患者と薬剤師を「線」で結ぶ、調剤薬局の未来像~カケハシ × Deloitte Digital座談会~
- Digital Business Modeling
患者と医療の「カケハシ」になる
― 中尾さんがカケハシを創業しようと思った経緯を教えてください。
中尾氏:私は母が薬剤師、祖父が医師という環境で育ちました。元々、体が強いほうではなく、幾度となく母のアドバイスに助けられたことから、身近に頼れる専門家がいる安心感を実体験として強く感じていました。大学卒業後は、製薬会社に就職。大学病院担当のMRとして活動するなかで、コモディティ化した製品のシェアの取り合いに、違和感を覚えるようになりました。ちょうど業界のガイドラインである「プロモーションコード」がとてもシビアであるため、活動しづらい時期でもありました。
このような状況の中、医療に貢献するにはどうすればいいかについて考えました。その答えのひとつが、「テクノロジー」を活用したプラットフォームの開発です。これを実現できれば、患者さんに対して適切なソリューションを提供できるようになるのではないかと考えるようになりました。
実際、患者さんが医療を受けるまでに、さまざまな苦労があります。通院するだけでも大変なのに待ち時間は長いですし、医療を受けるまでに相当のエネルギーを使っています。この現状を変えていかなければなりません。
これからは患者さんが困っているタイミングで情報を提供したり、ソリューションを届けたりするということが求められる時代が来るはず。そう考えて、テクノロジー企業に転職することを決めました。
転職活動を始めましたが、私が思い描くようなアプローチをしようとしているテクノロジー企業は見つかりません。そこで、自分自身で起業し、プラットフォームを作ろうと考えたんです。
もちろん、起業には「リスク」が伴うケースもあります。しかしこの起業に関してはリスクがなく、むしろリスクヘッジになると考えました。その理由は、たとえ失敗したとしても「知見」が残るからです。私がやろうとしているのはデジタルイノベーションや付加価値といった領域です。そこで蓄積した知見は、貴重なものになるはず。それならば、チャレンジする障壁は何もありません。そうして「カケハシ」を起業することにしました。
上西氏:我々コンサルタントも、会社の経営陣の方々に対して「何もチャレンジをしないことがリスク」だということをお伝えすることがあります。アクションを起こすことの意義や重要性については、おっしゃるとおりだと思います。
私自身はコンサルタントとして製薬会社をご支援する経験が多かったのですが、最近ではより患者さんに近いビジネスを展開している調剤薬局や医薬卸にも非常に大きな魅力を感じています。
これまでの医療業界は、医師の影響力が大きく、医薬品を含めてそこに着目したソリューションを開発・提供してきました。しかしこれからは、全ての領域ではありませんが、エンドユーザーである患者さんが強く影響力を持つ時代に移っていくと考えています。そういう点では、B to Cといわれる業界にビジネスモデルがどう近づいていくのかがポイントになると思います。
カケハシさんが主軸としている薬局や薬剤師を中心に捉えて医療業界の構造を見ると、医薬品の研究開発を中心としたイノベーションとは全く異質のイノベーションが起こりうるのではないかという可能性を感じます。
― 「カケハシ」という社名ですが、とても示唆的だと感じています。この社名の由来を教えていただけますか?
中尾氏:実は、とても悩んで決めました。「患者さんを軸としたときに医療がどう寄り添えるのか」ということをテーマに活動しようと考えており、それが伝わる社名にしたいと思っていました。
そんなある日、思いついたのが「カケハシ」でした。「カケハシ」には①患者さんと医療をつなげる「架け橋」になりたい、②医療と医療とをつなげる「架け橋」になりたい、③(テクノロジーカンパニーとして)病院と未来とをつなぐ「架け橋」になりたいという3つの意味があり、企業のビジョンとも合致しています。創業して5年が経ちますが、いまでもいい社名をつけたと思っています。
患者中心のソリューションで、調剤薬局の付加価値を高める
― そうして創業したカケハシですが、具体的な事業を教えてください。
中尾氏:調剤薬局向けのバーティカルなSaaSを提供しています。提供しているのは「薬局体験アシスタント Musubi(ムスビ)」。これは調剤薬局さんに導入するソリューションとなります。
Musubiでは、季節や患者さんごとに適した指導内容とわかりやすいイラスト付きのアドバイスを使って服薬指導ができます。服薬指導にイラストを使うことで、患者さんの興味を惹くことができる上、理解度も高まります。このとき、同時に薬歴の下書きも作成されます。機能としては、薬歴業務の効率化や服薬指導・患者コミュニケーション支援になります。
また、服薬期間中の薬のモニタリングや副作用の問題などを把握し、問題解決につなげる「Pocket Musubi(ポケットムスビ)」というソリューションも提供しています。Pocket Musubiでは、アプリケーションが服用薬データに基づく自動質問をLINE経由で患者さんに送付します。それに対する回答からフォローを必要としている患者さんをスクリーニングすることで、薬剤師による適切なフォローにつなげるようになっています。いわゆるPersonal Health Recordの領域ですが、「管理」より、半自動的に問題を発見するために使うという点に重点を置き、設計されています。
上西氏:カケハシさんのソリューションは、患者だけではなく、未病の領域にも踏み込めるソリューションだと思います。これまでは「点」でしか分からなかった情報を、周辺情報を加えることで「線」にしている。これは未病の領域でも有効に使えそうです。「線」の情報があるからこそ、薬剤師、あるいは医師も含めて、患者に対して適切なアドバイスができるのだと思います。
伊藤氏:私は製薬会社をはじめとした大企業のお客様を担当させていただくことが多いのですが、その中で感じているのは、やはり「自社のプロダクトを届ける」という従来の発想に留まっているケースがとても多いということ。これは、医療業界以外でも同じ傾向はありますが、ユーザーのことを考慮していないサービスが多いというのが実状です。
しかし、デジタルを使うことでその発想を変えていくことができると感じています。Musubiのように、患者さんをはじめとしたユーザー起点にデータを取得し、活用するサービスをもっと大企業が使う必要があると率直に感じています。
離脱を防ぐためライフタイムバリューが重要
中尾氏:当社のミッションは「日本の医療体験をしなやかに」です。そのためにはMusubiをもっと広げていく必要があると思います。しかし、UXが良くなければ広がることはありませんし、誰もハッピーにすることができません。そういった点でいうとUXファーストという感覚は持っています。
一方で「どうやって事業化するのか」という部分も重要だと思います。
これまでの製薬会社の売り上げ戦略は、お薬を採用してくれる病院を増やして売り上げを獲得していくということでした。
しかし商品の差別化が難しい場合、この戦略は頭打ちになるでしょう。これからは「ライフタイムバリュー」(LTV)を考慮し、離脱させないための戦略を立てる必要があると思います。
伊藤氏:LTVについては、「可能性」というよりも、すでに顕在化しているニーズになっていると感じています。患者さんの離脱を防ぐためには医師よりも患者中心のソリューションが必要になるはずですから。
例えば、私自身は「パーソナライズド・セラピー」領域におけるオペレーションやシステムの構築をご支援しています。言葉の通り、この領域では患者視点での仕組み作りが一番に問われます。しかし、現実には多くの制約や既存の商習慣からクライアントの最初の主語は旧来通り「先生」。つまり医師向けのサービスを無意識に作ってしまっているんです。これをMusubiのように「患者」を主語にするという発想に変えることで、本当に患者さんにとって必要な価値が届いていく可能性があると感じました。
中尾氏:患者さんに届くサービスを作るには、患者さんが治療方針の決定に対して積極的に参加し、その決定に従って治療を受ける「アドヒアランス」の向上が不可欠です。また、副作用モニタリングといった概念も重要となります。そういった観点から言うと、製薬会社も「Musubi」のようなテクノロジーを活用する必要があるのではないかと考えています。
― 副作用モニタリングやアドヒアランス向上には様々な可能性があると思いますが、具体的にはどのような領域をターゲットとして想定していますか?
中尾氏:「抗がん剤領域」と「生活習慣病領域」の2つの領域で有効だと考えています。
たとえば、抗がん剤領域では、お薬に関する情報が提供されており、医師が学びやすい環境が整っています。そうなると「副作用モニタリング」の領域が重要になってきます。副作用モニタリングで得た情報を医師にフィードバックする環境を整えることで、医療の質が向上していきますからね。
生活習慣病領域では、どちらかというとアドヒアランス改善が重要でしょう。生活習慣病患者の重症化を抑え、薬の飲み忘れなどがないようにする必要があるからです。
どちらにしても、「点」ではなく「線」の医療を実現することでアドヒアランス改善ができる上、医療の質の向上にも繋がるはずです。
しかし、製薬会社が直接なにかやろうとするとプロモーションコードなど別の問題が出てきます。そういう点では、テクノロジー会社を使ってどのようにDXしていくのかという視点が重要になるでしょう。
付加価値を高めたことで患者や薬剤師から好評
上西氏:製品戦略を考える上で、テクノロジー会社を探している製薬企業も増えてきました。また社会的にも、カケハシさんへの期待は高いと感じています。実際、カケハシさんがサービスを提供しているユーザーの方々からはどのような声が届いていますか?
中尾氏:患者さんからは非常に多くのポジティブな声をいただいています。負担なく使える上、薬局や医療のサポートが受けられる構図になるからだと分析しています。
薬剤師の方々は、そこまでシンプルではありません。導入当初は「患者さんからのフィードバックなんて本当にあるのか疑心暗鬼だった」そうですが、使ってみると「患者さんの反応がよく、気づきが増えた」とのことです。具体的には、服薬指導で黙っているような患者さんもPocket Musubi経由でのフォローに対して反応を返したり、相談したりするケースがあるようです。実際に導入してみると、「線」の情報が得られることを実感してもらえています。
これまで薬剤師向けのITといえば「効率化」がメイン。しかし、カケハシのソリューションはそうではなく、あくまで「付加価値領域」です。問題を発見し、薬剤師の本質的な価値を最大化するためにテクノロジーを活用していますが、そういった世界観への理解が広がっていると感じています。
大手調剤薬局もカケハシに注目
― ビジネス展開は、中堅・中小規模企業がメインでしょうか。
中尾氏:これまでは個人薬局が中心でした。最近では大手の方にも興味を持っていただいています。現在、薬価差益を得ることも難しくなっています。そうなるとスケールメリットよりも店舗ごとの生産性をどう高めるのかが重要になります。そのために必要なのは付加価値で、LTVの最大化が必要ということに気づいたのでしょう。
伊藤氏:薬局は中小規模から大規模まで様々な規模がありますが、M&Aを繰り返しながら成長しています。そのような中、システムインフラを見てみるとたくさんのツールが導入されており、非常に複雑になっています。ある領域に対して「Musubi」のようなツールを入れることはできるでしょうが、その効果を最大化するために他のシステムとの連携を最適化したいというニーズもあると思います。その辺りはどう考えていらっしゃいますか?
中尾氏:確かに様々なシステムと連携させたいという要望はあります。これは各社の意向を聞きつつ、できる範囲を考えていかないといけないと思っています。
カケハシでは「明日の医療の基盤となるエコシステムの実現」を志向しています。そのためには、調剤薬局全体のバリューアップをしていく必要がある。その基盤になるには、どうしても「繋ぎ込み」は不可欠です。体力がいる部分ではありますが、柔軟にさまざまなシステムを繋ぎ込めるように開発を続けています。
これから大規模企業にもサービスを提供していくためには、いくつか気をつけなければいけません。その1つは「ガバナンス」です。やはり社会保障費を使っている事業となるため、適切な管理がされているのかということはこれまで以上に問われるようになるはずです。
そのためには、薬剤師ごとの業務の見える化が重要になります。たとえば、ある薬剤師がきちんと正しい業務を行えていない場合、問題を指摘される前にアラートを出して、会社としてガバナンスを整える状態にしていくといったことが求められるでしょう。
もう1つが、患者さんの管理です。CRMは、他業界では当たり前のように使われていますが、調剤薬局業界ではそういった概念で患者さんを管理していません。しかし、CRMなどの概念を使って患者さんのニーズやオペレーションなどを蓄積・分析することで、オペレーションの最適化なども店舗ごとに実施できるようになります。
医療的にも安全を確保しながら、経営的にも売り上げを確保する。これまでは、薬剤師の能力など属人化することが多かった部分を、いかに組織として実施できるのかというのが重要だと思います。
伊藤氏:医療業界は、製品や医療行為に価値を置き、オペレーションは後回しといったイメージがあります。しかしガバナンスの強化やCRMの概念など他業界の要素を持ち込むことで、さらに調剤薬局などの価値を向上させることができます。そういったことをもっと積極的に伝えていき、調剤薬局の業務改革や本当のCRMなどを実現していきたいですね。そういった意味では、調剤薬局業界は大きな成長ポテンシャルを秘めていると感じています。
中尾氏:もう1つ「潮流」も重要だと思っています。2015年に公開された「患者のための薬局ビジョン」(厚生労働省)は「患者本位の医薬分業の実現に向けて、服薬情報の一元的・継続的把握とそれに基づく薬学的管理・指導、24時間対応・在宅対応、医療機関等との連携など、かかりつけ薬剤師・薬局の今後の姿を明らかにするとともに、中長期的視野に立って、かかりつけ薬局への再編の道筋を示す」という内容になっています。
2020年9月に改正薬機法が施行され、薬剤師による「服薬期間中のフォローが義務化」されました。薬局業務を「対物から対人中心にシフト」することが提唱され、薬局が「薬を渡すだけの場所」から「患者さんに付加価値を提供する場所」へと変わりつつあります。
調剤薬局にフォーカスが当たっていますし、そういった未来は、私が考えていた方向性と合致しています。
しかし、薬局や薬剤師には適切なソリューションが用意されておらず、オペレーションも変革が難しい状況。そういった点でもカケハシの活動には意味があると感じています。
コンサルティングファームへの期待
中尾氏:これまで話していてデロイト トーマツ コンサルティングの皆様方にお願いしたいなと思ったのは、調剤薬局のDX戦略室をワークさせるための支援です。
DX戦略室は、経営戦略上どういった価値を出したいのかをヒアリングし、オペレーションの設計をし、どういったテクノロジーを活用するのかを考えるチームです。このチームが、経営陣の意向をうまくくみ取り、システム部門やマネジメント層と連携することで、はじめて会社がDXしていきます。DX戦略室の機能は非常に重要だということをきちんと設計して、調剤薬局の皆様に伝えてほしいですね。
上西氏:その通りですね。製薬会社をみるとそのような動きがかなり盛り上がっていますよね。一方で、調剤薬局となると道半ばという印象です。しかし、そういった意識は確実に広がってきているという感触もあります。それこそ、「全く異質のイノベーション」を薬剤師・調剤薬局から巻き起こすために、我々も努力していかなければいけませんね。
― カケハシさんが解決しようとしていることや現状の取り組みについて、非常によくわかりました。これまで話していて、中尾さんは未来を作っていける人だと感じました。その上でお聞きしたいのは、10年後の未来、中尾さんはどんなことを実現したいと考えているかということです。どんなチャレンジをしていると思うのか、とても興味があります。
中尾氏:前提として「カケハシ」の会社のミッション・ビジョンの実現は、優先順位が高いです。しかし「医療」という枠の中で事業を展開している私自身、「人の幸せ」にとても興味があるんです。そういった点では、人の幸せ軸で考えて何かにチャレンジする可能性はある。たとえば健康という概念ではなく、コミュニケーションが生まれることで幸せになるかもしれませんし、趣味から体現されることもあるかもしれません。
ただ、10年後の世界にも病気はあるでしょうし、不安・不満もあるでしょう。それがゼロになることはないので、チャレンジし続けるんだろうなと思っています。
上西:確かに完全に病気がなくなることはない、それは忘れてはいけない前提ですね。もし治癒が難しかったとしても、日々の生活の中で、ちょっとした改善やポジティブになれるような活動が目に見えることは大切だなと思います。「点」の情報をつなげて「線」にすることは、「人の幸せ」にもつながるという中尾さんのお考えには、非常に共感できます。
医療の世界では、質・効率という経済的な視点で議論がなされることも多いですが、患者さんの幸せという視点でもっと議論が行われるべきではないかという気づきがありました。
カケハシさんが志向する世界に近づくように、我々も努力したいと改めて思いました。
― ありがとうございました。
PROFESSIONAL
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西上 慎司
デロイト トーマツ コンサルティング合同会社 ライフサイエンス&ヘルスケア パートナー
民間シンクタンクを経て現職。製薬、医療機器メーカーを中心に、マネジメント変革、グローバル組織設計、海外進出支援等のプロジェクトを手掛ける。最近はデジタル戦略・組織構築などDX関連の案件を多数支援。主な著書:「ファイナンス組織の新戦略」(共著)