認知機能低下の予防・早期発見の最前線「デジタルコグニティブヘルス」が描く健康経営
- Industry Solution
社員一人一人のWellnessやWell-beingを積極的にサポートする、新たな健康経営の施策を導入する企業があります。身体の健康のみならず、認知機能の健康「コグニティブヘルス」の状態をデジタルツールを使って簡便にスクリーニングし、解析結果を社員の健康維持やキャリアサポートに生かすチャレンジを始めた三谷産業株式会社 執行役員 人事本部長 佐藤 正裕氏と、デロイト トーマツ グループのプロフェッショナルとの対談をご紹介します。
――まず、三谷産業について教えて頂けますか。
佐藤:1928年に創業した三谷産業は、もともと石炭の販売を行う商社でした。しかし戦争が始まり、石炭の販売に統制がかかることになったため事業を多角化。無機化学品の販売を手掛け、基盤ビジネスになりました。
それからずっと商社として事業展開してきましたが、約20年前、顧客ニーズに応えるために会社が変革を模索し、新しい事業を興すことになりました。そうすると「売る」だけではなく、「作る」という機能が必要だということに気がつきました。
「作る」ためには、エンジニアや技術者、SEなどが必要です。しかし商社の人事では、必要な人材の見極めが難しい。そこで、営業部員としての知見が求められ、住宅設備機器関連の営業部員である私が人事に抜擢されたのです。
以前は採用をメインに活動してきましたが、現在は人事制度を作ることが増えています。新型コロナウイルス感染症の感染拡大を予防したり、働き方改革などに対応したりするために、さまざまな制度を立ち上げています。特に2021年4月に立ち上げた無期限の継続雇用制度は、メディアにも注目されました。
認知機能スクリーニングを導入した理由とは
――御社ではデジタルツールを用いた認知機能検査を導入されているとお聞きしていますが、そのきっかけを教えて下さい。
佐藤:はい。サボニックス社が提供する認知機能検査ツールを導入して、社員の認知機能低下を早期発見する取り組みを行っています。当社は、無期限の継続雇用制度などを立ち上げています。この制度を守っていくには、安心して働き続けられる環境を用意する必要があります。そのためには、従業員の病気を早期発見し、なるべく早い段階で医療につなげていかなければならないと考えました。
実際、まだ若いのに、病気を患うことで三谷産業を去ってしまう社員もいました。早く気づくことができれば、当社で働き続けることもできたかもしれないし、なにかケアできることがあったかもしれない。そういう思いが、私の中にずっとありました。
そのような中、以前社長がアメリカを視察した際にデジタルツールとして認知機能検査を提供するスタートアップ企業があることを知り、「こういったツールを使えば、社員の認知機能低下が早期発見できる」と考えました。これが導入のきっかけになっています。
木戸:認知機能スクリーニングの導入はとても新しい仕組みだと思いますが、導入前に他社のショーケースなどは調べたりしましたか?
佐藤:今回、経営陣によるトップダウンということや、導入障壁が低いということもあり、ショーケースなどは調べずに導入しています。導入後も簡単な設定だけで稼働し、大きな問題にはなりませんでした。
このデジタルツールは、パソコンやスマホ、タブレットを使って行うことができます。誰でも簡単に操作できるので、導入前の教育も不要で導入しやすい仕組みでした。使った分だけ課金すればいいという点も、コスト面での導入障壁が低いと感じました。
認知機能検査ツールの導入自体は容易ですが、問題は導入した後の仕組みをどうするのかということ。当社では、このツールを使って認知機能の低下を早期発見し、予見・予防につなげていきたいと考えていました。そのためには、健康相談や健康指導、定期的なモニタリングなど、継続的に従業員をケアする仕組みが不可欠です。そういったプログラムは我々が用意し、認知機能検査ツールと組み合わせる必要がありますからね。
――認知機能スクリーニングを導入するに当たって、職員の意識はどう変化しましたか?
佐藤:正直なところ、抵抗感はあったと思います。認知機能に何か問題があるといった結果が出た場合、これまでと同じ仕事ができなくなったり、退職を迫られたりするリスクがあると考える社員もいます。
そのため当社では、「認知機能スクリーニングは希望者のみが行う」「その結果によって退職などを迫らない」と宣言しています。さらに問題が発見されても会社が全面的に支援するということも伝えました。
まずは三谷産業の平均年齢である40才以降の社員をターゲットに認知機能スクリーニングを実施しました。その結果、85%の社員が検査を受けています。2021年からグループ全体に展開しましたが、約7割の受検率です。
これだけ多くの社員が受検しているのは、企業風土という部分が大きいと思います。真面目な人が多いことや、実際に病気を発症して退社している社員の存在を知っている人が多いということも、少なからず影響しているのかもしれません。
山田:有所見者といいますか、認知機能が低いと判定された従業員には、その後どのようなプログラムが展開されるのでしょうか。
佐藤:認知機能スクリーニングで問題があるとされた社員は、保健師などが介入する仕組みを考えています。解析結果のフィードバックを見ていくと、認知機能を低下させる要因は運動不足、寝不足、飲酒、喫煙などが多い。この項目はメタボ健診とほとんど同じです。そのため、メタボ健診と同様な仕組みを作り、保健指導などでの介入を行おうと考えています。
また認知に特化したプログラムとまではいかなくても、気軽に保健指導や相談できる仕組みも必要だと思います。そのためにリモート保健師といった仕組みをトライアルで導入し、活用できないか検証を行っています。
山田:高齢者や認知症の初期の方を医療に繋げる際に、本人が否定的になって介入が難しい場面もあるかと思います。こういったスクリーニングの結果を見て、どこに相談すればいいのかといったハードルもあります。そういったときに企業と繋がらずに相談できる窓口があるのはとてもいいですよね。
木戸:ところで、このような認知機能スクリーニング導入の取り組みは、産業医の先生とは情報を共有していますか?
佐藤:認知機能スクリーニングは認知症を測定しているのではなく、あくまで認知機能の低下を測定する仕組みなので、認知症を判断するその前段階だと考えています。そのため、何かあったときには産業医の先生と連携し、医療につなげていく必要はあると思います。
実際にやってみて、認知機能が低下している社員に対し、支援プログラムなど次のステップにつなげていくのは難しいということも分かってきました。実際、認知機能が低下している社員に対して支援プログラムを提示したのですが、抵抗を示すケースがほとんどです。
人事部門は、医療的なケアなどの相談に応じるスキルがない。だから、相談に来られても対応が難しいという課題もあります。そのため、相談を受けるときは産業医に介入してもらう必要がある。しかし、頻繁に産業医の先生に相談することはできません。このあたりにも課題を感じています。
――認知機能スクリーニングを導入した効果は何かありましたか?
佐藤:これを導入したことで、認知機能について会社の中でも話しやすくなったという声があります。実際、思ったよりも数値が悪く、ショックを受けたという社員もいました。そういった気づきがあると、次のアクションにつなげることができますよね。そういった効果はあったと思います。
山田:健康に関する取り組みは、経営幹部が率先することで、従業員にも意識が芽生え、継続していけるといったサイクルがあると感じています。認知機能スクリーニングではないのですが、喫煙率を下げる取り組みなどでは、経営幹部が喫煙しているためにそこから進まないという事例も少なくありません。導入したツールを継続して使っていくためのポイントなどがあれば教えていただけますか。
佐藤:まだ始めたばかりの取り組みなので、どこかで停滞したり使わなくなったりすることはあるかもしれません。また、今後継続して使用する中で認知機能検査ツールに従業員が慣れてしまったり飽きてしまったりすることもあるかもしれません。そういった部分は、メーカー側にも工夫をしていただくことで継続的に活用していけるのではないかと思います。
木戸:年齢別での正答率や解答速度などの情報は集計・分析していらっしゃいますか?
佐藤:詳細なデータは個人にのみ通知し、会社には組織的な傾向しか伝えません。とはいえ、認知機能が低下している社員のデータが分からなければ、その後のプログラムにつなげることも困難です。そこで、しきい値を決めて、認知機能の低下が見られる社員についてはメーカーからフィードバックをもらうようにしています。
山田:健康診断などで、認知機能に関する検査はほとんどありません。そのため、認知機能の低下に気がつかないというのが大きな課題だと思います。日本人は突出して認知症が多いといったデータもあるため、海外では日本ほど関心がないという印象もあります。その中で三谷産業の取り組みは非常に先進的だと感じました。
木戸:認知症は、医療費の観点からも重要性が高く、診断されていない潜在患者さんも多いので、行政も積極的に対応をしてほしいと思います。そういった行政を動かすのに有効なのが、先進事例を発信すること。県知事の情報交換会を始めとする自治体連携の枠組みをうまく設定するといったことも考えられます。
佐藤:実際、財務局から連絡があり、先進事例として取り上げられました。高齢化が進み、老人を支える若い人が少なくなっているといった構造的な問題があります。長く働くことで、年金を無理して捻出する必要もなくなります。働く環境を作るために、認知機能の測定や早期発見が重要だと考えています。
継続雇用制度を創設。「働く環境」を構築へ
――三谷産業では無期限の継続雇用制度を構築しています。これは、実質的に定年をなくすといった取り組みと思います。もちろん元気で長く働ける人もいますが、病気を抱えながら働く人も増えていくと思います。そういったケースではどのように対応していくのでしょうか。
佐藤:「働き方改革」を行うため、病気と治療を両立する支援制度を考えました。たとえばガンで長く入院する人がいますが、その間は無給になってしまいます。手当も一定期間しかもらえず、生活苦に陥るケースがありました。そこで、積み立て有休制度を作りました。これまでの有給休暇は、余っても取っておくことができません。その有給休暇を別にプールできる仕組みを作り、そこから捻出できる制度を作りました。そのほかにも時短や時差出勤などの制度も作っています。
山田:健康な方が増えれば企業としても働き手を確保できるというメリットがありますね。さまざまな制度を作っている御社の従業員からの反応はいかがでしょうか?
佐藤:働ける機会がある、働けるという選択肢ができたということに対しては安心しているようです。これまでは、退職した後をどうしようと考えなければいけませんでしたが、それを考えなくてもいいという選択肢ができ、安心したという声はありますね。
――三谷産業は、キャリアコンサルティング面談やキャリア研修などを組み合わせた社員のキャリア支援を行う「セルフキャリアドック」を行っていると聞いています。こちらの詳細についても教えていただけますか。
佐藤:事実上、定年はなくなりましたが、従業員の皆さんには気持ちよく前向きに働いてもらう必要があると思っています。たとえば年下の上司とのコミュニケーションも必要ですし、キャリアに対する前向きさも重要でしょう。それらについて診断し、さまざまな支援をしていこうと考えています。
具体的には、アンケートを組み合わせて診断し、個々人の状態を見るといった取り組みになります。その際、良い悪いは判定しておらず、その結果をもとにキャリアアドバイザーがキャリアコンサルティング面談を実施するという内容です。
山田:社員の健康については、企業側が見る必要はあると思いますが、長く働くに当たっては、社員自身がどれだけ自己変革を起こし、行動に移せるのかが重要だと感じました。三谷産業の場合、身体の健康、心の健康、頭の健康などを振り返る機会を数多く設け、健康や働き方を含めた考えるきっかけを与えているように感じました。それによって会社愛も育っているのかもしれません。
佐藤:ありがとうございます。しかし課題も山積しています。たとえば、60才を目前にした従業員の面談が必要なのですが、そういった面談スキルや経験を持っている人が社内に私しかいないんです。
また、働ける環境は用意したのですが、いつまでも同じ仕事を続けられることはあり得ません。今の仕事を若手に引き継ぎ、その後に何をするのかということをイメージできなければいけません。しかし、ほとんどの社員はそういったイメージを持っていない。当社では60才で役職定年するといった制度があるため、役職定年の直前ではなく、もっと早い段階で今後の仕事についても考えていく必要があるのです。そういったことについても早めに気がつき行動していくことが必要になっています。
山田:日本人の場合、男性は定年後になくなる方が多いといわれています。この要因は色々と考えられますが、一つは、仕事を辞めた後の喪失感が大きく、何をしていいかわからないということがあると思います。三谷産業の場合は、無期限雇用という制度があるため、働き続けられることはできますが、これまでの仕事を続けられる訳ではない。そういった観点から言えば、プライベートに目を向けるきっかけについてもキャリアドックでできるといいですよね。
木戸:御社はキャリアのサポート、メンタル面のサポート、身体面のサポートといった三位一体の取り組みを行っているのがとてもユニークだと感じました。また、最近では日系企業であっても早期定年を検討する企業が増えている中、その逆張りを行っている点も御社ならではですね。
佐藤:実は、早期定年制度を発表した企業にヒヤリングに行ったのですが、「副業」が宿題だと言っていました。過去の成功体験が使えなくなっている中、自社の仕事の仕方だけしか知らない。だから、副業の制度を作り、他社で他の仕事の仕方を経験することで、新しいインスピレーションが生まれるのだということでした。そういった社員が会社に帰ってくることで活性化していくということに期待しているようでした。井の中の蛙にならないことは重要です。三谷産業を辞めた後もいろんな意味で働き、自立できればいいと思います。60才を過ぎてやることがないというのはとても不幸ですからね。そういう人が出ないように、ヒヤリングをしたりしています。実際、本人が気づくまでに時間がかかるケースもありますよね。そのため、キャリア系の研修を50才くらいから始めていかないと間に合わないと思っています。
デロイトさんには、当社の取り組みや活動に賛同していただけるとありがたいですね。この活動は、前例のない中で悩みながらスタートしています。また、実際にこのデジタルツールを使って検査をしたことで、認知症の発症を抑えることができたかという点も立証が難しいと感じています。指標をどこに取ればいいのかということもよくわからないという課題があると感じています。
一方、社員に対してはポジティブなメッセージが届いていると感じています。会社が寄り添っていると感じている社員は本当に多い。もちろん、年頭の挨拶や決算発表の際の全社朝礼などでもメッセージしていますが、制度を作っていることで、実際にありがたいと感じている社員の声が届いています。
そういった観点から言えば、トップのコミットメントが非常に重要なのかもしれません。
――ありがとうございました。
PROFESSIONAL
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渡辺 典之
有限責任監査法人トーマツ Deloitte Tohmatsu HealthCare パートナー・公認会計士
医療・介護機関の経営戦略の立案、事業計画の策定、経営改善の実行、M&Aアドバイザリー、再生などの経営コンサルティング活動に従事。主な著書に『病院会計の実務』『病院経営実践ノウハウ』『原価計算が病院を変える』(共著:清文社)などがある。自治体病院の経営評価委員や外部での講演多数。