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不正予防のための組織風土醸成―心理的安全性の高め方―(3/5)

クライシスマネジメントメールマガジン 第48号

シリーズ:丸ごとわかるフォレンジックの勘所 第40回

本シリーズでは、フォレンジックの勘所を不正の予防・発見、対処、再発防止の全プロセスにわたり、複数回に分けて紹介します。多くの企業不祥事の背景には、「見て見ぬふり」をするなどの組織風土の問題があります。不正を事前に抑止するための健全な組織風土醸成、とりわけ率直な意見を言いやすい環境などを指す「心理的安全性」を高める意義について全5回の連載で解説します。第3回の本稿は、心理的安全性を高めるための「他者への働きかけ」について解説します。

I. はじめに

本連載では、心理的抵抗が不正に与える潜在的な影響を指摘するとともに、不健全な組織風土を打破し、変革するためのアプローチを5回にわたり解説する。率直に意見を述べることができる組織風土、その核となる心理的安全性をいかにして高められるかについてフォーカスしながら、「実践にどう移すか?」という解決策まで踏み込んでいく。

II. 3つの働きかけ(再掲)

第1回で、心理的安全性を高めるためのアクションとして「3つの働きかけ」、即ち①自己への働きかけ、②他者への働きかけ、③組織からの働きかけの3方向から成る変革アプローチをご紹介した。このいずれが欠けても変革はちぐはぐなものになる、あるいはかき消えてしまい、定着には至らないだろう。

第3回の今回および第4回の次回で扱うのは「②他者への働きかけ」である。ここでは前回の「自己への働きかけ」で述べた自己認識に「影響力」をはじめとする人間本来の性質を加味して、心理的安全性を高める行動を個人から組織に広げていく。

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III. 事例から見る「他者への働きかけ」の必要性

まずは某大手陸運業の事例を見てみよう。
引越し顧客に対して不正に実家財量を過大に見積る手口による「水増し請求」が大規模かつ全国的に横行していた。事後調査で、じつは発覚前に過去幾度にわたり内部通報・報告があったことが判明した。
この事例は、単に内部通報・報告を受けた担当者への追及で片付けるべきものではない。明らかに多数の従業員が不正を見聞きし、報告を受けていた。それにも関わらず正規の報告ルートで解決を図れなかったのはなぜだろうか

本連載での整理では、本事例は内部通報・報告が「他者への働きかけ」に波及するまでに至らず、変革がかき消され自浄作用を発揮しきれなかった例と解釈できる。

 

IV. 「影響力」による変革の波及

先の事例では、「他者への働きかけ」がなぜ機能不全に陥ったのか?ポイントは「影響力」という概念だ。図2をご覧頂きたい。私たちは意識・無意識を問わず、普段の行動・振舞いによって周囲に常に何らかの影響を与えている。

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「影響力」は、「コミットメントと一貫性」、「好意」、「返報性」、「社会的証明」の4つの因子に代表される。
「コミットメントと一貫性」とは、自身が表明した約束を守ろうとする性質である。読者も「明日までに終わらせる」と腹を括り、深夜まで業務をこなした経験があるだろう。このように人を駆り立てる作用が「コミットメントと一貫性」だ。
「好意」とは、自分が好意を持つ相手からの影響を多分に受けるという性質である。
「返報性」とは、自分が何か恩を受けると“お返し”したくなるという性質である。“お返し”は恩を施した者以外にも向かう。先輩から受けた恩を、後輩に報いることで返すという様な場面も「返報性」の一様態だ。
「社会的証明」とは、周囲の動きに同調したくなる、あるいは周囲の考えに沿った主張をしやすいと感じる性質だ。
4因子は影響力の及ぶ範囲、あるいは手順との関係で整理ができる。これらを組織風土の定着に沿った形で表現すると図3のようになる。

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STEP1では、心理的安全性を高める目的を組織全体が共有し、「自己への働きかけ」で認識した具体的な改善ポイントを「コミットメントと一貫性」で実行に移す。
STEP2では、共通の目的に呼応する行動が周囲の「好意」を喚起し、周囲の変革を後押しする。
STEP3では、周囲の変革に触発された相手は「返報性」の作用により、周囲に報いたいと考える。このような相互作用が組織へ波及する。
STEP4では、変革の相互作用により行動の変革に慎重な人までにも「社会的証明」が働き、意見や行動を抑制する同調圧力、閉鎖性等の打破に至る。

やや概念的な説明だが、自己から組織へ徐々に影響力が及ぶことを示唆している。注意しなければならないのは、「影響力」はマイナスにも働きうるという点だ。誰も行動を実行に移さなければ、「好意」も「返報性」も作用しないばかりか、“行動しない”ということに対して「社会的証明」が働いてしまい、同調圧力に飲まれ、組織風土は元の状態に回帰してしまう。

先の事例は、内部通報や報告を行った一部の勇気ある人の行動(上記の整理ではSTEP1)が、うまくSTEP2、3に繋がらず、多くの人々の見て見ぬふりというネガティブな「社会的証明」に飲まれてしまった例といえよう。通報や報告に呼応する声が生まれ、組織への波及に結び付き、常態化した不正からの脱却・改善へ対峙できるまでになるには、STEP1からSTEP4までを機能させ、心理的安全性を十分高めておく必要がある。単に内部通報制度を設置しただけでは不十分であることを物語っている。

V.「他者への働きかけ」の基本姿勢

では、具体的にどのように影響力を波及させ、他者へ働きかけるのか。以下に沿って説明したい。

  1. 基本姿勢
  2. 伝え方の配慮
  3. 「強化」と「弱化」の活用
  4. 行動の実践

本稿では1~2までを説明し、3~4は次回説明する。

ここではまず、一人一人が他者へ向き合う際の基本姿勢について述べたい。基本姿勢を一言で表すと、平時のコミュニケーションを活発にとるということである。以下、具体的な対応策について、コミュニケーションの量と質に分けて論じていきたいが、コミュニケーションの活発化には、魔法のような打ち手は存在しないということを予め述べておきたい。
 

1.コミュニケーションの量

まず重要なのは「質より量」を入口とすることだ。絶対量が不足していては質の議論をしても無意味だからだ。「発言による不安がない」「互いに尊敬・信頼し合える」状態を大目的だとすると、「コミュニケーションをとることが自然となる状態」が小目的となるだろう。量とは即ち、挨拶・声かけ、感謝、ねぎらい、賞賛等、普段のコミュニケーションの一つ一つを大事にするということだ。

リモートワークの普及により対面コミュニケーションが少ないことを悩んでいる企業も多いだろう。リモート環境下であっても、ビジネスライクな文章に相手への思いやりを一言加えた“ちょい足し”文や感謝の表現、定例Webミーティングでの声かけ、チャットの「いいね」等、できることは多い。目の前の人との対話から、目を背けてはならない。これはコミュニケーションの普遍的な原理といえよう。リモート環境下ではコミュニケーションの情報量に制約があるからこそ、相手への好意的な感情表現、即ちコミュニケーションの量を高めることを一層大事にしたい。
 

2.コミュニケーションの質

量が確保されてはじめて質の問題に移行できる。ここでいう質とは、個々人が大切にしているものや物事の考え方、人間関係等、相手の人格の根幹に関わっていくことで、より深いコミュニケーションに入っていくことを指す。

コミュニケーションの質の深化は、前回「自己への働きかけ」の最後に述べた「価値観・考えの発信」とリンクする。相手の価値観を理解し尊重した上で、自分の立場から伝えるべきことを伝える。このようなステップを経て、大目的である「発言による不安がない」「互いに尊敬・信頼し合える」状態に至る。
ここで注意すべきは、コミュニケーションの質を深めようとすると、デリケートな話題に踏み込みがちであるということだ。批判やアドバイス、異論の提起は、場の性質や相手の反応の見極め、慎重に行う必要がある。そのための留意点を次項以降で論じていく。

VI.伝え方の配慮

1.クセや傾向を改める

最初に前回「自己への働きかけ」で紹介したクセや傾向の改善について述べる。図4にあるように、何気なく取っていた行動は、ほんのわずかの軌道修正で周囲のコミュニケーション意欲や信頼感を失わずに済む。

行動や根底にある価値観自体を大きく変えることは難しい。できるものから少しずつ変えるだけも効果があることを強調したい。

このとき、相手の反応を注意深く観察することを忘れてはならない。相手に意図した通りの良い影響を与え、発言による不安をなくすことが目的であることを常に意識する必要がある。

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2.話す際の配慮

「発言に不安がない」状態を目指すには、話す際の配慮が欠かせない。話し方の技術論は世にあふれているが、ここでは心理的安全性の観点から以下の二点を指摘しておく。

一つ目は「一方的な伝達」を抑えるということだ。一方的な伝達は相手の納得感が形成されづらく、意見の圧殺や反発、結論のお仕着せ等、意図せぬ結果に帰することが多い。また、自発的な意見が形成されにくいという問題もある。
求められる工夫としては、図5に示すように、知識や地位等の優位性で相手の話す姿勢を圧殺しないこと、「話す:聞く」割合を意識すること、「~べき」「~した方がいい」を抑えること等が考えられる。

二つ目は論理的かつ明瞭に伝えることを前提に、相手の理解を促進させるために理由や意義・意図、前後工程とのつながりを示すことである。要点の伝達だけでは、相手は充分な納得感を得られないばかりか、結論や意図における”解釈ズレ”の恐れを解消できず、発言による不安を払しょくできない。
このため、相手の立場や考え方に照らして受け取り方を想像し、端的な根拠を添えることが考えられる。

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3.聞く際の配慮

次は聞く際の配慮である。聞く姿勢の問題として、図6のような例が挙げられる。留意すべきポイントとして、3つを例示したい。「傾聴」「無知の姿勢」「質問」である。

「傾聴」が重要ということは論を待たないが、心理的安全性の観点からは、自身の「傾聴」が相手に伝わっているかどうかが重要だ。小さなことに思えるが、会話中にPCや資料から目を離さない、電話に出ることを控えるなど、目に見えるかたちで示すことに大きな効果がある。

「無知の姿勢」とは、相手の話を初めて聞くという姿勢、相手の話から何事かを学ぼうという姿勢のことを指す。仮に相手の話が既知のものだったとしても、例えば「相手はどのように物事を捉えているのか」を知ろうとすることで、傾聴を深められる。これは専ら心理カウンセリングの現場で用いられる手法であるが、D.カーネギーの「誠実な関心を寄せる」という言葉にも通底する、普遍的な聞き手の姿勢である。

最後の「質問」は、相手の思考の背景を探る点で有用だが、言い方や立場・関係性次第で、相手が否定や拒絶、詰問に感じる場合や、期待する“模範解答”を押し付けられていると感じる場合があることに注意が必要だ。
例えば、部下のミスに対して上司が「何で○○をやらなかったの?」という「質問」を投げかけたとしよう。この場面で、部下が「すみません」とうな垂れる場面は想像に難くないだろう。このようなやり取りにおいて、部下は理由の説明を求められたのではなく、詰問あるいは自身を否定されたと感じるケースも多いことを頭に入れておくべきである。

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VII.おわりに

今回は「他者への働きかけ」(前編)として、「影響力」をキーワードに、主に自己認識に基づいた自身のコミュニケーションスタイルの改善方法を解説した。コミュニケーションの活発化には魔法のような打ち手は存在しないと述べたが、言い換えると、簡単な一つ一つの工夫の組み合わせで実現可能ともいえる。次回の第4回では、さらに他者へ踏み込み、積極的に働きかけることに話を進める。

 

※本文中の意見や見解に関わる部分は私見であることをお断りする。

執筆者

デロイト トーマツ ファイナンシャルアドバイザリー合同会社
フォレンジック&クライシスマネジメントサービス
小川 圭介(シニアヴァイスプレジデント)
内田 哲也(シニアアナリスト)

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