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Industry Eye 第15回 ライフサイエンス・ヘルスケア

バイオテクノロジー業界 ~日米バイオベンチャーの現状と課題、そして将来性~

近年、日本では再生医療、バイオ医薬品の開発を担うバイオテクノロジー産業に大きな期待が寄せられています。その中でバイオベンチャーが果たす役割は大きく、バイオベンチャーを取り巻くエコシステムの構築が重要となっています。そこで、日米のベンチャーエコシステムの現状と課題、将来性を、バイオベンチャーのM&A動向と併せて解説します。

Ⅰ. はじめに

日本国内では少子高齢化、慢性疾患やガン患者の増加に伴い、医療費支出が増加の一途をたどっており、今後も増加傾向が続くと見られている。他方、iPS細胞を始めとした再生医療、バイオ医薬品の開発は盛んに行われており、革新的な医薬品の開発を担うバイオテクノロジー産業に大きな期待が寄せられている。

このような背景において、革新的な医薬品、治療法を実現させるためにバイオベンチャーが果たす役割は大きく、バイオベンチャーを取り巻くエコシステムを構築することが重要となっている。そこで、バイオベンチャーのM&A動向と併せて日米のバイオベンチャーエコシステムの現状と課題、将来性について解説する。

II.ベンチャー企業への投資動向

図1:日米のベンチャー企業投資額、件数の推移 参照

日米におけるベンチャー企業への投資金額、投資件数の推移を見てみると、米国では2014年に前年比78%増(ドルベースでは64%増)の5兆円を超える投資がなされ、投資件数は4,000件を超えており近年は増加傾向である(図1)。一方、日本では投資金額が1,000億円、投資件数が1,000件前後の推移に留まっており、ベンチャー企業への支援が十分に行われているとは言えない状況である。

さらに、再生医療やバイオ医薬品の開発を事業とするバイオベンチャーに注目してみると、日本では投資先に占めるバイオベンチャーの割合は投資金額、投資件数ともに16%に留まっている。その要因として、バイオテクノロジー産業では開発に着手してから事業化までの期間が長いこと、事業化確率が他産業よりも低く、投資にリスクが伴うことが挙げられる。

実際に、バイオ・医療系ベンチャーのIRR(内部収益率)を見てみると、IRRがプラスであったファンドの件数は5~14%であり、ほとんどのファンドがマイナスであった。他方、ITやエネルギー産業などを含む全産業では、IRRがプラスであったファンドの件数が20~28%あり、バイオ・医療系ベンチャーの方が低くなっている。 )

このように、バイオテクノロジー産業での事業化、収益化は容易ではなく、投資には一定のリスクを伴うわけであるが、この状況、課題を打開する方策の一つとして、バイオベンチャーを経営面や資金面から支援する環境、いわゆるベンチャーエコシステムを構築することが挙げられる。ベンチャーエコシステムが効果的に機能し始めると、将来的にバイオテクノロジー産業での事業化が増加、拡大し、ひいてはバイオベンチャーの企業価値向上、バイオベンチャーへのさらなる投資につながるという好循環が生まれると考えられる。

図1:日米のベンチャー企業投資額、件数の推移

出典:ベンチャー白書2015、NPCA Yearbookより、デロイト トーマツ ファイナンシャルアドバイザリー合同会社作成

III.ベンチャーエコシステムの構築

1.米国創薬系ベンチャーA社の事例

では、ベンチャーエコシステムとは具体的にどのようなものか、効果的に機能しているベンチャーエコシステムを、米国の創薬系ベンチャーA社を例として説明する。A社は2009年に設立された創薬系ベンチャー企業であり、設立当初からベンチャーエコシステムによる支援を受けていた。大学が母体となっているベンチャー支援企業S社がインキュベーション施設の提供、経営支援を行っており、地域自治体が民間企業とのネットワーク構築を支援、さらに民間投資ファンドが総額1億2,200万ドルの投資を行っていた。このように、学術機関、政府・自治体、投資機関、民間企業が一体となってそれぞれの役割からベンチャー企業を支援する仕組みがベンチャーエコシステムである。

このベンチャーエコシステムの中で、A社は多方面からさまざまな支援を受け、有望なガン治療薬の開発に至り、設立からわずか4年で前立腺ガン事業を目的とする大手製薬会社J社に10億ドルで買収されることとなった。前立腺ガン以外の事業はスピンオフされ新たにE社が設立されたが、E社はその1年後にG社により17億2,500万ドル(うち10億ドルは成果に応じて支払い)で買収されている。A社はベンチャーエコシステムの中で資金的、経営的な支援を受けながら成長し、M&Aも通じて企業価値を高めた成功事例となる一社である。

図2:米国創薬系ベンチャーA社の事例 参照

図2:米国創薬系ベンチャーA社の事例

出典:デロイト トーマツ ファイナンシャルアドバイザリー合同会社作成

2.日本の創薬系ベンチャーP社の事例

他方、日本ではベンチャーエコシステムが効果的に機能している例が多いわけではないが、成功事例の一社としてP社を紹介する。 

図3:日本の創薬系ベンチャーP社の事例 参照

P社は米国の大学、大手製薬会社の技術を基盤として独創的な医薬品の開発を行っている。ベンチャーエコシステムとしては、日本の大学がインキュベーション施設を提供し、政府、自治体として独立行政法人、県が支援をしており、資金面や経営面は政府系、民間投資ファンドが支援を行っている。また、民間企業とのネットワークも構築しており、他の製薬会社と共同開発契約およびライセンスアウト契約を行い、医薬品卸会社と社債引受および卸売販売権に関する契約を行っている。このように、産学官が連携してベンチャーエコシステムが効果的に機能すれば、日本でもバイオベンチャーが成長できる機会は十分にあると言える。

日本では2014年に国立大学がベンチャー支援企業に出資できる法律が施行されている。将来的に経営面、資金面での支援がさらに拡大し、ベンチャーエコシステムが効果的に機能して多くのバイオベンチャーから事業が誕生することが期待される。 

図3:日本の創薬系ベンチャーP社の事例

出典:デロイト トーマツ ファイナンシャルアドバイザリー合同会社作成

IV. ベンチャーエコシステムの現状と課題

1.日本と米国におけるハード面の違い

前項でベンチャーエコシステムの成功事例を紹介したが、日米のベンチャーエコシステムの現状と課題について、ハード面とソフト面から整理をした。

図4:日米のベンチャー企業の現状と課題(ハード面)参照

ベンチャーエコシステムのハード面として、ここでは立地、設備、インキュベーション施設への入居条件、資金の観点から解説する。1点目の立地に関しては、日米ともに大学や研究機関がインキュベーション施設を提供している点で共通しており、ベンチャーエコシステム構築の1つの役割を担っている。一方で、立地が離れていることによる大企業との協業が非効率な点や米国のシリコンバレーのようなベンチャー企業集積地が少ない点は課題であると考えられる。2点目は設備に関してであるが、日本では最先端の実験設備、環境、インフラは整っているが、事業化ステージに対応した設備が整っている場合が少なく、レイターステージなどで大型装置が必要な事業においては十分に環境が整っているとは言えない状況である。米国では開発のアーリーステージから大企業と協業している場合も多く、日本でも大企業の積極的な支援が求められている。3点目のインキュベーション施設への入居条件は、日米ともに入居に事業審査を設けている点や入居できる産業に制約がない点で共通しており、現状大きな課題はないと考えられる。そして、4点目は資金に関してであるが、前述した通り、日本ではベンチャー企業への投資が少ないことが一番の課題となっている。日本は、リスクを回避し、少額分散型の投資を行う傾向があるため、投資金額が小さかったり投資件数が少なかったりとベンチャーファイナンスが十分ではないのが現状である。一方の米国ではベンチャーキャピタル、エンジェルネットワークが充実しており、投資件数、投資規模が大きいのが特徴である。さらに、大企業も戦略的な提携を見据えて投資をしており、ベンチャー企業の成長、事業化機会が日本よりも多くなっている。

以上のように、ベンチャーエコシステムのハード面においては、日本はインキュベーション施設への入居条件は効果的であると考えられるが、資金面において課題が多く、今後ベンチャーキャピタルや大企業の戦略的な支援が必要とされるであろう。

図4:日米のベンチャー企業の現状と課題(ハード面)

出典:デロイト トーマツ ファイナンシャルアドバイザリー合同会社作成

2.日本と米国におけるソフト面の違い

続いて、ベンチャーエコシステムのソフト面として、経営、人材、特許、顧客の観点から解説する。

1点目の経営に関して、ベンチャーエコシステムの中でも重要なポイントであるので詳細に説明する。まず、日本でもインキュベーションファンドなどの投資家がハンズオンで経営を支援している場合は多く見られており、ベンチャー企業にとって大きな課題である経営面はベンチャーエコシステムで支援を受けられていると考えられる。ただし、日本では起業経験者やメンターが不足しており、投資家以外によるハンズオン型経営は限定的であると見られる。また、ベンチャー企業のイグジットとして、米国ではバイサイドの事業拡大やセルサイドの資金調達など戦略的目的を持ったM&Aが多いのに対して、日本では会計制度の問題もあるがIPOに偏重している状況である。M&AとIPOにはさまざまな違いがあるが、大きな違いの一つとして経営者の状況変化が挙げられるであろう。すなわち、M&Aの場合、基本的に経営権がバイサイド企業に移ることになるが、そこに抵抗を示す経営者は存在するであろう。その点、米国では経営者がM&Aを一つの区切りと捉え、株式譲渡などにより得た資金を元手にして新たな起業を行う傾向があると言える。そのためM&Aに対する抵抗も比較的小さいと推察され、バイサイド、セルサイドの利害が一致しやすい。一方、日本では資金調達をしたい反面、経営権も保持したいと考える傾向があったり、日本の会計制度上M&Aに伴うのれん償却が最大20年続いたりということから、M&AではなくIPOを目的とするベンチャー企業が多くなっている。

図5:日米のベンチャー企業の現状と課題(ソフト面)参照

2点目は人材についてであるが、前述の通り日本では起業経験者やメンターが少ないことが課題である。米国では外部専門家との連携も含め、ビジネス人材、テクノロジー人材が役割分担し効率的に機能している点も参考になるであろう。3点目は特許であるが、特許は将来に渡って他社から事業を守る、反対にライセンスによる収益化など特許活用の点で重要になる。日本では全体的に死蔵特許が多く特許の有効活用が十分になされているとは言えないが、ベンチャー企業でも戦略的な特許出願、特許ポートフォリオ管理に課題が残されている。米国では外部専門家とも連携しつつ、大学発の特許も中小企業やベンチャー企業で効率的に活用されている。4点目として顧客との関係性を述べる。日本では大企業が新規技術の導入に慎重で、他社の実績を考慮する場合が多く、ベンチャー企業にとって大企業を顧客とすることは容易ではない環境である。また、潜在的な顧客と会う機会や大企業とのパートナリングの機会、販売支援も少ない状況である。ただし、日本でも近年はコーポレートベンチャーキャピタルを見直す徴候が見られており、米国のように戦略的提携を見据えた投資もされるようになってきている。米国ではベンチャーキャピタルや地域自治体が顧客とのネットワーク構築を支援していたり、戦略的投資をしている大企業がファーストベンダーになる場合があったりとベンチャー企業を取り巻くエコシステムで積極的な支援がなされている。この点は各自の将来的な成長計画、バリューチェーン構築において考慮すべき事項であろう。

以上のように、ベンチャーエコシステムのソフト面に関しては、日米で大きな違いが生まれている。日本では、経営面でのイグジット、人材や特許の活用方法において検討の余地があり、ベンチャーエコシステムがより効果的に機能することが期待される。

図5:日米のベンチャー企業の現状と課題(ソフト面)

出典:デロイト トーマツ ファイナンシャルアドバイザリー合同会社作成

V. バイオベンチャーのM&A動向

これまでに、米国創薬系ベンチャーA社が設立から4年で買収されたという事例や米国でイグジットとしてM&Aが行われる傾向があるということを説明したが、ここでバイオベンチャーのM&A動向を見てみる。2009年から2015年までのM&A取引金額、取引件数の推移を見たものであるが、グローバルでは60億ドルを超えるM&Aの取引があるのに対し、日本では1,000万ドル前後にとどまりM&Aがほとんど活用されていないことがわかる(図6)。

図6:バイオベンチャーのM&A動向、
図7:バイオベンチャーのM&A事例(2014年)参照

また、2014年に行われたM&A取引金額上位10件を見てみると、米国企業が多いことがわかる。ここからも米国では積極的にM&Aがされており、M&Aにより得た資金を事業強化、新事業創出に再投資するというビジネスの好循環が出来ていることが推察される。そして、その根底にはベンチャーエコシステムが効果的に機能していることも関係していると考えられる。

図6:バイオベンチャーのM&A動向

出典:*1) 対象企業はバイオテクノロジー産業における未上場企業である
出典:Thomson Oneより、デロイト トーマツ ファイナンシャルアドバイザリー合同会社作成

図7:バイオベンチャーのM&A事例(2014年)

*1) Target Companyはバイオテクノロジー産業において2000年以降に設立された未上場企業が対象である
*2) Bidder Companyは投資・証券・金融会社などを除く事業会社が対象である
出典:Thomson Oneより、デロイト トーマツ ファイナンシャルアドバイザリー合同会社作成

VI.おわりに

以上のように、日本におけるベンチャー企業、とりわけバイオベンチャーを取り巻くベンチャーエコシステムは十分に機能しているとは言えない状況である。しかし、バイオテクノロジー産業で最先端の技術を有する日本のバイオベンチャーは、多くの開発を事業化に繋げるポテンシャルを有しているであろう。そのポテンシャルを活かすために、より効果的なベンチャーエコシステムの活用は有効な手段の一つとなると考えられる。そして、日本のバイオテクノロジー産業が世界をリードし続けることを期待したい。
 

※本文中の意見や見解に関わる部分は私見であることをお断りする


デロイト トーマツ ファイナンシャルアドバイザリー合同会社
ライフサイエンス・ヘルスケア担当
浦川慶史

(2015.12.24)
※上記の社名・役職・内容等は、掲載日時点のものとなります。

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