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最新動向/市場予測
インフレの先行きを占う労働市場:賃金・ミスマッチの各国比較
リスクインテリジェンス メールマガジン vol.78
マクロ経済の動向(トレンド&トピックス)
有限責任監査法人トーマツ
リスク管理戦略センター
マネジャー
市川 雄介
米国の投資ファンド大手が年明けに発表した2022年の「びっくり予想」では、米国FRBによる今年の利上げ回数が4回になることが挙げられていたが、今やそうした見方はベースラインシナリオとなっている。米国の金融政策を巡る見方の変化がいかに急激だったかを象徴する事例だ。金融政策の具体的な展開は当局者のスタンス等にも左右されるため、経済のファンダメンタルズのみで見通すのは難しいが、インフレが今後落ち着くかどうかが決定的な鍵を握るのは言うまでもない。
本コラム11月号では、各国でインフレが進んでいる背景として、①エネルギー価格の高騰、②世界的な生産・物流網の逼迫、そして米国などでは③人手不足に伴う賃金の上昇を挙げた。このうち①や②については、各国の輸入物価指数が過去最高もしくは数十年ぶりの伸びに達するなどしている。こうした川上の物価上昇は時間差を伴って小売価格などへ波及していくため、当面国内のインフレを押し上げる要因となろう。
ただし、コスト・プッシュ型のインフレは、家計の購買力を圧迫し、ゆくゆくは需要の減退につながるため、一時的なものにとどまる公算が大きい。上記の①や②の要因が今後徐々に剥落した後もインフレが持続するかどうか、それゆえに金融政策を本格的に引き締めるべきかどうかは、③の賃金の動向次第と言える。
そこで、日本・米国・ユーロ圏・英国の賃金上昇率について、コロナ前(2018・19年)とコロナ後(2021年)を比較したものが図表1だ(2020年は労働者構成の急激な変化などにより賃金の大幅な変動が生じた国が多かったため、2021年の比較対象は2019年にした上で、年平均の伸びを算出している)。これをみると、米国は明らかにコロナ前と比べて賃金上昇率が上方屈折していること、英国もやや上振れつつあることがわかる。他方で、ユーロ圏の賃金の伸びはやや高まった程度、日本にいたっては賃金の水準がコロナ前より低下している状況だ。こうした違いを踏まえると、金融引き締めの必要性が高いのは米国・英国・ユーロ圏・日本という順番になるが、これは多くの市場関係者の見方と一致するところだろう。
図表1 コロナ前後の各国の賃金上昇率
米欧における賃金上昇の背景の一つには、飲食・宿泊といったコロナ禍で大きな打撃を受けた接客関連業種を中心に、求人がなかなか埋まらないという雇用のミスマッチがある。横軸に失業率、縦軸に欠員率(企業が充足できていない求人)をとると、通常は欠員率が上昇する(=人手不足感が強まる)と失業率が下がるため右下がりの曲線が描かれるが(いわゆるUV曲線/ベバレッジ曲線)、コロナ後は米国や英国、最近ではユーロ圏でもUV曲線が上方もしくは右上方向へシフトしていることがみてとれる(図表2)。同じ失業率に対して欠員率が上昇しているということは、労働需給のミスマッチが拡大していることを示唆している。
図表2 各国のUV曲線
かたや、日本ではコロナ前と比べてUV曲線がシフトしている様子はなく、労働市場の構造変化とは無縁のようにみえるが、これはサービス業種の回復の遅れを反映したものだろう。実際、飲食業の売上高(実質)をみると、米国や英国はコロナ前の水準を回復しているのに対し、日本では依然として2割程度低い水準にとどまっている(図表3)。したがって、オミクロン株の感染の波を乗り越えた後に経済の再開が一段と進むとのシナリオに立てば、日本でも接客業種の人手不足が統計上も顕在化し、やがて賃金上昇を通じてインフレに波及する可能性がある。
図表3 各国の飲食業の実質売上高
ただし、図表3を改めてみると、米国や英国と異なり、日本の飲食業の売上は昨年を通じて変動が乏しく、感染状況が落ち着いたからといって飲食需要が大きく増加するわけではないという傾向がある。在宅勤務の一定の定着などにより、家計の外食行動が恒常的に変化した可能性が示唆されるところだ。このようにみると、コロナ禍がもたらした影響は国ごとに様々であり、日本が欧米同様にインフレ・レジームへと転換するかどうかはまだ不確実性が高いと言える。
index
- 「インフレ、気候、地政学」:2022年の見通しと10大リスク(勝藤)
- インフレの先行きを占う労働市場:賃金・ミスマッチの各国比較(市川)
- 講演最新情報(2022年1月時点)
執筆者
市川 雄介/Yusuke Ichikawa
有限責任監査法人トーマツ リスク管理戦略センター マネジャー
2018年より、リスク管理戦略センターにて各国マクロ経済・政治情勢に関するストレス関連情報の提供を担当。以前は銀行系シンクタンクにて、マクロ経済の分析・予測、不動産セクター等の構造分析に従事。幅広いテーマのレポート執筆、予兆管理支援やリスクシナリオの作成、企業への経済見通し提供などに携わったほか、対外講演やメディア対応も数多く経験。英ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスにて修士号取得(経済学)。