「本当に価値あるデジタルサービスを市民に提供する」
前橋市が取り組んだ前代未聞のプロジェクト

前編では「まえばし暮らしテック推進事業」の全体像について紹介した。後編では、この事業で生まれた10のサービスがどのように開発されていったのかを読み解いていこう。

PROFESSIONAL

  • 深澤 宏彰 有限責任監査法人トーマツ ディレクター
  • 宮川 文彦 デロイト トーマツ ファイナンシャルアドバイザリー合同会社 シニアバイスプレジデント

めぶくIDとデータ連携基盤、それを利用したサービスを同時に開発

「まえばし暮らしテック推進事業」は、めぶくIDとデータ連携基盤の構築、そしてこれを活用した10のサービスを導入した。各サービスを利用する市民は、自身のデータの提供先を本人の意思により選択・解除できる「ダイナミックオプトイン方式」により管理することができる。また、インフラとなるめぶくIDとデータ連携基盤の管理運営は、官民連携会社「めぶくグラウンド株式会社」が担う。

<サービス内容>

■スマホ版ダッシュボード

  1. 1. 「まえばしの今」を一人一人に合わせ、寄り添い、届けるデジタルサービス「グッドグロウまえばし」
    本人の同意に基づき、利用者の興味や関心に合わせた情報を提供する。

■学び・子育て

  1. 2. コミュニティ共助学育「メブクラス」
    誰もが、いつでもどこでも興味・志向に合った学びを受けられる。
  2. 3. アレルギー情報の高度な連携による寄り添うサービスの創出「my Allergy alert」
    アレルギー情報を、普段の給食献立の変更や救急対応と連携。
  3. 4. オールインワン母子手帳とデジタルソーシャルワーカーによる子育てサポート「OYACOplus」
    日々の育児記録や検診記録の連携や、子育ての悩み事のチャット相談サービス。
  4. 5. 緑化・生態系の可視化による環境意識の醸成「Wonder Watch U-GREEN walk」
    寄り道をしながらのまち歩きや、植物や昆虫を調査しながら自然を学ぶ。

■高齢者支援

  1. 6. シミュレーション運転時の生体データを活用した危険運転度合いの測定「デジタルツイン安全スコアリング」
    バーチャル前橋市をドライブし、運転評価を行う。
  2. 7. 電力データ活用イエナカ情報の見える化による地域見守り「まえばし見守り情報通知+掲示板」
    電力データ情報活用による見守りサポート。
  3. 8. 対面遠隔デジタル窓口「ツナグすぽっと」
    デジタルを活用し、リモートで人と人がつながる「顔の見えるサービス」。

■共助

  1. 9. デジタルポイントによる文化・芸術・地域活性化「めぶくアプリ(BOOKFES)」
    各種イベントで共助ポイント(Join)を活用する仕組み。
  2. 10. デジタル共助ポイントの実装「めぶくアプリ(助け合い掲示板)」
    サポートを必要とする「ありが隊」と、サポートしたい人「助け隊」をマッチングさせる仕組み。

サービスを開発した経験がある者なら誰もが驚くかもしれないが、本事業はめぶくID+データ連携基盤といういわばインフラと、そのインフラを用いた10のサービスを同時スタートで開発しているのだ。さらには、インフラの管理運営主体となるめぶくグラウンド株式会社の設立も並行して進めている。サービス構築全体のPMOを担う蓮見は「コンセプトや基盤技術の設計自体は先行して進めていたものの、制度やスケジュール上、先行して土台をすべて整えることはできなかった」と話す。

10のサービスはインフラであるめぶくIDとデータ連携基盤を繋いで利用されていくことになる。開発は同時スタートでも、インフラ部分との足並みを揃えていく必要が出てくる。実際にどのような開発プロセスだったのだろうか。「グッドグロウ」と「メブクラス」の開発プロジェクトの担当者それぞれに話を聞いていこう。

アプリの開発ではなく業務改革プロジェクトと捉えて「グッドグロウ」を推進

「私はITベンダー出身ですが、このプロジェクトを単なるシステム構築やアプリの開発で考えては無理が生じると感じました。与件も決まっていませんし、ステークホルダーも沢山いる状態ですからね。そこで業務改革プロジェクトと捉え直し、コンサルタントとしての仕事をしていこうと考えました」

そう話すのは、パーソナライズ化されたスマホ版まえばしダッシュボード「グッドグロウまえばし」の開発を担当したデロイト トーマツの深澤宏彰ディレクターだ。特に与件も決まっていない状態ではじまったプロジェクトであったため、まさにゼロベースからの開発だったという。

有限責任監査法人トーマツ ディレクター / 深澤 宏彰

「まだインフラ部分(めぶくID+データ連携基盤)も決まっていない中で提供する機能を決める際に、私たちはまずこのダッシュボードがなぜ必要なのか?イシューやパーパスのようなものから詰めていきました。それが決まり、その目的のためにはどのような機能が必要なのかという順で検討していったんです。また、多くのステークホルダーがいるプロジェクトなので、仕様書などでは人によって抱くイメージに差が生まれるだろうと判断し、早い段階からモックアップを作り、実物を見せていくことを心がけました」

深澤たちは前橋市民の人たちになりきって想像しながら、どんな機能があったら喜んでもらえるかなどを検討し、それをモックで表現して市役所やアーキテクトの方々に見ていってもらった。実際に見ると、「ああでもこない」「こうでもない」と率直な意見もでやすい。その意見を集約し、取捨選択、優先順位付けをしながら合意形成をしていく作業はまさにコンサルティングワークそのものだったという。

蓮見も「深澤さんたちはかなり進行が早かったので、PMO側としてはとてもありがたかった。ある程度、お手本のようなものができあがったので、他のサービス開発チームはそれを見ながら調整でき、足並みを揃えやすかった」と話す。

深澤は当時の他チームとの密な連携が求められる開発の様子について「リハーサルなしの本番、しかもジャズのセッション」と表現する。「他のサービス開発チームの進捗を見て、現場は大変だと感じながらも負けていられないと邁進した。一方で他チームと失敗を教えあうこともあった。幸い、不満はPMOの蓮見さんのところに言えたのである意味、共闘していた感じもあります」と話し、「開発チーム同士でもテンポや距離感を測っていたものの、そのあたりの情報整理や横の繋がりについてPMOがうまく情報を流してくれていたのではないかなと思います。別の事業者はこんな解決方法を見つけたなどの情報をもらえたり、ありがたかったです」

人と人のつながりでコンテンツが生まれ、開発が進んだ「メブクラス」

「深澤さんたちのグッドグロウはゼロベースだったのですが、私たちメブクラスの開発プロジェクトチームはすでに『デロイト トーマツ アカデミー』で持っているEラーニングの教材や仕組みを活用し、共助学育サービスの構築を目指そうと参加しました」

メブクラスの企画開発をリードしたデロイト トーマツの宮川文彦シニアバイスプレジデントはそう話すが、実際に参加してみてそれだけでは甘かったことに気づく。

「私たちが持っていた教材はいわゆる経営者や企業の実務家、士業などプロフェッショナル向けの専門的なコンテンツがほとんどでした。しかし、今回のメブクラスは地域の方や大学の先生などが、子どもからお年寄りまで一般の人にいつでもどこでも教えることができるようなサービスです。そのため実際はゼロベースに近しい形で開発を進めていかなければなりませんでした」

デロイト トーマツ ファイナンシャルアドバイザリー合同会社 シニアバイスプレジデント / 宮川 文彦

さらに10のサービスは当初、Web版サービスを想定していたのだが、めぶくIDの仕様上、途中からアプリへの変更を余儀なくされたことも宮川たち開発チームを困らせた。

「Webからアプリへ変更となり、私たちはもちろん、他の開発チームも相当苦労したと思います。開発はもちろんですが、コンテンツを増やさなければいけないので、前橋市を巡りました。巡ってみると、例えば公民館には『ぐんま方言かるた』などのYouTubeコンテンツがたくさんあることが分かってきました。こういったものをリンクする形で使わせてもらうなど工夫して、コンテンツの拡充をしていったのです」

宮川は大学などの学校、前橋市役所の方々の協力がなければ、メブクラスの開発はできなかったと振り返る。「普通のコンテンツベンダーがやっては、この期間ではできなかった。地元のご協力あっての成果だと考えています」

蓮見も「人と人がつながり、どんどん価値が高まっていったのはメブクラスが一番大きかったように思えます。宮川がわらしべ長者のように見えました」と笑うと、宮川は「足で稼ぎました」と返す。

前編でも登場したPMO担当の蓮見は「メブクラス」担当宮川を「わらしべ長者」と話す

深澤、宮川は「今回、デロイト トーマツはチームで取り組んで、全員が自分の役割を達成すればいいのではなく、プロジェクト全体を成功に導いていこうという強い考えを持っていました。そのため、自分の役割を超えて業務に関わったように思います。結果としてそれが他の事業者たちにも伝播して、すごい熱量となっていった。もちろん、前橋市役所の方々も同様です。同じ事を再現してくれといわれても、なかなか難しいかもしれません」と話す。

前橋市が見据える市民参加のためのデジタルプラットフォーム「Decidim」

「前橋市の人たちのことを良くいっていただいてうれしいですね。面白いと思ったことは宮川さんをはじめ、デロイト トーマツのように前橋市役所や地域にもっと相談してもらいたい」と大野副市長は話す。さらに「前橋市だけに人がいるかというとそうではないと思っています」と続けた。

大野副市長は官と民の距離を縮めて新しい価値を生み出したいと話す

「他の自治体や地域にも、やはり面白いことをしていこう、良いことをしていこうという意気込みを持っている人はたくさんいる。だから、気負わず声をかけてもらいたい。最初は反応がいまいちということもあるかもしれません。ただそれに懲りずに、なぜいまいちなのかをざっくばらんに探ってもらえれば、官と民の距離を縮めることはできるのではないでしょうか。そうやって人と人が繋がり、新しい価値が生まれていくのだと思います」

実際、官民一体となって推進した「まえばし暮らしテック推進事業」はデータ連携基盤とそれを利用した10のサービスを生み出した。これは官だけでも、民だけでもできない成果だ。

「めぶくIDで前橋市と市民もつながり、これからの前橋市について意思決定を共にしていくことになればこれまで以上に魅力的なまちになっていくと思います」

前橋市が先に見据えているのは、スペインのバルセロナ市で開発された市民参加のためのデジタルプラットフォーム「デシディム(Decidim)」だ。これはカタルーニャ語で「我々で決める」という意味で、本プラットフォームは市民がその街の戦略的な計画のなかに参加し、議論し、意思決定に関わることができる。前橋市では、デシディムと同様の思想で、めぶくIDやデータ連携基盤と連携した市民参画デジタルプラットフォーム「めぶくファーム」の構築に今年度取り組むこととしている。デシディムが全ての市民や政府に対して開かれているように、めぶくIDやデータ連携基盤やめぶくファームも他の自治体・他の地域の住民でも利用可能な設計となっている。

蓮見は「実装は終えて自走がはじまっている状態で課題もまだまだ多い。しかし、すでに市民にサービスを提供しているので今後も質をあげて満足度を高めていかなくてはいけない。さらに認知度もあげていく必要があります」と話す。

大野副市長も「今は一つひとつのサービスが生まれた状態。これからは地域通貨などの決済機能を搭載しこのサービス群をスーパーアプリ化するなどして、市民にとってより良いサービスとして成長させていってもらいたい」と各サービスの事業者にエールを送る。「そのために市としてもできる限りの協力はしていく」と続ける。

はじまったばかりのデータ連携基盤に基づくサービスたちが、どのように成長をしていくのか?見届けていきたい。




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