神奈川県から世界へ広がるME-BYO(未病)~神奈川県庁×Deloitte Digital座談会~

  • Digital Business Modeling
2022/2/25

近年、健康寿命の延伸、健康経営、医療費抑制等、色々な観点から予防・健康分野への注目が集まっており、多くの企業から様々な商品・サービスが開発・提供されています。しかし、まだまだ未成熟の分野であり、そうした商品・サービスを評価する尺度も定まっておらず、個人が何を利用するべきか不明瞭な現状です。そうした中、「予防」ではなく「未病」というコンセプトを基に長年取り組まれてきた神奈川県が、未病指標という評価尺度を示し、新たな一石を投じました。今回は、神奈川県の首藤 健治副知事をお訪ねし、神奈川県の問題意識や今後の構想についてお聞きしました。聞き手は、デロイト トーマツ コンサルティング合同会社 西上 慎司、増井 慶太、大川 康宏、本間 政人が担当いたしました。

「健康」と「病気」の二元論ではなく、グラデーションで考える「未病」

――神奈川県では「未病」の取組を続けられていますが、まずはその経緯について教えていただけますか。特に、「予防」ではなく、あえて「未病」とされたのには、どういった意図がありますか。

首藤副知事(以下敬称略):西洋医学では、心身の状態を「健康」と「病気」の二元論の概念で捉えがちです。健康診断においても検査値ごとに基準が設定され、その基準値を超えているかどうかで健康状態を評価しています。

一方、東洋医学では、二元論ではなく「健康」と「病気」との間を連続的に変化する「未病」と捉えます。この場合、心身状態は健康と病気の間のグラデーションとなるため、健康への取組は段階的になります。

この時代に重要とされているのは、自分自身の生きがいやどういった人生を送りたいのかなど、「こうありたい」と思い描いた未来を実現するために心身の状態をメンテナンスしていくことです。

高齢になっても元気で自立した生活を送るには、一人ひとりが心身に関する正しい知識を持ち、現在の身体の状態(未病)や将来の疾病リスクを把握し、主体的に行動しながら社会参加も含めた人生設計していく必要があります。

たとえば、山登りが好きな人であれば、できる限り山登りできる体力を維持したいと考えるでしょうし、元気で過ごせればいいと考える人もいます。

このように、時間軸で自分の心身の健康を捉えつつ実現したい夢や将来の自分を可視化することで、個々人が積極的に健康に投資できるようになるでしょう。

神奈川県では、健康寿命と関連する生活習慣病や認知症などの徐々に状態が進行し、かつ可逆性のある病気によくあてはまる「未病」という概念が重要と考えて、未病改善の取組を進めています。

首藤 健治氏|Mr. Kenji Shuto

神奈川県副知事

――東洋医学の「未病」という概念を大切にされる一方で、実施されている具体的な取組は、西洋医学のアプローチを取り入れている印象を受けます。

首藤:行政として適切な取組を行うには、精緻な未来予測や科学的根拠が必要です。そこで、従来の「未病」という概念に、最先端のエビデンスを組み込み、未病の概念を発展させています。また、全ての世代が未病を「自分ごと」として捉えて行動できるように、それぞれのライフステージに応じた未病対策も進めています。

バリューモデルによる未病社会システムの構築を目指して

――神奈川県は企業や大学も巻き込んで、非常に幅広く取組まれていますね。

首藤:「未病」というコンセプトに対し、最も早く呼応し、取組み始めたのが産業界です。未病領域は健康投資に繋がるため、市場拡大に寄与する可能性があると考えられています。実際、「未病産業研究会」には、ヘルスケア関連企業や医療機器メーカー、金融業、保険業、旅行業、飲食業など、さまざまな業種業界の約900社が参画しています。このことから、産業界が「未病」に大きく期待していることが伺えます。

次に動いているのが「アカデミア」。未病の取組が発展・継続していくためには科学的根拠による裏付けが必要となり、学問化していく必要があります。県立大学をはじめとするアカデミアによる研究も活発に実施されるようになってきました。

――他県や企業で取組まれている保険者や健康経営の取組では、もっと限定的な活動になっているのに対し、神奈川県では、健康増進や健康寿命延伸を超えた大規模な取組に拡大されてきています。長期的に続けていくことの難しさはないのでしょうか。

西上 慎司|Shinji Nishigami

デロイト トーマツ コンサルティング合同会社
ライフサイエンス&ヘルスケア 執行役員 Deloitte Digital

首藤:これまでの日本の予防事業・医療制度等は「コストモデル」に基づいており、国民全体で社会的負担を分け合っています。
これは自助・共助・公助のバランスを考えられて作られたシステムですが、未病の取組を進めていくには、コストモデルですべてを社会的に負担していくことは難しく、市場の成長が困難になります。
そこで、未病領域については「バリューモデル」を構築し、これまでのコストモデルと組み合わせて進めるべきと考えています。

「バリュー」は、立場によって内容が大きく異なります。たとえば、産業界のバリューとは「売れるもの」ですが、行政のバリューは「社会課題の解決」や「国民・県民の満足度向上」。国民・県民の満足度向上は必ずしも貨幣経済に関連するものとは限りません。そのことを理解した上で、バリューモデルを構築していかなければ、お互いに齟齬が出てしまうのです。
私たちは、色々な立場の「バリュー」を考慮した未病社会システムを作るべく取組んできましたし、これからも発展させていきたいと考えています。

価値観や常識の変革のためのインセンティブ

――立場ごとに異なるバリューをすり合わせた「バリューモデル」は理想的だとは思いますが、なかなか実現するのは難しそうに思います。どのように進めていくと広がっていくのでしょうか。

首藤:これからは、「新しい健康投資」という概念を定着させることが大切だと考えています。

これまでの「健康投資」は企業が主体となっていて、従業員の健康に投資することで離職率の低下や企業評価の向上、保険財政の適正化、生産性向上など経済的なリターンを期待するという位置づけでした。
しかし、個人ベースで考えると、「健康である」というだけで十分なリターンとなります。
将来の健康のために投資することで、将来の健康状態の改善や取組自体がもたらす充実感などを得ることができるはずです。

企業にとってのバリューと、個人にとってのバリューが異なっていても、それぞれが健康のために投資するという意識が高まるといいでしょう。

――しかし、個々人の興味を健康投資に向けるのは簡単ではありませんね。予防のためのイベントが行われても一部の健康意識の高い人ばかりが参加しているとの指摘はよくありますし、特定検診・特定保健指導の実施率も全国的に低い現状があります。その点はどのように考えていらっしゃいますか?

増井 慶太 | Keita Masui

デロイト トーマツ コンサルティング合同会社
ライフサイエンス&ヘルスケア 執行役員 Deloitte Digital

首藤:社会のイノベーションで必要なのは「テクノロジー」と「社会システム」、そして「価値観や常識の変革」の3つです。つまり、価値観や常識が変わっていかなければ、社会のイノベーションは成立しません。そういった観点から考えると、産業界やアカデミア、国民・県民のそれぞれが未病領域のリテラシーを持ってもらうことが重要と考えています。

しかし、「リテラシーを持ってほしい」と訴えるだけでは実現できません。そういった観点では、インセンティブのつけ方が重要だと考えています。

現在、「年齢」を条件にしたインセンティブは数多くあります。たとえば、シニア割などは、旅行会社や施設などでも採用していますよね。我々は、その「年齢」の部分を「未病指標」に置き換えていきたいと考えています。

神奈川県では「未病」の共通の評価軸となる「未病指標」を作成し、この数値によってインセンティブを与えようと考えています。例を挙げるとすると、食事代の割引や特別メニューの提供、スポーツジムの割引、旅行代金の割引などですね。個々人の経済的な利益もあるため、市場の拡大が期待できます。だからこそ産業界が注目しているのでしょう。

健康を「自分ごと化」するため、分かりやすい指標「未病指標」と社会システムの構築が不可欠

――「未病指標」は、ユニークな取組みだと思います。この数年は何かとビックデータがもてはやされて、より大きなデータベースを構築して様々な生活レベルのデータまで集めようとしたり、将来の病気との相関関係を、因果関係抜きに数学的解析されるような取組を多く見かけます。
しかし、神奈川県では、あらかじめ科学的見地に基づいた指標の設定から検討されていましたが、この未病指標はどういった目的で作っているのでしょうか。

首藤:未病のポイントは、健康を「自分ごと化」するということに他なりません。「自分ごと化」することで、将来の自分のために未病状態をチェックし、心身の状態の改善・維持に主体的に取組むという行動変容を起こすことができます。
そのため、自分自身で未病状態をチェックできる、科学的な根拠に基づき信頼できる、簡単で分かりやすい指標が必要だと考えました。また、指標を行動に結びつけて未病状態の改善を動機づける社会システムの形成も不可欠だと考えました。

そこで、医療・ヘルスケアの専門家をはじめ、行政・企業・保険者などの有識者で構成される「未病指標の社会システム化に向けた研究会」を設立し、未病指標の定義と要件、未病指標の重点領域(生活習慣、認知機能、生活機能、メンタルヘルス・ストレス)を基に、心身の状態を総合的に示す総合的指標の開発を行いました。

生活習慣や認知機能、生活機能、メンタルヘルスなどを包括した未病指標を普及させ、社会的なシステムと連携させていくことで、個人の行動の指針として活用されるばかりでなく、未病指標に基づいて医療保険の保険料が変えられるなど企業サービスへ活用されることも期待しています。

「未病」による新たな社会システムを神奈川県から世界へ

――未病指標は、WHOの報告書にも記載されて、世界からも注目されていますね。

首藤:WHOとは、未病指標の検討段階から連携しており、今になってから注目されたということではありません。
未病の取組は、神奈川県に限らず、日本全体、世界全体で大切なことであり、当初からグローバル展開も見据えていたので、WHOとも連携して進めてきました。

大川 康宏 | Yasuhiro Okawa

デロイト トーマツ コンサルティング合同会社
ライフサイエンス&ヘルスケア ディレクター Deloitte Digital

――お話をお聞きしていると、県で取組むべきことというより、国が日本全体で取組むべきことのようにも思えるのですが、なぜ神奈川県が未病に取組んでいるのでしょうか。

首藤:もちろん、国が主体となって取組んだ方がいいという意見もあるでしょう。しかし、国は各省庁が分かれており、さまざまな領域を連携させながら進めていかなければならない「未病」の取組ではスピードが損なわれがちです。そういった点では、自治体の方が取組みやすいということもあります。

また、これは県民福祉向上に加え、産業政策といった意味もあります。未病であれば、産業政策と健康福祉を一体として捉えた取組ができますからね。また、神奈川県で先行して実施できることで、県内の産官学がメリットを得られることも多くあると考えています。

――今後、未病や未病指標という新たな社会システム・規格をさらに広げていこうとすれば、科学的優劣だけでない難しさがあると思いますが、どのように進めていかれるお考えですか?

本間 政人 | Masato Honma

デロイト トーマツ コンサルティング合同会社
ライフサイエンス&ヘルスケア シニアマネージャー Deloitte Digital

首藤:なるべく先行して広めていくことが重要だと思っています。そのためには、完成形を作りこんでから社会実装するのではなく、社会全体である程度合意できる範囲であれば、実証しながら社会実装していけばいいと考えています。

健康・医療に関わる領域では、あたらしい技術・サービスの価値を評価するのに10年以上かかるということも少なくありません。しかし、そこで10年もかけてしまうと社会実装までに膨大な時間が必要になります。そこで、実証しながら「良さそうなもの」をどんどん実装していきたいと考えています。

未病については、食事や運動などいろいろな条件が重なっての健康状態であり、個々の未病の取組を医薬品のように臨床試験で評価することは難しいですし、あまり有意義にも思えません。

個々の取組やサプリメント等の効果にこだわり過ぎず、個人として健康状態がいい方向に向かっているかを評価していくという考え方もあってよいはずです。そうした考え方で、個人として経年的に効果を評価していくこともできると思います。
また、こうしたデータが蓄積されていけば、「あなたとそっくりな人はこういったデータが出ているから、効くと考えられるモデルはこれです」というように、コミュニケーションしながら提示していくこともできるようになります。

そのためのプラットフォームは神奈川県で提供して行きたいと考えていますし、実現のためには、多くの企業との連携が不可欠だと考えています。

既にME-BYOリビングラボを立ち上げ、未病関連商品・サービスの事業化、産業化及び社会実装の促進を図ってきていますが、産官学での協力のもとに、今後さらに強化していきたいと考えています。

――最後に一言お願いします。

首藤:今後も、超高齢社会を乗り越えるために、未病コンセプトに基づいて県民の意識や行動変容、未病産業の持続的発展を促し、健康寿命の延伸を図っていきたいです。
そういった取組の中で、多くの企業や組織とも連携していきたいと考えています。

—ありがとうございました。

PROFESSIONAL

  • 本間 政人

    デロイト トーマツ コンサルティング合同会社 ライフサイエンス&ヘルスケア シニアマネージャー

    京都府立医科大学を卒業後、初期臨床研修医、厚生労働省医系技官を経て現職。これまでの経験を活かし、製薬企業や行政機関に対し医療現場や医療行政に関わるプロジェクト等を手掛けている。また、自治体の非常勤顧問や専門委員、学術機関へのアドバイザー等、幅広くプロジェクト以外の活動も実施している。

  • 大川 康宏

    デロイト トーマツ コンサルティング合同会社 ライフサイエンス&ヘルスケア  ディレクター

    ライフサイエンス及びヘルスケア企業を対象に、事業戦略(新規事業構想、疾患領域戦略、技術戦略、ビジネスモデル変革)、機能戦略(研究開発、メディカル)、組織・オペレーション変革、デジタル変革など、戦略から実行支援までを手掛ける。ライフサイエンス&ヘルスケア業界に20年以上携わる

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