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不正予防のための組織風土醸成―心理的安全性の高め方―(1/5)

クライシスマネジメントメールマガジン 第46号

シリーズ:丸ごとわかるフォレンジックの勘所 第37回

本シリーズでは、フォレンジックの勘所を不正の予防・発見、対処、再発防止の全プロセスにわたり、複数回に分けて紹介します。多くの企業不祥事の背景には、「見て見ぬふり」をするなどの組織風土の問題があります。不正を事前に抑止するための健全な組織風土醸成、とりわけ率直な意見を言いやすい環境などを指す「心理的安全性」を高める意義について全5回の連載で解説します。第1回の本稿では、心理的安全性の概念について説明します。

I. はじめに

近年発覚した大規模な不正事案において、組織風土の問題を指摘される事例は枚挙に暇がない。「ものが言えない」「事なかれ主義」「隠ぺい体質」等の言葉が紙面を覆う。しかし、それらは不正が発覚した組織にのみ見られる特徴だろうか。貴社の組織でも、多かれ少なかれ、意見を闊達に述べることへの心理的抵抗がありはしないだろうか。例えば、上司の意見に異を唱えられず、そのまま黙ってやり過ごした経験が身に覚えがある方も多いだろう。

本シリーズでは、そのような心理的抵抗が不正に与える影響を指摘するとともに、不健全な組織風土を打破し、変革するためのアプローチを5回にわたり解説する。率直に意見を述べることができる組織風土、その核となる心理的安全性をいかにして高められるかについてフォーカスする。本シリーズでは「実践にどう移すか?」という実務家視点の解決策まで踏み込んでいくが、第1回である本稿は、その準備として理論的な解説が大部分を占めてしまうことを予めご容赦頂きたい。

II. 「動機」「正当化」と「心理的安全性」

近年、社会では企業の不正対応に対する関心の高まりが見受けられる。例えば内部通報制度を例にとると、法改正や認証制度の発効・普及、通報窓口の複線化(社内窓口と社外窓口を併設)、社内リニエンシー(責任減免)制度の浸透等が急速に進み、社会の不正に対する態度の変容が見てとれる。不正の発覚という最悪の結末を事前に抑止・検出する取り組みは、社会、組織、個人のいずれの面からも歓迎されることであろう。

しかし、このような取り組みを「不正のトライアングル」(図1)に照らすと、「機会」に対するアプローチが主眼となっていることが分かる。「不正のトライアングル」では、不正は「動機」「機会」「正当化」が揃ったときに発生するといわれるが、「動機」「正当化」に対するアプローチが無ければ、不正を企図する者が「機会」をくぐり抜け不正の実行に及ぶ潜在的な恐れは常にあるといえる。そして、「動機」「正当化」には人間の心理的要素が多分に影響を及ぼす点で、コントロールが難しい。

実例を挙げよう。

某組織にて、イベント開催の担当者が社内規定に反して数百万円の備品を自腹で購入した事案があった。担当者は経費管理を一任されていたが、部署の一大イベントとあって事務は煩雑かつ多岐にわたり、また契約・経理サイドは手続きの逸脱がないよう担当者に対し強いプレッシャーを与えていた。このような中、担当者は事務ミスから、事業の帰趨を決する重要な備品の予算化ができていないことに気づく。正規の手続きでは、もはや手遅れである。担当者は事業の完遂と責任追及の回避のため、備品を自腹で購入するという件の逸脱行為に及んだのであった。単純な事案ではあるが、「機会」を抑制する制度や手続きの整備だけでは防ぎきれないことが分かる。必要なのは、責任追及回避という「動機」と、事業完遂優先という「正当化」を打ち消しうる心理的な手当であったといえよう。

また、筆者はコンサルティングの現場で、以下のような内部通報制度に関する意見をよく耳にする。いわく、「通報者探しをしている雰囲気はある」、「(通報すると)絶対に特定される。間違いなく報復される」、「通報は、余程のことがあれば考えるが…(躊躇いがある様子)」などである。心理的な抵抗に基づく忌避感を含むものが多く、心理的手当なしには、確立したはずの制度(「機会」の抑止)の実効性が危ぶまれるのである。

それでは、どのように心理的要素に働きかけるべきだろうか。「動機」「正当化」をさらに堀り下げてみたい。

まず「動機」だが、不正の「動機」は個人的な利得を図る「個人的動機」と社会的な存在としての地位の維持・向上を図ろうとする「社会的動機」に大別される。このうち、本稿では「社会的動機」に焦点を当てたい。「社会的動機」の背景には、業績達成のプレッシャーや良く評価されたいという願望の投影等が存在する。突き詰めると、周囲と自分との間に何らかのコミュニケーションギャップが存在し、認識のズレが生じていることに真因が存在する。このズレが是正されず乖離が深まっていくと、ある局面で人はオーバーフローを起こし、不正の企図をはじめとする悲劇的な帰結に突き当たってしまう。このような「社会的動機」を解消するには、「発言による不安がない状態」を作り上げることでコミュニケーションギャップを埋め、メンバーの抱える問題に対し、組織全体で協力して解決を図る状態を形成する必要がある。

次に「正当化」だ。不正の「正当化」に対する手当は、倫理観の醸成と換言されることが多いが、「外発的」な手当と「内発的」な手当に大別することができる。「外発的」な手当とは、組織のいわゆる倫理教育という形で成されることが多い。外からの働きかけで倫理観を高揚させるということである。一方、本稿で焦点を当てたい「内発的」な手当とは、従業員が自身の内から不正をすべきではないと思える状態をつくることである。その実現には、メンバーが「互いに信頼・尊敬できる」風土を作り上げ、個々人がチーム・他メンバーの抱える課題に対する参画意欲や当事者意識を高揚させることが必要となる。いささか理想論が過ぎるように思われるだろうか。しかし、信頼・尊敬が組織の価値観として重視されていれば、中長期的に組織に所属するための前提として機能し、不正への有力な抑止力になりうる。

以上のように整理するとき、不正のトライアングルと心理的安全性が結びつく。心理的安全性とは、ハーバード・ビジネススクールのエイミー・エドモンドソン教授が提唱した概念であり、端的に纏めると「メンバーの率直な意見を喚起する組織風土」を指す。この概念は世界的に有名なIT企業の実践を契機に、広く知られることとなった。
心理的安全性が高められた組織では、自己効力感・貢献意欲の高揚、ネガティブ情報の報告、多様性の促進、チームの学習・改善行動の強化といった効果が観察される。組織のパフォーマンス向上の因子として抽出された心理的安全性だが、これが上記で整理した「発言による不安がない状態」「互いに信頼・尊敬できる状態」から構成されることは自明といえる。つまり、組織風土の側面からは、パフォーマンス向上と不正抑制が不可分であり、両者を射程に入れて変革を促す必要があることを強く示唆している。では、どのようにしていけば、心理的安全性、ないし「発言による不安がない状態」「互いに信頼・尊敬できる状態」を実現できるのだろうか。

III. 心理的安全性の高め方

次回以降、そのための方法論を具体的に論じていくが、最後に基本的な枠組を示して本稿を終えたい。一般に、意識変革が難しいのは、改善対象が特定の個人・行動に限定できない点にある。また、個々人の変革は必要である一方、組織全体が変革されないと個人レベルでの改善がかき消され、改善の“巻き戻り”が起きてしまうことも大きな要因の一つだ。

このような点を考慮し、われわれは、①自己への働きかけ、②他者への働きかけ、③組織からの働きかけの「3つの働きかけ」(図3)から成る変革アプローチが必要だと考えている。このいずれの働きかけが欠けても変革はちぐはぐなものになる、あるいはかき消えてしまい、定着には至らない。

このうち、①自己への働きかけでは自己認識という内省のメソッドで周囲と自分との認識のズレを埋めに掛かる。自分の言葉は、相手にどう受け取られているだろうか。立場、状況、些細な表現や振舞いによって、あらぬ意味合いで受け取られてはいないだろうか。自分の行動の背景には、どのような価値観が存在するだろうか。このようなことを振り返ることが心理的安全性の基礎を形成する。

また、組織風土が変わるためには、個人とともに周囲も変わっていかなければならない。そのためのヒントが「影響力」だ。我々は社会的な存在であるため、意識・無意識を問わず、普段の行動・振舞いによって、周囲に常に何らかの「影響力」を与えている。「影響力」は人づてに組織全体へ波及し、組織風土を形成する。②他者への働きかけでは、先述の自己認識に加え、このような人間本来の性質を踏まえた理想論に終始しない「影響力」の与え方を具体的な行動に落とし込む。

さらには、③組織からの働きかけにより、個人レベルの改革に対して組織が支援をすることで、改革を維持継続する。

IV. おわりに

以上、本稿では不正のトライアングルと心理的安全性の関係性を中心に基本的な概念・枠組を説明した。むろん、概念や枠組だけでは人や組織風土を変えるという難題の解決には迫れるべくもない。次回からはより実践的に“何をして、どう変わるか”に焦点を当て、読者諸氏の実務に関わる示唆を提供していきたい。

 

※本文中の意見や見解に関わる部分は私見であることをお断りする。

執筆者

デロイト トーマツ ファイナンシャルアドバイザリー合同会社
フォレンジック&クライシスマネジメントサービス
小川 圭介(シニアヴァイスプレジデント)
内田 哲也(シニアアナリスト)

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