Posted: 04 Nov. 2022 3 min. read

脳のためのテクノロジーNeurotechnologyの必要性

近年になり、社会の活動を行うビジネスの現場や、日々の暮らしの中でウェルビーイング(Well-being)と言われる心身の健康な状態の重要性が認識されてきました。人の心というものは不可思議な側面があり、そのメカニズムに対する関心は歴史上長く、様々なアプローチによって議論されてきました。精神や心を対象とした思索的探求による哲学が古代から存在し、実験データを元に人の心や行動を科学的に明らかにしようとする心理学のようなアプローチは19世紀から発展してきました。

 

20世紀に入ると、脳や神経系を対象とした研究領域である神経科学(ニューロサイエンス)※1の発展に伴い、脳と心の関係性を示す様々な事実が明らかになってきました。DNAの二重らせん構造の発見によりノーベル医学生理学賞を受賞したフランシス・クリックは1994年に出版した著書の中で、脳内の神経細胞の活動が我々の心を生み出すことを「驚くべき仮説(Astonishing hypothesis)」として述べています※2。これは、我々の心にまつわる現象が脳の中の細胞の活動によって生み出されていることが、一般的には受け入れることが難しいと考えられていたことを示唆しています。現代では、心が脳によって生み出されているという考え方がより一般的になってきたと言えるでしょう。

近年の神経科学の進展は目覚ましいものがあります。その研究の積み重ねによって、我々の意思決定や記憶、認知を司る脳のメカニズムが少しずつ明らかになってきました。この研究の進歩の中で、脳の活動を様々な形で測定し研究するための技術や手法が開発されてきました。このような技術はニューロテクノロジー(Neurotechnology)※3と呼ばれています。この技術は医療等の領域で応用が始まり、より一般的な社会の活動での利用に向けた開発とその可能性が広く議論されるようになりました。

ニューロテクノロジーはなぜ必要で、その提供価値とは一体何なのでしょうか。脳内には800億個以上の神経細胞が存在するとされており※4 、神経細胞のネットワーク(ニューラルネットワーク)が膨大な情報処理を行なっています。一方で、人の意識に上る情報、その情報を伝達するための手段はとても限られています。会話をしたり、ジェスチャーを使ったり、楽器やキーボードを操作する。このような手段で表出される情報は脳が処理している情報量とは比べものになりません。もしこのような脳内にある情報を、違う手段によって利用し伝達することができたら様々なことが可能になります。今まで私たち自身が気づくことができなかった自分の心の中にあるバイアスやスキルを客観的なデータとして取り出すことが可能となるかもしれません。脳と機械を繋ぐインターフェース(ブレイン・マシーン・インターフェース)は、シームレスな人とAIのコミュニケーションによって、私たち人間自身の心や身体機能の拡張を実現することも可能とするでしょう。このようにニューロテクノロジーは社会における人と人、人と機械(AI)の間の情報伝達の深化を促すものであると考えることができます。

このような背景からDeloitte AI Institute では、ニューロテクノロジーをAIの利用をNext Levelへと引き上げていくテクノロジーとして注目し、社会での利用可能性、ガバナンスや倫理フレームワーク等の課題について研究活動を推進し、情報発信していきます。

 

※1:脳神経系を対象とした学問領域の名称は「神経科学(Neuroscience、ニューロサイエンス)」が専門家の間では一般的であるが、日本においては脳を研究対象とした「脳科学」という言葉も普及している。
※2:Crick, F. H. C., “The Astonishing Hypothesis, The Scientific Search for the Soul”, Scribner, New York ,(1994)  
※3:“Neurotechnology: devices and procedures used to access, monitor, investigate, assess, manipulate, and/or emulate the structure and function of the neural systems of natural persons.” OECD. "Recommendation of the Council on Responsible Innovation in Neurotechnology." (2019).
※4:Azevedo, Frederico AC, et al. "Equal numbers of neuronal and nonneuronal cells make the human brain an isometrically scaled‐up primate brain." Journal of Comparative Neurology 513.5 (2009): 532-541.

 

福島 誠/Makoto Fukushima

福島 誠/Makoto Fukushima

デロイト トーマツ グループ マネジャー

日米の研究機関において脳神経科学分野の研究者として基礎研究に従事。その後、民間企業に活動の場を移し、外資系企業において、脳科学の手法を応用したマーケットリサーチの業務に従事。現在は有限責任監査法人トーマツ、デロイトアナリティクスR&Dにおいてニューロテクノロジー領域の研究開発活動をリード。主な専門領域はシステム神経科学、神経生理学。 Ph.D. (The University of Chicago)