デジタル・サイエンスが切り拓くヘルスケアの未来~FTI × Deloitte Digital座談会~

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2021/4/23

研究者からコンサルタント、キャピタリストへと転身

安西:私自身は元々基礎生命科学の研究者で、カイコを使った染色体の研究を行っていました。大学院にいた当時、カイコの染色体にあるレトロトランスポゾン(注:転移する遺伝子配列)に産業利用が可能な特性があることを発見し、その研究成果を知財化することになりました。

知財ライセンスのための製薬企業に技術説明にも行きましたが、何の実績もない、ただの大学院生が行っても、恐らく相手側は“研究発表の延長に付き合っている”くらいの感覚だったと思います。私自身もまったく手応えを感じることが出来ませんでした。当時MOT(技術経営)がブームになっていましたが、現実とのギャップは大きいと痛感させられました。ただ、私は基礎研究の領域の成果にこそ、社会を大きく変えるイノベーションが生み出せると信じていました。基礎研究の成果を社会に実装していくためにもまずは対岸であるビジネス側の論理を学ぶ必要があると考え、白衣を脱いでコンサルティング会社に入社することを決めました。

そこで2年ほどコンサルティング活動に従事し、2006年1月から現在の株式会社ファストトラックイニシアティブ(FTI)に参画しました。コンサルティング会社からベンチャーキャピタル(VC)に入り、初めはギャップを強く感じました。一言で言うと、非常に泥臭いなと(笑)。FTIは自身で投資先の創業をすることもあるのですが、設立の際は、法人登記から自分で行いました。当然にお金絡みの話も多いので、大変な苦労も経験しましたね。

株式会社ファストトラックイニシアティブ
代表パートナー

安西 智宏 氏

FTIは2004年に設立された独立系のベンチャーキャピタル(VC)。日本と米国ボストンに拠点を持ち、バイオ・ヘルステック領域への投資に特化する。“Capital for Life”をミッションとして掲げ、「いのち」や「くらし」を取り巻くステークホルダーに「こういう会社があってよかった」と実感してもらえるような、ソリューションを提供するベンチャーを支援する。

モダリティの多様化について

大川:今回は「ヘルスケアの未来」をテーマに、安西さんとお話が出来ればと思います。まず始めに近年の低分子、中分子、再生・細胞医薬、遺伝子治療、はたまたデジタル治療といった新規モダリティ(治療手段)の進化・多様化は医療にどのようなインパクトを及ぼすと考えていますか。テクノロジー×ヘルスケアのキャピタリストという観点から市場をどう見ているのか、考えや展望をお聞かせください。

デロイト トーマツ コンサルティング合同会社
ライフサイエンス&ヘルスケア
アソシエイトディレクター
Deloitte Digital

大川 康宏 氏

安西:近年の医薬分野はモダリティの進化がとても速いスピードで展開しており、医療全体に大きなインパクトをもたらしているというのはおっしゃる通りだと思います。新規のモダリティ開発にはいくつかの特徴があります。

まず新規モダリティによる開発品が、高い医療ニーズのある疾患に革新的な治療法を提示している点です。遺伝子治療はその最たる分野で、議論はありますが、世界的にも極めて高い薬価が付いています。今後、細胞・再生治療の研究開発が発展してくれば、根本治療への期待も高まるものと思います。

また、新規モダリティをいち早く抑えることができれば、特定の疾患だけでなく、多くの疾患領域に展開できる強固な事業プラットフォームを持つことができる点です。ベンチャー企業だけでなく製薬企業も加わって、製造面や薬事面で業界標準を取るための熾烈な競争が行われています。

また、新規モダリティの医薬品開発には、バイオだけではなく複数の技術融合が求められるという点です。例えば、核酸医薬に目を向けると、そこで扱われているのは遺伝子配列というデジタル情報であり、データ解析と相まって、今後も多くの治療技術が開発されていくと期待されます。テクノロジーの進化や融合が、医薬品の研究開発を推し進めていると思います。

今、このタイミングにおいて議論せざるを得ないのは、やはり新型コロナウイルスのワクチンを開発した、アメリカのModerna(モデルナ)とドイツのBioNTech(ビオンテック)ではないでしょうか。両社のワクチンは、今まさに世界中で投与が進んでおりますが、どちらもmRNAワクチンという新しい技術を用いており、新型コロナウイルスの遺伝子情報が分かってからの開発スピードは瞠目すべきものでした。両社ともにこのモダリティに長年の研究開発の蓄積があったからこそ、このスピード感が実現したものと思います。今回のパンデミックにより、切実な医療ニーズと結びついて革新的な技術が速やかに社会実装される姿が顕在化しました。この流れは医薬の研究開発を大きく加速させるものだろうと考えています。

アメリカと日本の差

増井:モデルナの話題が上がりましたが、アメリカの企業が実現できて、日本の企業ができていない根本的な原因はどのようにお考えですか? 1人ひとりのサイエンティストのレベルの差はなくても、集合体となると大きな差が出てきます。そのあたりのギャップはどう見立てているでしょうか。

デロイト トーマツ コンサルティング合同会社
ライフサイエンス&ヘルスケア
執行役員
Deloitte Digital

増井 慶太 氏

安西:日本とアメリカでは恐らく市場も含めたエコシステムの面とイニシアティブという“誰が事業の主体になるか”という考え方の面が圧倒的に違うのかなと思います。1つは市場環境として、例えばマサチューセッツ州のボストン・ケンブリッジには、多様な専門性を持った企業や研究者などがそろっています。そこで新しい事業を起こそうとした際、様々な異分野の融合が必然的に起こるという状況です。

アメリカではモデルナを創出したFlagship Pioneeringのように、VCがイノベーション創出を強力に支えており、スタートアップに対する投資額は日本とは桁違いです。モデルナやビオンテックももとはスタートアップ企業です。今の時代の背景に即した研究テーマをスクラッチから作る機動性があるというのは、スタートアップの大きな強みです。モデルナは、コロナ以前から、まるでIT企業であるかのようにITプラットフォームにも重点投資をしてきましたが、それが結果的に驚くべき開発スピードに繋がったと思います。このような投資の振り方は、既存の製薬企業では真似できないのではないでしょうか。

松原:大手企業が既存のR&Dの体制やプロセスをそう簡単には変えられない中で、スタートアップが新しいアプローチでイノベーションに挑戦する意義は大きいと思います。一方で、それらの企業が創薬に必要な全ての要素を自前でそろえるというのも難しい面があるように思います。創薬に取り組むスタートアップは、自分たちの根幹にある技術やバリューチェーン以外のものを、どのように外部から補完しているのでしょうか?

デロイト トーマツ コンサルティング合同会社
ライフサイエンス&ヘルスケア
マネージャー
Deloitte Digital

松原 大佑 氏

安西:ひとつ例を挙げると、私たちの投資先のひとつであるモジュラスは、バーチャルファーマと呼ばれるモデルを採用しています。分子シミュレーションなどの計算科学をコア技術としており、ウェットの実験は自前では行わず、インドや中国などの受託研究機関に全て外注しています。設備投資が少ないのと、機動性を持った研究開発が可能です。昨今のコロナ禍でも、各国の情勢を見ながら受託可能な企業を世界中から選択することで、製薬企業の研究開発が一時的な中断に追い込まれる中でもうまく事業を継続することが出来ました。

増井:では日本の製薬会社がモデルナのような会社に追いつき追い越すということを考えると、根本的な経営の考え方や投資の仕方の見直しが必要でしょうか?

安西:そうですね。アメリカはそういう会社がスタートアップとして設立されて、最後まで製薬企業に頼らず薬を上市させるケースもありますし、ある程度大きくなったところで、メガファーマが数千億円単位のM&Aによって付加価値を取り込むケースもあります。日本国内の製薬企業も、良い技術を持つ国内ベンチャーを育成しながら育ったところでそれを取り込む、といった循環が生まれてくると、日本のエコシステムも活性化するのではと感じています。いずれにしろ時間のかかる話にはなりますが。

大川:日本の市場で見ると、非製薬事業を本業としてきたさまざまな企業が医薬品市場に参入をしてきています。これにより、製薬事業領域の参入障壁が下がり、今後製薬ビジネスの競争関係もガラッと変わる可能性もあり得ると思います。それについてどうお考えですか?

安西:まずベンチャー側の立場としては、競争環境の変化は大きなチャンスだと捉えています。ベンチャーを含めて製薬事業への新規参入は増えると思いますが、ポイントは人です。例えばバーチャルファーマをやろうとすると、企業経営と創薬のプロセスの理解している人でなければ全体プロセスをうまくマネジメントできません。従来の製薬企業は機能分化しており、特定のスペシャリストはいても、全体をコントロールできる人材はなかなか現れない。今後日本の医薬系スタートアップでも、研究から事業開発、経営までの実務経験や、スタートアップ経営の経験を積んだシリアルアントレプレナーのような、全体をマネジメント出来る人材をどう引き入れるのかが課題だと感じています。

withコロナ時代のヘルスケア

西上:コロナというものを起点にヘルスケアに関する社会的な関心が高まり、投資意欲の活性化が行われたと思います。生活や働き方も強制的に変化せざるを得ない部分があったと思いますが、安西さんの仕事においてコロナはどういった影響を及ぼしましたか?

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ライフサイエンス&ヘルスケア
執行役員
Deloitte Digital

西上 慎司 氏(モデレーター)

安西:まずヘルスケアそのものが、これだけ注目を浴びるタイミングは有史以来なかなか無かったと思います。もしもワクチンによって世界の患者数が減っていく方向に向かうのであれば、今後もバイオやヘルスケア領域には注目が集まっていくでしょうし、私たちも世界のニーズに応えられるようなソリューションを提供する企業を支援し続けないといけないと考えています。

医療やバイオ研究はコロナ禍でも不要不急の対極であって、当社の投資先もそれほど大きな影響を受けませんでした。取締役会といった投資先とのコミュニケーションですが、Web会議が中心のスタイルに変わっています。Web会議だけで投資判断を行うケースもありますが、そこには裏があって、昔から技術や経営陣とも何らかの接点があり、これまでの実績を認識しているからこそ投資ができています。今後はリモートの環境下であっても、私たちがリアルでは知らないような方々と信頼関係を築き、ミッションを共有しながら一緒にやっていくことが求められます。そこは次のチャレンジになるのかなと思います。

未来のヘルスケアへの抱負

増井:最後に安西さんが見る未来のヘルスケアへの思いや抱負を聞かせてもらえませんか。

安西:あるべきヘルスケアの将来像として思い浮かべる姿は皆さんとそれほど変わらないと思います。病苦に苛まれることなく、心配無く日々が過ごせればどれだけいいのかと思います。その一方で長期的に見ると、人類にとってそれが本当の幸せなのかは疑問です。人類というのはさまざまなチャレンジを経て学び、次に活かしていく歴史があるからです。

これだけデジタル化が進んでさまざまな人が繋がりやすくなっていますけど、私がキャピタリストとして最も大切にしている信念は“未来への流れを作るような仕事をする”ということです。単体で出来る力というのは限られていますが、私たちが支援するベンチャーが達成しようとしているミッションに多くの人が共感し、応援してもらえるようになることを目指しており、私たちは黒子として未来への流れを作る役割なのです。

その上ですごく大事なのはイニシアティブ。力強く推進していくためには、強い思いを持ってプロジェクトを推進する主体が必要です。大企業の方がイニシアティブを取るケースもあれば、アントレプレナー、医師やアカデミア研究者、そして私たちキャピタリストが主体になるケースもありえます。

私が仲良くしていたヘルスケア領域の女性経営者の方が「自分自身はリーダーというよりは、明るい未来へのチアリーダーだ」と仰っていたことがありました。社会全体を重い空気感が支配する中で、ヘルスケアには未来に放つ光があり、その光をたくさんの人に信じてもらえるよう、先導できるような役割を担っていきたい。そのような信念を持ちながら会社経営に従事してきました。

デロイト トーマツ コンサルティングさんも、より良い未来を先導するような役割だと思いますし、様々なセクターに対して影響力を有しておられます。ぜひそれを力強く伝播していただきつつ、産業界の変革ドライバーとしてイニシアティブを取っていただきたいと期待しています。

増井:ありがとうございます。このようなお話を聞けるのは、当社にとっても刺激になるので、ぜひまたお話を聞かせていただければと思います。

PROFESSIONAL

  • 増井 慶太

    デロイト トーマツ コンサルティング合同会社
    ライフサイエンス&ヘルスケア | ストラテジー パートナー

    米系戦略コンサルティングファーム、独系製薬企業(経営企画)を経て現職。“イノベーション”をキーワードとして、事業ポートフォリオ/新規事業開発/研究開発/製造/M&A/営業/マーケティングなど、バリューチェーンを通貫して戦略立案から実行まで支援。東京大学教養学部基礎科学科卒業。メディア寄稿や...さらに見る

  • 西上 慎司

    デロイトトーマツコンサルティング合同会社
    ライフサイエンス&ヘルスケア パートナー

    民間シンクタンクを経て現職。製薬、医療機器メーカーを中心に、マネジメント変革、グローバル組織設計、海外進出支援等のプロジェクトを手掛ける。最近はデジタル戦略・組織構築などDX関連の案件を多数支援。主な著書:「ファイナンス組織の新戦略」(共著)...さらに見る

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