検討局面を取り上げながら、人件費の新しい見方を提示する。契約社員を無期化すると、短期的には人件費が上がるように感じるが、中長期的な生産性という観点に着目すると、プラスの効果を見込むことができる。こうした雇用形態変更に伴う費用対効果についての考え方を紹介する。

"工数コスト効率"という考え方

「定量的に、ということは、何らかのKPIを設定して、投資対効果を把握できるようにする必要があるということだよな…」

三浦は以前に、コンサルタントの内海と仕事をした時に説明を受けた、人事ROI(投資対効果)の考え方[図表1]を思い出した。投資対効果、すなわち生産性を考えるに当たっては、インプット(人員数や人件費)とアウトプット(売り上げ、業務量など)の観点から捉えることが重要である、と内海は言っていた。

[図表1]人事ROI(投資対効果)の考え方

「会社全体の生産性という観点でのアウトプットは"売り上げ"でいいと思うけれど、"採用"や"育成"の生産性となると、アウトプットは何を設定するべきだろうか? 採用人数? インプットは、採用担当者の人件費? いや、しかし採用にかかっている"工数"まで含めるとなると、エージェントの紹介で入ってくる人もいるし、パート・アルバイトの採用面接は各店舗で店長が実施しているし…。しかも、プラスの効果で見込んでいる"採用コストの削減"はまだしも、"質の高い人材が採用できるようになる"という効果は、採用人数や採用にかかるコストからだけでは絶対に可視化できないぞ…」

悩んだ三浦は、あらためて内海に相談を持ち掛けた。

「なるほど、三浦さんの悩みポイントはよく分かりました。そうですね…まず、"採用"や"育成"といった要素ごとの生産性の考え方については、三浦さんの考えられているポイントはまさにそのとおりです」

内海が言うには、メインとなるKPIは1人当たり売上高や人件費当たり売上高でよいが、それに加えて、サブKPIとして、採用・育成の効率性だけをモニタリングできるKPIを設定すること、そして、インプットに当たる数値は"工数コスト効率"を用いることが望ましいとのことであった。

「工数コスト効率?」

「そうです。その業務を担当している人の人件費だけでなくその業務を実施するのにかかっているすべてのコスト(=工数コスト)をインプットとして用いる考え方です。例えば、採用の場合であればエージェントへの支払金額やシステム利用料など。トレーニングも、外部業者を使って研修をしている場合には、その金額等を含めて生産性を算出します」

「また、人件費についても、三浦さんが考えられたように、その業務を実施している組織に所属している、もしくは当該業務を担当している人の人件費だけでなく、その"機能"に携わるすべての人の人件費を含めることが必要です。例えば育成であれば、今回は社内スタッフが関わる工数の減少分もモニタリングしたい、ということですので、社内の人材が育成にかけている時間を集計し、その時間数とコスト(時給換算して算出)を含めた工数コストをインプット、育成対象者の人数を、アウトプットを生み出すために必要となる対応の量として分子に置くことで、1人当たりにかけている育成工数コストの推移をモニタリングすることが可能となる、ということです」

「なるほど。その考え方であれば、今回の取り組みのインパクトを可視化することができますね」

三浦は、自分の考えが間違っていなかったことを確認でき、ほっとした表情を浮かべた。

「しかし、外部へ支払っている費用については、費用項目を詳細に確認していけば把握可能ですが、現場で一体どれくらいの工数を育成のために使っているのか、というのを詳細に把握することは現実的には難しい面もありますね…」

「はい。社員がいつ、何の業務を行っているかをすべて可視化できている会社はほとんどありませんから、その懸念は当然です。しかしながら、KPIを設定する際には、正しく把握できないからやらないのではなく、一定の前提条件・ルールを設定した上で、仮の数値でもよいので算出して、まずは定量的に表現してみる、ということが大切なのです。一般的に日本企業は、経営の場面において学術的な正しさまでを追求しがちですが、本来、KPIを通じたモニタリングは、経営にとっての示唆を得ることが目的のはずなのです」

「それはそのとおりですね。分かりました。まずは、どこで誰がどんな工数を使っているのかを洗い出して、何らかの前提条件を設定して、数値を計算してみることにします」

定性効果の定量化

さらに内海はこう続けた。

「もう一つのお悩みの、"質の向上"のような定性的な効果についてですが、これは、直接的に定量化できるものとできないものがあります。そして、直接的に定量化することが難しいものについても、間接的にその効果を定量化してモニタリングすることは可能です」

「間接的に、ですか?」

「はい。例えば、今回の限定正社員制度導入により見込める効果として、"従業員のモチベーション向上"があったと思います。これは、例えば従業員満足度(ES)の調査を行い、その数値をモニタリングすることで、直接的な定量化が可能です。しかし、"採用候補となる人材母集団の質の向上"については、採用応募者全員にテストでも受けさせない限り、直接的に定量化することが難しいため、それ自体をモニタリングすることはできません。ここで考えるべきは、採用できる人材の質が向上すると、次に何が起こるのか?ということです」

そういうと、内海はホワイトボードに次のような図を描き始めた[図表2]。

[図表2]正社員化した場合にかかるコストの変化イメージ

「これは、今回の限定正社員制度導入に伴い想定される効果を樹形図として表したものです。そうですね、"効果の因果ツリー"とでも呼びましょうか。この効果の因果ツリーのうち、例えば今お話に出たモチベーション向上などは、従業員満足度というKPIを用いて直接的に効果を測定できます。しかし、"採用できる人材の質の向上"といった、直接的にはKPI化できない効果については、その次に起こり得る効果が何かを考え、その効果をKPI化できないか、を検討します。この図で言えば、"業務品質向上"や"トレーニング工数の減少"が次に起こり得る効果になりますが、"トレーニング工数の減少"は先ほどお話に出てきたように、定量的な効果として想定されるものそのものです。そして、"業務品質向上"、これ自体も直接的な定量化が難しい要素になりますが、業務品質が向上すると、顧客満足度の向上、ひいては売り上げの向上につながると考えられます。そして、それらの数値は直接的にKPI化が可能な指標なのです」

「さらに言えば、受け入れる既存社員の業務負担の軽減に加え、ストレスの軽減、それによる従業員満足度向上などの効果も考えられます。ただし複雑になりすぎるので、ここではいったん、割愛しておきましょう」

「なるほど。言われてみれば、実際に現場へのヒアリングでは、限定正社員になった社員に対して、常連のお客さまから『最近頑張っているね』と声をかけられたという話を聞いています。それは、本人のモチベーションが上がったことの結果として、業務品質や顧客に対して何らかの影響を与えたことの表れだと言えますね。確かに、こうした影響を、顧客満足度という観点からきちんと把握しておくことで、定性的な効果をある程度定量的に把握することができますね!」

三浦と内海は、その後30分ほどホワイトボードに描かれた"効果の因果ツリー"を眺めながら、他にどのような効果が考えられるのかディスカッションを続けた。

施策の効果を見込んだ計画策定

「うん、これで大体の要素は出そろったように思います。あとは、もう一度自分で考えてみるのと、さすがにここに出ているすべてのKPIをモニタリングするのは大変なので、重要なものに絞り込んで人事部長の井阪さんに提示してみることにします」

「はい、それがよいと思います」

制度導入効果の定量化、という難題に解決のめどが立ったことで、三浦はふと、自分が抱えているもう一つの宿題のことを思い出した。

「内海さん、そういえば、私のもう一つのミッションとして、来期以降3カ年の要員計画の策定があり、今回の取り組みの影響を踏まえて計画を策定する必要があると考えているのですが、具体的にはどういう点に気を付けて検討すればいいのでしょうか?」

「要員計画の策定ですか。それはもう、今回の検討内容の反映が必須ですね。そうですね…最もインパクトがあるのは、やはり退職率の見込みのところでしょうか。退職率の低下、生産性(1人当たり売り上げ)の向上をどう見込んで計画を検討していくか、ということがポイントになるかと思います」

「まさに、このツリーの中で出てきたKPIの観点ですね」

「はい、おっしゃるとおりです。今回のツリーの中で出てきたKPIについては、一通り要員計画へのインパクトを検証してみるとよいかと思います。あと、こちらのツリーに表れてきていないインパクトとしては、無期化による要員構成の変化があります。これまで非正規社員は数年で人が入れ替わることが前提であったため特に注意を払わなくてもよかった部分に関して、今後は高齢化や等級・報酬の高止まりなど、いわゆる正社員と同様のマネジメント上の問題が発生してくることが想定されます。ご存じのとおり、要員構成の課題は一朝一夕に解決できるものではないので、こちらも常にモニタリングを行い、状況を把握しながら、手遅れになる前に打ち手を考えていくことが非常に重要となります」

「確かにそのとおりですね。分かりました、ありがとうございます。今日内海さんから教えていただいた点を踏まえて、効果の定量化と要員計画策定に取り組みたいと思います」

KPI指標の確定と残課題

内海のアドバイスを受け、三浦は早速KPI設定のための検討に着手した。

「井阪さん、先日のご指摘を踏まえて、今回の取り組みの効果を定量的に把握するためのKPIについて考えてみました。結果としては、この九つのKPI[図3]をモニタリングすることで、今回の取り組みの効果を検証できるのでは、と考えています。その根拠については、"こちらの効果の因果ツリー"(前掲[図表2])をご確認ください」

[図表3]A社の取り組み効果を図るKPI設定例

主要KPI

サブKPI

・1人当たり売上高(売上高÷社員数)

・人件費効率(売上高÷総額人件費)
 ※総額人件費には、非正規社員の人件費を含む

・工数コスト効率(売上高÷工数コスト)
 ※工数コスト=総額人件費+外注費・システム費用

・平均人件費

・退職率

・要員計画充足率
(各店舗における必要人数の充足率平均値)

・育成対象者*1人当たりトレーニングコスト

・顧客満足度

・従業員満足度

※育成対象者:入社後3年未満の社員

「うん、全体感を捉える主要KPIと、採用・育成・処遇・代謝の四つの観点を踏まえたサブKPI、そして品質のモニタリングができるKPIも入っていて、いいんじゃないか?」

「ありがとうございます。ただ、少し問題があって…」

三浦の言う問題とは、このKPIを算出するためのデータ収集のことであった。売上高や人件費、といったいわゆる経営指標に関するデータは、多少手間はかかるものの、これまでも管理してきたものであり、入手は難しくはない。しかし、サブKPIの算出に必要なデータで、いくつか入手困難なものがある、というものだった。

「平均人件費や退職率といったデータについては、人事データから計算可能なのですが、それ以外の指標については、新たにデータを取得しなければならなくて…。特に要員計画充足率は、これまで非正規社員の採用を各店舗に任せてきたので、店舗側で何人採用しようとしているのか、本来何名体制でなければならないのか、といったデータを、本社として収集したことがないのです」

「考えてみれば、各店舗は何名体制であるべきかを決めないまま、店長の経験と勘に頼って、契約社員やアルバイトを補充していたので、店舗経営において人的生産性という考え方が薄かったことは否めないな。今回の検討と併せて、本来、どういう店舗はどういう要員体制で業務を回すべきなのかをしっかりと定めないといけないと思う。確か、前に読んだ本によると、そういった本来必要な人員のことを「基準人員」と呼び、基準人員に対する充足率で管理する方法がある、と書かれていたように思う」

「なるほど、確かにそうですよね。経験と勘が店長の持ち味だとさえ言われていました。今回の検討を契機として、基準人員づくりにもチャレンジしたいと思います」

「さらに、四つめ以降のサブKPIの把握にもハードルがありますね。顧客満足度調査は、単発では実施したことはありますが、KPIとして継続的にモニタリングするとなると、新たに設計し直した上で、全店舗でどのように実施するかの運用設計も必要になります。そして、一番難しいのがトレーニングコストの把握です。研修費用等については、コストの費目を詳細に見ていけば把握できるのですが、店舗でトレーニングにかけている時間(工数)については、今まで把握したことがなく、かつ、把握するための仕組みもない状態でして…」

「確かに、勤務時間の管理はしているが、その内訳を何に使っているか、というところまで詳細な工数管理はしていないな。そういえば、来年か再来年をめどに、店舗で使っているシステムの大幅な刷新を検討している、ということを先日の経営会議でシステム本部の部長が報告をしていたが、新しいシステムで、時間管理だけでなく、業務ごとの工数管理もできるようにならないだろうか? ちょっと、システム部長に聞いてみよう」

井阪がシステム部に掛け合ってみたところ、要件定義もこれからの段階であるため、現時点では対応可能かどうか即答はできないが、要望として入れ込むことは可能、という返答であった。

「トレーニングコストについては、今後のシステム導入待ち、ということですね。では、それ以外のKPIモニタリングのために必要な対応について取りまとめて、次の社長報告の時に承認をいただけるよう準備を進めます」

「うん、頼んだよ」

こうして、生産性把握のためのKPIと、KPI算出のための取り組み(各店舗の非正規社員を含む要員計画の作成・収集プロセス設計、顧客満足度調査実施に向けた検討の開始)について社長に上申し、無事、取り組みに向けての承認が下りる運びとなった。

社長からは、「これらの取り組みを実施するためには多くの労力が必要で、現場へ負担を課すことにもなるため、反発もあると思う。ただ、わが社もここまで大きくなり、これまで感覚的に把握できていたことも、最近では実態を捉えきれなくなっているというのも事実だ。このタイミングで、多少労力がかかったとしても、ある程度定量的に実態を把握するための仕組みを構築することは、今後のわが社のために必要なことだと私は思う。ぜひ、頑張ってほしい」という前向きなご意見をいただくことができた。

「これで終わりではなく、この取り組みを実現させるためには、ここからがまた大変な局面ではあるが、今後の成長のためにもぜひこの取り組みを成功させよう!」

「はい、頑張ります!」

社長からの言葉を胸に、井阪と三浦は、早速次の検討に取り掛かるのであった…。

著者:山本 奈々

(デロイト トーマツ コンサルティング  シニアマネジャー)

※上記の役職・内容等は、執筆時点のものとなります。
※本コラムは、労務行政研究所の許諾を得て、労政時報 jin-jour(ジンジュール)の記事(2018年6月26日掲載)を転載したものです。

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