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第5回 DA交渉と価格調整・表明保証

事業再編・カーブアウトシリーズ:上場企業における事業売却の方法論~ある食品会社のケース

事業売却の論点、アプローチ方法を小説仕立てで解説するシリーズ。大仏食品の経営企画部長・安倍氏は、新たな悩みを抱えていました。買手候補先数社からのデューデリジェンスに備えて、カーブアウト財務諸表を含む開示資料の準備になんとか目途がついたと思ったら、今度は契約書ドラフト準備が必要という話が舞い込んできたのです。


登場する企業・個人等は全て架空の名称です。

主な登場人物

大仏食品株式会社:東証1部上場企業(売上高:5,000億円程度)

  • 業種は食料品の製造販売であるが、消費者向け飲料事業、消費者向け食品事業、業務用事業、ヘルスケア事業等を営む
  • 連結ベースの営業利益率は0.5%と、同業他社に比べてかなり低い状況
  • 業務用事業、ヘルスケア事業は堅調であるが、消費者向け飲料事業、消費者向け食品事業は市場が成熟気味、特に消費者向け飲料事業は競争環境が厳しく低収益に陥っている
  • 過去、事業を多角化し、様々な会社を買収しており、組織機能の重複が激しい
  • PERは7倍と業界平均の20倍に比べかなり低く、PBRは1倍を切っており、市場からの支持は得られていない

藤原社長:大仏食品の代表取締役社長
安倍部長:同経営企画部長。藤原社長から特命事項があった場合に一心に対応しており、藤原社長からの信任が厚い
平部長:同経理部長
北条部長:同法務部長
 

デビット会計事務所

  • グローバルネットワークを持つ会計ファーム
  • 事業売却実務の知見・経験豊富である

聖徳氏:大仏食品に対する担当パートナー、大仏食品からの経営全般の相談事項に対してアドバイスを行っている
蘇我氏:カーブアウトBS担当パートナー
物部氏:事業計画担当パートナー
 

ハリウッド証券

  • 消費者向け事業の売却に関するファイナンシャルアドバイザー

 

カーブアウト型M&Aの契約書の体系と多角的な検討視点

安倍部長は、新たな悩みを抱えていた。
買手候補先数社からのDD(デューデリジェンス)に備えて、カーブアウト財務諸表を含む開示資料の準備になんとか目途がついたと思ったら、今度は北条法務部長から契約書ドラフト準備が必要という話が舞い込んできたのだ。

「売却ストラクチャー次第では、DA(最終契約書)は株式譲渡契約書(SPA)だけではないと法務アドバイザーの弁護士先生にミーティングで言われましたよ。最終的な買手が決まるまでもう少し時間かかるし、買手候補からのストラクチャー提案を受けるまで待っていればいいですかね」(北条部長)

「いやいやいや、北条さん。当社の希望する売却ストラクチャー案で契約書をドラフトした上で、買手候補に提示することが交渉上、重要だとFAのハリウッド証券も言っていましたし、準備は進めておいた方がいいんじゃないでしょうか。一度聖徳さんに相談してみますね」(安倍部長)

安倍部長は法務アドバイザーと連携してすでに主体的に進めていると思っていた法務部長の言動に一抹の不安を覚えながら、SPA(株式譲渡契約書)以外にどのような契約書が必要になるのか、デビット会計事務所の聖徳氏に相談してみることにした。

「買手候補からのDDが開始されますが、カーブアウト財務諸表をはじめ、御社のサポートのおかげで何とかここまでたどり着きました。ただ、今度は契約書ドラフト準備が必要といわれておりまして、正直、何から手を付けていいかわからず、聖徳さんにご相談したいと思いまして」(安倍部長)

「ご相談ありがとうございます。本件のような事業分離・売却を伴うケースの場合、①移転する権利義務を定める事業譲渡契約書や会社分割契約書に加え、②対象事業を移転した既存子会社または新設子会社の株式を譲渡する場合、最終契約書としての株式譲渡契約書、さらに付随契約が必要になります」(聖徳氏)

「事業譲渡契約書や会社分割契約書のドラフトは法務アドバイザーにお願いすれば安心と思っておけばよいでしょうか」(安倍部長)

「おっしゃる通り、法務アドバイザーによるドラフトは必要ですが、まずは売手と買手の間で認識齟齬がないように、移転対象となる権利義務の範囲を明確にすることが必要になります。たとえば、以下のような項目を一般的に検討しておくことが重要になります」(聖徳氏)

 

項目

内容

① 資産・負債

  • 勘定科目単位での分離可否やクロージング直後の事業運営上の必要可否を確認しておくこと。
  • たとえば、共用資産を移転対象外とした場合、買手側での代替可否を考慮した対応方針をあらかじめ検討しておきたい。

② 取引契約

  • 日本の会社分割等の組織再編を利用する場合、包括承継が可能であるが、移転対象外の事業・部門との共通利用の契約やチェンジオブコントロール条項の有無をあらかじめ確認しておくこと。
  • グループ外およびグループ内の区分をした上で、事業運営に必要な契約のリスト化を早い段階で準備しておきたい。

③ 雇用契約

  • 日本の会社分割による承継を行う場合は、個別同意が不要となる対象事業に専ら従事している対象者(本社の管理間接部門を含む)の特定をしておくこと。
  • 従業員の包括承継または個別同意を問わず、コミュニケーションプランや引き留めるためのリテンションプランの検討も準備しておきたい。

④ 知的財産

  • 商標権・特許権・実用新案権等、事業運営に必要な知財、および移転対象外の事業・部門との共通利用の有無をあらかじめ確認しておくこと。(特に会計上、資産計上されていないケースが多い)
  • 買手側で使用するが移転対象外とした知財の取扱い(例えば、ライセンス供与)等の対応方針もあらかじめ検討しておきたい。

⑤ 許認可・届出等

  • 行政機関からの許可が必要な事業は日本の会社分割による承継対象になるとは限らない(新規取得または届出等が必要)ため、必要手続きや対応期間をあらかじめ確認しておくこと。
  • たとえば、事業運営上、不可欠な許認可の新規取得が困難である場合、売却ストラクチャー案を見直す可能性もある。

※:支配権の変動が起こった場合に、既存の契約内容に変更が生じたり、相手方が一方的に解除することができることを示した条項
 

「なるほど権利義務の範囲を明確にすることで、対象事業の運営に不可欠な要素をさまざまな視点で整理しておくことができるわけですね。契約書ドラフト準備だから法務部長の北条と法務アドバイザーに一任しておけばよいと思っていましたが、前もって経理・人事・事業等の各担当との情報の整理が必要になりますね」(安倍部長)

「おっしゃる通りです。全体プロセス管理をしているハリウッド証券や法務アドバイザー、貴社各担当が参加するミーティングを早々に設けて、契約書ドラフト上の検討論点の認識合わせをしたほうがよいかと思います」(聖徳氏)

「ところで、最終契約書と併せて必要な付随契約にはどのようなものがあるのでしょうか」(安倍部長)

「本件のような事業分離・売却の場合は、取引相手が経営体制を整える前に暫定的に売手側で業務の提供を支援するための売手・買手間のサービス提供契約であるTSA(Transition Service Agreement)や、より長期的なサービス提供を想定したLTSA(Long Transition Service Agreement)が代表的な付随契約となります。サービス提供の対象業務・期間・対価等が交渉のポイントです」(聖徳氏)

「カーブアウト財務諸表作成を含む準備段階で議論になったスタンドアローン・イシューの特定が関係するということですか? ご承知のとおり、現時点では買手候補が確定しておりませんが、どのように進めておくべきでしょうか」(安倍部長)

「対象事業の分離・売却直後の一定期間、スタンドアローンで事業運営するために不可欠な機能と、売手として最大限提供できる機能を整理しておくことは交渉戦略上、必要になると思われますが、現時点では契約書という形ではなくとも、業務提供の主体・業務概要・期間・対価などの重要な条件を表形式で定めたタームシート案が準備できればよいと思います」(聖徳氏)

「よくわかりました。この点も含め、ご提案のようなミーティングを早々に設けますので、FAのハリウッド証券や法務アドバイザーを交えた場でも改めてご相談させてください」(安倍部長)

「承知しました」(聖徳氏)

「通常の現行業務と本件対応のどちらを優先すべきなのか、本件を推進する経営企画部として対応方針を整理してください」と言ってきそうな各部門長やキーパーソンたちの顔がいくつも思い浮かんだ。最終的な買手候補との契約締結までは社内の情報開示範囲を限定的にせざるをえない状況が続くし、一人ひとりに依頼し、必要な説得をしていくしかないな、と安倍部長は自分自身を言い聞かせた。

 

準備段階から白熱する契約交渉

各部門の部長やキーパーソン、各アドバイザーが勢ぞろいして参加した契約書ドラフト議論のミーティング後、デビット会計事務所の聖徳氏・蘇我氏と話をしている平経理部長を見かけた安倍部長が声をかけた。

「平さん、ミーティングありがとうございました。SPAの難解な用語を含め、複雑な話が多かったですが、大丈夫でしたか?」(安倍部長)

「安倍さん、そうなんですよ。正直、価格調整なんて、通常の経理・決算業務と違う話の世界で理解が追い付かないし、買手候補から受け取ったDDの質問内容にもびっくりしていて、聖徳さん・蘇我さんにご相談をしていたところです」(平部長)

「売手は、契約締結時に買手と合意した譲渡対価をクロージング日にいったん、受け取りますが、別途作成するクロージング貸借対照表に基づいて最終的な譲渡価額が確定し、その差額が精算されることを、蘇我から説明させていただいたところでした」(聖徳氏)

「先ほどのミーティングで、本件のようなカーブアウト型M&Aでは、①価格調整の計算メカニズムとそれを構成する調整項目の定義、②クロージング貸借対照表の作成方法が重要な論点である、と聖徳さん・蘇我さんもコメントされておりましたが、一般的な株式譲渡のケースとの違いがあるのでしょうか?」(安倍部長)

「事業価値評価の詳細や価格調整 をしないケースは別途説明させていただいたところでしたが、基本的には、ネットデット(純有利子負債)や運転資本の変動を価格調整の対象とすることが多く、カーブアウト型M&Aでも考え方は同じになります。ただし、既存会社の資産・負債が包括的に移転することを前提としている株式譲渡と違い、分離元会社から特定事業の資産・負債が分離・移転されることになるため、運転資本やネットデットの範囲・定義を明確にすることが重要になります」(蘇我氏)

「買手候補からの質問のひとつに、対象事業の月次運転資本推移の情報開示依頼がありましたが、これは価格調整に影響するものでしょうか? 売上債権や棚卸資産は事業別に管理していますが、仕入債務は事業別の管理をしていないので、正直困惑しています」(平部長)

「価格調整の計算メカニズム上、クロージング日の運転資本と基準運転資本の差を運転資本調整とみなすことになりますが、基準運転資本 が正常な水準であることが前提になります。カーブアウト財務諸表作成段階でも、売手目線での月次運転資本推移の分析が必要ということで検討させていただいておりましたよね」(蘇我氏)

「そうでした。確かに買手の立場になれば、対象事業の月次運転資本推移の見立てを売手に求めたくなるのは当然ですね。一方で、クロージング日の運転資本残高はクロージング貸借対照表に基づくものと理解しましたが、クロージング後に買手が準備してくれるという理解でよろしいでしょうか?」(平部長)

「カーブアウト型M&Aの場合、分離元会社の全社残高確定や分離作業を行うことができるのは売手ですので、その対応期間や、たとえば買手がクロージング貸借対照表を作成する場合でも価格調整結果の確認・検証のスケジュール化が必要になります。また、クロージング貸借対照表作成上の会計基準・会計方針等の定義をしておくことも重要です」(蘇我氏)

「先ほどのミーティングでは表明保証の対象となる財務情報を何にすべきかが議論になっておりましたが、カーブアウト型M&Aならではの論点だったと思っておいてよいのでしょうか?」(安倍部長)

「既存会社の株式を譲渡する場合では、当該会社の財務情報が、たとえば会計監査済であることを前提として、真実かつ正確であることを売手として表明し、保証するものになりますが、売却範囲に対応したカーブアウト財務諸表の場合は、本件のために作成したプロフォーマ財務情報であり、一定の試算を含んでおりますので、表明保証の対象の定義の仕方は、買手候補との交渉ポイントになると、ハリウッド証券や法務アドバイザーと議論になっておりました」(蘇我氏)

「価格調整や表明保証に加えて、カーブアウト型M&Aでは対応すべきことが多く、契約締結からクロージングまでに相応の月日を要するため、さまざまな手続きがクロージングまでの誓約事項やクロージングの前提事項等として反映が必要になることも特徴ですね」(聖徳氏)

「理解が深まりました。ありがとうございます」(安倍部長・平部長)
 

現時点では売手である当社の希望を反映したドラフトをしているにすぎない。DDプロセスが進行するにつれて、買手候補からの要請が反映された契約書のマークアップ(更新)内容を見て、対応方針を検討する必要も生じるだろう。
最終的な買手との契約交渉がその後、進むことを想像するだけで胃がキリキリしてくるな、と思う安倍部長であった。
 

*第6回「セパレーション」に続く。

 

執筆者

デロイト トーマツ ファイナンシャルアドバイザリー合同会社
M&Aトランザクションサービス
シニアヴァイスプレジデント 野口 昌義

(2022.8.8)
※上記の社名・役職・内容等は、掲載日時点のものとなります。

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