社会変革に向けたヒト由来データの利活用とデジタルコンプライアンス活動の促進~中外製薬株式会社 × Deloitte Digital座談会~
- Digital Organization
データの利活用を加速するには、安心してデータを利活用できる基盤、データ保護が必要です。中外製薬では、2019年にデジタルコンプライアンスグループを立ち上げ、全社的な方針や体制強化に取り組んでいます。発足時から現在の取り組み、さらには10年、20年先の未来について、中外製薬株式会社 執行役員 信頼性保証ユニット長 樋口 雅義氏とデロイト トーマツ コンサルティング合同会社 ライフサイエンス&ヘルスケア 執行役員 Deloitte Digital根岸 彰一が対談を行いました。
根岸:中外製薬様はデジタルコンプライアンスグループを立ち上げましたが、その経緯について教えていただけますか。
樋口:「ヒト由来データ(以下データ)の利活用」を積極的に進めるにあたり、社内で「データの利活用と保護をセットで考えていく必要があるのではないか」といった議論があり、これがきっかけとなりました。
データを利活用する方向でアクセルを踏むには、安心してデータを利活用できる基盤、つまりデータ保護が必要になります。そこで、2019年10月、専属の機能を持ったデジタルコンプライアンスグループを立ち上げることにしました。
実は、デジタルコンプライアンスグループを立ち上げる前も、データを利活用したいといった話はありました。しかしそれを実現するには、発案者自らが、法務や総務、人事、ITなど関連部門に相談に行き、構想を説明しなければなりませんでした。都度、同じことを説明しなくてはならない上、満足な回答が得られないことも少なくなかったようです。せっかくいいアイデアがあっても、それを生かし切ることができなかった事例もありました。
また、それらのハードルを越えて利活用に至ったとしても、データ保護や法令対応などのリスクを抱えたまま不本意な形で実装してしまうことになるかもしれません。幸い、これまで大きな問題や事故は起きていませんが、今後も安心して利活用を進められるようにデジタルコンプライアンスグループが活動しています。
根岸:数年前、社内外のデータを利活用しようという動きが注目を集めた時期がありました。多くの企業は「データの利活用」のみに目が行き、「データ保護」には着目していなかったと思います。その時期にデータ保護に着目し、デジタルコンプライアンスグループを立ち上げたことに驚きました。
デジタルコンプライアンスグループが発足してから二年余りが経過した現在、活動も高度化されてきていると思います。実際にどのような活動をされているか教えていただけますか。
樋口:デジタルコンプライアンスグループの基本的な活動は(1)全社的な方針・体制を作る、(2)周知徹底するためにトレーニングを行う、(3)デジタル案件(個別案件)に対してコンサルティングサービスを提供する、(4)結果をモニタリングする、(5)有事対応の5つです。これは、発足当初からあまり変わっていません。
具体的には、データの利活用を推進するためのガイドラインなどを作成し「形式知化」するという活動をしています。
根岸:ありがとうございます。さすがにここまでの活動をされている例は他ではあまり聞かないですね。それだけ先進的な活動なのだと思います。
デジタルの進展がコンプライアンスに与える影響
根岸:現在、デジタル技術は進化し続けています。業務部門だけではなく、戦略の中にもデジタルが入り込み、企業活動と分離できなくなっています。樋口さんは、ここ最近のデジタル技術の進化がコンプライアンス活動に与えている影響についてどのように感じていますか。
樋口:様々な影響を与えている最中だと思います。皆さんがいろいろなことに気が付き始めているというのが実状ではないでしょうか。
デジタルコンプライアンスグループの活動の中で感じているのは、いろいろなステークホルダーがいて、それぞれが気にしている観点が違うということです。
たとえば、我々が一番向かい合わないといけない患者さんや一般の方々をみても、その中での二極化が進んでいます。個人情報やプライバシーに敏感でセンシティブな人もいれば、そういったことには無頓着で、バイタルデータを含めたデータであっても、あまり気にせずクラウドにあげている人がいます。これは患者さんでも健康な方でも同じで、こういった方々に対して適切なサービスを提供していくには、我々なりの判断軸を持ち、説明責任を果たすということが重要になっていると感じています。
根岸:デジタル化はどんどん進んでいます。データの取り方もいろいろありますし、それを研究開発にフィードバックしていくこともある。そういったデータの全体の流れがコンプライアンスに違反しないようにする役割を担うのが、デジタルコンプライアンスグループなのですね。
樋口:企業側でも、データのライフサイクルをきちんと理解している人は少ないのが現状です。それは、データを入手する人、データを保存する人、データを利活用してバリューを出す人がそれぞれ別だからです。最終的にはデータの利活用プロセスを一連の流れとして見ていかなければいけないのですが、それぞれ自分の担当している部分しか見ていない。だからこそ、デジタルコンプライアンスグループのように横串を挿し、全体を見ながら適切なコンプライアンスを維持する必要があると考えています。
根岸:デロイトがグローバルで行っているサーベイを見ると、個人がデータを提供する傾向が強くなっているという結果が出ています。それはデータを提供することでベネフィットがあるからですが、こういった流れを止めないためにも、押さえるところは押さえていくことは重要ですね。
樋口:最近はウェアラブルデバイスが増えていますよね。生体データをどんどん取得することが可能になっています。こういうサービスや機器を社内でテストしたいというニーズも高まっています。しかし、テストをするというとき、どういった環境を整えればいいのかということを考えるだけでも、意外と難しい。
中外製薬では、社内ボランティアを募り、ウェアラブルデバイスで取得したデータの利活用についてテストする際のガイドラインを作成しました。実は、この検討には6ヶ月ほどかかっています。
というのも、データを分析することで、本人が気付いていない病気の可能性について第三者が先に知ってしまうこともあるということに気が付いたからです。これは、ゲノム情報やバイタルサインなどでも同様ですが、個人が認識していない情報を扱うというのは非常に難しい。そういったときにどう対応すればいいのかといったことを考える必要が生じたのです。この事例から、常に「個人情報をどう扱わなければいけないのか」という本質が問われていると感じました。
根岸:個人が知り得ない個人情報をどう扱うのかというのは確かに悩ましい問題ですね。これまでは、個人が知り得ている情報を提供する・しないを判断していましたが、すでにそういった話ではなくなっている。デジタルコンプライアンスグループの活動を通して、個人情報の本質や概念が大きく変わっていっているのだと感じました。
新しいデジタル技術の登場によって様々な問題が表出している中、今後、どうサポートしていけばいいのかについて、お考えをお聞かせいただけますか。
樋口:デジタルに限らず、技術は革新・進化し続けていて、そのスピードも速くなっています。そうすると、その進化におそらくルールや規制の作成が追いつかなくなる。追いつくはずがないと思っていたほうが良い。
ルールや規制の整備が追いつかないとき、その時点でどう考えていけばいいのかということが問題になります。その鍵を握るのが「社会の善」になっているかどうかということ。「その時点のどういう情報を持って、判断をしたのか」という説明責任を果たすことに他なりません。その覚悟を持つということが、これまで以上に求められていくのだと考えています。
グローバルという視点から見たとき、日本はルールや規制の整備が遅れています。ヨーロッパの国々の動向などを意識したり、それぞれの国や地域ごとの留意点などについてアンテナを高く持ったりする必要があります。こういった部分で、デロイトさんにお力添えをお願いしていきたい。
根岸:我々も頑張りたいですね。そういう意味だとアンテナを高く持ち続けるということだけでなく、デジタルコンプライアンスグループが率先して、ルールや規制を作るために働きかけていく動きがより重要になっていくということになるのかもしれません。
未来のデジタルについて
根岸:デジタルの進歩はめざましく、ここ数年だけ見てもかなり変わってきていますが、10年先、20年先を見据えたときに、どういう変化があると思いますか。
樋口:まず、データを集めるということに関しては、これまで「データをどうやって作り、集めますか」という話が主だったと思います。しかし今後は、生きて生活するだけでデータが生まれ、それをどんどん集めることができる状況になっていきます。どんどん生み出される大量のデータを突合していくということは、技術的により容易になってくるでしょう。
たとえば、現在の医療データは病院ごとに保存され、完全に孤立しています。それをどう繋いでいけばいいのかといった議論をしていますが、10年後にはおそらく解決しているでしょう。プライバシーや秘匿性を担保した上で、利活用できるようになっているはずです。
10年、20年先の未来では、ルールや規制、基盤が整備され、そこからどんなインサイトを出していくのかが重要な時代になってきます。ビジネスで言えば、競争の源泉が「データを集める」ということから、「(質の高い)インサイトを出す」ことにシフトしていくでしょう。
そのような中で、デジタルコンプライアンスというものに何が求められていくのかは見えにくい部分があります。しかし、活動・行動・目的などの「正しさ/善」をきちんと説明することが求められていくのは間違いない。近年、企業にはデータプロテクションオフィサーを配置する必要があるといわれ始めています。このような流れもより活発になっていき、そういった組織が定着していくと考えています。
10年後は私自身が現役でない可能性もありますよね(笑)。そうなると、これから社会の中核になっていく人たちが「自分たちが社会を動かす・作る中心になる」といった気概を持って活動できるよう、権限移譲やチャレンジの場を提供していくことが必要だと感じています。
その中で重要なのが「リスキリング」。人材の再教育や再開発は不可避だと思います。その一環として、デジタルに関する最低限のリテラシーは全員が持ってほしいです。また、倫理的・法的・社会的課題(Ethical, Legal and Social Issues)のような概念を社員全員が持っていくことが大切でしょう。
AIなどもそうですが、きちんとしたインサイトを出そうとすると、意味のあるデータをある程度の規模で集める必要があります。そのデータの中には、多くの人たちの貢献が含まれています。その貢献に応えられるだけの成果を、世の中に返していかなければならない。そうしたサイクルを回していくうちに、社会の信頼を得ることができ、結果的にビジネスもうまく回っていくことになると思います。
また、人財育成に関しては、デジタルコンプライアンス担当者にもぜひビジネスサイドにも興味を持ってもらいたい。我々のグループはコンプライアンスの観点で活動していますが、ビジネスサイドのニーズに応えるだけではなく、もっとバリューが上がるような貢献もしていく。そのためには、最前線で起きているデータ利活用により興味を持ってもらう必要があります。
根岸:デジタルコンプライアンスグループの活動をしていれば、データというものがどういったものかが自ずと分かってくる部分もありますよね。その上で、利活用側の人たちが何をしたいのかが分かれば、その価値を高めることができる。これこそ、利活用とコンプライアンスとの両輪が必要だという証左になっていると感じました。
これまで企業のコンプライアンス部門は、なかなか声をかけにくい部門だったという印象があります。それは、コンプライアンスという響きの中に「チェックする」というニュアンスを感じるからかもしれません。しかし、御社のデジタルコンプライアンスグループは「相談」できる場として機能しています。これが非常にうまくいっている要因だと感じました。
樋口:我々のチームは、もともとデータ利活用を推進してきたメンバー自身が、コンプライアンスの視点を身につけています。データがどう流れているのかを把握しているため、コンプライアンスの観点から脆弱な部分や気をつけなければならない部分をアドバイスすることができます。さまざま視点・専門性を持った人が多く集まっていて、その中でディスカッションをすることで、アウトプットの質を高めています。それが当社の強みになっているのかもしれません。
業界や国を超えた協力体制を視野に活動
樋口:デジタルコンプライアンスへの取り組みは大きなチャレンジでしたが、利活用する部門から高く評価され、一定のプレゼンスを発揮できました。
デジタルコンプライアンスグループを設置する前からデロイトさんの協力を得られたのは本当に幸運でした。現在、これまで話してきたデジタルコンプライアンスに関連したまとまったナレッジを溜めているところは、デロイトさんのほかにありません。何から手をつけていけばいいのか分からないときに、ご支援いただけたので、うまく我々の活動を軌道に乗せ得ることが出来ました。
根岸:コンプライアンスは「守り」だといわれてしまいますが、それが企業の成長や「攻め」の創出に必要不可欠だということが分かりました。デジタルコンプライアンスグループの活動がどんどん認知・可視化され、コンプライアンスがデータ利活用に不可欠な要素だということが浸透していく世界が、すぐそこに来ていると感じます。
樋口:中外製薬は、「世界の医療と人々の健康に貢献する」ことを目指して活動しています。いままでは医薬品で貢献することが多かったのですが、これからはサービスでも世の中に貢献していきます。
私たちは世の中や社会の善になることを目指して活動しています。そうすると、皆が賛同できるルールや規制などの整備も並行して必要になる。それは国という枠すらも超えていくかもしれない。実際、現実の世界ではデータは簡単に国境を越えています。この観点からいうと、国を超えたグローバルなルールや規制作りも必要になるでしょう。これらの活動は、我々だけでやっていくことはできません。デロイトさんを始めとした企業や、業界団体、業界を超えた大きなグループやチームと仲間を作っていくことが必要になるはずです。
最終的には行政や国に働きかけるといったことも必要になります。少なくとも、同じような活動をしている人たちの中でコンセンサスを形成する活動に踏み出していかなければなりません。
根岸:デロイトも、トップランナーである御社に期待しています。我々はコンサルタントとして、もちろん企業のご支援は行っていきますが、将来的には複数の企業を束ねた活動のご支援や社会的な貢献についても、もっと注力していきたいと考えています。本日は貴重なお話をありがとうございました。
PROFESSIONAL
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デロイトトーマツコンサルティング合同会社
ライフサイエンス&ヘルスケア 執行役員医薬・医療機器等の内資/外資系ライフサイエンス企業や他業界からの参入企業に対して、戦略立案、オペレーション/組織改革、およびデジタル戦略立案/実行支援、アウトソーシング戦略立案、当局規制コンプライアンス対応などのプロジェクトをクロスボーダー案件も含め数多く手がけている。