民間保険会社がヘルスケア領域で担う未来の役割~アクサ生命保険株式会社×Deloitte Digital座談会~
- Digital Business Modeling
保険業界におけるデジタルの活用やインパクト
富田氏(以下敬称略):実は私は保険業界に来てまだ3年ほどですが、その前から約20年間、ヘルスケア業界で働いてきました。以前は総合商社に勤めていて、日米とアジアの、病院、クリニック、薬局といった医療プロバイダや、医薬流通、医療ITといった分野で、さまざまな事業投資に携わってきました。現在は、アクサ生命のサービス事業本部長としてヘルスケア関連事業の新規構築や保険とサービスの融合といった仕事に従事しています。
大川:保険業界における「デジタル」についてお伺いします。「デジタル」といっても、カスタマーエンゲージメントやオムニチャネル、効率化、アウトカムといった様々なインパクトがあります。「保険業界」におけるデジタルの活用やインパクトについて教えて頂けますか。
富田:私は保険という商材そのものは、本来はデジタルと相性が良いはずだと思います。保険は無形の商材で、物流や在庫が不要です。この点はデジタル化が先行した「音楽」や「デジタル書籍」と似ています。
しかし実際はそれほど単純な話ではなく、濃淡があります。生命保険会社の事業活動のなかでも、既契約のお客さまとの関係を維持するための活動では、各社ともデジタルを活用したタッチポイントの構築が進んでいます。アクサ生命もAIチャットボットやデジタルアバターといった技術を盛り込んだ「Emma by アクサ」というデジタルのお客さま窓口機能の提供を開始して、お客さまがスマホでアクサ生命との様々なやり取りを完結できる体制に近付いてきています。また、データ分析やリスク解析は、もともと生命保険会社の得意とするところですが、これもデジタル活用により更に研ぎ澄ますことができる領域です。
一方、新規契約獲得のための営業活動へのデジタル活用はまだ緒に就いたばかりですし、デジタル時代の新商品・新サービスや新たなビジネスモデルのあり方は、まだまだ模索中というのが実情です。
河:デジタル活用という点で言うと、生命保険をネット販売している企業もあります。そういった展開はどのように考えていますか。
富田:私個人の意見となりますが、対面販売が全てネット販売に置き換わることはないと考えています。一部例外はありますが、一般的に生命保険は長期にわたり保険料をお支払いいただいて、その間の有事に備えたり、資産形成を行ったりするための商品ですから、購入時には専門家に人生設計や心配ごとも相談しながら、最適な選択肢からじっくりと判断したいというお客さまが多い。こうした対応では、デジタルよりもヒューマンのほうにアドバンテージがあります。
しかし、単に従来のやり方を踏襲しているだけでは、進歩がありません。アクサ生命でも、デジタルとヒューマンを掛け合わせたハイブリッド展開に力を入れています。ヒューマンならではの「しなやかできめ細かなアドバイス能力」を更に高く発揮するためにデジタルを採り入れて使いこなす。デジタルとアナログのいいところ取りができ、お客さまへの価値提供も最大化できます。
河:大金が動く「住宅ローン」でもデジタル×ヒューマンのハイブリッドモデルを展開していますね。医療でも人的チャネルだけでなく様々なチャネルから医師に働きかける“オムニチャネル”のカスタマーエンゲージメントなどの分野をはじめとしてデジタル化が注目されていますが、その背後には顧客である医療関係者の状態をウォッチし、適切にコーディネートしているMR(医薬情報担当者)の存在があります。これも同様のハイブリッドモデルといえますね。デジタルとヒューマンの両輪で取り組むことの重要性に多くの業界が気づいているのかもしれません。
大川:一方、新型コロナウイルス感染症の感染拡大の影響を受け、人との接触を嫌い「会いたくても会えない」状況も増えています。会社としてもテレワークなどを推進し、社員同士の接触機会を減らす傾向にあります。そういった状況の中「ヒューマン」の強みを活かすためにはどうすればいいのでしょうか。
富田:コロナ禍ではお客さまと直接対面する機会が少なくなってしまいました。生命保険の営業は、これまではお客さまとの物理的な対面を前提に成り立つという無意識の先入観があったように思いますが、コロナ禍が直接的なきっかけになって、先ほどお話ししたハイブリッド展開が急速に進みました。コロナ禍の制約を受けたことで、逆に、ヒューマンが磨きをかけるべき「しなやかできめ細かなアドバイス能力」の重要性がはっきりしましたので、お客さまとの接点をマネージするデジタルツールを素早く導入して、しっかり使いこなすことが重要になったと言えます。
デジタルを活用し、ハイパフォーマーの暗黙知をナレッジにする
――デジタルの活用について、具体的に教えて頂けますか。
富田:営業面でのデジタル活用という点では、リモートでの営業活動を円滑に行なうための様々な支援ツールの導入に加えて、これまで「暗黙知」として一部の個人に蓄積されてきた営業技術を「形式知」にして、組織全体での知のレベルの底上げに繋げようとしています。
後ほどお話しする健康経営もそうですが、アクサ生命では、「個々のお客さまの状況やニーズを正確に把握して、必要とされるサポートや提案をタイムリーに行なう」ことを仕組み化する取り組みを複数手掛けています。これは実は、ハイパフォーマーといわれる優秀な営業担当者がこれまで様々な工夫を凝らしながら自ずとやってきたことを、デジタル技術の活用により組織として標準装備する動きに他なりません。
河:顧客ステージ管理の概念に近い取り組みだと思います。カスタマーの状況が見える化できていないと、そのような取り組みはうまくいきません。活動ログを収集することで、カスタマーの状況がある程度「形式知化」できている他業界の事例も参考になりそうですね。
「データ」と「健康経営」
波江野:ビジネスの問いに答えたり、健康について考えたりする際に「データ」を使って仮説を立てたり、打ち手の検証をしたりします。データを活用するためには、まず必要となるデータを定義し、収集し、必要に応じて複数のデータをつないでいく必要もあると考えます。一般論として保険業界では、顧客の日常生活をはじめとした幅広いデータを取得することが難しいと考えられるかなと思いますが、その点はどのようにお考えですか。
富田:生命保険会社は、これまでもお客さまの病気や健康状態に関するデータをお預かりする立場にありましたが、これらは「結果」のデータであり、「要因」である生活習慣に関するデータはお預かりできていませんでした。
データ収集そのものは、データプライバシーへの配慮を前提として、ウェアラブルデバイス等により格段にハードルが下がっていますので、ポイントはむしろお客さまをエンゲージする仕組みをどう構築するかだと考えています。
大川:なるほど。たしかにデバイスがあれば、多くの良質なデータが収集できそうです。しかし、ユーザーによってはデータを提供したくないと考えるケースもあると思います。ユーザーがデータを提供したいと思える仕掛けを作り、ユーザーを巻き込んでいく必要がありそうですね。
富田:おっしゃる通り、そこは大きなチャレンジですね。この点に関して、アクサ生命が注力している健康経営の導入・実践支援の取り組みは、一つの方向性を提示できるのではないかと思います。
健康経営とは、従業員の心身の健康状態の向上、ひいては幸福度の向上を経営課題として位置付けて、企業が従業員に対する健康投資を行うことで生産性向上に繋げていく取り組みです。アクサ生命は「健康経営アクサ式」として、地域のステークホルダーと連携して全国の中小企業を中心に健康経営の社会啓発を行い、導入実践する企業の従業員のワークエンゲージメントの向上を通じて、企業の持続的発展をサポートするアドバイスやサービスを提供しています。
「健康経営アクサ式」は、参画する企業の全従業員に生活習慣に関する詳細なアンケートをお願いするところから始まります。アンケート結果から顕在化した組織課題を先ずは経営者と共有し、更に課題解決に向けた会社のコミットメントを全社で共有することによって、健康で活き活きとした働きがいのある職場環境作りを進めるものです。ポイントは従業員全員をワンチームで巻き込んだ取り組みにすることです。アクサ生命は、組織課題の解決に貢献するヘルスケアサービスを会社と従業員それぞれに提供しながら、健康経営アドバイザーとして健康経営の導入とPDCAの定着を強力にサポートします。
大川:「健康経営」のビジネスモデルについて教えてください。健康経営は、「保険」とは異なる取り組みとして展開されているのですか。
富田:「健康経営アクサ式」自体には保険セールスは一切組み込まれていません。ですが、健康経営を通じて心身の健康や幸福といったテーマを突き詰めていくと、自ずとお客さま自身の人生経営はどうあるべきかという話に繋がっていきます。人生の目的をしっかりと定め、それを実現するためのライフマネジメントコンサルティングによって、お客さまの万一への備えや資産形成といったニーズが喚起され、結果として生命保険をご案内する場面が出てきます。
また、「健康経営アクサ式」では、栄養、睡眠、運動といった生活習慣の行動変容をサポートするデジタルツールと、ストレスチェックや健康相談といったサービスを束ねて「健康経営サポートパッケージ」として導入企業の従業員に提供しています。こうしたサービスを「職域」という帰属意識の高い優良な母集団に提供できることも健康経営の大きな利点です。ひとりでは行動変容が難しいケースでもピアプレッシャー(職場の同僚同士や上司による励まし)が作用して行動変容に結び付きやすくなりますから、ヘルスケアサービスの価値や効果が顕在化しやすく、結果としてこうしたサービスの導入意向にもプラスに働きます。
ヘルスケア業界と保険のマネタイズ
波江野:ヘルスケアはマネタイズが難しいといわれています。その理由は、多くの人は遠い将来の健康リスクを改善することに必ずしも優先度を上げて取り組まないということがあげられます。つまり、健康のためにお金を使おうと思わない人が多い。こういったことから、どれほどいい取り組みがあっても、試算するとビジネスにならないケースも多いと聞きます。その点はどのように考えていますか。
富田:核心を突く質問だと思います。実は、健康関心層はおよそ3割しかいないと言われています。公的医療保険制度が充実しているわが国では、残りおよそ7割の健康無関心層はヘルスケア、とりわけヘルスケアサービスに自らお金を払う可能性は高くないという前提で考えたほうが良いかもしれません。
したがって、ヘルスケアの分野で消費者向けビジネスを検討する際には、健康関心層にターゲットを絞り込んでアプローチするのか、或いは健康無関心層も広く引き込んでいこうとするのか、まずこの点が大きな分かれ目になるでしょう。
健康関心層へのアプローチに徹するのであれば、例えば医療保険と一体的に保険会社がヘルスケアサービスを提供することでサービスのマネタイズを図る可能性はあります。保険という極めて安定的な顧客接点を活用し、そこにヘルスケアサービスで付加価値を付け、保険料と一体的にマネタイズを図る事例は増えてきています。
しかしマジョリティである健康無関心層を引き込もうとするとBtoCでは限界がありますので、先ほどの健康経営のような啓発的なアプローチから入っていくことがよいのではないかと考えています。社会的な価値を提供することを第一義とし、その延長線上に企業として経済的価値に結び付けていく。企業による従業員への健康投資を促すのです。先ほどの「健康経営サポートパッケージ」に加えて、アクサグループで2021年4月に開始した「産業医プログラム」という中小企業向けにオンラインで産業医をシェアリングする事業が大変好評ですが、これも保険という長期にわたる顧客接点の中で、企業による従業員への健康投資を促すことでWin-Winのトライアングルの関係を作っていくのです。
河:民間保険業界は、医療を取り巻くエコシステムの新たな担い手と言った意味でも注目を集め始めています。国民皆保険を補完する新たなイノベーションの受け皿となる可能性だけでなく、製薬企業や医療機器メーカーといったヘルスケア製品提供者が従来の製品を超えた「ソリューション」としての価値提供をめざす上での有力なパートナー候補といった側面の期待もあると思います。そういった状況の中、他業界との提携といった取り組みについて教えてください。
富田:提携の話は非常に増えています。「健康経営サポートパッケージ」や「産業医プログラム」といった新たなサービスもパートナーと組んで展開しています。全てを自社だけで構築して提供するのは限界がありますので、今後も様々な分野の多くの優れたパートナーと提携を進めて、スピーディーにサービスの投入・拡充を図る方針です。
また、医薬、健康食品や医療器具といったヘルスケアの製品やサービスに保険を組み込んで、サブスクリプション的に販売する提携手法に着目しています。たとえば、ある病気を予防する効果が認められる薬を長期継続的に購買・服用するお客さまには医療保険を自動付帯して、もし不幸にも病気にかかってしまった場合には保険金をお支払いするといったモデルです。保険会社は、この薬を服用する人のグループと服用しない人のグループの病気のリスクの差分を定量化することに長けていますので、この薬が消費者にもたらすアウトカムを保険が補完することは可能だと思います。
製品やサービスと保険の融合によりお客さまのヘルスケアのアウトカムを訴求して、様々な事業者が顧客価値を競い合うようになると面白いですね。
大川:「官」との連携についてはいかがでしょうか。たとえば自治体が持っているデータの活用などは実現できそうな気がします。データを正しく活用すれば公共の利益にも繋がります。もちろん、民間のイノベーションも繋がると思うのですが……。
富田:自治体には膨大なデータがあると思いますが、必ずしも整理されていない状態でデータが点在しているのがネックです。そのデータを最初から全部かき集めて綺麗に体系的に整理しようすると、絵としては壮大で美しいものが描けるかもしれませんが、きっと技術的にも費用対効果の点でも現実的ではないと思います。寧ろ、必要なときに必要なデータだけを見に行く帰納的なアプローチの方が、結果的には近道となるでしょう。
たとえば、アクサ生命が注力している健康経営は、官が掲げる「働き方改革」「ワークライフバランス」や「雇用主による従業員への安全配慮義務」といったアジェンダ、ひいては少子高齢化が進む中での生産性向上という社会課題を共有していますので、足りないデータがあれば官や自治体に協力を仰いで必要なデータを補うことが将来的には可能になるかもしれません。官民連携は最終的に双方の目標達成への近道になるのではないでしょうか。
大川:最後に5年後10年後の保険の姿についてご意見をお聞かせください。
富田:他業界との提携のところでもお話ししましたが、保険と製品やサービスとが融合する形でのサブスクリプションビジネス化は、今後の大きな潮流になり得ると考えています。保険会社がリードするのか、或いは他業界がリードする形になるのかは分かりませんが、エキサイティングな状況になることは間違いありません。
一方で課題もあります。これまで生命保険は、「母集団の数が増えれば増えるほど、ある事象が発生する割合が一定の割合に収束していく」という数学の定理「大数の法則」を前提として、マスマーケットでリスク分散と互助を図るビジネスモデルで発展してきました。ところが、サブスクビジネス化はデジタル活用と相俟ってセグメンテーションの細分化を促し、最終的にはお客さまの個別化(パーソナライゼーション)を進める方向に強く作用しますので、「40歳の男性」といった属性だけに依拠して個体差を認めない「大数の法則」の世界からはむしろ離れていくのです。
将来を見据えると、生命保険のビジネスモデルは大きく進化していく必要がある。マスマーケットでのリスク分散機能のみならず、製品やサービスとも連携を深めながら、得意とするリスク解析能力を医療・健康分野で活用して、より個別化されたリスクマネジメント機能を高めていかなければならない。 それが今の状況なのだと思います。
――ありがとうございました。
PROFESSIONAL
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河 成鎭
デロイト トーマツ コンサルティング合同会社 ライフサイエンス&ヘルスケア 執行役員 / パートナー
国内外のアカデミアにおいてBiomedical分野の研究に従事した後、一貫してヘルスケア領域におけるマネジメントコンサルティングに従事。特に近年は、製薬企業・医療機器メーカーに対するコマーシャル領域の支援(カスタマーエンゲージメントモデル変革や個別医薬品のローンチ支援・ブランド戦略策定など)および中長期成長戦略を踏まえた新規事業・M&A支援にフォーカスしたコンサルティングを行っている。東京大学大学院医学系研究科修了。医学博士
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波江野 武
デロイト トーマツ コンサルティング合同会社 モニター デロイト ヘルスケアストラテジー 執行役員/ パートナー
デロイトの戦略コンサルティング部門であるモニター デロイトにおけるアジアパシフィックのヘルスケア領域のリード。日米欧でのヘルスケアビジネスでの経験を基に、国内外の健康・医療問題について社会課題としての解決とビジネスとしての機会構築の双方を踏まえたコンサルティングを、政府や幅広い業界の民間企業などに幅広く提供。米カリフォルニア大学バークレー校 経営学修士・公衆衛生学修士