国境炭素税:EU-CBAMへの戦略対応で新たな勝機を拓く ブックマークが追加されました
輸入品に生産・製造に関わる炭素排出量に応じて関税をかける「国境炭素税」が、2026年1月からEUで本格運用に入る。EUが主導する「CBAM」と呼ぶ新ルールに対しては動揺と反発があるが、2050年カーボンニュートラルに向けて避けることのできない潮流でもある。受動的なコンプライアンス対応ではなく能動的な戦略対応によって日本企業の新たな勝機を拓くべきだ――。デロイト トーマツのグループ横断組織「Sustainability and Climate Virtual Business Unit」(S&C VBU)で貿易コンプライアンス分野をリードする牧野 宏司によるアジェンダ・セッティング。
貿易実務の現場では今大きな変化が起きている。貿易コンプライアンス(法令順守)に対応するため、サプライヤー(生産者・製造者)からの詳細かつ包括的な情報提供が様々なケースで不可欠になっていきているのである。最近の主な要請としては以下の三つがある(図1)。
(1)原産地情報の管理
各原材料の原産地、HSコード(国際貿易商品の名称および分類を世界的に統一する目的のために作られたコード番号)、各製造拠点での加工内容など、輸入国において原産国判定に必要となる情報・根拠資料。輸出国あるいは製造国の事業者からの情報提供が必要となる。
(2)強制労働の排除(人権対応)
米国税関・国境警備局(CBP)は、2001年の同時多発テロを受け、「テロ防止のための税関・産業界パートナーシップ(Customs-Trade Partnership Against Terrorism : C-TPAT)」を2002年に導入された。最大の狙いは米国向け貨物に関してそのサプライチェーン全体のセキュリティーを強化することだが、2023年8月からは強制労働への対処に関する要件対応が追加された。認定事業者はサプライチェーンの各層・各所において強制労働などの人権問題を排除するための取組みを行い、税関に示す必要がある。要件を満たしていることを税関に示すことができない場合、認定事業者としての優遇措置を受けられなくなる恐れがある。
(3)EU-CBAM(炭素国境調整メカニズム)への対応
地球温暖化対策のため温室効果ガスの排出削減が急務となるなか、政府・地域ごとに対策・対応が進んでいる。その代表的な施策が、炭素排出量に価格をつけ排出量の応じた金銭的負担を企業などに求める「カーボンプライシング」であり、各国において、炭素税、排出量取引制度(ETS : Emission Trading Scheme、キャップアンドトレード)、エネルギー税など様々な手法で導入が進められている。
各国内での規制強化に伴って、「カーボンリーケージ(炭素漏出)」という新たな課題が浮上してきた。カーボンプライシング制度を導入して規制を厳しくすると、規制が緩い国との間で生産・製造コストに差が生じてしまう。規制が厳しければコストは高くなり、緩ければ低い。それは価格競争力の高低に直結する。その結果、自国企業が製造拠点を規制の緩い国へ移転してしまったり、規制が緩い国の安価な製品が流入して国内産業が衰退してしまったり、さらには結果的に全世界での温室効果ガス排出量は減らなかったりと、本末転倒な結果を招きかねないのである(図2)。
EUにおいて、このカーボンリーケージを防ぐための措置が「国境炭素税」である。環境規制が緩い国からの輸入品に対して、自国の規制(カーボンプライシング)と見合う程度の負担を求め、競争条件が釣り合うように調整する。そのため輸入事業者は、輸入品がどこで生産・製造されたのか、その工程における炭素排出量はどれほどか、もしあるなら国外で支払い済みのカーボンプライス金額はいくらか、などを輸入通関時に申告しなければならない。申告内容に応じて国境炭素税が計算され、課税されることになる。
国境炭素税の導入で先行したのはEU(欧州連合)である。2023年10月、「CBAM」(Carbon Border Adjustment Mechanism、炭素国境調整メカニズム)の運用を開始した。本格運用までの期間を移行期間と位置付け、輸入事業者に対して炭素排出量の報告のみを求める。2026年からは排出量に応じて課税(CBAM証書の購入義務)する本格適用を目指している(図3)。課税額の算定においては、2005年から20年近い運用実績を重ねてきた「EU域内排出量取引制度(EU-ETS)」の価格水準を参考とする。
現在(移行期間初期)の対象はセメント、肥料、電気、鉄鋼、水素、アルミニウムの6品目だが、有機化学品、ポリマー、さらにはガラス製品、パルプなども順次追加されていく見込みである(図4)。炭素排出量やカーボンプライスの支払額などの情報を集計し提出するためには、サプライチェーンの各サプライヤーの協力が不可欠であり、かなり煩雑な作業となる。EUへの輸出入に携わる企業は、移行期間の間に体制整備を進めなければならない。
欧州議会は2021年6月、EU域内の温室効果ガス排出量を2030年までに55%減(1990年比)、2050年までにネットゼロ達成を目指す欧州気候法を採択。それを達成するための政策パッケージ「Fit for 55」を併せて策定した。CBAMはそこに新規提案として盛り込まれた重要施策である。
ただし、EU-CBAMに対しては新興国などからの批判もある。WTO(世界貿易機関)の「自由貿易」の原則――国によって差別したり、過度な制限をかけたりしない――に反しているという主張である。また、EU加盟国からも、「輸入中間製品に対して高い炭素税をかけることはEU加盟国の輸出産業の競争力を奪う」との懸念が示されている。
また、日本としては、経済産業省の「世界全体でのカーボンニュートラル実現のための経済的手法等のあり方に関する研究会」において、「炭素国境調整措置に関する基本的な考え方(案)」 [1]を以下のように取りまとめている。新興国を含めた各国との協調、WTOルールとの整合などを強調する内容となっている。
【炭素国境調整措置に関する基本的な考え方(案)】
「世界全体でのカーボンニュートラル実現のための経済的手法等のあり方に関する研究会」
(2021年3月、経済産業省)
日本企業としては、世界各国の出方、国際協調の行方を注視しつつも、まずは2026年に本格適用されるEU-CBAMへの備えを万全にする必要がある。
では、EU-CBAMの実務をもう少し詳しく見ていこう。
CBAM実務の主な関係者とそれぞれの役割を図5に示す。2023年10月の移行期間開始から2026年1月の本格適用まで、輸入者(CBAM申告者)に対するコンプライアンス義務が段階的に拡大されていく。
【2023年~】
1. | CBAM対象製品の輸入(EU域外のサプライヤー、輸入者) |
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2. | 輸入申告(輸入者が税関に) |
3. | 輸入申告の審査(税関) |
4. | CBAM対象製品の輸入者を通知(税関が欧州委員会に) |
5. | 直接・間接排出量データを作成・提供(EU域外のサプライヤー) |
6. | 四半期CBAMレポートの作成(輸入者、2025年末まで) |
7. | CBAMレポートの提出(輸入者が欧州委員会に) |
8. | CBAMレポートの確認(欧州委員会) |
9. | CBAM要件遵守の監視と罰則の適用(各国当局) |
【2025年~】
A. | 認定CBAM申告者の承認申請(輸入者が各国当局に) |
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B. | 認定CBAM申告者のステータスを付与(各国当局が輸入者に) |
【2026年~】
a. | 認定CBAM申告者の承認申請(輸入者が各国当局に) |
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b. | 認定CBAM申告者のステータスを付与(各国当局が輸入者に) |
c. | CBAM証書の販売(各国当局)、CBAM証書の購入・納付(輸入者) |
d. | 年次CBAM申告レポートの作成 |
2024年現在は移行期間の第一段階にある。第二段階の2025年からは輸入者が「認定CBAM申告者」としての申請し、承認を受ける必要が生じる。本格適用される2026年1月からは実際にコストインパクトが発生する。輸入者(認定CBAM申告者)がEUへ輸入する貨物に関わる炭素排出量に応じた金額で「CBAM証書」を購入し、納付する運用となる。その金額はEU-ETSでの取引価格を基準に決定される。参考までに、2023年10月時点ではCO2排出量1当たり約90ユーロ(1ユーロ152円換算で約13,600円)だった。また、移行期間は四半期ごとにCBAM申告レポートの作成・提出が求められるが、2026年からは年次での提出サイクルに切り替わる。
CBAM申告レポートは、「一般情報」「輸入情報」「排出情報」の3セクションで構成される(図6)。
最も重要なのは「Section3 排出情報」である。生産国・生産拠点に関する一般情報に加えて、輸入貨物に関わる直接排出量、間接排出量(算出方法の詳細を含む)、EU域外で支払ったカーボンプライスの額、などを拠点ごとに集計・報告しなければならない。これは、輸入者にとってはもちろん、その集計に協力する各国・各拠点のサプライヤーにとっても、かなり大きな負担になると想定される。
排出量の算出方法については、2024年6月30日までは「任意の算出方法」「デフォルト値の活用」が認められていたが、2024年7~12月の期間は「生産国のカーボンプライシングスキームにて定められている計算方法」「生産国で義務化されている排出量計算方法」「生産国で認定検証者によって認証されている排出量の計算方法」の活用が推奨され、2025年1月からはCBAM実施規則に定められた算出方法だけが認められることになる(図7)。
EU-CBAMの罰則についても触れておきたい。罰則が科されるのは、以下の場合である。
(1)CBAMレポートが未提出の場合
(2)CBAMレポートの内容が不正確または不十分であり、かつ、当局の指示に従いCBAMレポートの修正が行われなかった場合
無申告の場合、排出量1トン当たり10~50ユーロを目安に各国当局が決定することになっているが、誤りの程度、過去の申告状況、申告者の態度といった要素が考慮される。また重大または悪質な場合には高額な罰金が科されることもある。また、罰則は移行期間にも適用される可能性がある。CBAMレポート(移行期間中は四半期に一度)の作成・提出に当たっては注意を要する。
既に、多くの日本企業がEU-CBAMへの対応を進めているところではあるが、2026年1月の本格適用までにやらなければならないこと、やるべきことは数多く残っている。最初に着手すべきは「インパクトアセスメント」。輸入データの収集・対象貨物の特定、サプライヤー・生産拠点の特定、社内関連部署の特定および体制構築、などである。その上で「排出量の計算」を進めていくのだが2024年後半には着手したいところである。それらと並行して「レポーティング」のための体制を整えていく(図9)。
EU-CBAMが本格適用される2026年以降、スコープはさらに広がり、EUとの貿易はもちろん、国際貿易全体に影響が波及すると考えられる。企業にとっては製品価格やグローバル・サプライチェーンの見直しが避けられなくなるだろう。もちろん、日本企業も例外ではない。
そうした大きな事業環境変化の流れを踏まえ、CBAMへの対応は、(1)コンプライアンス遵守への対応、(2)新たな成長を目指す戦略的アプローチ、の両輪で取り組むことが日本企業にとって極めて重要だと考えている(図10)。カーボンニュートラルへの取り組みに関して世界を率先し、その変化を先取りして新たな成長の糧とする――。CBAMに対し、そうした攻めの姿勢で臨むことが、グローバルなステージで活動する日本企業にとって新たな勝機を切り拓くことになるはずだ。
以上、2026年に予定されているEU-CBAM本格運用開始は、国際貿易の環境を大きく変える契機となりうること、及び、それは日本企業にとってチャンスでもあることについて述べた。そうした変化を見越して、デロイト トーマツ グループも企業への支援体制を強化しているところである。
2023年4月には、関税・貿易に関する専門会社「デロイト トーマツ GTA & テクノロジー株式会社」(本社:東京都千代田区、代表:牧野 宏司)を設立した。(1)法令・制度改正への対応、(2)手続・業務プロセスの改善への対応、(3)国際物流の諸問題への対応、(4)貿易関連ITサービスの提供――などの支援サービスを、荷主・国際物流事業者に対して総合的に提供していく。
同社は同年12月、通関業許可も取得し、通関業法に絡む様々な業務を代行できるようになった。日本のコンサルティング大手の中でも、通関業許可を取得し、税関による事後調査への包括的な支援を提供できるのは当社だけだと自負している。顧客の貿易に関する悩みが関税だけでなく貿易プロセスや電子化に拡がっており、貿易・国際物流のボトルネックに対して幅広く支援を提供している。
EU-CBAMへの対応支援も、最重要課題として位置づけているものの一つである。グローバルにおける日本企業の競争力向上のため支援しており、欧州委員会が拠点をおくベルギーにも専任スタッフをおいている。
CBAMの影響を受けている各企業は、排出量算出のプロセスをセットアップのうえ、実際の排出量データの利用が必須となる初回CBAMレポート期限2024年10月31日までに、最大限実際の排出量データを用いたレポーティングを行えるよう準備を進めている。
一方、欧州委員会からFAQを通じて2024年8月8日に行われたアナウンスメントによれば、もし排出量データを入手できなかった場合、CBAM申告者はその理由をCBAMレポート内にてコメントとして付記するとともに、最大限の努力を行った結果排出量データを入手できなかった旨を示す証憑を添付する必要がある。各EU加盟国のCBAM当局は、コメントおよび証憑を確認のうえ、排出量データの不足について罰則適用要否を判断する。これを踏まえ、各社は排出量算出のプロセスセットアップと平行して、もし排出量データを入手できなかった場合にコメントおよび証憑をどのように準備するかについても検討を進めている。
各社は排出量算出プロセスのセットアップが完了した時点でCBAMへのコンプライアンス対応についてはある程度目処がたつと思われるが、その後も、CBAM証書の購入コスト削減や、サプライチェーンのグリーン化にかかる各生産国でのインセンティブの利用など、より戦略的な観点からの検証を行う段階が残っている。
CBAMは世界的にみて新しい制度であることと、業界からの声に応じて制度が変化していくことから、適切な対応を講じるためにはEU輸入者と各生産者との間で密なコミュニケーションが必要になる。デロイト トーマツ グループでは、法令、業界の動向およびリーディングプラクティスについて関連国間でのシームレスなコミュニケーションを行うことにより、EU・関連国の双方から企業のCBAM対応をサポートしている。
構成=水野博泰 DTFAインスティテュート 主席研究員
財務省・税関などで22年の勤務を経て、2020年にデロイト トーマツ税理士法人に入社。税関実務に加え、税関の本部である財務省関税局において10数年の経験を有する。関税・税関制度の改正、関税に関する係争対応など、関税・税関関係業務に幅広く従事。また日本の通関システム(NACCS)のASEAN諸国への展開など、貿易関連システムの構築・海外展開にも携わってきた。 2023年6月よりデロイト トーマツ GTB株式会社の代表取締役社長となり、関税評価・分類サポートといった関税サービスだけでなく、貿易・国際物流全般にサービスを拡大。ペーパレス化、業務フロー改善、ブロックチェーンを活用した取組みAEO(米国CTPAT)・保税許可取得などのサービスに加え、国際的諸問題(輸出入規制、自然災害・パンデミック、強制労働問題、脱炭素)への対応など、end to endで広範なサービスを提供する。