「本当に価値あるデジタルサービスを市民に提供する」
前橋市が取り組んだ前代未聞のプロジェクト
デジタルの力で地方の個性を活かしながら地域課題の解決と魅力の向上を図り、「地方に都市の利便性を、都市に地方の豊かさを」を実現して、全国どこでも誰もが便利で快適に暮らせる社会を目指す「デジタル田園都市国家構想」。
群馬県前橋市は内閣府の「デジタル田園都市国家構想推進交付金(TYPE3)」の採択を受け、市民によって育まれる共助型未来都市、一人ひとりが幸せでいられる街を目指して、「まえばし暮らしテック推進事業」を実施した。基本となるのは、マイナンバーカードによる本人確認を実施した上でスマートフォン上に実装されるデジタルID「めぶくID」とデータ連携基盤だ。
このインフラとなるデータ連携基盤の開発と同時にスタートしたのが、めぶくIDを使った連携サービスである。データ連携基盤だけでは市民に利用してもらえない。だからこそ必要なのがサービスの開発。そこには官民一体となって生み出す困難と、だからこそ生み出される価値があった。
PROFESSIONAL
- 山﨑 大樹 デロイト トーマツ コンサルティング合同会社 ディレクター
- 蓮見 秀之 デロイト トーマツ コンサルティング合同会社 マネジャー
- 新名 康平 有限責任監査法人トーマツ マネジャー
要約
- 前橋市が「まえばし暮らしテック推進事業」を推進し、デジタルID「めぶくID」とデータ連携基盤の構築、それに関連する10のサービスが生まれた
- インフラとサービスの両方を同時に開発し、リリースする離れ業はどのように行えたのか?官民一体の取り組みを前橋市副市長とデロイト トーマツのメンバーたちから聞いていく
- 一つひとつのプロダクトには、それぞれ責任者が立つが、その上にPMOを配置し、同時進行のプロジェクトの全体マネジメントを行うことが成功の鍵
- PMOは単なるプロジェクトのマネジメントだけでなく、法律面や国へのフォローなど幅広い分野での役割が必要とされた
- またプロジェクトごとの担当者も役割を果たすだけでなく、チームの一員として全体ゴールを目指し、一体となった関係性の構築も重要となった
- ゼロ→イチは前橋市が行い、このイチを日本中に伝えていくプランを語った
前橋市民へデジタルでサービスを提供し生活向上を目指す「まえばし暮らしテック推進事業」
「前橋市では以前からICTやデジタルを使って市民生活向上をしていこうという機運はありました。1つの事業や1つの分野でそういったものを積み上げてきた実績もあります。ただ、市民全体の評価という点では道半ばという状態が続いていました。ちょうどそのタイミングでデジタル庁ができ、また、デジタル田園都市国家構想が打ち出され、国も同じことを考えているのではと感じました。そこでデジタルを市民の生活の中にどのように組み込んでいくのかということを、デロイト トーマツの皆さんやアーキテクトの方々と意見交換をしてきました」
前橋市の大野誠司副市長は今回サービスが実際にスタートした「まえばし暮らしテック推進事業」について振り返る。ここでいうアーキテクトとは、前橋市のデジタルグリーンシティ推進に係る企画立案検討を民間の視点からけん引する人を指す。
「結果として前橋市ではデータ連携基盤をベースに10のサービスが生まれました。異なる分野やサービスのデータを円滑に連携・流通させるデータ連携基盤の重要性は説き続けられていますが、基盤があってもサービスがなくては使ってもらえません。そこで前橋市では、インフラ(めぶくIDとデータ連携基盤)をつくるだけでは足りない、市民へのサービスをどう向上させるかという視点での議論になりました」
具体的に手に取って触れるサービスを実現していくために、最低限のコンセプトとして「暮らしを支えていく」を用意。そこからどのようなサービスが必要かという議論を重ねた。プロセスについて、今回プロジェクトの全体統括を担当したデロイト トーマツの山﨑大樹ディレクターは次のように話す。
「前橋市にはどのような人がいるのかを縦軸に、生活の領域を横軸にしてマッピングしました。次にめぶくIDやデータ連携によって生まれてくる価値の定義をしていきました。もともと前橋市はスーパーシティを目指して以前から検討をしており、デジタル×まちづくりについて積極的な議論を重ねてきた背景があります。みんなでサービスとデータ連携をかけ算にしたとき、どんな価値が生まれるのかを突き詰めていき、一つずつサービスのアイデアが生まれました」
プロダクトアウトではなく、マーケットインによるサービス開発の議論は、このようにして始まったという。しかし、市民へのサービス向上という視点での設計が後にプロジェクトを悩ませる事態に陥る。
「官民一体“複数プロジェクト”同時進行」におけるPMOの役割
10の市民向けサービスは2023年3月までに順次実装されていった。詳しいサービスの紹介は後編で行うが、パーソナライズ化されたスマホ版のまえばしダッシュボード「グッドグロウまえばし」がまずあり、学び・子育て、高齢者支援、共助のサービス群がある。
プロジェクト全体のPMOを担当したデロイト トーマツ蓮見秀之マネジャーは次のように話す。
「今回のサービスは、民間企業が開発・提供しています。開発のタイミング、いわゆる“実装”のタイミングでは行政も支援しますが、リリース後の運用は各社が責任を持って担当する。いわば“自走”してもらう仕組みです」
蓮見はいわゆる一般的に言われるPMOの役割「プロジェクトを成功させるために、PMが正しく意思決定できるための支援や推進・管理を担う」を果たす上で、今回は「官民一体“複数プロジェクト”同時進行」の難しさがあったと振り返る。
「インフラであるめぶくIDとデータ連携基盤、それに乗っかる多数のサービスを同時に開発していくわけです。サービスにはそれぞれPM的な存在がいるわけですが、関わる企業の規模も異なれば、文化も違う。彼らに共通のルールやプロセスを課しても、それが縛りとなってプロジェクト全体が滞る懸念もありました。そのためできるだけ各事業者がやりやすい形をとるようにPMO側では意識しました」
そもそも、サービス責任者が前述の通り「実装」と「自走」で代わるため、(行政が実装、民間が自走)行政のものでもない、民間のものでもない、準公共的なものとなる。民間側は目的に沿った柔軟な要件変更や収益化に重きを置きたい一方で、行政側は当初国に申請した要件を充足させつつ、市民へのサービスの向上に資するものでなければならないと考える。このバランスをプロジェクト全体でとっていかなければならなかった。
「PMOとしては、それぞれのプロジェクトの目線あわせに加え、行政側との調整や、これまで同時進行で進んでいたデータ連携基盤とサービスとの連携についての情報も適宜共有していく必要に迫られました。開発方式もアジャイルが得意な会社、ウォーターフォールが得意な会社などもいて、彼らにとって最適な進行方法にあわせた支援をしていく必要がありました。実装は無事完了しましたが、プロジェクトはこれから。プロダクトマネジメントとして、サービスの品質向上をめざし、自走していかなければなりません」
「市民へのサービス向上の視点での設計」だからこその悩ましい課題
サービスを開発していく途中段階では当然「これをもっとよくしたほうがいい」「あれはなくてもいいのではないか」といった改善が随時行われていくものだ。建築などのようなハードウェアではないソフトサービスであれば、そのアップデートはより頻繁なものになっていく。
今回のプロジェクトで行政対応を主に担当したデロイト トーマツの新名康平マネジャーが市民へのサービス向上の視点を重視したからこそ起きた課題があったと話す。
「企画提案の段階で設計した申請内容を実装する前提で、国からの補助金の交付決定・前橋市の公募を経て開発がスタートしたわけですが、山﨑が冒頭話したように市民へのサービス向上の視点でよりよいサービスを求めていくと、サービス内容・必要経費ともに当初計画と違う部分が出てきてしまう。そこで、適切なタイミングを図って国に改めて説明する責任が生じるわけです。」
行政の従来の発注形式では予算が固定され、基本的に発注時の仕様に沿った成果物が求められる。ただ、今回のように先駆的な取り組みを実装する場合、ステークホルダーとの協議や開発ステップに応じて新たに発見される課題は多い。
このギャップを調整するために、公費を扱う上での固定要素と変更可能な要素を見極めたうえで、行政・開発事業者間の合意形成を図る必要があった。新名はそのプロセスについて「サービス数も多く、とにかく大変だった」と苦笑い。「合理的説明を欠けば、国からすると“申請と違う内容ですよね”と言われてしまう。申請時に目指したビジョン・サービス趣旨と変更内容は適合していることを1サービスずつ丁寧に説明していきました」
また、公金を活用してサービスは開発されているが、運用後も官のお金がずっとつぎ込まれるわけではない。そうすると事業者が所有の権利を持つことになるのか?そうなると当初の市民重視の方針は担保できるのか?こうした権利問題など法律的な支援も必要になってくるケースも多々あったという。行政観点と開発実態を照らし、タイムリーな論点設定・方向性検討を可能とするために、デロイト トーマツ グループの部門・法人の垣根を越えたチームで対応することで、安定したプロジェクト推進が可能となった。
「無茶の言い合いがうまくかみ合った」官民一体で成功する方法
「今回、市もそうとう無茶を言ってきたと思います」と話すのは大野副市長だ。「言いっぱなしではなく、アーキテクトやデロイト トーマツの皆さんにもたくさん意見を言っていただいた。ある意味、無茶の言い合いのようなところがありましたが、それが結果としてかみ合っていったのではないでしょうか」
山﨑は「覚悟の示しあいみたいなところもありましたね。これまでにない取り組みなので、誰も正解は分からない。ただ、前橋市がこれだけ覚悟をしているのだから、こっちもやらなくてはという気持ちになっていった」と続ける。デロイト トーマツを含むプロジェクトメンバーは副市長も含めて、多くの時間を共にし、想いを共有しあったという。蓮見は途中から参加し、プロジェクトのハードさに度肝を抜かれたという。
全員が口を揃えて言うのは、本プロジェクトは一定の成果を得たが、これを他の自治体や他のプロジェクトで再現する必要は無いということだ。
「初めての試みで“生みの苦しみ”も相当ありました。ただゼロからイチにする作業を繰り返すのはヘルシーではありません。私たちがゼロベースから初めてイチにした。この実際に経験したことを共有していく。前橋市が先行して取り組んだ中で良かった部分を取り出して利用してもらえばいいのではないでしょうか」
デジタル田園都市国家構想はTYPE3から1まであり、TYPE1の裾野が一番広い。先駆けとなるものが前橋市のTYPE3であり、そこで得たノウハウをTYPE2やTYPE1に落としていけばいいというわけだ。そのほうが、多くの自治体が導入しやすく日本全体の変革も進みやすい。
キラーコンテンツを開発し、市民が使いたくなる仕組み作りを
サービスが実装された中で、すでに市民利用もはじまっている。中でも全員が印象に残っていると口をそろえるのが、2022年10月下旬に行われた「前橋BOOK FES」だ。公式アプリ「めぶくアプリ」をインストールし、会場で気になった本があったら、出展者と話して持ち帰ったり、持ってきた本と交換する「本のトレード」ができるなど、アプリの利用促進を目指した。山﨑がこの取り組みのメリットについて次のように話す。
「デジタルサービスというと、手段の押しつけになってしまうケースもあると思うんです。ダウンロードしてください、みたいにお願いするのではなく、市民の皆さんが自発的にダウンロードしたくなる仕組みがあるべきです。その点、前橋BOOK FESは本のトレードがしたいからということで、アプリをインストールしてくれる方が大勢いた。実際に私たちも現場でサポートしていたのですが、市民の皆さんから多数のフィードバックも得られ、いい体験になりました」
プロダクトを作ってアンケートを取ることはできても、ダイレクトに第三者の声を聞く機会はなかなかない。その貴重な経験をプロジェクトの途中で出来たことは、その後のモチベーションにもつながったという。
それにしても、これほど難易度が高かったプロジェクトをなぜデロイト トーマツのメンバーは続けられたのだろうか。
「このプロジェクトの前身である前橋市のスーパーシティ構想もデロイト トーマツが支援をしてきました。その時に活動していた先達がいるんです。彼らの背中を私たちは見ていました。その仕事ぶりをひと言で表すとファーストムーバー。誰よりも先回りして、動き出す。私たちも彼らに習ってまずはプロジェクト成功のために何ができるのか考え、動くことを優先しました。それを私たちの上司も認めてくれたのも動きやすかったです」
「実装」を終え、「自走」がはじまったばかりの「まえばし暮らしテック推進事業」。後編では、10のサービスがどのように開発され、今後どのように進んでいくのかを紹介していく。
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