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第6回(最終回) セパレーション
事業再編・カーブアウトシリーズ:上場企業における事業売却の方法論~ある食品会社のケース
事業売却の論点、アプローチ方法を小説仕立てで解説するシリーズの最終回。大仏食品の消費者向け飲料事業は無事売却できるのでしょうか。
登場する企業・個人等は全て架空の名称です。
主な登場人物大仏食品株式会社:東証1部上場企業(売上高:5,000億円程度)
藤原社長:大仏食品の代表取締役社長 デビット会計事務所
聖徳氏:大仏食品に対する担当パートナー、大仏食品からの経営全般の相談事項に対してアドバイスを行っている ハリウッド証券
ノースポール・キャピタル
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PMIではない、セパレーションに向けた体制構築
消費者向け飲料事業の買手となるノースポール・キャピタルからの提案ストラクチャーや最終契約に向けた主要な論点、契約締結までのスケジュールが取締役会で上申された。
安倍部長は、社外取締役からの反対意見がないことに驚きつつ、最終的な買手候補の選定に関する白熱した議論を振り返りながら、自席に戻る途中であった。ところが、ほっとする間もなく、藤原社長からの呼び出しを受けることになる。
いわく、「買手候補からのDD(デューデリジェンス)受入対応などで、社内の現業に相当の負荷がかかったと不満を私に言ってくる担当役員もいる」とのこと。「今後の検討体制を早々に示すように」と社長から厳しい口調で注文を受けてしまう。
ノースポール・キャピタルとの最終契約修正案の協議は契約締結直前まで続くだろうし、まだまだ楽観視はできない。IR室長がハリウッド証券のサポートを受けながら準備しているプレスリリースの当社案と、買手側のドラフトを踏まえた協議も始まる。それに加え、今しがたの社長からの指示にも当然、対応していかないといけない。
「やることが多すぎる」と頭を振りながら、安倍部長は遅れて本件の定例会議に参加すると、以下のような点が議論されていた。
- 金額的な規模は軽微であるが、本社や支社・支店などの共通資産の利用有無は、海外拠点を含む現場の従業員の確認が必要である。いつまでに決めればよいのか
- 譲渡対象とした日本の工場と異なり、海外工場は(工場自体は対象外とし)、対象事業の製造ラインのみを譲渡対象としている。買手による製造ライン移管はいつまでに可能か、それまでの間、情報管理のあり方はどうすべきか
- 重要な取引先や合弁パートナーに対する説明はいつから可能になるのか。買手がプライベート・エクイティ・ファンドと聞いて、どう反応するだろうか
- 譲渡後の一定期間、対象事業も共用している当社の基幹システムを新会社に利用させるにしても、ビジネスフロー変更によるシステム改修が生じる。改修・変更要件はいつまでに決定できるのか
まだまだ課題は山積しているものの安倍部長は、対象となる事業部や研究開発、製造、さらには法務・人事・経理・情報システムといった各部門の部長やキーパーソンが、起用したアドバイザーの力を借りつつも、本件を通して活発な議論を進めてくれる姿を頼もしく想った。
自分はまずどう動くべきかと考え、デビット会計事務所の聖徳氏に今後の進め方の相談をしたいと連絡をしていた。
「聖徳さん、ノースポール・キャピタルとの条件・契約交渉が大詰めとなり、御社にもいろいろご相談ばかりしている中で恐縮ですが、社長の藤原から今後の推進体制を速やかに報告するようにと指示を受けまして、売手側として、どう進めればいいか、アドバイスを頂戴したいと思っております」(安倍部長)
「さすが、藤原社長、いいタイミングで安倍さんに指示されますね。私も蘇我とともに、買手からの価格調整計算メカニズムや売手の表明保証に関する修正案の対応方針検討に専念していて、契約締結に至るまでもうひと踏ん張りする局面ですが、貴社としてセパレーション(事業の分離・売却)体制を立ち上げるには良いタイミングだと思いますね」(聖徳氏)
「御社にサポートいただいたカーブアウト財務諸表や買手候補からのDD対応などにおいて、対象事業部、経理を含むコーポレート部門の各部長に加え、キーパーソンを順次参画させてきましたが、さらに情報開示の対象者を増やして推進体制の見直しが必要ということでしょうか?」(安倍部長)
「はい。今後は、人事部長の源さんに検討推進いただいている労働組合や従業員向けの社内コミュニケーションプラン実行と同時に、貴社の全ての従業員が知りうる立場になりますし、特に海外拠点などの現場担当者のご協力が、さらに必要になろうかと思います。また、買手側も、DDプロセスでの開示情報や起用アドバイザーの分析情報等に基づき条件・契約交渉してきましたが、契約締結を見越して、検討領域ごとのワーキンググループ・分科会の設置や、ノースポール・キャピタルの担当者や新会社に派遣予定のCxO・経営人材と連携して、貴社から新会社へ移られる事業部ご担当者の参画も要請されると思います」(聖徳氏)
「新会社の役員就任が内定している事業部の菅原部長と新会社の事業戦略・事業計画について、具体的な協議を開始したいと今朝、ノースポール・キャピタルから要請を受けたところです。買手としては、早々にPMI(Post Merger Integration)への取り組みを開始したいということですよね」(安倍部長)
「おっしゃるとおりですね。①本件買収を成功させるための企業・事業価値向上に向けたPMIタスクは買手が主導するものでありますし。一方で、売手としては、②TSA(Transition Service Agreement)の主体・業務概要・期間・対価を買手側と今後、詳細に決めていく必要がありますし、③(本件では売手が担う)新会社設立や、対象事業の権利義務を新会社へ移転する手続きなどの分離(Divestiture)に向けた準備は、貴社が中心として担っていただく必要があります」(聖徳氏)
「なるほど。先ほど参加していた定例会で挙がっていた課題の中には、買手側の意向や想定を確認するものもあれば、これまで本件の開示対象外であった現場を巻き込むべきものもありましたので、ご提案のような体制を立ち上げるタイミングということですね。買手のPMIタスクに参画を期待されている事業部のメンバー選定は菅原部長に依頼をしながら、セパレーション推進体制案を検討してみますので、またご相談させてください」(安倍部長)
「承知しました」(聖徳氏)
既存会社の経営資源を包括的に移転する株式譲渡でも、買手が主導するPMIやTSAは一定程度、売手として協力が必要になるが、カーブアウト型M&Aは、分離元会社から対象事業の経営資源を分離したうえで、受け皿となる分離先会社に移転することに他ならないし、相当に大変だな、と今さらながら実感する安倍部長であった。
まだまだこの道のりは続く
「蘇我さん、法務部長の北条から共有されたばかりなのですが、当初の想定から変更になり、一部の海外拠点のクロージングが後ろ倒しになったと聞きました。ノースポール・キャピタルとの契約締結は完了しておりますし、何をすればいいのでしょうか」と慌てふためいている様子でデビット会計事務所の聖徳氏・蘇我氏に相談し始めた経理部の平部長の声を聞きながら、落ち着かなければと安倍部長は自分に言い聞かせていた。
「一部の海外拠点における競争法に基づく届等の審査が、想定より時間を要してしまっているということでしょうか?」(聖徳氏)
「聖徳さんのご理解のとおりでして、先ほどまで行われた双方の法務アドバイザー間の協議に同席していたところ、クロージングを目前にこういった課題が今さら出てきてしまいました」(北条部長)
「本件取引の譲渡対価から譲渡できない拠点の相当額を減額することを、買手であるノースポール・キャピタルが要求していたと記憶していますが、契約交渉過程を踏まえて、最終的なSPA(株式譲渡契約書)の記載内容の確認が必要かと思いますので、我々も早急に確認するようにいたします」(蘇我氏)
「クロージング日に当社が一旦、ノースポール・キャピタルから受け取る譲渡対価の中に、クロージングが後ろ倒しになる一部の海外拠点の相当額が含まれないということになりますよね」(安倍部長)
「おっしゃるとおりですね。ただし、その海外拠点も後ろ倒しになるとはいえ、当該拠点が譲渡できる場合は、その譲渡対価を買手から別途、受け取れる建付けにSPA上していたと記憶しておりますので、法務アドバイザーである弁護士先生へ確認が必要かと思います」(蘇我氏)
「北条さん、我々からも弁護士先生へ至急確認をとりましょう」(安倍部長)
「そうですね。ちなみに、平さん、後ろ倒しになる海外拠点の譲渡対価って、金額を把握できていますか」(北条部長)
「ええと…、あれ、価格調整ってこれからだよね。契約締結したのが半年以上前だし、あれ、どうでしたっけ」(平部長)
「クロージングに伴う価格調整はこれからですが、契約締結時点での基準となる譲渡対価を、貴社、つまり売手の分離元会社がある日本、中国や各国にどのように配分するか検討していたと思いますので、クロージングが後ろ倒しになる海外拠点の相当額はそれで把握できると思います」(聖徳氏)
「そうでしたね、税務目的のアロケーションと呼んでいたやつですね。価格調整に向けた準備もあるので、聖徳さん・蘇我さん、また別途今後の進め方をご相談させてください」(平部長)
「承知しました」(聖徳氏・蘇我氏)
安倍部長は、平部長の記憶がおぼろげになるのも仕方ないと思った。
ノースポール・キャピタルとの契約締結は半年以上も前だ。契約締結した当日に藤原社長から言われた一言は、「ようやく調印できたけど、クロージングってこんな先になってしまうのかね、安倍君」だったな、と思い出した。条件・契約交渉に悪党苦戦したものの、契約締結したときの喜びもひとしおという気持ちは、その後の半年間の怒涛の日々で消え去った感がある。
対象事業の運営に必要な許認可・届出等の対応は菅原部長をはじめ、新会社に移る事業部メンバーの尽力もあり、思いのほかスムーズに進んでくれたのはよかった。だが、新システムを導入するわけでもないのに、当社の情報システム改修でこんなに手こずるとは思わなかった。
そう言えば、デビット会計事務所の聖徳氏からも「契約締結からクロージングまでに1年超かかるカーブアウト案件もあります。契約締結からがまた大変ですし、半年なんてあっという間ですよ」と言われていたな、と安倍部長は回想した。
「さて、藤原社長に一部の海外拠点のクロージングが遅れる可能性があることを報告しに行かないとな」と安倍部長は気が重くなりながら独り言ち、社長室を訪れた。
ところが藤原社長はこちらの気持ちを汲むこともなく、開口一番、「安倍くん、消費者向け飲料事業を売却した後の当社の事業ポートフォリオについて、来月の取締役会で社外取締役からの意見を引き出せるように議論したいのだが、準備を進めてくれるかね」と畳みかけてきた。
安倍部長の悩みはまだまだ続きそうだ。
(完)
執筆者
デロイト トーマツ ファイナンシャルアドバイザリー合同会社
M&Aトランザクションサービス
シニアヴァイスプレジデント 野口 昌義
(2022.10.11)
※上記の社名・役職・内容等は、掲載日時点のものとなります。