最新動向/市場予測

Separate Ways:ウクライナ危機と欧州の政治経済

リスクインテリジェンス メールマガジン vol.79

リスクの概観(トレンド&トピックス)

有限責任監査法人トーマツ
リスク管理戦略センター
マネージングディレクター
勝藤 史郎
 

1月の当レポートで「2022年の10大リスク」の第5位に挙げた「ロシアの対欧州圧力拡大」が顕在化目前となっている。本稿執筆時点で、ロシアはウクライナ東部地域への派兵に踏み切り、日米欧各国が金融面を中心とする部分的な制裁を発動した。依然10万を超えるロシア側の軍事力配備状況や、NATO側との交渉不調の状況に鑑みると、今後更なる軍事侵攻は回避困難な状況に近いと筆者個人は見ている。軍事侵攻が回避された場合でも、ウクライナ政府への介入やサイバー攻撃といった非武力的攻撃がなされるリスクは依然高い。さらに、ロシアと欧州の軍事的緊張関係はウクライナ一国の局地的な問題ではなく、より中期的なグローバルかつ中長期的な国際政治のパワーバランスに関わる問題といえる。NATOは結成以来、ドイツ統一や東欧諸国の民主化を経てその加盟国を旧共産圏に拡大してきた。ロシアから見れば、1980年代の東欧民主化時代のNATOによる「東方不拡大」口約を反故にされたとする経緯から、ウクライナのNATO加盟が仮に実現した場合、ロシアにとっては国家安全保障にかかわる軍事的脅威となる。

もっとも、ロシアによる軍事侵攻が開始された場合でも、これがただちにグローバルな金融市場や経済の大きな転換をもたらすとは考えにくい。戦局予想は困難であるが、ロシア国境からウクライナの首都キエフまでの進軍には相応の日数がかかるとされている。キエフに近いベラルーシ国境のロシア軍配置は相対的に薄めであり、NATO加盟国が間接的な武器支援などを通じてウクライナ軍を支援した場合などには、ロシアの圧倒的な兵力にも関わらず戦局は長期化する可能性がある。侵攻が開始された場合に各国の株価下落や商品価格高騰で市場が反応すると思われるが、経験則からは、局地的軍事行動のグローバル市場への影響は一時的なものにとどまる可能性が高い。過去のウクライナ問題やクリミア侵攻の際もグローバルな金融市場が大きくトレンドを転換することはなかった。戦局が長期化すれば金融市場もそれを織り込んで安定化するのではないか。

より注目しておきたいのは、中期的な欧州各国の経済・政治への影響である。ロシア制裁強化や欧州向け天然ガス禁輸の影響は、ロシアもさることながら欧州各国、特にドイツにおいて大きいとみておきたい。ウクライナ侵攻により欧州向け天然ガス供給が停止されて価格がさらに上昇し、欧州経済への更なる下方圧力となろう。欧州では石炭火力や(ドイツにおける)原子力に代わる発電燃料として天然ガスが大きなシェアを占めている。ドイツの天然ガス輸入はその3割をロシアに依存している。軍事行動回避の場合でも、ノルド・ストリーム2を通じたドイツの天然ガス調達は他のNATO加盟国からの圧力により不安定になるリスクがある。更に政治面では、EUの統一性の後退や場合によってはいわゆる「分断」が進むリスクがある。ドイツのショルツ首相の連立政権は、今回の対ロシア政策につき確固たる姿勢を示すことができず、対ロシア上もEU内でも主導権をとれていない。前任のメルケル首相がEUの対ロシア外交を取り仕切る役割を果たしていたのとは対照的である。フランス大統領が「戦略的オートノミー」を掲げてEUの軍事・経済の自立を標ぼうしているのに対し、ドイツの少なくとも前政権はEUと米国など他国との相互依存関係を重視していた。更には気候変動対策としての脱炭素化についても、原子力発電を停止して天然ガスをグリーンエネルギーとしたいドイツと、原子力発電再開により脱炭素化を目指すフランスの方針とは対立関係にある。これは脱炭素化そのものだけでなく、EU全体の中期的なエネルギー供給態勢に、ひいてはEU内の政治的不協和音を引き起こしうる。欧州の政治力後退は、複雑化した国際政治のパワーバランスを更に不安定化させる要因となりうると考える。

なお、西側諸国による対ロシア制裁は、政府・要人・銀行取引の禁止にとどまる限りは、ロシアルーブルの下落、政府の資金調達などロシアのマクロ経済への影響にとどまるが、在ロシア企業との取引禁止等にまで拡大した場合は、在ロシアの外資系企業の操業にも影響が及ぶ(一部外資系企業はロシアでの生産活動停止や海外移転を検討しているとの報道もある)。ロシアにエクスポージャーを持つ本邦銀行・企業においては、制裁レベルに応じたリスク管理を機動的に実施することは必要となろう。


(注)本稿は2022年2月24日時点の情報に基づく。

執筆者

勝藤 史郎/Shiro Katsufuji
有限責任監査法人トーマツ マネージングディレクター

リスク管理戦略センターのディレクターとして、ストレス関連情報提供、マクロ経済シナリオ、国際金融規制、リスクアペタイトフレームワーク関連アドバイザリーなどを広く提供する。2011年から約6年半、大手銀行持株会社のリスク統括部署で総合リスク管理、RAF構築、国際金融規制戦略を担当、バーゼルIII規制見直しに関する当局協議や社内管理体制構築やシステム開発を推進。2004年から約6年間は、同銀行ニューヨー...さらに見る

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