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地政学リスクの見える化 ~リスク定量化で先読みが可能に

Financial Advisory Topics 第22回

ウクライナ情勢や台湾を巡る問題など、地政学リスクの高まりが世界的に懸念となっています。地政学リスクはこれまで不確実性のあるイベントとして扱われることが多く、定量的に捉えることが困難でした。近年、ニュースのテキスト解析の技術が向上する中、このようなリスクを見える化することが可能となってきています。本稿では、地政学リスクの見える化を企業がどう活用できるか、地政学リスク指数の動向を示しながらご紹介します。

不確実性とリスクの違い

地政学リスクが高まる時、新聞記事では不確実性が高まるとの表現が使われることが散見されます。ただ、経済学的には不確実性とリスクは異なるものです。不確実性のある状況というのは、リスクが高いか低いか判別するのが難しい環境と定義すると、仮にリスクが高くても、どの程度リスクが高いのか定量的に判断できれば、不確実性のない、あるいは低い状況と言え、投資や人員の最適な配分を行ううえでの判断が行いやすくなります。つまり、地政学リスクを定量的にモニタリングすることによって、不確実性の低減と投資や社内リソースの有効活用につながる可能性があります。

図表1 地政学リスク指数とその押し上げ要因の推移
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地政学リスク指数とは何か

Caldara and Iacoviello (2022)により発案された地政学リスク(Geopolitical Risk)指数は、地政学的に懸念となる事象について、報道(ニュース)ベースの指標で、地政学的な悪事象(行為)とそれに関連する脅威を、ニュースで用いられる語句の頻度に基づいて測定しています。

同指数は、米国・カナダ・英国にまたがる英字新聞10紙(Chicago Tribune、Daily Telegraph、Financial Times、The Globe and Mail、The Guardian、Los Angeles Times、The New York Times、USA Today、The Wall Street Journal、およびThe Washington Post)の電子アーカイブのテキスト検索結果を反映しています。各月の各新聞における地政学的に懸念される出来事に関連する記事の数(ニュース記事の総数に占める割合)を計測して、この指数を算出しています。

検索は8つのカテゴリーで構成されています。地政学的脅威にあたる5つのカテゴリー(戦争の脅威、平和への脅威、軍備増強、核の脅威、テロの脅威)と地政学的に悪影響を与える実際の行動にあたる3つのカテゴリー(開戦、戦争のエスカレーション、テロ行為)です。上記の検索グループに基づき、2つのサブインデックスも構築されており、前者の5つは地政学的脅威(Geopolitical Threats)指数、後者の3つは地政学的行為(Geopolitical Acts)指数の算出に用いられます。

地政学リスク指数は、2つの世界大戦の前後、朝鮮戦争開戦の前後、キューバ危機時や2001年9月11日に発生したアメリカ同時多発テロ事件(9.11)以降に急上昇します(図表1)。世界大戦や9.11の際など実際に武力行使やテロ行為が行われた際には地政学的行為指数が主導で地政学リスクを上昇させ、核攻撃を目前にしながらも戦争に至らなかったキューバ危機の際には地政学的脅威指数が主導で地政学リスクを上昇させています。第2次世界大戦後、世界的な規模の戦争が発生しない中、冷戦下では地政学リスクへの「脅威」が地政学リスク全体を押し上げ、実力行使の指数に占める割合は5割を割る状態が続きました。9.11は、地政学的行為指数を押し上げました。それ以降は、行為指数の指数全体に対する割合は減少し続け、ウクライナ情勢後も、米中の対立に対する懸念が高まる中、同様のトレンドが2023年に入っても続いています。

 

指数の上昇で何が起こるか

金融市場の参加者や金融当局は、地政学リスクを投資決定や株式市場の動きの重要な決定要因として捉えています。イングランド銀行は、地政学リスクを、経済や政策の不確実性とともに、経済に大きな悪影響を及ぼす可能性のある要素に含めています。近年、欧州中央銀行、国際通貨基金、世界銀行は、地政学的緊張がもたらす見通しへのリスクを日常的に取り上げ、監視しています。従って、実際の武力行使やテロ活動に至らない地政学的脅威が高まるだけでも、投資行動や消費活動を通じて金融市場や実体経済に悪影響が発生する可能性が高まります。

具体的には、地政学的に悪影響のある実力行使や脅威の高まりは、人命の損失、資本ストックの減耗、軍事支出の増加、予防行動の増加など、様々な経路からマクロ経済に影響を与える可能性があります。実際、地政学リスク指数の上昇は、投資や雇用の減少を予見させ、災害の発生確率やダウンサイドリスクの大きさと関連していることが実証分析でも示されています。

地政学的な脅威が高まって、実際の武力行使へと進むという過程を考えると、仮に実力行使まで状況がエスカレーションしなくても、金融市場や設備投資、労働市場への悪影響は、当初の1年程度はあまり変わらず、その後の回復は脅威主導のショックの方が早いという実証分析の結果が出ています(Caldara and Iacoviello 2022)。従って、それに備えた対応が必要になるでしょう。

 

(参考文献)Caldara, Dario and Matteo Iacoviello (2022), “Measuring Geopolitical Risk,” American Economic Review, April, 112(4), pp.1194-1225.

 

地政学リスク指数の限界

地政学リスクが与える経済や市場への影響はいつも同じではありません。物価への影響は、地政学リスクの高まりが世界的なエネルギーや食糧などの需要に悪影響を与えれば低下圧力がかかる一方で、物資の輸送や生産に滞りが出るなど供給サイドに悪影響が出ればむしろ上昇圧力がかかります。ウクライナ情勢は後者の典型的な例と言えるでしょう。

また、この地政学リスク指数が英字紙のみを用いていることで、脅威の内容が米欧の先進国を中心とした陣営の価値観が反映し、一定程度のバイアスが入っている可能性があります。こうしたバイアスは、日本語による新聞や中国語による新聞でも指数を作ることである程度修正され、バランスよくみることは可能と思われます。とはいえ、地政学リスク指数の水準の変化や、その影響は幅を持ってみる必要があり、それぞれの国や企業によって評価の手法やウェイトを調整することで、より有効な活用が可能となると見込まれます。

執筆者

デロイト トーマツ ファイナンシャルアドバイザリー合同会社
イノベーション マネージングディレクター
プリンシパルエコノミスト 増島 雄樹
 

※上記の社名・役職・内容等は、掲載日時点のものとなります。

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